ポリティカルセオリスト 瀬戸健一郎の政治放談

政治生活30年の経験と学識を活かし、ポリティカルセオリストの視点から政治の今を語ります。気軽にコメントして下さいね!

素晴らしい教師たちとの出会い②

2006-04-05 01:43:08 | 英会話講師として
春は新しい出会いの季節。学校でも職場でも新しい人々との出会いがあったことと思います。そんな中で、素晴らしい教師との出会いが、その人の人生そのものを大きく変えてしまうことがあります。私にとっての「素晴らしい教師たちとの出会い」第二弾は、イングリッシュ・スクエアの代表取締役 引田義雄先生です。

■高校受験直前のある出来事。

私が東京都立荻窪高校に入学したのは昭和53年~1978年の春。実はもともと私の中学校の担任だった深井先生は進学指導で評判の高かった先生で、受験直前まで私は某大学附属高校に進学するよう指導されていました。しかし、中3の冬の出来事が私の人生の第一の転機となりました。

■得意な英語がなぜ!?

それは、西武池袋線の池袋駅、券売機の前での事でした。ある外国人夫婦が何やら困っていたので、"May I help you?" (何かお困りですか?)と勇気を振り絞って話しかけたところ、コレ幸いに、その夫婦が勢いよく2人同時に、英語で話し出しました・・・・私は訳も分からず頭が真っ白に・・・気づくと、どのように帰ってきたかも分からない内に、大泉学園の我が家に着いていました。

■父と交わした短い会話・・・

他の教科はともかく、英語だけは学年トップ・クラスの成績だという自負心が強かっただけに、生まれて初めて外国人に話しかけて、実践力が全く自分には無いことがショックでたまりませんでした。その夜、悩み抜いたあげく、父に、「お父さん、僕、都立高校一本で行くから、私立高校に3年間行くためにかかる学費の差額200万円の内、100万円、僕にちょうだい。」と頼み込みました。父:「何に使うつもりなの?」、私:「アメリカに行ってくる。」、父:「分かった。そうしなさい。」実に短い会話でした。

■小さな印刷屋を営む父~英語~引田先生との出会い・・・

「お父さんは、高校を出て、通産省の外郭団体に就職して、後から入ってきた大卒の同級生が国際会議で通訳なしで話しているのを見て、悔しかったから、お前が英語を一生懸命やってるのが嬉しかったんだよ。」と父ははじめてそんな心の内を明かしてくれました。
そして、「お父さん、英会話習いたいんだけど・・・」と頼むと、「お金は今、厳しいんだけど、何とかして上げよう。」と言ってくれました。そして、入学したのがECC外語学院池袋校だったのです。そして、そこで私に今、草加校を任せてくれている、イングリッシュ・スクエアのオーナー、当時はECC池袋校の副校長だった、引田義雄先生と出会うことになったのです。

■ふくらんだ夢と悪夢のような現実~それでも・・・

ところが、荻窪高校とECCに入学の手続きをしたのもつかの間。私の最大の理解者であり、私の最愛の父が、4月29日天皇誕生日の未明、クモ膜下出血で急逝しました。そしてそのことは、英会話はおろか、高校に通い続けることもままならないどん底の状態に急転直下、我が家が落ちていくかのようでした。まして、留学なんか夢のまた夢。それでも多くの人々の支えによって、都立高校の授業料は免除となり、東京都育英会から奨学金の貸し付けを受け、練馬区の母子家庭支援資金の貸し付けを受けて、何とか私は高校を止めずに済みました。

■私の人生最大の転機に~引田先生の恩情・・・

ECCの方は、学費が前納制であったこともあり、1年は通い続けることを母も応援してくれましたが、一番、成果の出る夏期集中コースは出たくても、出ることはあきらめなくてはならない状況でした。ところが、引田先生が「Mr. セト 、昼間黒板消しとか、生徒の入れ替えの時の掃除とか、アルバイトする?」と話しをかけてくれました。「そうしたら、夜のコース、オブザーブ(見学)参加していいよ!」今、思い出しても嬉しくて涙が出る思いです。

■何とか英会話の学習が続けられて・・・

こうして、なんだかんだ、英会話の勉強を引田先生に便宜を図っていただきながら、在籍生向けの無料ケアーの授業に出させてもらい、続けることが出来ました。そして、それが私に、その後、訪れるYFU留学生試験に合格するために必要な力を与えてくれたお陰さまで、その後の私の人生が拓かれていったのです。
※当時、引田先生が無料ケアーの文法クラスで使っていた教科書を今も「中学最高水準コース」で使用しているんですよ!

■感謝しています。~もし引田先生と出会わなかったら・・・

引田先生との出会いがなければ、私は高校を何とか卒業して、普通の就職をしていただろうと思います。留学の夢も果たせず、大学で政治学を学ぼうなどという志を立てることもなく、このシリーズ第一弾でご紹介した白鳥先生との出会いも、英国留学もなく、草加市議会議員 瀬戸健一郎も、イングリッシュ・スクエア草加校統括責任者 瀬戸健一郎も、ここには存在してはいませんでした。引田先生、ほんとうにありがとうございました。

■いつも私を対等に扱ってくれる・・・

引田義雄先生には、酒もパチンコも教わりました。(とはいえ、引田先生はビール一杯で真っ赤になっちゃいます・・・)一回りくらいしか年上ではありませんから、父親の様というよりも、兄といったところなのでしょうが、高校時代から、いつも私を対等に扱ってくれ続けているので、今もお友達感覚で甘えさせていただいています。

引田先生にも奥さまの多美枝さんにも、いつまでも元気で、長生きをしてもらいたいです。そして、まだ成長半ばの草加校ですが、一日も早く、引田夫妻に心配をかけないですむようになるよう、今年も頑張ります。

またまた長くなってしまいました。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

イングリッシュスクエアのホームページはこちら!

※イングリッシュスクエアのホームページにも出ている佐藤先生は、当時、ECC池袋校の校長先生。引田先生の上司だった方です。その節は、お世話になりました。

瀬戸健一郎
Kenichiro Seto
草加市議会議員
Soka City Councilor

ブログテーマ:素晴らしい教師たちとの出会い②、引田義雄、イングリッシュ・スクエア、イングリッシュスクエア、English Square

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1 コメント

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Unknown (マリーン)
2006-04-05 23:16:06
お久しぶりです。でも、ずっとブログ見させてもらってたんですよ。瀬戸さんの高校時代のこと、引田先生との出会いのこと初めて知りました。出会いってすばらしいですね。大事にしないとね。その出会いを本当に大切にしている瀬戸さんだからこそ、今の幸せがあるのですね。
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