川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

木喰仏 良寛さん 日本海

2011-08-29 05:12:53 | 出会いの旅

8月28日(日)晴れ

 よく晴れて清々しい。狭山の赤坂の森公園に寄ったあと新河岸の曼荼羅で昼食とする。主人のお母さんの井上享子先生の墓が僕の散歩道にあると聞いて帰りに寄ってみた。ウバメガシを植えてあるのですぐわかった。お父さんが室戸から持ってきて家の庭に植えてあったのをお墓に移植したという。井上先生は僕の小学生時代に津呂小学校(今の室戸岬小)に勤めておられた。その晩年に川越でお会い出来るとは‥びっくりしたものである。

夜。隣のMさんご夫妻が僕の退院を祝ってくれた。岩手のお盆の料理に欠かせないというエイの煮付けに赤飯。Mさんは弟分が元気に帰ってきたのを心から喜んでくれた。いつもの力強い握手で励ましてくれた。

 若いときに人々の輪のなかで歌った盆踊りの唄を披露してくれた。8月7日から20日まで二週間も毎晩唄って踊ったというから驚く。

 娘が休みがとれたというので今日から2泊3日の予定で日本海を見に連れていってもらうことになった。良寛さんの出雲崎(新潟県)など。今日は小千谷(おじや)で木喰仏(もくじきぶつ)を拝観させてもらい、長岡市の郊外の温泉で泊まる予定だ。この辺りはいつも通り過ぎるだけで何も知らない。どんな出会いがあるかな。(29日朝、記す)。

 

木喰仏

「微笑の仏に会いたい」 新潟の木喰仏●http://www.niigata-kankou.or.jp/feature/mokujiki/index.html

 


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藤波心さんを応援したい

2011-08-28 08:21:00 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

8月27日(土)曇

 夕方になって久しぶりに川越公園を歩いてみました。河川敷の林のキツネノカミソリはまだ残っています。コバギボウシが花盛りです。プール脇の百日紅もまだまだたくさんの花を付けています。プールは31日までです。

 (コバギボウシ)

 小ケ谷付近の田んぼでは稲穂が頭を垂れています。早生種なのかな。収穫の秋が近づいています。

藤波心という中学生アイドルの原発批判のブログ記事が大変な話題になっているということです。インタビュウ記事を読みました。この人の社会に対する対応は行き届いていて私たちが見習うべきです。しっかり自己主張が出来るだけではなく、批判や非難・攻撃に対処する姿勢がきちんとしています。こういうことができない大人たちが多すぎます。こんな14才がいるのかと感心してしまいました。

 藤波さんが言われるように原発問題はすべての国民が考え議論していかなければなりません。大人はもちろんですが未来を生きるこどもたちの発言権が尊重されなければなりません。藤波さんの生き方に民主主義日本への希望を見た思いです。

 

原発批判アイドル 匿名の批判に落ち込むのは「アホらしい」

2011.08.20 07:00

  • 藤波心

 原発事故から12日後の3月23日、自身のブログに「非難覚悟で…」と題した脱原発の考えをアップした現役中学3年生アイドル・藤波心(14)。それまでファンとの交流の場であったブログは、賛否両論のコメントが殺到し、凄まじい勢いでアクセスされた。その数は、3日間で300万PVという異例のものだった。その彼女に、当時の心境を聞いた。

――ブログの反響に気づいたのはいつのことでしたか?
藤波:ブログにあの原稿をアップしてから2日後でした。気がついたら承認待ちのコメントが700件もあって、初めは何かの間違いかと思いました。ブログの管理人さんから事務所に電話がかかってきて「大丈夫ですか?」って。通常、タレントのブログへのコメントは、誹謗中傷などが含まれていることがあるので管理人さんがすべてチェックしてから載せているんです。でも、私はありのままを知りたくて、管理人さんにお願いして、その作業も自分でやるようにしています。

――それって精神的にすごくツラい作業なのでは?
藤波:7割くらいは私への応援や賛同のコメントなんですが、残りは批判のコメントですからね、正直、読むのがキツいものもあります。「芸能界引退しろ」とか「原稿を消して謝罪しろ」とか、中には「ブサイク」だとか(笑い)。でも、そういったコメントも消さずにそのまま載せるようにしました。賛同してくれてるコメントだけだと、自分にとってきれいなものになっちゃうなと。それと、一個人のブログではあるけど、いまの日本の姿をそのまま残しておきたくて。

――いちばんツラかったコメントは?
藤波:私が小学校のころからイベントに来てくれていたファンの方からの「心ちゃんが、そんなこという人だとは思わなかった」「アイドルなんだから水着を着て笑っていればいいのに」といったコメントを見たときはかなりヘコみましたね。そういうこともあって、4月の中旬くらいまでは、取材も全部断っていて、ひきこもり状態になっていました。

――ブログのコメント以外に、批判する人たちから反応は?
藤波:事務所に、たくさんのクレームがきました。毎日のように、電話がかかってきて、ファックスもくるし、直接、訪問される方もいたそうで、担当者は「ノイローゼになりそうだった」といっていました。先ほど、ブログのコメントはすべて載せるといいましたけど、どこで調べたのかわかりませんが、私の個人情報などが書かれたコメントなどもあって…そういったものは削除しているんです。

――怖くないんですか?
藤波:すごく怖いです。今回のことと関係あるかどうかはわからないんですが、1度、自宅の敷地内に夜、不審者が侵入してきたことがありました。それがきっかけで、お母さんが庭に監視カメラをつけました。

――そんな怖い思いまでして、脱原発の主張を続けるのはなぜ?
藤波:それは、私が頑固だから(笑い)…。というのもあると思いますが、やっぱり、私の意見に賛同してくれる方たちの存在が大きいです。その中には、ソフトバンクの孫正義さんや、ラサール石井さんなど著名な方たちがいらっしゃいます。批判してる方たちはどこの誰だかわからない匿名の人が多い。そう考えると、落ち込んでるのもアホらしく思えてきて。

それに、批判コメントの中にも、原発はなぜ必要なのかと明確に意見を述べている方もいて、勉強になったりするんですよ。何より、原発の問題は、日本国民みんなが考えていかないといけない問題なので、自分の意見を抑える必要はないと思ってます。

 

