川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

「りこたのしです」 重子さんからの年賀状

2013-01-08 09:25:19 | 中国残留日本人孤児

1月7日(月)晴

 近年、「きいちご移動教室」の小旅行を楽しむ仲間の一人・重子さんから年賀状が届きました。びっくりするやら、うれしいやら。

重子さんは「中国残留日本人孤児」の一人です。1937年3月の生まれですから僕よりは5つ上です。中国では子ども時代に学校とは縁がなく読み書きはできなかったと聞いています。

りこたのしです ありかとこざいます」とひらかなで書かれているのがメッセージです。

「旅行が楽しいです。ありがとうございます」と読みました。

こんなすばらしい年賀状を受け取るのはほんとうに久しぶりです。

重子さん、これからもあちこち一緒(いっしょ)に旅をしましょう。その喜びを文字にすることができたらいっそう楽しくなりますね。生きている限(かぎ)り、学(まな)びに挑戦(ちょうせん)していきましょう。

関連記事●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/de4af5e1fc6a51d79285a3a5f9b3e20a


ともだちINいわき(続)

2012-11-23 13:04:11 | 中国残留日本人孤児

11月22日(木)はれ

咳は収まってきたものの肺炎を警戒して一日中寝たり起きたり。

山野さんの送ってきてくれた移動教室の写真を眺めているといい友人たちと出会えた喜びがじわっとにじみ出てくるような心地がする。

写真: 白水阿弥陀堂

 次の写真の最右翼が山野さん。最左翼は同室の林さん。真ん中は林祐子さん。もともとは「薩摩おごじょ」。

下の写真右から二番目は山田さん。中国から帰ってきて溶接の技術を身につけて働いてこられた。苦難の人生を前向き思考で切り拓いてきたことがカラオケの数々の歌でよく理解することができた。

 

 


「黙祷」 漢詩七篇

2012-11-21 09:29:01 | 中国残留日本人孤児

11月20日(火)晴れ

疲れが出たのか妻は風邪でダウン。僕も咳が出るので日差しの暖かい部屋に閉じこもり。

幼少青壮年期を中国で過ごした山野文雄さんが「きいちご移動教室」で生まれた詩を届けてくれました。(第2弾)。漢詩を読む力がない僕でも場面場面を思い出して山野さんの感慨をいくらかは想像することができます。

 

 

旅は道連れ 世は情け
 
 
秋色のいわき海岸
東日本大震災 鎮魂の旅
移動教室 2011.11.17-18
 
 
雑詩一組
 
 
    『化石館』
 
 
逾越億万年 遠古不得見
幸有化石在 略微知端睨
 
 
 
 
    『誠実』
 
 
古海首長龍 発現高中生
権威不剽窃 青史留英名
 
 
 
    『礦山』
 
 
常磐有炭田 地下六百米
模擬坑道中 体験歴史辛
 
  
 
 
 
    『ゆったり館』
 
 
磐城湯元之地 健康温泉設施
研修宿泊交流 寛敞悠舒適
人与自然融和 風呂管理厳謹
看山望海観覧 癒慰旅者身心
 
 
 
           『脚印』
 
薄磯浜灘留脚印 潮来海浪又抹平
津波爪痕今猶在 家屋残基留至今
 
 
    『黙祷』
 
 
うすいその   
はまべに むらは 
むじょうつなみ
 
 薄磯浜海地
 和寧村落頃劾消 
 無情大津波
 
 
 
 
 
    『三崎潮見台』
 
登台遠眺太平洋 波涛滾滾無邊際
陽光潾潾沐海風 祷念世間求太平
 
 
 
        2012.11.19

漢詩 『南無』

2012-11-20 06:19:48 | 中国残留日本人孤児

 11月19日(月)曇

 急な寒さで体がついていけません。暖房を入れた部屋のコタツで一日を過ごしました。あれこれと移動教室の残務整理をしていると入院中の勝義さんから電話があり、旅の報告をして喜んでもらいました。

 移動教室の「生徒」である山野文雄さんが早速「感想文」を送ってくれました。僕とは同(おな)い年の「中国残留日本人孤児」です。毎回、機関誌『きいちご』に漢詩や俳句を寄せてくれます。今回からは今までのようには『きいちご』を出せないので、とりあえず、皆さんに紹介させてもらいます。

 

鈴木先生 こんにちは
 
 
元気的なお姿を見られて、本当に嬉しいです。でも、移動教室の担任として、実にお疲れ様でした。心から感謝致します。
今回の旅につきまして、簡単的な感想文もできました。粗末のうたなのに、差し上げます。宜しくお願いいたします。
 
