川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

福島のこどもを守れ  湾岸だより(6)

2011-08-18 09:20:06 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

この国に「おとな」はいないのかと悲しくなってしまう。

 1945年のいつだったかはわからないが父は私たちを疎開させた。室戸岬が大阪空襲に向かう艦載機の途上にあり時々空爆をうけるようになった頃だったのか。40kmくらい西寄りの安芸市大山岬の一角だった。僕はまだ3才でかすかな記憶しかないが姉や兄たちは地元の下山小学校に転校していた。いわゆる縁故疎開だったのだろう。学校全体を奥地の魚梁瀬あたりに集団疎開させることになったので一時帰郷した時のことはきちんと覚えている。真夜中に長い道のりを母について歩いた。途中、唐浜というところまで父が出迎えてくれた。そこからは自転車に載せてもらって帰った。家に着くやどういうわけか大泣きをした。僕は母の腰巾着と言われた。それでもこのとき6里の道をよく歩いたとのちのちまで褒められたものだ。

 親が子の安全を守ろうとする思いに昔も今も変わりがあるとは思えない。福島のこどもたちの置かれている危機は並大抵のことではない。放射性物質が目に見えないためか、政府や自治体の責任者に危機の共通認識が乏しいように見える。ヒロシマ型の原爆の20数倍の死の灰がまき散らされたのだ。その影響はこれからも日々こどもたちを蝕んでいくに違いない。集団疎開など避難させるのが当然ではないのか。

 この期に及んでもなんの決断もできない首相や文科相、知事は万死に値する。

 

山本太郎、福島の子どもたちとともに内閣府、文科省、保安院の役人と対峙「場当たり的なことはやめてください!」と声を荒げる

シネマトゥデイ 8月17日(水)19時18分配信

 

山本太郎、福島の子どもたちとともに内閣府、文科省、保安院の役人と対峙「場当たり的なことはやめてください!」と声を荒げる
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右端が山本太郎、左側は福島の父兄と子どもたち

 17日、俳優の山本太郎が衆議院議員会館にて、子どもたちを放射能から守る福島ネットワークが主催の「子どもの声を政府に届けよう!」に参加した。

 この日、永田町の議員会館には4人の小中学生たちが福島から自分たちの声を政府に届けるためにやってきた。「福島県民よりもお金が大切なんですか?」「福島の子どもたちは、プールにも入れません。マスクをして、登下校をしているのに、基準値を何十倍も引き上げて、どうして安全と言えるんですか?」「こんなことになった、原発がわたしは大嫌いです」まっすぐな意見が、子どもたちから向けられるなか横一列に並んだ内閣府、文科省、保安院の10名の"おとな"たちは、うつむくばかり。

 6月に転校をしたという女の子は、「わたしは6月に転校をしてとても悲しい思いをしました。友達も泣いて別れを惜しんでくれました。こんなふうにバラバラになっていくのは、わたしたちにとって耐え難く悲しいことです。出て行った人も残った人もお互いのことが心配でたまりません。ですから、わたしたちが学校の友だちとみんなで安全な場所に避難できるよう、真剣に考えてください。そして、わたしたちが避難している間に、森も山も川も田畑も、福島県全域を徹底的にきれいにする計画を立てて、実行してください。わたしたちが将来安心して暮らせるよう、最大限の努力をしてください」としっかりとした口調で訴えた。だが、大人たちからの回答は「いまの皆さんの意見は持って帰ってできる限りのことをします。除染はしっかりとやっていくことを先週表明しました」「早く帰れるように、頑張ります」と集団疎開など具体的なことについてはまったくふれず、除染への"最大限の努力"を話すばかり。この態度に対し、山本が、「補償はどうするつもりなんですか?  除染したって、毎日毒が出続けているんだから住めるわけないでしょう。場当たり的なことはやめてください」と思わず声を荒げる場面もあった。

  あいまいな、はぐらかすような回答ばかりが目立つ大人からの回答に失望感でいっぱいな子どもたちの様子に、「(今日のやりとりをみた)感想は残念の一言に尽きます。でも仕方がないと思うのは、おそらく決定権がない方々。だからおっしゃることは"持って帰って"ばかりです。持って帰ってもそこからは何も生まれないんでしょう。でも今日の子どもたちの話を聞いたことで、個人レベルでは、変えて行きたいと思ったはずです。皆さんかつては、こんなときに人々を救いたいという熱い思いでいまの仕事につかれたはず。だから、皆さんにお願いしたいのは、皆さんにも戦って欲しい。やっているふりはいりません。この子どもたちは、これから先の日本を支えていく子たちです。子どもたちのために勇気を出して戦ってください」と真剣な表情で訴えた。また、北海道から帰ったばかりの山本に、この日決定した北海道の泊原発に関して記者から質問が及ぶと、「もう原発は動かしちゃダメだと思う」と訴える福島の子どもたちとともに「いったい福島の事故でなにを学んだのか?  なにも学んでいない!」と再稼働への怒りを伝えた。

 この日は数か月前に山本が文科省の前で20ミリシーベルト問題を訴えたときに比べると、数えきれないほどの報道陣が駆けつけ、テレビ局、新聞各社が山本を取り囲んだ。ニコニコ動画での生放送は、2万人近くの人が見守った。事務所を辞め、福島の子どもたちのために立ち上がった山本の決意は、マスコミを動かした。「僕ら大人が子どもたちを守らなければいけない。子どもたちのために、勇気を出して戦ってください」という彼の想いは、日本中の大人たちの心にどのように伝わっていくのだろうか。(編集部・森田真帆)
関連HP●「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」http://kofdomofukushima.at.webry.info/201108/article_1.html