ここのところ気温が低い日が続いたせいか意気が上がりません。妻は風邪で休んでいました。
今日は北朝鮮を脱出してきた家族との花見に招かれたので上野にいきます。まずは小学生の姉弟と上野動物園。最初の生徒だった服治くんが案内してくれるそうです。彼の仕事の最終日に世話になれるのですから感謝感激です。
日和も良さそうです。徐々に元気が出てくると思います。
この家族のリーダーである李さんが書きつづっているブログがあります。半世紀前、帰国事業で北朝鮮に渡り、近年命がけの脱出を果たした元在日コリアンです。今は日本国籍を取得しています。一昨年、娘さんと二人の孫を脱出させました。今はこの家族の日本社会への定着に東奔西走されています。07年10月から読むといいかもしれません。
ぼくの友人やかつて生徒だった人がこの家族を支援しています。
皆さんが時間を作って読んでくださるようにお願いします。
「帰国者チャンネル」 http://blog.livedoor.jp/kikokushachannel/
以下は昨日の続きです。
拉致被害者家族と出会うとき(上)
<7・20在日コリアンと日本人の集い>について(つづき)
〈7.20に至る私の歩み〉
10・15 新宿山吹高校で『国家犯罪と民族的責任』というテーマで北朝鮮と日本の国家犯罪についての基礎的な事実を学び、私たちにはどんな責任があるかを考える授業を始める。
とっかかりは、日朝平壌宣言と金時鐘さんの論文“「冷酷な事実」拉致事件”(産経・10/4)を読むことから。(「考える会」機関誌『木苺』114号に報告記事)
10・20 「考える会」世話人会に高柳俊男さんと谷川透さん(お二人とも「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」で活動。谷川さんは強制連行事件の企業責任を追及してきた人)を招き、意見交流。「拉致事件に対する在日韓国・朝鮮人の声明」(高槻むくげの会・李敬宰さんら。10/4)に共感の意見が多く、私たちも何らかの態度表明はできないかと考えたが、呉崙柄さん(荒川区・コブクソン子ども会)から「犯罪者の兄をもつ家族の心境で頭をあげられない」という家族や友人たちの現状が語られる。私たちとしては当面、拉致問題をひとりひとりがどううけとめたかを文章化し、『木苺』で交流していくことにする。
11・10 かつて総連系企業で働いていた李福子さんの話をきく。
12・1 『週刊金曜日』の成沢宗男さんに抗議・申し入れ。「北朝鮮報道を考える」(11/29号)の中で、石高健次さんの発言に反論するとして、梁澄子さんが「愛媛の親戚の子は体にアザができるほど殴られた」と語ったことが紹介され、中見出しには「日々、殴り殺される恐怖が」とついている。
梁さんの署名入りの他の文章では同じことが「愛媛に住む娘の友だちから“学校の帰りに知らない人に殴られて体中アザだらけ。怖い”というメールがきたそうです」となっている。私はこれを読んでほんとうにびっくりした。
「体中アザだらけ」になるほど朝鮮学校に通う子どもが殴られたとしたら、それこそ大事件である。“殴り殺される恐怖”も決してオーバーではないだろう。梁さんは「被害にあった在日はマスコミを信じていないからいいたくないだけなのだ」といっているが、そんなことでいいのだろうか。親戚だというのであれば、飛んでいって事情を聞き、社会にきちっと問題提起をするべきではないか。
私はさっそく梁さんに電話をして、愛媛のコリアンの友人たちの名前をあげ、彼らにも協力してもらっていっしょにとりくもうという気持をつたえた。梁さんからのこたえは私には意外だった。「多摩地域の学校では今回はチマチョゴリ事件のようなことは起こっていない。むしろ声をかけて励ましてくれる人がいるくらいだ。
愛媛は田舎だからかもしれない。私は親戚の子だとは発言していない。修学旅行で東京に来たとき娘が知りあった友人からメールがあったということだ」。