【藤波心(ふじなみ・こころ)】
1996年11月22日、兵庫県生まれ。特技は歌うこと、ダンス、ポージング。ファッションショーのモデルをきっかけに、現在の事務所に所属。グラビアや映画などで活躍。今年5月、『間違ってますか? 私だけですか? 14才のココロ』(徳間書店)を出版。

出典●http://www.news-postseven.com/archives/20110820_28343.html

藤波心オフィシャルブログ●http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10839026826.html

関連記事●http://www.news-postseven.com/archives/20110819_28339.html

 


「原子力明るい未来のエネルギー」

2011-08-27 10:55:17 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

半月ぶりに川越の朝を迎えました。夕べから雨になり空気はひんやりしています。何十年ぶりかに植えておいた朝顔が花を付けています。裏庭ですから見てくれる人はいません。

 やや古くなりましたが「朝日新聞」の記事を紹介します。

3月16日の「川越だより」で「原発との共生」のスローガンを掲げる福島県双葉町の井戸川町長らの責任に言及しましたがそのとき思い出せなかった役場付近に掲げられている標語とその制作者に関わる記事です。

  川越だより・「原発との共生」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/2c086bccea8e68c1b3c86cb2cf8c0f4e

 

  「原子力明るい未来のエネルギー」標語作った少年当時小6→今35歳避難生活「明るい未来ではなかった・・・」


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●作った少年当時小6→今35歳避難生活
「原子力明るい未来のエネルギー」。24年前、小学6年生の少年はそう信じ、双葉町の標語コンクールに応募した。
標語は町の商店街の入り口に掲げられ、現在も残る。
少年はいま35歳になり、同町から直線距離で約450キロ離れた愛知県で避難生活を送る。
「明るい未来ではなかった」。悔しそうに言った。

○つかぬ気持ちの整理 「明るい未来」頑張る
福島第一原発から4キロの町中心部に自宅がある大沼勇治さん(35)は、6月20日に長男勇誠(ゆうせい)ちゃんを出産したばかりの妻せりなさん(36)と、愛知県安城市の県営住宅に避難している。

標語の看板はいまも、道路を横断して掲げられている。震災後、テレビや新聞で見るたびに複雑な感情がわく。
双葉町民に「うしろめたい気持ち」も感じる。

大沼さんの記憶では、小学6年生のときに町が募集し、学校で「原子力」の言葉を入れて1人3案ずつ応募した。
「原発の恩恵を受けて町が豊かになると疑わなかった」。学校では、原発を宣伝する施設の見学に行った。

大学進学と就職で双葉町を一時離れたが、29歳で帰郷し就職。実家は標語看板の近く。誇らしかった。

サラリーマンの傍ら、3年前に看板のすぐ脇にある母の土地に2階建て4世帯分のアパートを建てた。
町で初のオール電化アパートにしたのも、原発を意識したからだ。「2世帯は『原発さん』に貸した」。
福島原発で働く人を「原発さん」と呼ぶ。「東電がある限り、この町は大丈夫」と思った。

だが、3月11日に震災が発生。せりなさんと2人で南相馬市に逃げ、車の中で夜を明かした。翌日、会社のある相馬市にいるときに原発の水素爆発が起き、妊娠中のせりなさんが放射能の影響を受けないよう会津若松市の実家へ避難した。

さらに逃げようと、愛知県の親類と連絡をとり、3月末に安城市の県営団地へ。
生活用品は団地や近所の人が提供してくれた。
しばらくは双葉町に戻れないと覚悟し、当分はここで暮らすつもりだ。

会社を退職し、失業保険で生活費をまかなう。
そんな状況でも、アパート建設と自宅のローン1500万円が残る。
「原発さんがいたからアパート経営もできた。でも、原発事故のせいでアパートも捨てないといけない」


まだ気持ちの整理がつかず、新しい仕事を探すことはできない。
切り替えるためにも早く一時帰宅したい。
結婚式の写真や指輪を持ち帰り、故郷に別れを告げ、新天地でスタートを切ろうと考えている。

避難生活を送る故郷の人たち、生まれたばかりの我が子を思い、いまはこんな言葉が浮かぶ。
「頑張ろう明るい未来へ双葉町」(神田明美)

 ソース▽

http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001106220006

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 出典●http://ameblo.jp/tanouragathering/entry-10957095372.html#main

関連記事●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/907638e6ea02eed067a894294309bd54


江東区あちこち  湾岸だより(14)

2011-08-26 05:47:27 | 東京・関東

15泊16日に亘った癌研有明病院での生活もまもなく終わりです。抗がん剤「イレッサ」服用開始に伴う副作用を警戒しての入院でしたが平穏無事に過ごすことが出来たのは何よりです。医療スタッフはもちろんのことですが同室の方々にも恵まれ、新しいお友達になれたことは特に嬉しいことでした。昨夕は最後の晩餐をしました。元気に生きて今度はシャバのどこかで出会いたいものです。新しい友人たちの健闘を祈ります。

8月25日(木)曇

 洲崎神社~洲崎遊郭跡~木場公園~猿江神社~猿江恩賜公園~横十間川自転車道~亀戸天神社~亀戸緑道~東砂・Aくん宅~新木場

 同室のMさんの勧めで亀戸天神を目指すことにしました。

 ①木場公園は元々は「木場」があったところだといいます。新木場に移ってから公園になったそうです。Mさんに聞いたところによると地下は都営地下鉄の車庫だとか。

 

 広重「深川木場」

②猿江恩賜公園

猿江恩賜公園

出典●http://www.tokyo-eastpark.com/sarue/index.html

 これはミニ「木蔵(きぐら)」と名付けられた池。ここももとは貯木場で材木に石を載せて沈めて保管したのだといいます。海水と真水の混ざり具合が良く何十年も保存できたと書いてありました。富山県魚津の海底埋没林のことを思い出しました。西川材も入間川・荒川を経由してこの辺リに運ばれてきたのでしょう。木場というのは広大な池だったのですね。

③横十間川自転車道●http://www16.plala.or.jp/mameyake/awc/v-walk/vw-oyoko/vw-oyoko.html

 猿江公園の脇にこんな快適な道がありました。水路の発達している江東区にはこんな素晴らしい自転車道があちこちにあるようです。

④亀戸天神社●http://www.kameidotenjin.or.jp/koyomi/index.html

 水辺のいたるところに藤棚が作られている。後ろにはスカイツリー。藤の季節に来てみたい。

⑤亀戸緑道亀戸緑道公園(Kameido Green Way Park)