 
移動教室は、今回こそ最終回になりましたけど、参加者たちに対し、相当的な意義が持つ活動なので、皆さんとともに、続けて欲しいと存じております。理念の趣意を保っている先生たちの努力を期待しております。
 
 
           2012.11.19
 
 
 
 
 
     感想文
 
 
 
漢詩   『南無』
 
 
白水阿弥陀堂 福島建築国宝
源泉敬造供奉 閲世已近千載
 
 
本尊阿弥陀像 観音勢至菩薩
持国多聞天王 極楽浄土庭園
 
 
木莓移動教室 終回磐城旅行
鎮魂震災犠牲 礪志復興精神
 
 
細雨滌塵紅葉艶 堂前禅境心霊清
双手合掌誠祈祷 蒙難逝者昇蓮浄
 
 
       2012.11.17
 
 
 
 
俳句 『うみ』      漢俳 『海』
 
 
しおやさき   (空間)  塩屋崎灯台
いくとしつきや (時間)  悲喜歳月幾春秋
みだれがみ   (人間)  髮乱情意濃
 
 
       2012.11.18
 
移動教室は最終回となりましたが一日目のHRで「きいちご散歩教室」「きいちご温泉旅行」などを来年から工夫しながら行うことを決めました。
 

旅は道連れ 最後の移動教室

2012-11-17 04:32:05 | 中国残留日本人孤児

11月17日(土)

「いよいよ最後のきいちご移動教室ですね。
富士山は行けなかったので、今回の移動教室を母子共に楽しみにしております。
宜しくお願いします。」

 足立区のMさんからメールをもらいました。小学生の菜南さんのお母さんです。

そうです。今日は「最後の」移動教室です。6時にMS観光の車庫を出発します。クイズの賞品やお弁当作りで妻は昨夜遅くまで働いていました。おかげで「準備万端」です。

 今日は雨になるかも知れません。昨日のうちに「雨降りコース」に設定しなおして、関係方面に知らせました。大震災で被災した海岸部は天気が回復する日曜日に訪ねます。

 17日(土) 日暮里=いわき湯本IC~石炭・化石館(昼食)~白水阿弥陀堂~いわき・ゆったり館

   早めに常磐炭鉱跡の宿について温泉をゆっくり楽しみます。

 18日(日) ゆったり館~いわき市薄磯(被災市街見学・黙祷)~塩屋崎(津波写真展見学)~三崎公園(昼食・潮見台・マリンタワー)~小名浜港・いわき・ら・ら・みゅう(お土産買い物)~勿来IC=日暮里

 夕方、勝義さんから電話でメッセージが伝えられて来ました。「脱腸」手術のため本日入院です。

 「次々と難題に直面していますが挫けることなくこれからも自分にできることを見つけてやっていきます。皆さんも困難を一つ一つ克服して人生を切り拓いてください。また、お会いできる日を楽しみにしています。」

 「校長」を「病欠」で欠いた移動教室となりました。残念至極、さびしい限りですが、充実したときをすごしてたのしい報告ができるように最善を尽くしたいと思います。

 今回の僕の『説教』は「旅は道連れ、世は情け」とします。幼い日、カルタとりで覚えた言葉です。

中国残留日本人孤児・脱北帰国者の皆さんと出会い一年に二回旅をともにしてきました。「移動教室」はこれで終わりですが生ある限り、助け合って人生のたびを続けていきます。


塩屋の岬 

2012-11-07 08:31:02 | 中国残留日本人孤児

11月6日(火)雨

 一日コタツに入ってすごしました。午前中は17日からの「きいちご移動教室」の名簿作り。

今回はちょうど50人の参加です。ほとんどが「中国残留日本人孤児」とその配偶者です。名前・性別・生年月日・住所・電話番号の順に何とか完成させました。部屋割り、旅行傷害保険、高齢者割引、諸連絡などのため面倒でもこれだけの要素の確認が主催者には必要です。

 参加申し込みに際し義務付けてもみんなの情報がそろうのには時間がかかります。その根底には帰国して30年がたっても日本語や日本社会への理解が進まない現実があります。郵便振替で参加費を送金するなどということも苦手な人が少なくありません。僕としてはこういう機会に自分で郵便局に行ってわからないことを教えてもらうのも移動教室の一環だと思っているのですが。

