高沢一基(かずもと)の陣中日記

板橋区議会議員・「高沢一基(かずもと)」のオフィシャル日記です。

尖閣諸島

2010-09-27 18:34:17 | Weblog
尖閣諸島は、明治4年以来の無人島調査の結果、明治28年に閣議決定により我が国が領有を宣言しました。その根拠は「無主地先占」(領有している国がない土地を他国に先駆けて領有すること)であり、他国からの反対はなく我が国は正当に実効支配をしました。その後、大正8年には福建省の漁民31名が難破のため尖閣諸島へ漂着したため、それを救助したところ、当時の中華民国駐長崎領事から「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記された感謝状が発行されています。その間、尖閣諸島海域では鰹漁が盛んになり、魚釣島には鰹節工場なども設置され多くの日本国民が同島で生活を送りました。

では何故、中国共産党政府は尖閣諸島の領有を主張するのでしょうか?それは、昭和40年代に同海域で石油や天然ガスなどの埋蔵が確認されたのを受けて、急遽、主張をはじめたものです。資源目当てのための後付の主張など、決して認める訳にはいきません。

こうした中、今月7日には尖閣諸島沖の我が国領海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船2隻に体当たりするという事件が発生しました。同海域には、不法に我が国領海を侵犯し操業する中国漁船が多数あり、その都度、海上保安庁が対処していますが、今回の事件は巡視船に「体当たり」をするという凶暴かつ悪質な行動であり、その漁船を停船させ船長を逮捕したことは法治国家として正当な行為であり、何ら非難されることではありません。

しかし、中国共産党政府はその後、各種交流を停止しただけでなく、中国首相が恫喝的発言をしたり、レアアースと呼ばれる貴重な資源の輸出を停止して実質的な経済制裁を実施。あげくの果てには、中国国内で邦人4名(しかも中国の為に化学兵器の処理支援をする民間人を)を拘束する暴挙まで起しました。

そんな中、逮捕した船長を処分保留のまま釈放したことは、中国の理不尽な恫喝に屈して、尖閣諸島の領有を放棄したことに等しいと思います。今回の釈放は、今後、尖閣諸島海域で操業する我が国漁師の安全を脅かすだけでなく、海上保安官や自衛官に危険をもたらすものであります。また、尖閣諸島と同様に、東シナ海の南沙諸島や西沙諸島で中国の脅威にさらされているベトナム・フィリピンなどやインド・インドネシア・韓国など中国と領有権争いをしているアジア諸国の期待を裏切るものであり、心底遺憾です。

理不尽な要求に屈することは、真の安全を確保することにつながりません。相手はますます増長し、その要求をエスカレートさせて行くことになり、弱腰はかえって平和を乱す要因となります。現に、釈放を決定した24日の夕方から、尖閣諸島沖の領海への接続水域で中国の漁業監視船2隻が行動しているとのことです。漁業監視船は軍艦を改造したものであり、実力行使のおそれは高いと思います。

私達は、尖閣諸島が属する石垣市の人々や周辺の島々に住む日本人を見捨てる訳にはいきません。我が国の独立を守り、平和を保つためにも、今後、政府には毅然とした態度と行動を求めます(写真は平成9年に発行された冊子です)。


例大祭

2010-09-20 14:44:07 | Weblog
私が住む宮本町の氏神社は、清水稲荷神社です。9月は各地で秋祭りが斎行されていると思いますが、清水稲荷神社の例大祭が去る18日・19日にありました。18日朝からは神酒所の設営など準備を進め、夕方には神酒所にて神主さんによる清祓いをし、夜7時からは神社の神楽殿にて、氏子有志による歌や踊りが奉納されました。また境内には露店も出店され、人々で賑わいました。翌19日は、朝10時にお神輿が宮入し、午前と午後は子供神輿と山車が町内を練り歩きました。今年は影祭り(一年毎に本祭りと入れ替わります)のため、大人のお神輿はイナリ通り商店街の中だけを渡御されました。そして夜は奉納演芸二日目が催されました。