それにしても梁さんの発言は事の重大さがわかっていない。すぐに『金曜日』にTEL。成沢宗男という人が出る。偶然、この記事の担当者だという。梁さんは確かに「親戚」と発言した。テープもあるという。それなら梁さんと相談してしっかり取材して、この話のウラをとってくれ。そして誌上で報告してほしいと私は申し入れた。
こんな重大な事件のウラもとらず、ただたれ流すだけだったら『金曜日』は民衆を煽動するアカ新聞と同じだともいった。直後にさまざまな資料を必要だったらいつでも編集部に出向く旨のメッセージも添えて送った。1年後にも手紙を出したが何の反応もない。
これはいったいどういうことであろうか。私は左派知識人たちが9・17以後のマスコミなどの報道を「北朝鮮バッシング」と称し、在日の子どもたちの被害を強調し、それらとたたかうことが身の証でもあるかのような行動をしていることに不快感を禁じえない。
石高健次さん(朝日放送)が孤軍奮闘して切り拓いてきた拉致事件の報道が、9・17以後、まるで官許をえたように玉石混淆、洪水の如く流れるようになったことには、いつもながら脅威を感じるが、北朝鮮の権力犯罪の報道をタブー視し、拉致被害者家族や北朝鮮の民衆の苦難をみてみぬふりをしてきたころよりはずっとましだと思っている。
北の独裁者の蛮行と朝鮮人学校に通う子どもを短絡する人が多いほど、在日コリアンの人権状況が悪化しているとは私には思えない。このことにかかわって今必要なことは、朝鮮総連の責任者が在日コリアンと日本社会に「北」の指導部のいいなりになってきた責任を明らかにし、謝罪することである。
そして各級朝鮮学校の教師たちが自分たちの教育活動を点検し、拉致事件をはじめ、独裁政権の権力犯罪についてきちんとした情報を子どもたちに伝え、自分たちはどうしたらいいかを共に考えることである。
今までに植えつけられた価値観と日本社会から否応なしに吹きつけてくる情報で子どもたちはパニックになっているかもしれない(これはいうまでもないことであるが日本の学校に通っている子どもたちにとっても本質的には同じことである)。
学校設置者でもある朝鮮総連の議長が責任をとらないままで、学校の教師が自己改革をできるとはとても思えない。敗戦後の日本人教師のことが思い出されるが、先に書いたように日本の学校の教員である私ですらある種の決断を必要とする困難な作業である。
朝鮮学校の民主化のためにたたかってきたコリアンの保護者たちの真価が問われる時ではないだろうか。重要なことは、独裁とたたかい、人権をとりもどし、民主主義を確立することである。子どもたちもまた、そのようなたたかいの中にいることによって、はじめて順調に自己形成をとげていくことができるのではないだろうか。
もちろん、私は日本人のいやがらせや暴力が絶無だろうとは思っていない。愛媛であったというような事件がもしほんとうであるとすれば、私たちは全力をそそいで真相を究明し、社会に問題提起していかなければならない。しかし、もし事実でなかったり、事実を誇張したりして発表しているとすれば、それは民衆間の不信を促進するだけでなく、在日コリアンの子どもたちの自立にも大きな障害をもたらす。
差別の現実をしっかりと伝えることは、生き、たたかっていく上で大切だが、それを誇張したり間違った情報を伝えることは、子どもたちの判断をあやまらせ、その可能性を閉ざすことにもつながる。
それにしてもこの雑誌の編集者の不誠実さにはあきれる。事実の訂正もせず、問題提起者に「わかりました」と答えておいて、黙殺しているのである。
12・8 『木苺』110号〈拉致事件を考える〉
12・22 行方不明帰国者家族証言集会。姜チョルファンさん、幸さん、芝田弘之さんらにつづいて横田滋・早紀江さんの話もはじめて伺う。(日比谷・星陵会館)
2・15 「拉致被害者家族を支援する在日コリアン関西集会」。横田ご夫妻・有本ご夫妻が講演。総連の分会長・白さんの出席が注目されTV放送される。
3・9 脱北者証言集会(神田・韓国YMCA)に参加。
3・23 民族共生教育をめざす東京連絡会連続講座⑲「北朝鮮問題と私」。呉崙柄さん、高柳俊男さん、田中宏さん、金敬得さんらの発言のあと、率直な意見交換。(『木苺』112号に概要と呉さん、高柳さんの話)
