自分で考え上手くなる

2019-08-31 23:59:44 | サッカー

「問題が起こったときにどう考えるのか。人はよく経験主義に陥りやすいが、

それはまた先入観になってしまうこともある。いろいろな意味で広い教養や

知識を持つことは重要だが、だからといって大学の教授になる必要はない。

言えるのはやはり広く俯瞰した目を持つことだ。インテリジェンスを多く持つ

サッカー選手はチームメイトが局面ごとにどういう問題を抱えているかを把握

できている。前線で、サイドで、ゴール前で、どんな問題が起こりそうか、ある

いは起こっているのか。そして、そういった問題を他人とは違う方法で早く解決

できるプレイヤーをインテリジェンスがあると呼べる。そこにはセオリーという

よりもオリジナリティがある

 

サッカーはセオリーよりもオリジナリティ

今の日本サッカーの現状といえば、オリジナリティよりもセオリーばかりが

先行している。残念なことに育成年代から思い切りオリジナリティよりも

セオリーが重視されている。いや、サッカーだけではなく日本社会全体の話

なのかもしれない。いや、きっとそうなのだと思います。だからこそ、

サッカーを通じてオリジナリティを育んでいかなければならないのだと思い

ます。サッカーを通じて好奇心を刺激し、主体性を育むこと、そしてオリジ

ナリティを大切にすることで独自の表現が生まれ、異なる個性同士で即興を奏

でている面白く美しいサッカーが表現できるようになるのです。

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和泉市新人大会

2019-08-26 19:54:34 | サッカー

1回戦

光明台  6-0  富秋

南池田 16-0  石尾

和泉   1-1  信太

北池田  4-1  郷荘

 

2回戦

光明台  3-0  南池田

北池田  2-1  和泉

 

交流戦

富秋  5-0  石尾

信太  3-0  郷荘

 

3位決定戦

和泉   VS  南池田

 

決勝

光明台  VS  北池田

 

 

 


厳しさと優しさ

2019-08-26 19:17:32 | サッカー

三浦泰年の情熱地泰  ブラジル編

プロの世界に「パワハラ」は存在しないと僕が思うワケ

2019年08月21日 サッカーダイジェストWeb編集部

本物のプロにはメンタルの強さがなければならない

ブラジルは現在、コパ・リベルタドーレスの熱戦も展開されているシーズン真っ只中。

三浦氏はブラジルで本場のプロの凄みを体感する毎日だ。

今の世の中、本物と偽物の区別がつかなくなっている。

数年前、タイで監督をやっている時に、こんなことを聞いた事がある。

偽物を作っている人が大きな企業を買収したと。

どうやら、偽物の方が売れてしまった、という事らしい。偽物が本物を買ったのだ。

海外へ行くとよく分かる。コピー社会が根付いている国とそうでない国。

アジアの他の国などではコピーを頻繁に目にしたし、当たり前のようにも感じ取れた。

しかし日本は違うと思っている。本物志向でなければいけない。

いや、本物でなければいけない。

例えば、プロサッカー界の本物とは何か? 