 30年もむかし、大島のKさん宅を家庭訪問したときに歩いた。

⑥Aくん宅

 中国残留婦人の孫にあたるAくん(北高校OB)が東砂に家を建てたと聞いていたので回り道をして寄ってみた。立派な3階建。えらいものだ。残念ながらどなたも不在。

 近くに「中国残留邦人交流センター」があった。日本語の学習会などをやっているらしい。

⑦新木場 14号地第2貯木場

ファイル:14号地第2貯木場.jpg

 1969年に木場はここに移されたが丸太で輸入される時代は終わり、今日は利用されていないらしい。


こどもたちには反乱を起こす権利がある   湾岸だより(13)

2011-08-25 08:47:21 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

8月25日(木)である。今日から江東区立小中学校は二学期が始まる。僕の東京湾岸での優雅な夏休みは今日で終わる。明日は川越に帰ることができる。

 昨日夕方、芳孝くん(84年池袋商業高校・1~7)が寄ってくれた。石巻に仕事(エレベーター管理)で行ってきたという。目的のビルの周りは何もなかったという。どんな光景なのだろう?

 今朝こんなニュースがあった。

 

石巻のがれき処理、鹿島など9社連合が受注 2000億円  
 

2011/8/24 0:06
<form class="JSID_basePageMove JSID_baseAsyncSubmit cmn-form_area JSID_optForm_utoken" style="font-size: 16px; padding: 0px; margin: 0px;" action="http://www.nikkei.com/async/usync.do/sv=NX" method="post"> </form>

 鹿島を代表企業とする9社による共同企業体(JV)が宮城県から災害廃棄物(がれき)の大規模な処理を請け負うことになった。県が23日、県東部にある石巻地区でのがれき処理に関するプロポーザル(提案)方式の審査結果を公表。鹿島JVが最終候補になった。石巻地区のがれき約850万トンを処理する案件で、鹿島JVの受注額は2000億円程度とみられる。

 県は9月上旬に業務委託仮契約を結ぶとしている。大手ゼネコン(総合建設会社)の技術を活用して、東日本大震災の被災地の経済復興を阻んでいたがれき処理を前進させる。県内の被災地としては最大規模。鹿島JVは石巻港周辺に廃棄物の破砕施設や焼却施設を整備する予定。がれきは選別したうえで、破砕・焼却し、リサイクルができない廃棄物は最終処理する。

 JVは鹿島、清水建設、西松建設、佐藤工業、飛島建設、竹中土木、若築建設などのほか、地元の建設会社も参加する。がれき処理は政府の第1次補正予算を活用。県ががれき処理業者を選定した。

 がれき処理プラントは2011年度内に稼働させ、13年度末までに焼却灰の最終処分などの作業を完了させる。政府は第1次補正予算で約3500億円を計上しており、今回の石巻地区に続き、各被災地で廃棄物処理が本格化する。

出典●http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819696E0E1E29A908DE0E1E2EAE0E2E3E38698E2E2E2E2

05 2011-06-26 18-09-36.JPG

 出典●http://shinyousha.com/ishinomaki-photo/2011/06/minato-yamanishi.html

 こんなガレキの山とのたたかいがやがて始まるのか。何年もかかるのだろう。石巻の人々はこれからも臭いやハエに悩まされ続けるだろうがともかくも復興に向かうことは確かだ。遅すぎると政府を攻撃する人もいるが大災害である。やむを得ないことではないかと僕は思う。

 問題なのは原発事故への対応である。事故を起こした東電にも政府にも人の命への思いがなさすぎる。この夏休み期間中も福島のこどもたちを放射能汚染のただ中に放置した。信じられないことである。

 福島でも学校が始まるのだろうか。こどもたちには安全な場所を求めて反乱を起こす権利がある。希望のうちに生きる権利がある。このことに無頓着な大人たちは全てその責任を問われている。

 

 

 

 

 

 


阿多々羅の夏空    湾岸だより(12)

2011-08-24 11:43:17 | 友人たち

8月23日(火)曇のち晴

 抗がん剤「イレッサ」服用開始から12日が経ちましたが副作用らしきものは何一つ現れず順調な日々が続きます。退院が26日(金)と決まりました。あと少しの辛抱です。

 外出許可が出たので先日墓参りをした伊藤くんのご両親を訪ねることにしました。葛飾区の堀切菖蒲園の近くです。

荒川の河川敷を南北に走る非常用道路をひたすらさかのぼって四つ木橋で対岸の葛飾区へ。曳舟(ひきふね)川親水公園というのにいきあたりました。若いお母さんがこどもの水遊びに付き合っていました。昔はほんとうに舟を曳く風景があったところだと案内板に書かれています。綾瀬まで3Kmぐらいが公園として復元?されているそうです。

 卓也くんが遊び場にしていたかもしれない堀切菖蒲園駅周辺を探索したあと昼食としました。

 曳舟川親水公園●http://www.katsushika-kanko.com/katsumaru/area/ohanajaya04/

 お通夜以来12年ぶりの訪問です。突然のことですが近年病床にあるお母さんも喜んでくれました。卓也くんの写真が飾られている仏壇のある部屋でお二人は一日を過ごされているようです。僕とは同世代です。

 中2の時に卓也くんが俳句連盟?からもらったという表彰状の額を外してお父さんが見せてくれました。

    あたたらの  霧をぬけると  夏の空

 双葉中の夏の移動教室で福島県に行った時の作品でしょう。阿多々羅山に登ったのでしょうか。「霧を抜けると」がいいですね。「本当の空」(高村智恵子)を見た感動が伝わってきます。

 薬師岳

 中学生時代はやんちゃ坊主だったといいます。高校に入ってからも似たようなものだったのか2年生から僕がHR担任をしました。僕には気持ちの優しい青年に見えました。

 お父さんは帯広から出てきて建築の世界で生きてこられました。癌研有明病院の建設にも関わりがあったといいます。僕と同じように旅が好きで夫婦で日本中を回ったそうです。室戸岬の記憶も鮮明のようでした。

 お母さんの病状が回復したら高校生時代の友人たちを呼んでいっぱいやろうと言うことになりました。気の合う者たちが集まってどんな悪さをしていたのか?とくと聞いてみたいものです。卒業からは24年が経ちました。