中には読み書きがまったくできないという方も居られます。そういう方にも楽しんでもらいたいと思っています。

 午後は日程の確認。歌の選定が難航しています。「ふるさと」「里の秋」「もみじ」はいつものとおりです。

旅先は「いわき」です。ご当地ソングといえば「常磐炭鉱節」「喜びも悲しみも幾歳月」「みだれ髪」かな。日本語の理解が難しい曲ばかりです。

パソコンで聞いているうちに半日が過ぎていきました。

①常磐炭鉱節●http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=JlBx7PpJw6s

②「喜びも悲しみも幾歳月」●http://www.youtube.com/watch?v=H9GIqaQ9PVI

③「みだれ髪」●http://www.youtube.com/watch?v=6qoPpDcVfSY

 

「美空ひばり」はなんと言ってもすごい。塩屋崎が近づいた頃、Kさんに「みだれ髪」を歌ってもらうのがいいかなあ。

高校生の頃に北朝鮮に渡ったKさんは「ひばり」のファンです。歌唱力も抜群です。「みだれ髪」は知らないかもしれないがお願いすれば喜んで練習してくれるでしょう。

 


『あの戦争から遠く離れて』が文庫化

2012-09-26 11:59:53 | 中国残留日本人孤児

9月25日(火)雨のち曇

 急な季節の変化に体がついていきません。一日中布団のなか。

城戸久枝さんからメールをもらいました。

『あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅』が文庫本になって出版されたそうです。日本生まれ(愛媛県)の残留孤児二世の自分発見の10年のたび。

まだ読んでおられない方はぜひ手に取って見てください。

 


 

9月も中旬になり、朝晩は少し涼しくなってまいりました。お元気でいらっしゃいますか?

2007年に『あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅』を出版してから5年。
このたび、文春文庫より新たに文庫として発売されました。(9月4日発売)

単行本出版の際、また、本書を原作としたNHK土曜ドラマ『遥かなる絆』が放映された際、
本当に多くの皆様に応援していただきました。心よりお礼申し上げます。


『あの戦争から遠く離れて』の表紙画像

今回新たに、文庫化のためのあとがきを加えました。出版に到るまでの経緯や、
出版後のプライベートも含めたさまざまなエピソードを綴っています。
解説は恩師である野村進さんが書いてくださいました。
表紙は、単行本に引き続き、鈴木成一さんにお願いしました。
私にとって、本当に大切なこの本を、このような形で出版できたことに感謝しています。

本屋でみかけた際は、ぜひ手にとっていただけるとうれしいです。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

参考 川越だより●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/444aa881b74c093412d0628e41d6c09c

  ●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/17c28b34047c9c1c6539811b5332607f


「秋色のいわき海岸と湯本温泉」 最後の移動教室 

2012-09-24 06:51:17 | 中国残留日本人孤児

9月23日(日)雨

 朝から一日中雨が降り続く寒い一日だった。

「第15回きいちご移動教室」の版下が娘から届いたので、近くのコンビにでコピーする。「きいちご」10号とともに袋詰めにする作業を妻と二人で完了したのはもう夕方。120人くらいに発送する準備が整った。

 「きいちご」10号は精さんががんばって編集してくれた。5月の「富士山の旅」の感想が中心。「残留孤児」やその家族、脱北家族の人々が心のこもった文章を寄せてくれた。

 移動教室も次回でいよいよ終結する。財政的な問題もあるが、世話人の高齢化・病気などの事情もある。残念だがやむをえない。僕としては元気の続く限り「きいちご基金」の活動は続けていくつもりだ。旅行・ハイキング・談話会などなど、「残留孤児」やその家族、脱北家族との交流の場を新たな形で作っていけたらと考えている。旅の夜の交流会で皆さんの意見を伺って決めたい。

 発送する案内文の一部です。関心を持たれた方がいたらご一報ください。案内をお届けします。keisukelap@yahoo.co.jp

 

<第15 回(最終回)きいちご移動教室>

秋色のいわき海岸と湯本温泉
東日本大震災・鎮魂と再生を願って
 

東日本大震災から一年半が経ちました。福島第一原
発の事故の影響が大きすぎて福島県南部の震災津波
被害は忘れられがちです。
 映画『喜びも悲しみも幾歳月』、美空ひばりの歌「み
だれ髪」で知られた塩屋崎と近くの海岸集落を訪ねま
す。震災津波被害地の只中に立って鎮魂と再生を祈願
し、 恵みと脅威ー大自然と人間のかかわりにあらた
めて思いをめぐらせます。
 泊まりは湯本温泉「ゆったり館」。常磐炭鉱跡から湧
く豊かなお湯に身と心をゆだねましょう。