5・25 「考える会」が荒川三河島で運営してきた木いちご舎が閉鎖されることになりサヨナラパーティ。大阪で在日コリアン集会をひらいた李敬宰さんより東京でもとりくんでほしいというアピール。参会者有志これをうけ実行委結成を確認。
5・28 第1回実行委。「考える会」「保護者会」「定住外国人の公務員採用を実現する東京連絡会」などの有志に高柳さんなど参加。集会名を「拉致被害者・家族の声をうけとめる在日コリアンと日本人の集い」とし、集会内容の骨子をきめた。
これ以後、よびかけ文について討論し、6月11日の実行委で成案をえたので、実行委員がそれぞれ友人・知人に示し、よびかけ人になってもらうよう働きかけることになる。「考える会」にしても、民族共生教育をめざす東京保護者会にしても、考えがさまざまであることが予想され、個人の判断が大切であると考えたからである。
よびかけ文は次の通りである。一人一人のうけとめ方にちがいがあり、一つの文章にするのは大変だが、この半年の意見交流をふまえ、田中勝義さんが最終的にまとめたものを実行委で討論のうえ、了解したものである。
よびかけ文
●私たちは、国籍や民族の違いを超えて、互いの人権を尊重し共生できる社会をめざし、戦後補償や民族差別の問題に取り組んできた在日コリアンと日本人です。昨年9月、拉致問題が白日の下にさらされたとき、多くの人々に、大きな衝撃が走りました。「まさかそこまで」という驚き、「そんなことがあろうとは」という失望と怒り、「日本人は過去にもっと残虐なことをしているではないか」という憤り、「それにしてもマスコミの過剰報道はひどすぎる」という苛立ち、「在日の子どもたちへの嫌がらせが頻発する」という不安、「日本の排外主義が台頭してきている」という恐れの声……。「テレビのワイドショーを見るのはつらい」「殺人を犯した犯罪者の家族のような思い」と率直に語る在日コリアンの声も聞かれました。
●あれから9か月。私たちは、多くのことに気づかされてきました。北朝鮮の国家犯罪の数々に触れるチャンスがありながら、それらを看過してきた私たちの洞察力の欠如や甘さ。拉致という人倫にもとる国家犯罪は、過去の植民地支配や民族差別と相殺されるものではなく、それ自体、厳しく指弾されなければならないこと。マスコミの北朝鮮に対する揶揄的・戯画的報道の品性や底の浅さには問題があるが、北朝鮮の民衆の飢餓の状況や脱北者の苦難から目を背けてはならないこと。在日の子どもたちのアイデンティティの確立のためにも、今、怒りを内にこもらせて口をつぐんでいてはいけないこと。北朝鮮の脅威に乗ずる形で憲法改正へと突き進む日本の新国家主義者と厳しく対峙しながら、武力による解決ではない道を進むべきこと。コリアンが被害者の意識で民族主義を鼓舞するのではなく、日本人が贖罪意識に基づいて展開するのでもない運動の質が、今こそ求められていること。かつて韓国の民主化闘争に共感し、学び、連帯を声高に表明した者が、北朝鮮の苛酷な人権抑圧には口を閉ざしたり無関心であったりする、そんなダブルスタンダードは決して許されるものではないこと。……私たちは、今、そのような視点から、改めて拉致問題に向かい合う必要性を痛感しています。
●そこで私たちは、拉致被害者家族の声をうけとめる集会を計画しました。北朝鮮の国家犯罪の故に深甚な苦難を強いられている拉致被害者の声に耳を傾け、民族を超えた民衆の連帯の道をめざします。国家に人生を翻弄された者同士の、「加害」「被害」の関係を超えた(それらを相殺するのではなく、そのどちらをもきちんと見すえた)人間としての出会いと共感の場にしたいと願っています。拉致被害者家族の声を真摯にうけとめ、私たちの弱点を見つめ、私たちのなすべきことを考えたいと思います。私たちは偏狭な民族主義、愛国主義、国家主義など、戦争への道に反対します。おかしいことをおかしいといい、許せないことを許せないとはっきりと主張し、行動することが、戦争への道と違うあらたな共生の道を切り拓くものと信じます。