 隅田川沿いの道を帰りました。週末の花火大会を前にして危険防止用の柵が川岸に長く長く作られています。大事業だということを改めて知る思いです。両国の回向院(えこういん)に寄りました。

 振袖火事の無縁仏を供養するために創建されたといいます。死者10万と書いてありました。驚くばかりです。

 回向院●http://www.ekoin.or.jp/history.html

 


「今生きている日本人は福島原発の終りを見ることはない」 湾岸だより(11)

2011-08-23 06:53:52 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

「川越だより」では福島原発事故に関わって小出裕章さんと武田邦彦さんの意見をいつでも読めるように「ブックマーク」にその名をいれさせてもらっています。やや違った観点からの意見が毎日読めます。みなさんも参考になさってみてください。

 最近『Newsweek』誌に載った小出さんの意見がweb版で紹介されました。

危険な廃棄物と化した原発は解体撤去もままならず、事故処理は今いる日本人が皆死んだ後まで続くかもしれない」と言う趣旨の文章ですが改めて読んでみると私たちが遭遇することになったこの事故がどんなとてつもない災厄であるかを思い知らされます。

 爆発前の福島第一原子力発電所

放射能
福島原発は廃炉にできない

No End in Sight

建設より厄介な廃棄作業

 福島第一は破壊の程度がひどいため、事故処理にはほぼ永遠と言っていい時間がかかるだろうと、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は言う。チェルノブイリ原発の石棺のように巨大な構造物で建屋を覆った上、作業員の被曝を避け、放射性物質が外に漏れ出さないよう監視しながらの作業が必要だ。「いま生きている日本人は誰一人、その終わりを見ることはないのではないか」と、小出は言う。

 福島第一は廃炉にもできず、放射能を閉じ込めた「悲劇のモニュメント」として半永久的に残る──その可能性すら、政府や東電はまだ認めていない。

 そもそも廃炉は原発から使用済み燃料を取り出し、構造物を解体撤去して更地に戻す廃棄作業だ。原発を造るより長い時間と労力と巨額の費用が掛かる。

 6月に国民投票で脱原発を決めたイタリアでは、90年に停止が決まった福島と同じ型のカオルソ原発など4基の廃炉に取り組んでいる。作業は2020年頃に完了する予定で、その費用は約7000億円に上る。福島の場合、コストはその何倍にも膨らむはずだ。

 廃炉は、これを請け負う原子力業界にとってはビジネスチャンスだ。世界的な脱原発の流れも受けて、今後大きな市場になるとみられている。「だが、福島だけは誰も手を出したがらないだろう」と、コンサルティング会社ブーズ・アンド・カンパニーでエネルギー問題を担当するパウル・デュールローは言う。「爆発した原発の廃炉が技術的に可能なのかどうかも分からない」

 廃炉で最も重要なのは、核燃料を取り出すことと、高濃度から低濃度まで放射能に汚染された廃棄物を処理することだ。

 原発が冷温停止した後、放射線レベルが下がるのを何年も待ち、低濃度のものから徐々に解体して最後に原子炉を撤去する。その際、染み付いた放射性物質を分離・分類し、不純物を取り除いた上、種類別にまとめて密閉容器に閉じ込めなければならない。放射能を周囲に広げないための、原子レベルの超ハイテク技術だ。

 だが爆発した原発の廃炉は、これまで誰も経験がない。86年に爆発したチェルノブイリは廃炉にできず、今も放射能レベルが下がるのを待ち続けている。設置から40年を経てコンクリートが浸食され、石棺はもはやボロボロの状態だ。

日本版チェルノブイリに

 普通に運転停止した原発であれば燃料棒を束ねた燃料集合体を取り出せば済むし、周囲の汚染も大したことはないと、かつて東芝で原子炉格納容器の設計をしていた後藤政志は言う。

 だが福島第一の場合は、大量の放射性物質が格納容器の外に漏れ出て、建屋内部が放射能まみれになった。「もはや普通の廃炉という概念は当てはまらない」と、後藤は言う。燃料集合体は溶けてチーズのようになり、どこに流れ出したかも分からない。周囲は壁まで放射能が染み付いている。この状態からどうやって放射性物質を取り出すのか、もはや誰にも分からない。

出典・全文は●http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/08/post-2228.php?page=1

○爆発後の福島第一原発(http://gigazine.net/news/20110404_cryptome_daiichi_photos/

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江戸前から眺める風景・今昔  湾岸だより(10)

2011-08-22 11:43:28 | 川越・近郊

8月22日(月)雨

 私たちの病室は8階にあり北面しています。眼下には開園して日の浅い東京臨海広域防災公園(http://www.ktr.mlit.go.jp/showa/tokyorinkai/)や築地市場移転予定地などが広がっており、その向こうには大東京のビル群が林立しています。左側に東京タワー、右側にはスカイツリーをビルの谷間に望むことができます。

 先日訪ねた洲崎神社あたりを調べていたら古い地図が出てきました。今から200年ほど前のこのあたりはこんなふうだったのですね。癌研のある有明は「江戸前」の絶好の漁場だったのでしょう。漁に出た漁師たちはどんな風景を眺めたのかしばしあれこれと想像してみました。

江戸時代中期の洲崎神社周辺図

江戸時代中期の洲崎神社周辺図です(元図は木場親水公園図より)。赤線が首都高速道路公団道路、水色線が東西線路線、黒線が江東区境界です。

 

江戸時代中期の洲崎神社周辺図

 出典●http://www.tesshow.jp/koto/shrine_kiba_suzaki.html

第107景深川州崎十万坪

 

 出典●広重「名所江戸百景」時空Map http://hiroshige100.blog91.fc2.com/blog-entry-47.html

 この絵は幕末のものですが洲崎のあたりを描いたもののようです。遠くの双耳峰は筑波山です。現代人は「発展」をよしとし、今の湾岸風景が生まれたのですが、こんな絵を見ているとタイムスリップしてみたいなあと思わずにはいられません。

参考資料「江東区形成史」●http://www.tokyomeiwa-co.net/benrinajyouhousyu/koutouku_kankei/koutouku_rekisi/keiseisi.html

広重 Hiroshige 「名所江戸百景」 時空map

 


分杭(ぶんぐい)峠    湾岸だより(9)