こうしたお祭りがあると、町内が賑やかになり元気が出てきます。例大祭が毎年あることにより、新しい力が生まれてくる気がします。閉塞感のある社会状況ですが、前向きに頑張って行きたいものです。

また、例大祭が無事斎行されたのも、町会の皆さんの尽力のお蔭です。今日も8時から後片付けを行い、町内も日常の風景を取り戻しました。様々な行事を精力的にこなす町会の皆さんには、心より感謝申し上げます。

世のため人のため

2010-09-14 17:18:21 | Weblog
民主党代表選挙が本日開票され、菅直人氏が再選されました。マスコミ報道によると、今回の代表選挙では個人的対立が目立ちましたが、一政党の代表を決めるだけでなく、総理大臣を実質的に決める選挙だったことは周知の事実です。民主党の責任は重かつ大です。私も一地方議員ではありますが、責任を果して行きたいと思います。

戦後日本の風潮として、自分さえ良ければ良い、個人の都合を中心とする極端な個人主義がはびこっていますが、私達日本人は古くから己のことよりも「世のため人のため」に尽くすことを尊んできました。現在は、不況が続く経済問題にせよ、中国や北朝鮮の脅威による安全保障問題にせよ、政治は一歩も止まることができない情勢です。政治家こそ、もっとも己を棄て公のために尽さなければならないと思います。「世のため人のため」の政治を、今こそ実現しなければなりません!

先週から昨日までの主な活動報告は以下の通りです。
6日(月) 友人の一年祭・広聴活動
7日(火) 調査活動・事務作業
8日(水) 政務調査費監査(私の分は特段の指摘・問題はありませんでした)
9日(木) 北児童相談所、池袋ハローワーク視察
10日(金) 学校適正規模配置審議会・調査活動
11日(土) 家族と過ごす!
12日(日) 区民体育大会開会式(写真ご参照)
13日(月) 事務作業・広聴活動

二本松少年隊

2010-09-10 12:09:50 | Weblog
去る4日・5日と私の後援会にて、親睦バス旅行を実施しました。今年の宿泊先は、福島県の穴原温泉(奥飯坂)・吉川屋でしたが、部屋も新館でとてもきれいでしたし、お風呂も広くゆったりとして良い旅館でした。露天風呂も心地よい風が吹いて、気持ちよく入ることができました。旅程は板橋出発後、まずはアサヒビール福島工場でジンギスカンの昼食を食べたのち工場見学。試飲で出来立ての美味しい生ビールをたくさんいただきました!その後、二本松市の大隣寺と霞城を訪れ、二本松少年隊を偲びました(写真ご参照)。そして、吉川屋にてゆっくりと過ごしました。二日目は、秋の味覚・梨狩りを行い、その後、浜通りに移動し、塩屋崎灯台や小名浜に行き、海の幸を満喫しました!9月29日から始まる決算議会を前に鋭気を養う、楽しい旅行とすることができました。

戊辰戦争といえば、会津の白虎隊が有名ですが、二本松藩の少年隊も忘れてはならないと思います。戊辰の役では特に奥羽越の諸藩にて多くの悲劇が起こりましたが、二本松藩でも、三春藩が西軍側に恭順したため、急遽、戦端を開くこととなり、激戦が繰り広げられました。そうした中、藩内の少年62名が出陣し、中でも22歳の木村銃太郎以下25名の部隊は大壇口にて戦い、戦死者を多く出しました。戦死した少年隊16名のお墓は、二本松藩主の菩提寺である大隣寺にあります。今回の旅行でもお参りし、墓前に手を合せました。二本松藩では、出陣するには14歳からとしていましたが、故郷を守ろうと12歳と13歳の子供も年齢を偽って出陣しています。子供が戦闘に参加することは、決して良いことではありません。しかし、故郷を愛し、武士としての意地を見せた少年隊の姿は美しいものであると思います。現在は荒れた世相でありますが、先人の美しい姿を少しでも思い返したいものです。