牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

2月26日(水) 「教会論③」 ハンス・キュンク著

2014-02-26 08:17:25 | 日記

 著者は「教会」の基本構造として3つを挙げている。

 第一は「神の民」としての教会である。旧約時代に神の民と言えば、「イスラエル」であった。現代における神の民は教会である。しかし、神の選びは変わらないので、今でもイスラエルは神の民である。

 第二は「霊の被造物」としての教会である。クリスチャン一人ひとりにカリスマ(賜物)が与えられていて、その賜物を用いて奉仕し、建て上げていくカリスマ的構造としての教会のことを言っている。その賜物は聖霊によるものである。

 第三は「キリストのからだ」としての教会である。頭(かしら)はキリストであり、体は教会である。人間の体は頭の支持に従うのが自然である。すなわち、教会はキリストに従うのである。また頭とからだは一体である。分離されていたら気持ちが悪い。

 本からの引用。「キリストは教会のうちに現存する。十字架にかけられたイエスは、復活の主として教会のうちに現存する。キリストは教会なしではありえず、教会はキリストなしではありえない。、、、、キリストは教会の全活動のうちに現存する。しかし特に優れた形で、キリストは礼拝集会に現存する者として働く。われわれは、彼の福音によってこの礼拝集会に呼び招かれるのであり、洗礼によってこれに受け入れられ、そこにおいて聖餐式を祝い、そこから世界に対する奉仕のために派遣されるのである。」

 「このようにしてキリストは、すべての礼拝集会に完全に現存するのであり、そのゆえに地域教会におけるすべての礼拝集会は完全な意味で神の教会であり、キリストのからだである。」

 
 この3つの構造において分かるのは、三位一体の神が教会に関わっているということである。教会は神の民としての役割があり、父なる神の計画の中心にある。教会を建て上げるのは聖霊の働きであり、教会の頭(かしら)はキリストである。この三位一体の神がご臨在されるから地域教会も完全な意味で神の教会なのである。

 非常に優れた教会論ではないだろうか。この教会論を霊の深い領域で正しく理解し悟ることができれば、クリスチャンたちが礼拝を重んじるようになるだろう。クリスチャンでありながら礼拝を軽んじるとしたら、理由は2つあるだろう。正しい神観(三位一体論)と教会観の欠如であると思う。正しい神学と思想がないところに、正しい行動と実践は起こってこないのである。その意味で聖書研究や神学の学びは重要である。