①目的地  福島県いわき市
②宿舎  いわき・ゆったり館(温泉のほかプールなどのあるクアハウスを利用できます)
③日程  2012年11月17日(土)~18日(日)
④集合時間 17日(土)7時50分(バスは定刻8時に発車します)
⑤集合場所 JR日暮里(にっぽり)駅東口広場(JR日暮里駅北口改札を出て右に行くと東口広場があります)
⑥参加費(旅行傷害保険料を含む)
    大人(高校生以上)6300円 小学生・中学生4300円 幼児(3歳以上)1300円
⑦必需携帯物品 17日の昼食(弁当) 水着・水泳用キャップ レジャーシート 雨具
⑧服装 散歩に適した服装と靴
⑨参加申し込み
  ○申込期限 10月9日(火) ただし、定員45名になり次第締め切ります。


 

白鵬と日馬富士の秋場所千秋楽決戦はすばらしい相撲だった。日馬富士の連続全勝優勝、横綱昇進、おめでとう。

白鵬も立派。両雄並び立って「勇気と感動」を与え続けてほしい。

 

<大相撲秋場所>3場所連続V逸…白鵬「悔いはない」

毎日新聞 9月23日(日)21時21分配信

 大相撲秋場所千秋楽の23日。白鵬は、右肩と右足に土をべったりとつけて、うつむきながら花道を引き揚げた。優勝力士を横目に見ながら支度部屋で髪を結い直すのは、これで3場所連続。「悔いはないです」とつぶやいたきり、目をつぶって「ふー」と繰り返し息を吐き出した。

 10年春場所から15場所連続で一人横綱を務めて「しんどい」とこぼすこともあった。日馬富士にはこれで3連敗。同一相手の3連敗は、07年秋場所から08年初場所以来で、その時も同じ相手。「体は小さいけど、気持ちは大きいから。肩を並べるものができた」と新横綱の実力を認めた。

 今年は年3回の東京場所すべてで賜杯をつかめず、優勝は春場所の1回のみ。「半年ないからね」と、一年納めの九州場所での雪辱を誓った。


鎮魂と再生を願って きいちご移動教室はいわきへ

2012-09-01 10:32:09 | 中国残留日本人孤児

8月31日(金)晴一時雨

中学時代のクラスメートが資金協力してくれたので15回目の移動教室ができます。ありがたいことです。

行き先は福島県いわき市と決めています。東日本大震災の被災地を訪ねる旅です。

宿探しに取り組みました。目を付けていたところに一発で決まりました。

「いわき市健康福祉プラザ・いわきゆったり館」。旧常磐炭鉱に近い湯本温泉にあるようです。

ただいまキャンペーン中で65歳以上の方は5000円で宿泊(一泊2食)でき、温水プールなども無料で利用できるとのことです。

日程もドンぴしゃり、11月17日(土)宿泊施設は全館(定員48)を貸切にしてもらうことにしました。

 ゆったり館●http://www.yuttarikan.ecnet.jp/

こんなに見事に決められるとは、夏休みの宿題が一気に終わったような感じです。

岩手・宮城と福島原発に隠れて知られにくくなっていますが、いわき市だけでも400人を上回るかたがたが東日本大震災の犠牲になっています。小名浜港だけではなく美空ひばりの歌碑で知られた塩屋崎周辺の集落の被害も大きかったようです。

テーマは「鎮魂と再生を願って」でどうだろうか。

近く下見を兼ねてこのあたりを訪ねて移動教室の内容を考えます。どなたか、ここを観ておいてね、などということを教えてください。

中国残留日本人孤児とその家族、脱北家族などが中心のたびです。(もちろん、趣旨に賛同する方ならどなたでも参加できますよ)

いわきといえば「常磐炭鉱」。こちらにかかわる勉強もできるかな。

 午後、久しぶりに雨が降り、夕方の土手の散歩は気持ちよかったなあ。満月を眺めながら家路につきました。

 

 


長野県の満州移民「三つの大日向をたどる」

2012-06-13 05:50:33 | 中国残留日本人孤児

6月13日(水)

 このところ梅雨空続きです。寅さんを見たり、友人たちとの会合をあれこれと企画したりして過ごしています。

今週末は友人たちと一泊2日で長野県に行きます。「分村移民」で知られた「大日向村」に関わる展覧会が長野県歴史館で開催中なのです。

 長野県立歴史館●http://www.npmh.net/

 

春季企画展・三つの大日向をたどる

長野県の満洲移民

開催期間:2012年5月26日(土)~7月16日(月)

