川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

阿多々羅の夏空    湾岸だより(12)

2011-08-24 11:43:17 | 友人たち

8月23日(火)曇のち晴

 抗がん剤「イレッサ」服用開始から12日が経ちましたが副作用らしきものは何一つ現れず順調な日々が続きます。退院が26日(金)と決まりました。あと少しの辛抱です。

 外出許可が出たので先日墓参りをした伊藤くんのご両親を訪ねることにしました。葛飾区の堀切菖蒲園の近くです。

荒川の河川敷を南北に走る非常用道路をひたすらさかのぼって四つ木橋で対岸の葛飾区へ。曳舟(ひきふね)川親水公園というのにいきあたりました。若いお母さんがこどもの水遊びに付き合っていました。昔はほんとうに舟を曳く風景があったところだと案内板に書かれています。綾瀬まで3Kmぐらいが公園として復元?されているそうです。

 卓也くんが遊び場にしていたかもしれない堀切菖蒲園駅周辺を探索したあと昼食としました。

 曳舟川親水公園●http://www.katsushika-kanko.com/katsumaru/area/ohanajaya04/

 お通夜以来12年ぶりの訪問です。突然のことですが近年病床にあるお母さんも喜んでくれました。卓也くんの写真が飾られている仏壇のある部屋でお二人は一日を過ごされているようです。僕とは同世代です。

 中2の時に卓也くんが俳句連盟?からもらったという表彰状の額を外してお父さんが見せてくれました。

    あたたらの  霧をぬけると  夏の空

 双葉中の夏の移動教室で福島県に行った時の作品でしょう。阿多々羅山に登ったのでしょうか。「霧を抜けると」がいいですね。「本当の空」(高村智恵子)を見た感動が伝わってきます。

 薬師岳

 中学生時代はやんちゃ坊主だったといいます。高校に入ってからも似たようなものだったのか2年生から僕がHR担任をしました。僕には気持ちの優しい青年に見えました。

 お父さんは帯広から出てきて建築の世界で生きてこられました。癌研有明病院の建設にも関わりがあったといいます。僕と同じように旅が好きで夫婦で日本中を回ったそうです。室戸岬の記憶も鮮明のようでした。

 お母さんの病状が回復したら高校生時代の友人たちを呼んでいっぱいやろうと言うことになりました。気の合う者たちが集まってどんな悪さをしていたのか?とくと聞いてみたいものです。卒業からは24年が経ちました。

 隅田川沿いの道を帰りました。週末の花火大会を前にして危険防止用の柵が川岸に長く長く作られています。大事業だということを改めて知る思いです。両国の回向院(えこういん)に寄りました。

 振袖火事の無縁仏を供養するために創建されたといいます。死者10万と書いてありました。驚くばかりです。

 回向院●http://www.ekoin.or.jp/history.html