あなたの参加を呼びかけます。
今日は北朝鮮を脱出してきた家族との花見に招かれたので上野にいきます。まずは小学生の姉弟と上野動物園。最初の生徒だった服治くんが案内してくれるそうです。彼の仕事の最終日に世話になれるのですから感謝感激です。
日和も良さそうです。徐々に元気が出てくると思います。
この家族のリーダーである李さんが書きつづっているブログがあります。半世紀前、帰国事業で北朝鮮に渡り、近年命がけの脱出を果たした元在日コリアンです。今は日本国籍を取得しています。一昨年、娘さんと二人の孫を脱出させました。今はこの家族の日本社会への定着に東奔西走されています。07年10月から読むといいかもしれません。
ぼくの友人やかつて生徒だった人がこの家族を支援しています。
皆さんが時間を作って読んでくださるようにお願いします。
「帰国者チャンネル」 http://blog.livedoor.jp/kikokushachannel/
以下は昨日の続きです。
拉致被害者家族と出会うとき(上)
<7・20在日コリアンと日本人の集い>について(つづき)
〈7.20に至る私の歩み〉
10・15 新宿山吹高校で『国家犯罪と民族的責任』というテーマで北朝鮮と日本の国家犯罪についての基礎的な事実を学び、私たちにはどんな責任があるかを考える授業を始める。
とっかかりは、日朝平壌宣言と金時鐘さんの論文“「冷酷な事実」拉致事件”(産経・10/4)を読むことから。(「考える会」機関誌『木苺』114号に報告記事)
10・20 「考える会」世話人会に高柳俊男さんと谷川透さん(お二人とも「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」で活動。谷川さんは強制連行事件の企業責任を追及してきた人)を招き、意見交流。「拉致事件に対する在日韓国・朝鮮人の声明」(高槻むくげの会・李敬宰さんら。10/4)に共感の意見が多く、私たちも何らかの態度表明はできないかと考えたが、呉崙柄さん(荒川区・コブクソン子ども会)から「犯罪者の兄をもつ家族の心境で頭をあげられない」という家族や友人たちの現状が語られる。私たちとしては当面、拉致問題をひとりひとりがどううけとめたかを文章化し、『木苺』で交流していくことにする。
11・10 かつて総連系企業で働いていた李福子さんの話をきく。
12・1 『週刊金曜日』の成沢宗男さんに抗議・申し入れ。「北朝鮮報道を考える」(11/29号)の中で、石高健次さんの発言に反論するとして、梁澄子さんが「愛媛の親戚の子は体にアザができるほど殴られた」と語ったことが紹介され、中見出しには「日々、殴り殺される恐怖が」とついている。
梁さんの署名入りの他の文章では同じことが「愛媛に住む娘の友だちから“学校の帰りに知らない人に殴られて体中アザだらけ。怖い”というメールがきたそうです」となっている。私はこれを読んでほんとうにびっくりした。
「体中アザだらけ」になるほど朝鮮学校に通う子どもが殴られたとしたら、それこそ大事件である。“殴り殺される恐怖”も決してオーバーではないだろう。梁さんは「被害にあった在日はマスコミを信じていないからいいたくないだけなのだ」といっているが、そんなことでいいのだろうか。親戚だというのであれば、飛んでいって事情を聞き、社会にきちっと問題提起をするべきではないか。
私はさっそく梁さんに電話をして、愛媛のコリアンの友人たちの名前をあげ、彼らにも協力してもらっていっしょにとりくもうという気持をつたえた。梁さんからのこたえは私には意外だった。「多摩地域の学校では今回はチマチョゴリ事件のようなことは起こっていない。むしろ声をかけて励ましてくれる人がいるくらいだ。
愛媛は田舎だからかもしれない。私は親戚の子だとは発言していない。修学旅行で東京に来たとき娘が知りあった友人からメールがあったということだ」。