2011-08-21 17:02:15 | 父・家族・自分

8月21日(日)雨

 入院11日目です。抗がんイ剤「イレッサ」の服用開始からは10日目です。副作用らしきものは何もなく平穏無事な日々が続いています。このまま推移すれば当初の予定通り今週末には退院できると思われます。肝腎の薬効のほどはどうなったのか?正確には一箇月後のCT検査を見なければわかりませんが良い兆候があるとは聞かされています。

 昨日は10日ぶりにシャバの空気をすってきました。門前仲町の昔ながらのそば屋で「親子どんぶり」を食べたあと辺をぶらつき、Kさんのお宅によって預けてあった自転車で帰りました。ほんの数時間のことですが檻の外に出る解放感が有りました。

 Aさんが退院し、Bさんが一日限りの帰宅となったため、昨夜は病室を一人で占拠するという前代未聞の体験をしました。と、言ってもこの年になると格別にどうということはありません。夜勤の看護師さんが川越の方だと分かり少し交流することができました。

 Aさん(50才台)、Bさん(30才台)との3人で成り立っていた1週間ぐらいの病室生活はなかなか快適なものでした。老、壮、青の組み合わせがよかったのかな。それぞれがオープンに自分史や闘病の歩みを語り、人格的な交流が出来たような気がします。巡回の主治医も加わったことがあります。「癌研究会」の病院らしい優れた空間でした。

 僕を除く二人はこの6月に肺がんが見つかったばかりです。その驚きと不安はさぞやと思われます。冷静そのものに見えるBさんの口から入院前にパワースポットを訪ねた話を聞きました。あなたでもそうだったのかと思ったものです。

 むかし、通ったことのある長野県の分杭峠が近年パワースポットとして知られるようになり、麓の村からシャトルバスまで出る騒ぎになっているといいます。今という時代を思わせる話です。

 分杭峠からの遠望

   出典●分杭峠 驚異のパワースポットhttp://bungui.fineup.net/

 

 


朝鮮総連と左派・人権派  湾岸だより(8)

2011-08-20 19:56:50 | 韓国・北朝鮮

『統一日報』の記事によると在日本朝鮮人総連合会(「朝鮮総連」)が金正日の子・正恩を金王朝の跡継ぎ(3代目)として推戴することを決めたという。

 「金正恩大将同志を戴いて主体偉業を輝かしく継承、完遂していく光栄ある新時代を迎えた。大将同志の領導に従い新世紀の在日朝鮮人運動を絶え間なく展開していくでありましょう」

 北の独裁政権の仲間になることによって甘い汁を吸い続けてきた朝鮮総連の幹部たちがこんな時代離れしたことを決めても今更驚くことも何もない。在日コリアン大衆にとっても同じことだろう。「総連」はますますカルト集団化し、離脱者が増えていくに違いない。

 僕が悔しくてならないのは日本の人権派を自任してきた左派系の人々が実質的に朝鮮総連の応援団になっていることだ。在日コリアンを収奪して独裁政権の財布になってきた朝鮮総連は財政的にも破綻し、総連中央会館は今年中にも競売に付されるのではないかと言われている。生命線である各級朝鮮学校は抵当に入っている。

 総連中央が朝鮮高級学校への授業料無償化措置の適用を求めて躍起になっている背景には在日コリアン大衆からも見放され成り立ちゆかなくなった経済的現実があるのだ。ひとを虫けら同然に扱って恥じない北の独裁政権をたたえて自己の地位を守ろうとする者たちの当然の運命なのだ。

 左派・人権派と言われてきた人々は自分たちが総連の随伴者となり独裁政権の後押しをしていることになぜ気づこうとしないのだろうか。これらの人々は拉致問題や脱北帰国者問題には関心をもたないばかりか、取り組む人々を敵視しさえする傾向がある。

 こんな有様では「君が代」の強制にいくら果敢に反対しても広く市民の共感を得られないのは当然ではないのか。

 日本の民主主義をより確かなものにしていくためにたとえ国歌であっても「君が代」の強制に「異議あり」と主張するのは当然の権利である。

 同じように北の独裁政権の人権抑圧になぜNO!が言えないのだろう。金王朝のやっていることは石原知事や大阪府知事がやっていることとは桁が違う。端的にいえば平気で人殺しを限りなくやっている政権である。犠牲者の中には在日コリアンの「帰国」に従いて行くほかはなかった日本人妻も含まれている。

 僕は学生の時に左派となり、教員になってから人権派となった。だから友人や先輩にも左派や人権派が少なくない。

 「朝鮮総連の策謀にのって北の独裁政権の延命に手を貸すことは端的にいって犯罪ではないのか。」

 2002年9月17日を期してこう問いかけてきたつもりだがきちんと理解してくれる人は少ない。これでは左派や人権派が自滅に追いやられるのは当然であろう。それは日本にとって決していいことではない。だから「悔しい」のである。

 

 

総連の動向 許宗萬「大将同志を戴き、その領道に従う」
                                       反発警戒 機関紙で公表せず

                                                              「統一日報」8月12日

北の党代表者会から10カ月 朝鮮総連、金正恩推戴
中央委、3代世襲を推進


 3代にわたる権力世襲を朝鮮総連がいつ打ち出すのか注目されるなか、7月9日東京の中央会館で開いた22期第2回中央委員会で総連は金正恩を後継者に推戴するとの組織方針を採択した。だが、この方針を明らかにした中央委員会報告は機関紙で報じられず、大衆に知らされない秘密報告だった。金正日政権、総連中央、組織幹部、一般総連同胞の間に決定がまっすぐ伝えられない状況が生まれているようだ。金正恩推戴は、300人の総連中央委員を前に許宗萬責任副議長が報告して明らかになった。

 「金正恩大将同志を戴いて主体偉業を輝かしく継承、完遂していく光栄ある新時代を迎えた。大将同志の領導に従い新世紀の在日朝鮮人運動を絶え間なく展開していくでありましょう」
 中央委員会に参加した中央委員は都道府県本部委員長、全国の支部委員長、傘下団体・事業体の長、それに中央常任委員ら幹部たちだ。団体には教育会、芸術団も含まれ、朝鮮高校校長も中央委員会の構成員だ。

