goo blog サービス終了のお知らせ 

どこ行ったの? 唐招提寺です。

2010-01-26 11:12:51 | Weblog
奈良行きの二日目は 唐招提寺と薬師寺です。
唐招提寺は、7~8年前に行ったとき解体修理中で拝見できませんでしたので
今回ぜひ拝見したいと思ったのです。

写真は唐招提寺金堂です。
この威風堂々とした建築が好きです。
入場の再いただいた説明には鑑真和尚が作ったとありましたが、
最近の説はお弟子さんたちが作ったということらしい
もっとちゃんと勉強したいと思っています。
奈良時代の盧遮那仏坐像、千手観音立像、平安時代の薬師如来立像が祭られていましたが撮影禁止なので残念。


鑑真大和尚の座像は拝見することができませんでした。
散策しているうちに、鑑真さんのお墓に出会いました。
幾度も幾度も渡航を阻まれながら、それでも意志を貫いて来日した鑑真和尚の生き様に改めて感動しました。
帰りの新幹線で井上靖氏の 天平の甍 を改めて読み直しました。


寺院のあちこちの巨木の足元を、この万両が飾っていました。
見上げるような大きな樹木はいつ植えられたのか・・・


唐招提寺の伽藍、金堂などの軒、四隅に鎮座します鬼瓦です。
悪の入ってくるのを阻んでいるのでしょうか?

金堂の屋根の鴟尾は金色に輝き新しくなっていますが
宝蔵には 奈良時代の大きな鴟尾が保存されていました。

どこ行ったの? 平城京です。

2010-01-26 10:43:27 | Weblog
14日、奈良に・・・以来ご無沙汰ですが
このごろ、奈良はどこ行ったのと聞かれるので報告です。
一日目は平城京でした。


奈良は平城京遷都1300年祭に向かって準備中です。
私はそれを意識したわけではないのですが
奈良に向かう電車から いつも朱雀門が見えていて
いつか行きたいな~ と思っていました。
今回をそのチャンスと
まず、近鉄の西大寺駅で下車、平城京跡を目指しました。
写真は朱雀門前です。


ひろ~い平城京の中を散策しました。
四月の祭りに向けて 突貫工事の最中で無粋なブルドーザーや生コン車が動いていましたが
それでも近所の散策の人々、視察にこられたのかな~と思える人々がいました。
写真は大極殿です。
中には入れませんでした。
とても大きな建造物で、奈良時代の人々が当時それこそ天皇の命令で突貫工事を行った証でもあります。
その技術のすごさもわかります。


散策中、池の中にいた たぶんゴイサギです。
枯れ草の中に寒そう(?)に首をすくめたようにたっていました。


朱雀門に沈む夕日です。
一人旅でしたので、ゆっくり、夕日が朱雀門に懸かるのを待ちました。

この平城京跡は、江戸の昔から開発の危機にさらされてきたとか、
それを住民が守ってきた歴史があるということを帰ってきて赤旗の日曜版で知りました。
朱雀門の内側を近鉄の線路が走っているのもそういうことなのでしょう。

この朱雀門を後に、JR奈良駅までは徒歩で行くことにしましたが
時間にしてどれくらいかは覚えていません。
大きな道路も建設中で
このお金はどこが負担しているのだろ~と
翌日、タクシーの運転手さんに聞いたら 県道とのこと、奈良県の遷都1300年祭にちなむ建設のようでした。

この日の歩いた歩数は16000歩を超えていました。

奈良に向かっています

2010-01-14 15:35:59 | Weblog
今 京都から奈良に向かう電車です。
諸事情により 京都までの往復キッブを使わなければならず、期限が17日なので~
せっかくなので 唐招提寺に行くことにしました。
以前は 工事中だったので楽しみです。
今は 平城京跡に向かっています。

娘の成人式

2010-01-12 14:53:19 | Weblog
昨日1月11日、東村山市の成人式が執り行われた。
私は 基本的に成人式には行かないことにしている。
祝われている人々のマナーの悪さに閉口するからである。

下の娘が成人式に参加するという
友達に会うためである。

振袖は着ていかないが着物は着ていくというので
わがふるさとの工芸品でもある大島紬で着物を作ってやった。
大島紬は本来は 普段着であり 晴れ着ではないが
現代では着物そのものが普段着とはいい難く
あまり気にせずに、着せることにした
着付けの先生が、お祝いだからね と帯を華やかに結んでくれた。