それにしても梁さんの発言は事の重大さがわかっていない。すぐに『金曜日』にTEL。成沢宗男という人が出る。偶然、この記事の担当者だという。梁さんは確かに「親戚」と発言した。テープもあるという。それなら梁さんと相談してしっかり取材して、この話のウラをとってくれ。そして誌上で報告してほしいと私は申し入れた。
こんな重大な事件のウラもとらず、ただたれ流すだけだったら『金曜日』は民衆を煽動するアカ新聞と同じだともいった。直後にさまざまな資料を必要だったらいつでも編集部に出向く旨のメッセージも添えて送った。1年後にも手紙を出したが何の反応もない。
これはいったいどういうことであろうか。私は左派知識人たちが9・17以後のマスコミなどの報道を「北朝鮮バッシング」と称し、在日の子どもたちの被害を強調し、それらとたたかうことが身の証でもあるかのような行動をしていることに不快感を禁じえない。
石高健次さん(朝日放送)が孤軍奮闘して切り拓いてきた拉致事件の報道が、9・17以後、まるで官許をえたように玉石混淆、洪水の如く流れるようになったことには、いつもながら脅威を感じるが、北朝鮮の権力犯罪の報道をタブー視し、拉致被害者家族や北朝鮮の民衆の苦難をみてみぬふりをしてきたころよりはずっとましだと思っている。
北の独裁者の蛮行と朝鮮人学校に通う子どもを短絡する人が多いほど、在日コリアンの人権状況が悪化しているとは私には思えない。このことにかかわって今必要なことは、朝鮮総連の責任者が在日コリアンと日本社会に「北」の指導部のいいなりになってきた責任を明らかにし、謝罪することである。
そして各級朝鮮学校の教師たちが自分たちの教育活動を点検し、拉致事件をはじめ、独裁政権の権力犯罪についてきちんとした情報を子どもたちに伝え、自分たちはどうしたらいいかを共に考えることである。
今までに植えつけられた価値観と日本社会から否応なしに吹きつけてくる情報で子どもたちはパニックになっているかもしれない(これはいうまでもないことであるが日本の学校に通っている子どもたちにとっても本質的には同じことである)。
学校設置者でもある朝鮮総連の議長が責任をとらないままで、学校の教師が自己改革をできるとはとても思えない。敗戦後の日本人教師のことが思い出されるが、先に書いたように日本の学校の教員である私ですらある種の決断を必要とする困難な作業である。
朝鮮学校の民主化のためにたたかってきたコリアンの保護者たちの真価が問われる時ではないだろうか。重要なことは、独裁とたたかい、人権をとりもどし、民主主義を確立することである。子どもたちもまた、そのようなたたかいの中にいることによって、はじめて順調に自己形成をとげていくことができるのではないだろうか。
もちろん、私は日本人のいやがらせや暴力が絶無だろうとは思っていない。愛媛であったというような事件がもしほんとうであるとすれば、私たちは全力をそそいで真相を究明し、社会に問題提起していかなければならない。しかし、もし事実でなかったり、事実を誇張したりして発表しているとすれば、それは民衆間の不信を促進するだけでなく、在日コリアンの子どもたちの自立にも大きな障害をもたらす。
差別の現実をしっかりと伝えることは、生き、たたかっていく上で大切だが、それを誇張したり間違った情報を伝えることは、子どもたちの判断をあやまらせ、その可能性を閉ざすことにもつながる。
それにしてもこの雑誌の編集者の不誠実さにはあきれる。事実の訂正もせず、問題提起者に「わかりました」と答えておいて、黙殺しているのである。
12・8 『木苺』110号〈拉致事件を考える〉
12・22 行方不明帰国者家族証言集会。姜チョルファンさん、幸さん、芝田弘之さんらにつづいて横田滋・早紀江さんの話もはじめて伺う。(日比谷・星陵会館)
2・15 「拉致被害者家族を支援する在日コリアン関西集会」。横田ご夫妻・有本ご夫妻が講演。総連の分会長・白さんの出席が注目されTV放送される。
3・9 脱北者証言集会(神田・韓国YMCA)に参加。
3・23 民族共生教育をめざす東京連絡会連続講座⑲「北朝鮮問題と私」。呉崙柄さん、高柳俊男さん、田中宏さん、金敬得さんらの発言のあと、率直な意見交換。(『木苺』112号に概要と呉さん、高柳さんの話)