   イルクンや大衆には知らせず

 中央委員会は3年に一度の大会と大会の間の最高意思決定機関と位置づけられている。総連で金正恩推戴がいつの時点で決定されたか定かでない。だが、中央委員会で報告がなされたことから総連の正式方針となったことは間違いなく、中央委員会は3代目の権力世襲を承認した。質疑などはなかったという。

 次期権力体制への支持という重大な案件が中央委員会で報告されたにもかかわらず、中央委員会開催を7月13日付で報じた総連機関紙「朝鮮新報」は金正恩推戴には触れていない。さらに中央委員会の翌日10日に東京・北区十条で開かれた「新たな全盛期を開くための熱誠者大会」でも金正恩推戴に触れていない。幹部だけに知らせ、イルクン(活動家)や総連一般大衆には知らせないというのは異常なことだ。

 昨年10月の44年ぶりの党代表者会で「金正恩後継」が事実上決定して以後、総連はこれまで「金正恩後継」を正式に打ち出したことはない。総連が早い時期に金正恩推戴方針を打ち出せなかったのは「権力の世襲はあり得ない」という総連組織内の声を無視できないからのようだ。
 機関紙で報じず、大衆に知らせない決定について総連元活動家は「論じる以前に嫌悪感をもって反対するイルクンは多いが、今回の秘密決定でイルクンには『われわれは信頼されていない』という反発が生まれた」と言う。
 「2世後継(金正日のこと)の時、すでに反対意見が強かった。その時の後遺症はいまだに残っている。3世推戴を決定すれば総連内の反対意見とのへだたりは大きくなる」

                                 (後略)

出典●http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=62731&thread=01r01

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 朝鮮総連中央会館                           東京朝鮮中高級学校


鬼島太鼓  湾岸だより(7)

2011-08-19 11:04:01 | 映画  音楽 美術など

8月19日(金)

 入院してからは毎日のように「東京新聞」を買って隅々まで読んでいます。このところ連続して「東京国際和太鼓コンテスト」の広告が大きく出ています。今年は8月27・28日に行われるようです。

  第10回東京国際和太鼓コンテスト●http://www.tokyo-np.co.jp/event/taiko/index.html

 この和太鼓コンテストといえば「鬼島太鼓」を思い出します。毎年のように訪ねる長野県木島平村の女の子たちのグループの太鼓です。このコンテストで何回も大賞をとったと聞いています。

 09年春には「きいちご移動教室」で泊まった「パノラマランド木島平」でその熱演を見ました。中国から帰った「残留孤児」の方々が口々に感動の思いを語りました。今でも時に話題になるくらいです。

 山野文雄さんは漢詩でその喜びを表しました。

       信濃千曲川

       春来菜花黄

       故郷有故郷

       木島響太鼓

 村の小学生から高校生までの若々しい女性たちのうつ太鼓の響きは枯れかけている僕の命にもしびれるような躍動感をもたらしてくれました。

  

  よろしかったら彼女たちの太鼓の響きに耳を傾けて見てください。

鬼島太鼓●http://www.youtube.com/watch?v=Jyx_UzqpLK4&feature=related


福島のこどもを守れ  湾岸だより(6)

2011-08-18 09:20:06 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

この国に「おとな」はいないのかと悲しくなってしまう。

 1945年のいつだったかはわからないが父は私たちを疎開させた。室戸岬が大阪空襲に向かう艦載機の途上にあり時々空爆をうけるようになった頃だったのか。40kmくらい西寄りの安芸市大山岬の一角だった。僕はまだ3才でかすかな記憶しかないが姉や兄たちは地元の下山小学校に転校していた。いわゆる縁故疎開だったのだろう。学校全体を奥地の魚梁瀬あたりに集団疎開させることになったので一時帰郷した時のことはきちんと覚えている。真夜中に長い道のりを母について歩いた。途中、唐浜というところまで父が出迎えてくれた。そこからは自転車に載せてもらって帰った。家に着くやどういうわけか大泣きをした。僕は母の腰巾着と言われた。それでもこのとき6里の道をよく歩いたとのちのちまで褒められたものだ。

 親が子の安全を守ろうとする思いに昔も今も変わりがあるとは思えない。福島のこどもたちの置かれている危機は並大抵のことではない。放射性物質が目に見えないためか、政府や自治体の責任者に危機の共通認識が乏しいように見える。ヒロシマ型の原爆の20数倍の死の灰がまき散らされたのだ。その影響はこれからも日々こどもたちを蝕んでいくに違いない。集団疎開など避難させるのが当然ではないのか。

 この期に及んでもなんの決断もできない首相や文科相、知事は万死に値する。

 

山本太郎、福島の子どもたちとともに内閣府、文科省、保安院の役人と対峙「場当たり的なことはやめてください!」と声を荒げる

シネマトゥデイ 8月17日(水)19時18分配信

 

山本太郎、福島の子どもたちとともに内閣府、文科省、保安院の役人と対峙「場当たり的なことはやめてください!」と声を荒げる
拡大写真
右端が山本太郎、左側は福島の父兄と子どもたち

 17日、俳優の山本太郎が衆議院議員会館にて、子どもたちを放射能から守る福島ネットワークが主催の「子どもの声を政府に届けよう!」に参加した。

 この日、永田町の議員会館には4人の小中学生たちが福島から自分たちの声を政府に届けるためにやってきた。「福島県民よりもお金が大切なんですか?」「福島の子どもたちは、プールにも入れません。マスクをして、登下校をしているのに、基準値を何十倍も引き上げて、どうして安全と言えるんですか?」「こんなことになった、原発がわたしは大嫌いです」まっすぐな意見が、子どもたちから向けられるなか横一列に並んだ内閣府、文科省、保安院の10名の"おとな"たちは、うつむくばかり。

 6月に転校をしたという女の子は、「わたしは6月に転校をしてとても悲しい思いをしました。友達も泣いて別れを惜しんでくれました。こんなふうにバラバラになっていくのは、わたしたちにとって耐え難く悲しいことです。出て行った人も残った人もお互いのことが心配でたまりません。ですから、わたしたちが学校の友だちとみんなで安全な場所に避難できるよう、真剣に考えてください。そして、わたしたちが避難している間に、森も山も川も田畑も、福島県全域を徹底的にきれいにする計画を立てて、実行してください。わたしたちが将来安心して暮らせるよう、最大限の努力をしてください」としっかりとした口調で訴えた。だが、大人たちからの回答は「いまの皆さんの意見は持って帰ってできる限りのことをします。除染はしっかりとやっていくことを先週表明しました」「早く帰れるように、頑張ります」と集団疎開など具体的なことについてはまったくふれず、除染への"最大限の努力"を話すばかり。この態度に対し、山本が、「補償はどうするつもりなんですか?  除染したって、毎日毒が出続けているんだから住めるわけないでしょう。場当たり的なことはやめてください」と思わず声を荒げる場面もあった。