赤ちゃんのときから育てていただいたなかよし保育園の園長先生宅に
兄弟のように育った友人と挨拶に伺い
その後会場まで送ってやった。

会場周辺の
美しく着飾ったお嬢さん方の顔は晴れやかで
着物はやっぱり着せてあげたいな~と思い
凛々しいスーツ姿の若者たちもいた。
そうした姿を見るのはうれしいものではある。

式典に参加する娘に
人が挨拶や話をしているときに、友達同士おしゃべりをするんじゃないよ
と、大人に言うにはおよそ不似合いの注意をして送り出した。

帰ってきて、どうだったと聞くと
うるさかった・・・と言う

成人式の日は必ずテレビで荒れた成人式の模様が判で押したように報道される。
テレビは荒れた成人式を待ち望んでいるかのようにである。
そんなことを繰り返す成人式を行う意味がわからないな~と思う。

ディズニーランドでの成人式のどこに大人の自覚を求める要素があるのかもわからない。
実施しなければならないのであれば、成人式の意味を問い直し、
そのあり方も問い直したほうがよいと、議員になって以来思っている。

あゆみの会親子新年会に参加

2010-01-10 21:05:01 | Weblog
今日は
肢体不自由児・者父母の会、あゆみの会親子新年会に参加しました。

議会厚生員会に所属して以来
お招きをいただき、できるだけ参加してきました。
今日も、獅子舞やフラダンスに
楽しそうに身体を揺らしたり
声をあげている子どもたち
それを 嬉しそうに見守っている
保護者や、家族や、ボランティアの方々や、施設の職員や
特別支援学校の校長先生たちや
社会福祉法人の役員の皆様や

その中の一人でいることに
心地よさと 嬉しさを感じるひと時です。

同時に、障害者自立支援法の無情を感じる時でもあります。
特別支援学校を卒業し、
文字通り自立して生活をすることを目指すときに
その生活を 親や保護者に頼らなければならない悲しさ

たとえ僅かであっても自らが稼ぎ
不足する部分については、政治が憲法に基づいてそれを保証する
そうしてこそ、親や保護者の庇護から自立する事ではないだろうか

自立を! と言いながら
実際には、自立をするための作業所の利用を有料にし
稼ぐお金をさらに僅かな額に 福祉の制度がしてしまう

ハンディを補い ハンディを持たない人と同じ生活をするためのサービスに
平等の名のもとに 費用負担を求める福祉の制度
このどこに ノーマライゼーションの精神が生かされているというのか
障がいのある方々の不当を訴える話を聞くたびに
怒りが沸き起こります。

日本は 未だに障がい者の権利条約を批准していません。
国連が定めたこの条約を批准すれば
今の自立支援法は条約違反に問われることがはっきりしています。

政権が変わって
選挙では この自立支援法廃止を声高に叫んだ政党が政権についたのだから
速やかに、色々な理由をつけずに
さっさとサービスの利用を無料とし、そのうえで新しい制度を急いで作り上げるべきだということを
参加者のお顔を拝見しながら
強く強く思いました。

障害を持っておられる方々が
その障がいを苦にすることなく、生きられる制度の創設を目指して
共に 文字通り『共』に頑張らなければなりませんよね

『のだめ』はまってます

2010-01-03 23:16:33 | Weblog
2日の夜は
わが次女の成人のお祝いを、母や妹の家族たちが祝ってくれました。

今日3日は、のんびりと過ごすことにし
のだめカンタービレ最終楽章 を見に行きました。

マンガをドラマ化したり、映画化したりと
こどもっぽいきもしますが
でも、クラシック音楽を親しみやすいものにした功労賞とも言えるのではないでしょうか。

オーケストラはあまり好きではありませんでした。
ピアノが一番好きでした。
でも、このドラマや映画のTV放映を見て
オーケストラの醍醐味にすっかりはまってしまいました。

と言っても、私のクラシック鑑賞の場所は
毎日走る車の中ですが・・・

生の演奏会に行きたいと思っても
中々、時間がとれなくて・・・
最優先で取るわけにもいかず残念ながら
生のオーケストラは聞いたことがありません

子どもの頃も僻地の育ちのため
クラシックの鑑賞の機会に恵まれたのはバイオリン演奏
奄美出身の久保陽子さんが学校の体育館で演奏して暗たことが始め

その後、若かりし頃、当時コーラスをやっていた仲間と共に
奄美の名瀬市(当時)の学校に演奏に来られる予定の久保陽子氏を
私の故郷、瀬戸内町(奄美大島の南の自治体)で演奏していただく段取りを整え
公民館で演奏していただいたことがあるのみ