5・25 「考える会」が荒川三河島で運営してきた木いちご舎が閉鎖されることになりサヨナラパーティ。大阪で在日コリアン集会をひらいた李敬宰さんより東京でもとりくんでほしいというアピール。参会者有志これをうけ実行委結成を確認。
5・28 第1回実行委。「考える会」「保護者会」「定住外国人の公務員採用を実現する東京連絡会」などの有志に高柳さんなど参加。集会名を「拉致被害者・家族の声をうけとめる在日コリアンと日本人の集い」とし、集会内容の骨子をきめた。
これ以後、よびかけ文について討論し、6月11日の実行委で成案をえたので、実行委員がそれぞれ友人・知人に示し、よびかけ人になってもらうよう働きかけることになる。「考える会」にしても、民族共生教育をめざす東京保護者会にしても、考えがさまざまであることが予想され、個人の判断が大切であると考えたからである。
よびかけ文は次の通りである。一人一人のうけとめ方にちがいがあり、一つの文章にするのは大変だが、この半年の意見交流をふまえ、田中勝義さんが最終的にまとめたものを実行委で討論のうえ、了解したものである。
よびかけ文
●私たちは、国籍や民族の違いを超えて、互いの人権を尊重し共生できる社会をめざし、戦後補償や民族差別の問題に取り組んできた在日コリアンと日本人です。昨年9月、拉致問題が白日の下にさらされたとき、多くの人々に、大きな衝撃が走りました。「まさかそこまで」という驚き、「そんなことがあろうとは」という失望と怒り、「日本人は過去にもっと残虐なことをしているではないか」という憤り、「それにしてもマスコミの過剰報道はひどすぎる」という苛立ち、「在日の子どもたちへの嫌がらせが頻発する」という不安、「日本の排外主義が台頭してきている」という恐れの声……。「テレビのワイドショーを見るのはつらい」「殺人を犯した犯罪者の家族のような思い」と率直に語る在日コリアンの声も聞かれました。
●あれから9か月。私たちは、多くのことに気づかされてきました。北朝鮮の国家犯罪の数々に触れるチャンスがありながら、それらを看過してきた私たちの洞察力の欠如や甘さ。拉致という人倫にもとる国家犯罪は、過去の植民地支配や民族差別と相殺されるものではなく、それ自体、厳しく指弾されなければならないこと。マスコミの北朝鮮に対する揶揄的・戯画的報道の品性や底の浅さには問題があるが、北朝鮮の民衆の飢餓の状況や脱北者の苦難から目を背けてはならないこと。在日の子どもたちのアイデンティティの確立のためにも、今、怒りを内にこもらせて口をつぐんでいてはいけないこと。北朝鮮の脅威に乗ずる形で憲法改正へと突き進む日本の新国家主義者と厳しく対峙しながら、武力による解決ではない道を進むべきこと。コリアンが被害者の意識で民族主義を鼓舞するのではなく、日本人が贖罪意識に基づいて展開するのでもない運動の質が、今こそ求められていること。かつて韓国の民主化闘争に共感し、学び、連帯を声高に表明した者が、北朝鮮の苛酷な人権抑圧には口を閉ざしたり無関心であったりする、そんなダブルスタンダードは決して許されるものではないこと。……私たちは、今、そのような視点から、改めて拉致問題に向かい合う必要性を痛感しています。
●そこで私たちは、拉致被害者家族の声をうけとめる集会を計画しました。北朝鮮の国家犯罪の故に深甚な苦難を強いられている拉致被害者の声に耳を傾け、民族を超えた民衆の連帯の道をめざします。国家に人生を翻弄された者同士の、「加害」「被害」の関係を超えた(それらを相殺するのではなく、そのどちらをもきちんと見すえた)人間としての出会いと共感の場にしたいと願っています。拉致被害者家族の声を真摯にうけとめ、私たちの弱点を見つめ、私たちのなすべきことを考えたいと思います。私たちは偏狭な民族主義、愛国主義、国家主義など、戦争への道に反対します。おかしいことをおかしいといい、許せないことを許せないとはっきりと主張し、行動することが、戦争への道と違うあらたな共生の道を切り拓くものと信じます。
あなたの参加を呼びかけます。