大日向村は全国に先駆けて満洲への分村移民を決断します。1945年(昭和20年)8月、ソ連の参戦と日本の敗戦により満洲の開拓民は言語を絶する逃避行を余儀なくされ、大日向の人々もたくさんの犠牲者を出します。
南佐久郡大日向村から満洲大日向村へ、さらに軽井沢町大日向地区へと十数年の間に二つの村を拓いた「開拓者」の足跡をたどり、長野県から満洲に渡った全国最多の3万数千人もの開拓者たちの心情に迫ります。

 
 展覧会のほか旧大日向村と現在の大日向地区を訪ねます。三つの大日向を生きぬてきた方にお会いできるかもしれません。どこも一度は訪ねたことがありますがこうして友人たちと旅ができるのは何よりの楽しみです。おおよそのルートです。運転手ももうすぐ67になります。4時には宿に到着、が鉄則です。
 
6月16日(土)
 
 川越8時発=軽井沢・大日向開拓記念館~長野県立歴史館(展示と講演)~千曲市開拓団慰霊碑(戸倉上山田温泉)
 
 ~アートヴィレッジ明神館(東御市芸術村)(泊)

6月17日(日)

 芸術村~佐久穂町(旧大日向村)~国道299号~十石峠~群馬・上野村~下仁田=川越

 

第14回きいちご移動教室(上)

2012-06-01 11:21:11 | 中国残留日本人孤児

5月19日(土)

8時過ぎ、日暮里出発。好天でどなたの顔も明るい。

● 参加者46人。脱北コリアン家族・中国人留学生のほかは大部分が中国残留日本人孤児とその家族。中学生2名、小学生以下3名。最高齢は76才。

● 中央道が上野原あたりまで事故渋滞。車中のお勉強①テーマソング「ふじの山」(渡辺泰子さん)②「冨士ヶ嶺と熊谷義行さん」(高柳俊男さん)。

● 河口湖ICから西湖野鳥の森公園に直行。12時半ころか。富士山を眺めながら芝生の上で昼食会。

● 3時半頃 富士河口湖町冨士ヶ嶺の開拓慰霊碑前で熊谷義行さんのお話を聞く。

 熊谷さんは旧「満洲水曲柳開拓団」崩壊後運良く長野県阿智村に帰ったが生活の場を求めてここに入植された。筆舌に尽くしがたい「開拓」の真実。

 熊谷さんご夫妻(真ん中は高柳さん)

写真: 富士嶺 熊谷義行さん

(この写真は4月25日御宅に伺った時のもの)

●朝霧高原の道の駅(静岡県富士宮市)に寄ったあと「法政大学冨士セミナーハウス」着。

●6時 夕食。

●7時~8時半 交流会。

 

5月20日(日)くもり時々晴れ

●8時 朝食

●9時 出発 「鳴沢・富士山博物館」

●西湖・コウモリ穴

●11時半 西湖いやしの里根場(ねんば) 昼食 富士山をバックに記念撮影DSCF9510.JPG

 ●西湖北岸ー河口湖北岸ー北口本宮冨士浅間神社

●4時帰途につく 河口湖ICー日暮里  カラオケ大会(李 カンくん)  6時半すぎ解散


中国残留日本人孤児二世 高速バス事故

2012-05-13 05:26:25 | 中国残留日本人孤児

5月12日(土)☼

 強風で一日閉じこもり。夜、娘のバイクが愛知に輸送された。娘の川越での生活もあと一週間だ。

 重大なバス事故を引き起こした中国残留日本人孤児二世に関わる記事をいくつか読んだ。僕は87年に北高に転勤した時から二世の生徒との関わりが深く、とても他人事とは思えない。なんとか高校を出た場合でもサラリーマンになる道は険しい。男子の場合、運転手になる人は結構おおい。

この人の場合は来日時に既に成人であり、生徒たちとは違うが自立心の強い真面目な青年だったのか。19日からの移動教室には親達の世代が集う。心を痛めていることだろう。

バス業界の「規制緩和」「自由競争」の実態は知れば知るほど恐ろしい。そんな世界に夢を託したのか。

 

 <関越バス事故>逮捕の運転手 経営者から一転、日雇いに

毎日新聞 5月12日(土)15時1分配信


 群馬県の関越自動車道で46人が死傷した高速ツアーバス事故は13日で発生から2週間になる。群馬県警に自動車運転過失致死傷容疑で逮捕された河野化山(こうの・かざん)容疑者(43)は10カ月前までの4カ月間、小さなバス会社の経営者だった。事故は、その座を追われ、民事訴訟を抱えながら日雇い運転手をしている中で起きた。河野容疑者の事故までの道筋をたどった。


