牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

3月27日(水) 「神に用いられる人②」 オズワルド・スミス著

2013-03-27 09:16:28 | 日記

 著者は、御言葉(聖書を読み学ぶ)と祈りの時間を持つことの大切さを書いている。本からの引用。「クリスチャン生活のごく初期において、私は「朝のつとめ」と呼ぶものを始めました。毎朝、来る日も来る日も私は神と共に過ごしたのです。まず神と共に過ごす時を持たなければ、とうてい事務所へ出かけて行くことなどできませんでした。また、毎朝神にお会いするのでなければ、教会の仕事をしようとはしませんでした。私は朝食後、ただちに書斎に退き、戸を閉じて最初の一時間を神と共に過ごしました。今日まで50年以上の間、私は「朝のつとめ」を守り続けています。私の今までの生涯において、少しでも神が私を用いてくださったとすれば、それは私が毎朝神にお会いしたためです。私は、いろいろな問題に出会う前に、すでにそれらの問題を解決していました。「朝のつとめ」がなかったならば、私に働きには効果がなかったことでしょう。私は弱く無力であったことでしょう。私が霊的に強くなるのは、神の御前に出る時だけです。」

 「過去幾年もの間、多かれ少なかれ、私にとってモットーとなっていた聖書の一つの箇所があります。それは使徒の働き6章4節です。そこに次のように記されています。「私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」なんという理想的な召命でしょう。他のものは、すべて、第二次的なものと考えられていたのです。使徒たちが神の国のためになしえた最大のことは、まず祈り、そしてみことばの奉仕に励むことでした。そして、あなたは、祈りが説教よりも先に来ていることに、気づかれることでしょう。おお、兄弟よ。あなたの働きのこの部分に強調点を置くように、あなたに嘆願させてください。祈りのないみことばの奉仕というものはありえません。この二つは、分かつことができないまでに結合されているのです。力強い説教をしようとする者は、効果的な祈りをしなければなりません。神を動かすことは、人を動かすことです。」

 「もしあなたが霊的な結果をもたらそうとするならば、あなた自身が霊的でなければなりません。、、、、以上述べてきた事柄は、すべて、普及の名声のあるバウンズの次の燃えるような言葉の中に要約されています。「人が説教者を作る。神が人を作られねばならぬ。メッセージをする人は、メッセージより以上である。説教者は説教以上である。説教は一時間の演出ではない。それはいのちがほとばしり出たものである。人を作るには二十年を要する。真の説教はいのちである。人が成長するゆえに、説教は成長する。人が力強くあるゆえに、説教も力強い。人が聖くあるゆえに、説教も聖い。人が神の油注ぎを受けているゆえに、説教も神の油注ぎを受けている。説教はいのちを与える力において、人以上に上ることはできない。死んだ人は、死んだ説教をする。そして、死んだ説教は殺す。すべては説教者の霊的性格にかかっているのである。」

 著者の忠告は説教者として働くために本当に大事なことだと思う。毎朝、みことばと祈りの時間、すなわち神との時間を欠かさず持ち、「朝のつとめ」を守り続けるというのは大きなチャレンジである。