川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

「荒れ野の40年」歴史を見る目    湾岸だより(3)

2011-08-15 19:34:31 | 政治・社会

8月15日(月)はれ

 午後妻がパソコンをインターネットにつなぐ装置を持ってきてくれた。同室の専門家の青年が さっそく工作してくれて使えるようになった。

今日はX線撮影があった。抗がん剤「イレッサ」の服用を始めて4日目だが主治医は効果はあらわれていると言ってくれた。希望をもって入院生活を送ることができるうれしい報せだ。

 66回目の8・15に「川越だより」の古い記事を読んでくれた方がいた。私たちの変わらぬ課題だと思うので再掲することにします。

 

「荒れ野の40年」 歴史を見る目 

2008-07-19 09:17:45 | 政治・社会
機会が与えられたので今日は神宮球場にいって文京高校の応援をすることにします。相手は修徳高校、シード校です。不敗を誇っていた帝京が敗れたところを見ると東東京大会の行方も混沌としてきました。足立新田・広尾・江戸川・文京など都立高校にもチャンスがあるかも知れません。頑張ってほしいものです。今日は土曜日だからどなたかと会えるかな。

 6月29日の「イムジン河 3」の締めくくりにぼくは次のように書きました。

  ぼくは19世紀から続く帝国主義の時代の歴史を深く学ぶことに賛成です。侵略や植民地支配、それらに対する抵抗についてはとくにきちんと学ばなければなりません。それは共に未来を創るためにであって、若者に他民族への憎しみを植え付け、自己の支配を正当化するものであってはなりません。同時に、若者に贖罪意識を植え付け、ありのままの現実を直視する目を曇らせるものであってはなりません。

 今日はここに書いた「若者に贖罪意識を植え付け、ありのままの現実を直視する目を曇らせるものであってはなりません。」という文章にかかわって補足します。


 ぼくは歴史の教師ではありませんが、今を知り未来に生きるために近現代史にかかわる授業をやってきました。生徒たちが中国と戦争をしたことさえキチンとは知らない現実があるからです。いくら60年がたったとはいえ、これでは今が理解できるわけがありません。
 ぼくがやってきたことは歴史の授業とはいえません。「侵略」という映画をみせて解説するといった、歴史の事実の一端を知って貰うだけです。
 
 その後で必ず、つぎの文章を紹介しました。よろしかったら皆さんも声を出して読んでみてください。
 

 「荒れ野の40年」から  ヴァイツゼッカー(1985・5・8)

 一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

 人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。

 今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

 ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

 心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

 出典 「荒れ野の40年」全文はこちらで
  http://www.asahi-net.or.jp/~EB6J-SZOK/areno.html
 


 敗戦から40年目の5月8日、当時の西ドイツの大統領が国民議会で行った演説のごく一部です。ユダヤ人に対するホロコースト(計画的皆殺し)という国家的犯罪が行われたとき、子供だったり、生まれてもいなかったりした若い世代のドイツ国民に大統領が語りかけた言葉です。

 人を殺すという罪を犯す、またはそれに荷担するということは本当に取り返しのつかないことです。罪を自覚するなら犯人は贖罪の生涯を生きざるを得ません。
大変なことです。
 ぼくが昭和天皇を尊敬できないのはこの点において欠けると思うからです。日本が行った戦争犯罪はドイツのホロコーストとは違います。しかし、誤った戦争指導のもと「無辜」のひとびとを死に追いやったことは事実です。その罪と責任を自覚するなら、少なくとも退位し、「閉門蟄居」するくらいであってほしかった。田舎の学校の一教師に過ぎなかったぼくの父でさえ、敗戦の後、徐々にではあっても「戦犯」の自覚のもと生き始めたというのですから。
 罪を犯したひとびとがその責任の重大さに恐れおののき、贖罪の道を生きるのは当然のことです。この社会の倫理の根幹にかかわることです。

 しかし、罪のない人に贖罪を求めることは出来ません。若い世代が歴史を学ぶ重要性はならばどこにあるのか。ヴァイツゼッカーの訴えの核心はここにあります。

 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

 生徒のほとんどがこの演説の趣旨に共鳴し、賛同する意見だったように記憶します。ただ、親しい生徒達と話し合ったとき、この種の勉強をして自分もまた犯罪者ではないかと深く落ち込んだことがあると聞いたことがあります。私たちの授業が贖罪意識を植え付け、日本人として、人間としての誇りと自覚を押さえつけてしまったのかも知れないのです。罪人であるとすれば謝り続けなければならず、償い終わらない限り相手と対等な関係を築くことは出来ません。「自虐史観」の強制という言葉が投げつけられていたときでもありましたから、ぼくも自分の授業のあり方を考えさせられました。

 BC級戦犯に問われた朝鮮人の補償問題に取り組んでいる方の文章があります。


     戦後世代の戦争責任    田口祐史
 私は1963年生まれなので、まるっきりの戦後世代だ。だから、 前の世代がやったことの責任を直接問われても困る。だって、私が生まれる前の出来事について、私は関与していないのだから。 「謝れ」と言われても、私は謝らないだろう。 むしろ、 謝ってはイケナイとさえ思っている。 謝ってしまえば、その場は収まるかもしれない。しかし、当時生まれてもいなかった私が口にする謝罪など、 嘘っぱちでしかない。心からの謝罪など、できるわけがない。(もちろん、今の日本政府や日本社会のあり方について謝れと言われれば話は別だ)            私には、謝ることができない。しかし私には、あの非道な過去を 「反省」することはできる。 前の世代がやったことを、自分に重ね合わせながら、「反省」 することはできる。類似した行為をおかさない責任を、自分から背負っても良いのではないか。

 「俺たちには関係ない」…そんな意見が、僕らの世代の(あるいはもっと若い世代の)正直な気持ちだということを私は認めよう。ただ、私はそこから一歩踏み出したところで発言をしたい。被害者たちとのこれまでの出会いが、「おまえにも関係があるのだ」ということを私に教えてくれたからだ。彼らの痛みを知ってしまったから私は、開き直ることができない。そして、日本がやってきたことの責任を背負ったほうが、僕らはむしろ豊かになるのではないか、と私は思うのだ。

 以上のようなことを、私は自分の本の中に書き、あちこちで喋ってきた。さて、皆さんはどんなふうに考えるだろう。ぜひ意見を聞かせてください。

 
 歴史を学ぶことが自分の人生を豊かにできるとしたらそれこそ学びの名に値するでしょう。そのような人の目はどのような人権侵害にも注がれる普遍性を獲得しやすいのではないかと思われます。どうしたら公平で普遍的な目を養う歴史の学びが出来るか、ぼくにとっても変わらぬ課題です。           

 
 出典●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/ce4ec85da80ebc34667b856086c1a04b

 

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