  あいまいな、はぐらかすような回答ばかりが目立つ大人からの回答に失望感でいっぱいな子どもたちの様子に、「(今日のやりとりをみた)感想は残念の一言に尽きます。でも仕方がないと思うのは、おそらく決定権がない方々。だからおっしゃることは"持って帰って"ばかりです。持って帰ってもそこからは何も生まれないんでしょう。でも今日の子どもたちの話を聞いたことで、個人レベルでは、変えて行きたいと思ったはずです。皆さんかつては、こんなときに人々を救いたいという熱い思いでいまの仕事につかれたはず。だから、皆さんにお願いしたいのは、皆さんにも戦って欲しい。やっているふりはいりません。この子どもたちは、これから先の日本を支えていく子たちです。子どもたちのために勇気を出して戦ってください」と真剣な表情で訴えた。また、北海道から帰ったばかりの山本に、この日決定した北海道の泊原発に関して記者から質問が及ぶと、「もう原発は動かしちゃダメだと思う」と訴える福島の子どもたちとともに「いったい福島の事故でなにを学んだのか?  なにも学んでいない!」と再稼働への怒りを伝えた。

 この日は数か月前に山本が文科省の前で20ミリシーベルト問題を訴えたときに比べると、数えきれないほどの報道陣が駆けつけ、テレビ局、新聞各社が山本を取り囲んだ。ニコニコ動画での生放送は、2万人近くの人が見守った。事務所を辞め、福島の子どもたちのために立ち上がった山本の決意は、マスコミを動かした。「僕ら大人が子どもたちを守らなければいけない。子どもたちのために、勇気を出して戦ってください」という彼の想いは、日本中の大人たちの心にどのように伝わっていくのだろうか。(編集部・森田真帆)
関連HP●「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」http://kofdomofukushima.at.webry.info/201108/article_1.html

勝義さん、劇団KTs旗揚げ公演おめでとう  湾岸だより(5)

2011-08-17 06:47:29 | 友人たち

8月16日(火)晴れ

 昼寝から覚めたら田中勝義さんの眼差しがあった。いつになく?はりのある笑顔である。

 13・14と王子の劇場で上演した「神様が降りてきた夏」が連日大入り満員で内容もこの上なく充実していたという。こんな嬉しいことはそうはなかろう、僕も心から喜んだ。

 この劇のパンフレットに田中さんの文章が載っている。

 

  制作総指揮  田中勝義

  むかし少年少女がいた。演劇の面白さと出会い、寝食を忘れて芝居づくりに熱中した。

 知らない人生、掴みがたい表現を手探りする昼の闇があり、孤独に模索し激しく議論する白熱の夜があった。彼らの所属する演劇部は40余

名の部員を擁し、笑いと涙とせめぎあいの中で、ふと友情が匂い立った。活動場所の小ホールはいつも彼らの熱気で燃えていた。

 「かっちゃん」と呼ばれる男がいた。演劇の魅力にとりつかれ、家庭を顧みず、少年少女たちとの芝居づくりに没頭した。彼らが凛として「ワ

タシハ今ココニイル!」と叫び、自己を表現し、個性を花開かせる瞬間を、男は愛した。人が人になろうとするときのさまざまなドラマを、男

は見てきた。

 20年の歳月が流れた。むかしの少年少女は、舞台俳優・声優・劇作家・演出家・舞台スタッフとなっていた。「もう一度あのころのメンバー

で芝居づくりをし、自分の原点を確かめ、前進したい」と彼らは願った。‥‥稽古場の椅子に座って、男は、20年という時間の重さとともに、

このひたむきな人びとと道連れになったことを、自らの人生のかけがえのない幸福の一つに感じているのだった。

 「脚本」の菅野さんとともに

 出典●http://blog.goo.ne.jp/ita-maki/e/5c5a656e55e3db3282e64fe5619f9f7a

 

 駿台学園という高校で演劇部の顧問をしてきた田中さんが70を迎えた年に昔の生徒たちが相図ってこれ以上はないというプレゼントをしたのではないかと僕は思っている。こんな喜びを味わうことができる人がそうはいるとは思えない。暑い盛りに過酷な練習の日々だったに違いないが、これで勝義さんの寿命は10年は伸びるかもしれない。

 9月になると学校も始まる。ゆっくり体を休めてもらいたいものだ。退院したら去年と同じように静かな山里にご一緒できるといいなあ。

盡田(つくしだ)モリノスという出演者の日記と友人の観劇記を勝手ながら紹介させてもらいます。

「神様が降りてきた夏」●http://blog.goo.ne.jp/madammammy/e/145b9f4fa500acdcff995569ad6fe163

モリノスの日記●http://www.prayerties.com/cgi-bin/diary/morinosu/picmail.cgi


東京ゲートブリッジ 湾岸だより(4)

2011-08-16 11:35:51 | 川越・近郊

病院の真南に新しい橋が見えるようになりました。東京ゲートブリッジ。開通は来春とか。湾岸地域の物流を良くし、東京港を世界に名だたるハブ港にする一助だといいます。05年末のはじめての入院時には影も形もなかったものがたった5年で完成です。東京の新しい名所になるのでしょう。

 自転車で渡れるのなら僕も挑戦してみたいものです。海の森へも行けるようになるのかな?