その演奏会は大盛況で
私自身も、もっと生の音楽に触れあう機会が欲しいものだと痛感したものでした。

でも東京にいても、わが娘たちは、親の時間のなさで
生の音楽演奏に親しむこともなく
学校で小学校時1回、中学時代1回? くらい

もっともっと生の演奏に接する機会が子どもたちに与えられればいいのに
と思いつつ、映画を楽しみました。

お正月に母がやってきました

2010-01-01 23:14:29 | Weblog
お正月に母が奄美からやってきました。
娘の成人のお祝いに駆けつけて来てくれたのです。
江戸川の妹のところに止まっていますが、
元日、我が家に遊びに来ました。

母と妹を案内して
多摩湖の周辺をドライブ
夕方の美しい多摩湖と狭山湖の富士を見せてあげられました。

母と妹です。富士がバックで、顔があまり分からないところがイイかも


狭山湖畔では 富士山に向かってたくさんのカメラマンが群がっていました。
富士山の方に沈む夕日を見ているのかと思いきや

沈みゆく太陽に
くっきりと浮かび上がる 赤く染まった富士山を撮ろうと思っていたようです。
私のコンパクトのデジカメでは上の写真がやっと

でも 母と妹に 夕日に赤く染まる富士の優美な姿と
狭山湖のきれいな景色を見せてあげられて
思いがけず 嬉しいドライブになりました。

それから 今、その写真を使って
年賀状を仕上げたところです。
私の年賀状は
文字通り 元旦に作るのが決まりです。

今年も、色々 市民の皆さんの暮らしが少しでも良くなるよう頑張りたいと思います。

娘のアトピー皮膚炎を治した食事日誌が出てきました

2009-12-31 00:33:49 | Weblog
大掃除、子どもたちの整理していないたくさんの写真とノートを娘たちが見つけました。
「あ、茜ちゃんのだ」という声に振り向くと、上の娘の食事日誌でした。

下の娘がおなかにいた時期、上の娘が突然アトピー性皮膚炎になりました。
肌に突然ブツブツが出来て、夜中、娘はとても痒がり、お母さん掻いてと泣くんです。
毎晩の切りがない要求に、私は寝不足状態。
産休もまだ入っておらず、体力的に参ってしまいお医者さんの診断を仰ぎました。

アレルゲンは特定できなかったものの
大豆類、鶏肉関係、牛肉関係を抜いた食事療法を行うこととし、
毎日、食べたものをすべて書き出し
数週間に一回、医者のアドバイスを受けることになりました。


家での食事は、豚肉と魚を交互に
味噌も醤油も大豆のまったく入らない物
食品も、裏をひっくり返し、卵や大豆や牛肉エキスすら入っていないかを確認し購入しました。

ある日の医師のアドバイスに
“海苔の光沢のあるものは卵白の可能性あり、使わないこと”
“家に卵・マヨネーズは置かないこと”
“羽毛布団はよくない”などがありました・

調味料は、特別なものを、特定の店で購入し、
自宅と保育園で使いました。
妊娠中の私も医師のアドバイスで、娘と同じ食事をしていました。
夫も同じでしたが、牛肉など食べたいときは外食で・・・と頼みました。
おかげで、下の娘は一切アレルギーの心配はありませんでした。

旅行も手作り弁当は勿論
味噌や醤油を持参し、お願いをしました。

保育園の協力が大変ありがたかったのは
娘のために、別な鍋で、似たような料理を準備してくれたことです。
そして、保育園で食べたものは、食材の原材料も含めて克明に連絡帳に記入してくれました。
娘が二歳のころから、何年続いたか覚えていません。
いつの間にか食事日誌は3冊にもなっていました。
が、食事日誌の記入が段々記入しなくなったときに
娘のアトピーはきれいに治っていました。
小学校入学前に治っていたので、給食も問題ありませんでした。

いま、20代の娘は
アトピーのとき、縫いぐるみは禁止だったので
その時の埋め合わせとばかりに、ベットの中にたくさんのぬいぐるみを入れています。
あきれるばかりです。