 知人や関係者によると、父親が中国残留孤児の河野容疑者は93年に入国後、間もなく日本国籍を取得。千葉市郊外の県営団地に暮らし、建築やトラックの運転で家計を支えていた。07年、ローンを組み、市中心部近くに3階建ての住宅を購入。妻子3人との夢を一つかなえた。

 転機は2、3年前に訪れた。妻が切り盛りしていた1階の中国料理店を人手に任せ、自らは成田空港近くのバス会社に入社。中国人観光客を乗せ、観光地などを巡る運転手を始めた。

 成長著しい母国相手のビジネスで、空港周辺は活況を呈していた。居酒屋では「道を教えてよ」と元同僚を質問攻めにした。「楽しそうに仕事の話をする姿しか記憶がない」。元同僚はこう話す。

 河野容疑者は10年12月、県内のバス会社経営者に知人を介して「会社ごと売ってくれ」と申し出る。代表取締役に収まり、814万円で中古バスも調達。「おれ、頑張るから」と話す河野容疑者の姿は、周囲には成功を手に入れたように映った。

 だが、昨年6月に元経営者との間でトラブルが発生し、社長の座を追われた。「売却代金550万円のうち残金350万円が未払いだ」として売買契約を解除された上、経費の立て替え分などを求める訴訟も起こされた。元経営者は「河野容疑者の関係者から暴行を受けた」などとして千葉県警に被害届も提出している。尖閣諸島で起きた漁船衝突事件や東日本大震災で中国人客も急減した。

 このバス会社は今年4月、約3キロ離れた場所に移転。河野容疑者が経営していた当時の敷地は建物も撤去され、更地になっている。

 追い込まれた中で行き着いたのが、近くのバス会社「陸援隊」だった。所有するバス4台については、同社から違法な名義借りをして「河野交通」を名乗るなど「経営」へのこだわりを見せていた。

 裁判は4月19日にも開かれ、次回の準備を急ぐ必要もあった。所有バス1台も故障し、事故前日には休憩中のホテルで修理をめぐり、業者との連絡に追われていた。一時は手にした成功を取り戻そうともがき続けた河野容疑者。元同僚は「自分のバスで自由に。運転手なら、そんな成功を願うもの」と話す。こうした焦りが事故の背景にあるのか。群馬県警の調べが続く。【松崎真理、味澤由妃】

 

関越バス事故河野容疑者 自らもバス4台所有


 群馬県の関越自動車道で乗客四十五人が死傷したツアーバス事故で、運転手の河野化山(かざん)容疑者(43)=自動車運転過失致死傷容疑で逮捕=は、バス会社の従業員として働く一方、自らバスを所有し「河野交通」の屋号で中国人観光客ツアーの個人営業を続けていた。県警は無許可でのバス営業についても実態解明を進める方針だ。

 バス会社「陸援隊」(千葉県印西市)の針生裕美秀(はりうゆみひで)社長(55)によると、河野容疑者が所有するバスは大型二台など計四台。個人営業のツアー料金は陸援隊の指示に従って金額を決め、ツアー客から受け取っていた。陸援隊との雇用形態は実質「日雇い」で、日当一万円を受け取ることになっていた。東日本大震災の影響を受け、昨年十一月ごろまで、ほとんど仕事がなかったという河野容疑者。陸援隊の代理人弁護士によると、今年に入り月平均百時間ほどバスを運転していたが「半分以上は個人営業と思われる」という。河野容疑者の兄弟二人も陸援隊で働いていた。

 群馬県警によると、河野容疑者は一九九三年に来日。供述によると「中国残留孤児の子弟」という。二〇〇〇年に大型免許を取得。逮捕時点でトラックの運転は七年、バスは二年の経験があった。河野容疑者の暮らしぶりを知る人は千葉市の自宅周辺でも少ない。近隣住民によると、同容疑者は約五年前、中国人の妻、子ども二人と引っ越してきて、三階建ての自宅一階で中華料理店を開いた。店は開店から約二年間は妻と従業員が切り盛りしていたが、近所の男性は「三年ほど前から店は他の中国人に貸していた」と話した。 (中山岳)

 

来日20年「休みなく走っていた」 残留孤児2世の河野容疑者 関越道バス事故

2012/05/08 朝日新聞

 群馬県の関越自動車道で46人が死傷した高速ツアーバス事故で、自動車運転過失致死傷容疑で逮捕された河野化山(こうのかざん)容疑者(43)は中国残留孤児の2世だった。来日から約20年。家を買い、4台のバスを手に入れて、独自の営業もしていたという。彼の足跡を追った。
 