 

110227b12.jpg

 出典●http://512colors.blog120.fc2.com/?tag=%C5%EC%B5%FE%B9%C1%CE%D7%B3%A4%C2%E7%B6%B6

地図:  


「荒れ野の40年」歴史を見る目    湾岸だより(3)

2011-08-15 19:34:31 | 政治・社会

8月15日(月)はれ

 午後妻がパソコンをインターネットにつなぐ装置を持ってきてくれた。同室の専門家の青年が さっそく工作してくれて使えるようになった。

今日はX線撮影があった。抗がん剤「イレッサ」の服用を始めて4日目だが主治医は効果はあらわれていると言ってくれた。希望をもって入院生活を送ることができるうれしい報せだ。

 66回目の8・15に「川越だより」の古い記事を読んでくれた方がいた。私たちの変わらぬ課題だと思うので再掲することにします。

 

「荒れ野の40年」 歴史を見る目 

2008-07-19 09:17:45 | 政治・社会
機会が与えられたので今日は神宮球場にいって文京高校の応援をすることにします。相手は修徳高校、シード校です。不敗を誇っていた帝京が敗れたところを見ると東東京大会の行方も混沌としてきました。足立新田・広尾・江戸川・文京など都立高校にもチャンスがあるかも知れません。頑張ってほしいものです。今日は土曜日だからどなたかと会えるかな。

 6月29日の「イムジン河 3」の締めくくりにぼくは次のように書きました。

  ぼくは19世紀から続く帝国主義の時代の歴史を深く学ぶことに賛成です。侵略や植民地支配、それらに対する抵抗についてはとくにきちんと学ばなければなりません。それは共に未来を創るためにであって、若者に他民族への憎しみを植え付け、自己の支配を正当化するものであってはなりません。同時に、若者に贖罪意識を植え付け、ありのままの現実を直視する目を曇らせるものであってはなりません。

 今日はここに書いた「若者に贖罪意識を植え付け、ありのままの現実を直視する目を曇らせるものであってはなりません。」という文章にかかわって補足します。


 ぼくは歴史の教師ではありませんが、今を知り未来に生きるために近現代史にかかわる授業をやってきました。生徒たちが中国と戦争をしたことさえキチンとは知らない現実があるからです。いくら60年がたったとはいえ、これでは今が理解できるわけがありません。
 ぼくがやってきたことは歴史の授業とはいえません。「侵略」という映画をみせて解説するといった、歴史の事実の一端を知って貰うだけです。
 
 その後で必ず、つぎの文章を紹介しました。よろしかったら皆さんも声を出して読んでみてください。
 

 「荒れ野の40年」から  ヴァイツゼッカー(1985・5・8)

 一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

 人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。

 今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

 ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

 心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

 出典 「荒れ野の40年」全文はこちらで
  http://www.asahi-net.or.jp/~EB6J-SZOK/areno.html
 


 敗戦から40年目の5月8日、当時の西ドイツの大統領が国民議会で行った演説のごく一部です。ユダヤ人に対するホロコースト(計画的皆殺し)という国家的犯罪が行われたとき、子供だったり、生まれてもいなかったりした若い世代のドイツ国民に大統領が語りかけた言葉です。

 人を殺すという罪を犯す、またはそれに荷担するということは本当に取り返しのつかないことです。罪を自覚するなら犯人は贖罪の生涯を生きざるを得ません。
大変なことです。
 ぼくが昭和天皇を尊敬できないのはこの点において欠けると思うからです。日本が行った戦争犯罪はドイツのホロコーストとは違います。しかし、誤った戦争指導のもと「無辜」のひとびとを死に追いやったことは事実です。その罪と責任を自覚するなら、少なくとも退位し、「閉門蟄居」するくらいであってほしかった。田舎の学校の一教師に過ぎなかったぼくの父でさえ、敗戦の後、徐々にではあっても「戦犯」の自覚のもと生き始めたというのですから。
 罪を犯したひとびとがその責任の重大さに恐れおののき、贖罪の道を生きるのは当然のことです。この社会の倫理の根幹にかかわることです。

 しかし、罪のない人に贖罪を求めることは出来ません。若い世代が歴史を学ぶ重要性はならばどこにあるのか。ヴァイツゼッカーの訴えの核心はここにあります。

 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

 生徒のほとんどがこの演説の趣旨に共鳴し、賛同する意見だったように記憶します。ただ、親しい生徒達と話し合ったとき、この種の勉強をして自分もまた犯罪者ではないかと深く落ち込んだことがあると聞いたことがあります。私たちの授業が贖罪意識を植え付け、日本人として、人間としての誇りと自覚を押さえつけてしまったのかも知れないのです。罪人であるとすれば謝り続けなければならず、償い終わらない限り相手と対等な関係を築くことは出来ません。「自虐史観」の強制という言葉が投げつけられていたときでもありましたから、ぼくも自分の授業のあり方を考えさせられました。

 BC級戦犯に問われた朝鮮人の補償問題に取り組んでいる方の文章があります。


     戦後世代の戦争責任    田口祐史
 私は1963年生まれなので、まるっきりの戦後世代だ。だから、 前の世代がやったことの責任を直接問われても困る。だって、私が生まれる前の出来事について、私は関与していないのだから。 「謝れ」と言われても、私は謝らないだろう。 むしろ、 謝ってはイケナイとさえ思っている。 謝ってしまえば、その場は収まるかもしれない。しかし、当時生まれてもいなかった私が口にする謝罪など、 嘘っぱちでしかない。心からの謝罪など、できるわけがない。(もちろん、今の日本政府や日本社会のあり方について謝れと言われれば話は別だ)            私には、謝ることができない。しかし私には、あの非道な過去を 「反省」することはできる。 前の世代がやったことを、自分に重ね合わせながら、「反省」 することはできる。類似した行為をおかさない責任を、自分から背負っても良いのではないか。

 「俺たちには関係ない」…そんな意見が、僕らの世代の(あるいはもっと若い世代の)正直な気持ちだということを私は認めよう。ただ、私はそこから一歩踏み出したところで発言をしたい。被害者たちとのこれまでの出会いが、「おまえにも関係があるのだ」ということを私に教えてくれたからだ。彼らの痛みを知ってしまったから私は、開き直ることができない。そして、日本がやってきたことの責任を背負ったほうが、僕らはむしろ豊かになるのではないか、と私は思うのだ。

 以上のようなことを、私は自分の本の中に書き、あちこちで喋ってきた。さて、皆さんはどんなふうに考えるだろう。ぜひ意見を聞かせてください。

 
 歴史を学ぶことが自分の人生を豊かにできるとしたらそれこそ学びの名に値するでしょう。そのような人の目はどのような人権侵害にも注がれる普遍性を獲得しやすいのではないかと思われます。どうしたら公平で普遍的な目を養う歴史の学びが出来るか、ぼくにとっても変わらぬ課題です。           

 
 出典●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/ce4ec85da80ebc34667b856086c1a04b

 

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