今でも、アトピーらしい子どもを見ると
早く治るといいね と、胸の中で呟きます。
豆を煮ながらこれを書いています。
大晦日に時間が変わってしまいました。

残念!! カワセミのシャッターチャンス逃しました

2009-12-26 01:26:14 | Weblog
25日 野火止用水のほとりを自転車で往復しました。
期待通りに 東村山市第一中学校の付近で
白鷺が 一羽 用水の中に立っているのに行きあいました。
写真をとって、


近くにカルガモがいるのに気が付きました。
これも写真にとりました。


本当は シジュウカラ が木の枝に止まっていたのですが
私の気配に気づき とんで行きました。

白鷺と カルガモの写真をとって
ちょっと動き出した途端です。
眼の端を シャットとぶ姿が・・・
さっと 首を向けると 背中のルビーの色も鮮やかに
カワセミ がダイビング?
残念ながら 写真はありません。

でも、今年もカワセミの姿が見えて 嬉しいです。


鯉がゆったりと 泳いでいます。

野火止用水
江戸時代が 身近に感じられます。


高齢社会でまた消える? 高齢者の住処

2009-12-24 11:41:15 | Weblog

「養護老人ホーム」の廃止と高齢者の住宅施策について  

青葉町の養護老人ホーム「都立東村山老人ホーム」の青葉棟が廃止されることになり、10月9日、入居者に桜棟への転居についての説明会があった。
一方、高齢者の住宅施策を検討してきた都のプロジェクトチームは、11月6日、報告書を都知事に提出。報告書では、9400人分の高齢者向け住宅の整備が提言されている。

(1)青葉棟の廃止について
①養護老人ホームの入居要件と都内の施設数、定員数および入居希望者数
答弁=32施設3906人、入居希望数不明
②東村山老人ホーム(青葉棟・桜棟)の定員数と入居者数  
答弁=420名、311人
③一人暮らしが困難で所得の低い高齢者は今後ますます増加が予想されるが、養護老人ホームの必要性について所管の認識を伺う。
答弁=虐待やアパートからの退去を迫られる実態があるなど高齢者にとっては欠かすことのできない施設である。
④養護老人ホームへの入居は措置制度だが、当市では入居が必要と思われる方をどのように把握しているか。また、必要な方にきちんと施設の紹介や斡旋を行っているか。
答弁=ケアマネや親族との相談、老人相談員などからの引継で関係機関へ紹介するなどしている。当市の待機者は14人。
⑤青葉棟の廃止決定までの経緯と今後のスケジュールについて伺う(老朽化の度合いや3・4・11号線との関係も含めて)。
答弁=老朽化と3.4.11号線の促進により廃止と聞いている。
⑥今後のあり方については単純に廃止ではなく、耐震補強もしくは建て替えをした上で存続させるべきと考える。当市の考え方と東京都への要請の可能性について伺う。
答弁=今後のことは検討中と聞いているが、存続へ要望していきたい。

高齢社会がさも諸悪の根源のように言われて久しい。
もちろんあからさまな批判はない。が、後期高齢者医療制度、介護保険制度などの発足は、こうした考えの発露だと考えられる。
後期高齢者医療制度は、そうだけど、介護保険は別では?という疑問もあろうかと思う。
しかし、国民が切実に望んだ介護保険制度はともかく、
今現在の制度は、高齢者の介護にお金をかけずにすむようにするにはどうしたらよいか・・・と見直しが行われてきた。
結果として、介護を受けることになったお年寄りにはつらい制度になっている。

後期高齢者医療制度は、文字通りの意味で長生きへの嫌がらせとしか言いようがない。
年をとって、医療費がかかる。これ以上公的健康保険で賄えない。だから別枠にして、お金は高齢者自身から取ろうという為政者の気持ちが見え見えの制度である。だからこそ日本中の高齢者が怒ったのである。

こんどは住処まで奪おうというのである。
住んでいる人を追い出したりはしないという。しかし、所得が低く、賃貸住宅に住んでおられる方が、アパートを追い出されるときに頼りになるのが擁護老人ホームであり、その貴重な高齢者用住宅がこの市にある。そのうちのひとつを廃止し、今後の入居希望者の門戸を狭める計画である。

高齢化社会が来る、来た、ますますそうなる と
言っている割には準備ができず、さまざまな分野から締め出そうとしているとしか見えない。
そうでないと言い張るなら、住処を奪うような計画には、住民の福祉をつかさどるべき東村山市が、きっぱりと東京都に対して
「廃止は困る。建て替えて高齢者のための住居を確保しなさい」と物申すべきではないだろうか。