 河野容疑者が数年前まで住んでいた千葉市花見川区の県営団地。「あの事故の運転手が小三(シアオサン)だったなんて」。家族ぐるみの付き合いをしていたという中国人女性(55)は驚いた。「小三」は4人兄弟の3番目の河野容疑者の愛称だった。
 
 父は中国残留孤児で、黒竜江省・牡丹江から1993年に帰国。河野容疑者も同じ年に妻とともに日本に来て、県営団地に越してきた。
女性は、夕方6時ごろに疲れた様子で仕事から帰ってくる姿をよく覚えている。当時は妻も近くの食品会社で働き、小学校に入る前の子どもが2人いた。「夫婦で働き者。家を買うのが夢だったみたいで、お金を節約していた」
 
 07年5月に千葉市中央区にある3階建ての一軒家を中古で購入。県営団地を出た。河野容疑者の両親と同じ県営団地に住む残留孤児2世の男性(45)の話では、河野容疑者はこのころ、千葉市内で配管や内装の仕事をしていた。「同じ2世でも、20歳を過ぎてから日本に来て社会に溶け込める人は少ない。彼は必死に日本語を勉強し、良い仕事につこうと、いつも一生懸命だった」
 
 09年にはバスの免許を取得。中古のバスを次々と購入した。県内のバス運転手らの話では、初めは自力で起業しようとしたが、資金不足で失敗。他のバス会社の名を借りて、商売を始めた。料金は相場の半分ほど。中国からの観光客を集めていた。
 
 「陸援隊」の下で働き始めてからも、自分のバスでの営業を続けていた。4月下旬にはバス仲間の男性(45)に「仕事はないか」と電話をかけてきた。河野容疑者が「今度、夜行をするんだよ」と話すのを聞き、男性は「普段は昼間しか運転していないのに大丈夫か」と不安に思ったという。「常に仕事を求めていた。人柄は穏やかだったが、ずっと休みなく走っていた」。別の運転手仲間(49)も「無理を重ねていたはずだ」と話した。(今村優莉)

「きいちご移動教室」近づく

2012-05-08 17:42:01 | 中国残留日本人孤児

5月8日(火)☼

二三日前から風呂場の窓にはわしてあるテッセンが次々に花を咲かせています。

連休疲れか、体がちょっとだるい感じです。元気を奮い起こして昼前に川越公園に行って、散歩。しばらく来ないうちにすっかり初夏の風情。近年植えたヤマブキが花盛り。

 午後は「第14回きいちご移動教室」の事務。名簿を作ったり、近所のバス会社に打ち合わせに行ったり‥。

今回の参加者は46名、脱北家族・留学生のほかは中国残留日本人孤児とその家族。行き先は山梨県の富士山麓。

先日の高速道路でのバス事故が今度ばかりは他人事ではありません。(運転手が「残留孤児」2世との報道もあり、身につまされます)。

私たちが世話になるのは「MS観光」というバス会社です。http://www.ms-bus.com/index.html

 

本社が我が家の近くにあり、運転手さんも顔なじみの方です。いつも安全運転に徹していることがよく分かり、安心して頼んでいます。念のため旅行傷害保険にその都度全員が加入します。掛け金一人300円(一泊二日)。

きいちごの旅は天候などによって日程が変わります。その都度運転手さんと相談します。当然のことですが運転手さんと心が通じ合わないと安全で楽しい旅にすることはできません。

 旅行を主催するものとしてのそれなりの責任の自覚はしているものの、どんな場合でも100%安全とは言えません。バス会社・運転手はもちろんのことですが参加者ひとりひとりにもそれなりの心配りが必要です。みんなで協力して楽しい旅にしたいものです。

 


法政大・富士セミナーハウス

2012-02-29 16:33:16 | 中国残留日本人孤児

2月29日(水)雪

入院9日目。変わったことなし。普通に行けば2週間で退院です。

5月19日(土)~20日(日)に予定されている第14回きいちご移動教室の宿舎の予約が完了したと知らせがありました。

法政大学・富士セミナーハウス。 ●http://www.hosei.ac.jp/gaiyo/campus/shisetsu/gakugai/fuji.html

 富士セミナーハウス

青木ケ原樹海や紅葉台がすぐ近くです。移動教室の歴史の先生の高柳さんの紹介です。

中央高速・河口湖ICからほど近いところです。

計画はこれからですが「富士」ざんまいの旅になります。宿の方の話だと桜も見事だろうとのことです。  

河口湖から見た富士と桜

 

 

「中国残留孤児」「脱北者」などの方々と日本の自然と歴史を訪ねます。

案内は僕が退院してからつくります。関心のある方は暦に印を付けておいてください。

 

 

 

 

 


NHKドラマ「開拓者たち」

2012-01-08 17:08:14 | 中国残留日本人孤児

1月8日(日)☼

 友人からの情報です。旧満洲・千振開拓団を描いたドラマ「開拓者たち」が日曜の22時からNHKBSプレミアムで放送されているそうです。

千振開拓団の引揚者が再入植した栃木県那須の千振を「きいちご移動教室」で訪ねたことがあります。今回の連続ドラマ(全4回)ではこの再入植後のあゆみも描かれているということです。

 私たちが訪ねる直前に明仁天皇一家が千振を訪問されて悲劇の歴史をこどもたちとともに学ぶ姿が話題となりました。    

  イメージ 4

                               出典●http://blogs.yahoo.co.jp/yumeproj8864/53132224.html

命日を同じくする人の名が何人も刻まれた墓碑にお参りしました。集団自決の家族の墓でした。天皇一家のみならずこの国に生きるすべての家族が学んでおかなければならない歴史です。

 

若い友人たちに是非見て欲しい番組です。

 と、いっても我が家にはTVを見る装置はなく、出来栄えは?なのです。録画した方がいたら見せてくださいね。

<関連記事>私たちが那須・千振でお会いした星さんの近況が載っている記事です。

 

 

2012-01-05 10:21:08

那須・千振のいま/3 奪われた年月もう返らない 残留孤児の「苦難奔波」

テーマ:残留孤児

2012/01/04 毎日新聞/栃木

 ◇父と暮らす夢かなわず
 「あなたは本当は日本人なの」。1975年夏。星益英さん(69)は中国北東部の自宅で、末期がんの母から出生の秘密を聞かされた。約30年間、中国人の父母の下、実子として育てられた。日本人の父や母、きょうだいの記憶も日本語も覚えてはいない。信じられないし、実感もわかなかった。
   □   □
 旧満州(現中国北東部)での過酷な出来事は星さんの姉省子さん(73)=宇都宮市大和2=がよく記憶している。満州千振(ちふり)開拓団の一員だった父盛(さかり)さんは終戦前に動員され、母と生まれたばかりの弟は戦渦の中、銃弾に倒れた。当時3歳だった星さんは省子さんと2歳上の兄瑞男(みずお)さん、2歳の妹との避難生活を強いられた。「足手まとい」の妹は、周りの大人たちから毒薬入りの水を飲まされ殺された。
 野宿また野宿の逃避行の最中、養父となる中国人男性が現れた。避難していた日本人経営の旅館を訪れ、一番下の星さんを養子に選んだ。省子さんは強く反対した。「『ご飯を食べさせてまた連れてくる』と言ったのに、二度と戻ってこなかった」と振り返る。省子さんと瑞男さんはその後、別の中国人夫婦に引き取られた。
   □   □
 星さんの養父母は、5人の実の子と分け隔てなく育ててくれた。感謝してもしきれない。一方で、祖国と、生きて会えるかもしれない実父への思いも。時は72年の日中国交正常化以来の友好ムードにあった。養父は「お前が帰りたいなら、そうしなさい」と背中を押してくれた。
 81年夏。政府の肉親捜し事業で訪日し、那須・千振に入植していた盛さんと再会した。星さんは「私にそっくり。すぐ分かった」。父も星さんの背中のほくろで実の子と確信した。固く手を握りあった。40年ぶりのぬくもりが伝わってきた。
 中国で結婚した妻と、3人の子を説得し、永住帰国を決めた。半年以上にわたる煩雑な手続きを済ませてようやく82年3月8日、念願の祖国へ向かう。だが、北京への汽車に乗るその朝、自宅に一通の電報が。盛さん急逝の知らせだった。
 星さんは今、盛さんの残してくれた土地で妻と暮らす。3人の子は独立した。別の養父の下で育った省子さんも85年に星さんと再会。落ち着いた暮らしを手にしたが、幼いころ生き別れた父と暮らす夢はかなわなかった。奪われた年月はもう返らない。2人は口をそろえた。「『苦難奔波(クーナンベンボゥ)』。本当に苦難に翻弄(ほんろう)された人生ですよ」【吉村周平】=つづく
■写真説明 帰国直前に亡くなった父の墓に手を合わせる星さん夫婦=那須町豊原丙で

 

「開拓者たち」●http://tv.yahoo.co.jp/program/50862877/