サッカーが上手いとかスピードがあるとか身体能力が高いとかではない。

本物のプロとはパフォーマンスが高い事は当たり前、大前提にある。

そこにメンタルの強さがなければならない。

もちろん持論だが、いま僕の住むブラジルでは当然の事だ。

メンタルとは日本語で言えば精神。

精神の強さが本物のプロという事だ。

だから精神の弱い選手、スタッフはプロではない。

ブラジルのプロの世界では、「パワハラ」は存在しない。

精神的、身体的に苦痛を与えること

(もちろん暴力とは異なる)に耐えられないプロは、ブラジルにはいない。

そして、そのプロの精神とはスポーツと一般社会とに、ブラジルでは分けていない。

それだけ国が裕福でなかったということで、誰もが生き残るのに必死であり、

誰もがハングリーであるという意味だ。

僕が18歳の時に足を踏み入れたブラジルのサッカー界では、

15歳でも周りよりも下手だったら次の日には、もうクラブにはいられなかった。

監督もスタッフも選手もミスをすれば、期待以下であれば、次の日には契約を打ち切られた。

サンパウロの僕の友人が言っていた。それはサッカーだけでなく企業も同じだと。

終身雇用ではなく、実力で評価される。ダメなら解雇。

しかし、日本と大きく違うのは、彼らの感覚で「クビ」という概念はない。

日本では解雇の事を「クビ」と言うが、それは間違えていると言う。

「解雇」とは決してその人の首を取られた訳ではなく、終わりではないという。

次のステージ、職場を探して、またトライするだけ。人のせいにしている時間はないのだ。

そうなるとプロスポーツ界。僕にとっては、サッカー界とはそれ以上に厳しい世界となる。

弱い精神の選手など存在してはおかしいであろうし、厳しさに耐えられないスタッフや選手がいてはいけない。

スポーツの世界でのプロが精神的に弱ければ、自ら辞めるべきだ。

それがプロを目指す世界だし、だからこそブラジルではサッカーは本物であり、愛する人がたくさんいる。

監督となると、もっと厳しい。ホームで1分2敗という成績なら、解雇になる事が多々ある。もちろんそんな事ばかりではないが、真剣

に本気で覚悟を決めてやらなくてはいけない。厳しさがなければ監督をやれないのは、当たり前の事だ。

監督には「解雇された監督」と「これから解雇される監督」しかいない

ブラジル代表や数々のビッグクラブを率い、名将の誉れ高いルイス・フェリペ・スコラーリ監督(現パルメイラス監督)も、

幾多の「解雇」を経験し、様々なステージで辣腕を振るってきた。

日本のサッカー界ではこんな事を言う。世界に通用するクリエイティブな選手を育てるためには「褒めて伸ばす、褒めて伸ばす」。

詐欺みたいな話だ……。褒められた事しか経験のない人が「褒められた」といつ感じられるのだろう? 

もちろん耐えられる厳しさの度合いは人によって違う。

でもその世界を極めたいなら、厳しさに飢えるべきというのが僕の持論だ。

逆に「褒めて伸ばす」という風潮が強くなっているのは、近年厳しさに耐えられる選手が減っていることも、

理由のひとつに挙げられるだろう。そしてそれは、日本だけでなく世界的にもそうなっているのかもしれない。

だが、ブラジルで「パワハラ」という言葉はあまり聞いた事はない。

特にスポーツ界ではほとんどない。

厳しくした方が辞めることになったら、その世界は偽物だ。

プロは基本的に、厳しさを欲してなければいけない。

だから、選手を束ねる人は、他人にも自分にも厳しくなければいけない。

そして厳しくする人はその厳しさに耐えて打ち勝った人に感謝して、「ありがとう」と言える人でなければいけない。

「パワハラ」とは言った言葉ではなく、なぜその言葉を使ったかが大事なのだ。

これを言った意図が大事なのだと思う。

彼を成長させたい、彼を成功させたい、彼を一人前にさせたい、彼らを勝たせたい――。

そう思って言ったか、どうかが大事なんだと思う。

自分の権力、自分の立場を守りたい。相手の気持ちも考えないで自分の事しか考えていない。

それでは監督ではないし、そんな小さな了見で監督としての仕事を全うすることはできないだろう。

自分の立場を守るために、選手やスタッフの能力を潰してはチームが強くならないし、

勝てなければ責任は現場の人間にあり、負けたら解雇されるのは常だからだ。

プロサッカーの世界における監督の置かれた立場については、こんな格言がある。

監督には「解雇された監督」と「これから解雇される監督」しかいない――。

だからプロ契約のスポーツの世界には「パワハラ」は存在しない。

成績が付いて来なければ選手全員を解雇はできない。ひとりを解雇するしかない。

それは監督なのだ。そんな弱い立場が監督だ。

僕はたくさんの人に「ありがとう」と言いたいから、自分自身が厳しく生きたい

「たくさんの人に『ありがとう』を言いたいから」と自分自身は厳しく生きたいという三浦氏。

監督時代も熱血指導で鹿児島をJ2昇格に導いた。

言葉には意味がある。そして、場面に応じて適した使い方がある。

例えば、「馬鹿」という言葉は、本当の馬鹿には言えない。

何故、日本人が「馬鹿」と叫ぶ時があるか? それは「お前は馬鹿ではない」と言う意味でもある。

そんな事も分からない日本人は馬鹿だ! 日本人は馬鹿ではない……。

馬鹿に馬鹿と言ってしまっては、元も子もない。

でも、馬鹿になってはいけないのに間違えた人、間違えそうになった人に、「馬鹿」と言うのは自然なことだ。

だから昔の指導者は「バカヤロー」と叫んだ。だから馬鹿と伝えている人はいる。

人間は人と人の間に生きているから人間と言う。

「人」と表現する国はほとんどだけど、「人間」と表現する国は日本しかないと聞く。

日本、日本人とは素晴らしい国、国民なのだ。だからこそ日本らしく、日本人らしくいる事が大事だ。

僕はたくさんの人に「ありがとう」と言いたいから、自分自身が厳しく生きたい。

楽が楽しいのではなく、苦が楽しいのだ。そうやって生きていれば、きっと幸せなんだろう。

今の世の中、厳しさと苦しさと、もっと向き合うべきだ。

世の中、厳しさから苦しさから逃げる人間が増え過ぎていると思う。

だから、日本は弱い奴を助ける時代から、強い奴を育てる時代に早めに戻さないといけない……。

これは僕の考えだ。誰かの考えではなく、人から言われた事でも知恵をつけられた訳でもない。

ただ自分がサッカーを通して感じている事。

僕がブラジル、サンパウロで生活し仲間と触れ合う中で感じてきた事だ。

僕の考えは、一般の企業の人と同じではないと思うし、だから誰かに強制する事でもない。

誰にでも通用する「答え」とは思っていない。

正しいか? 正しくないか? と言われたら、「正しい」し「正しくない」のであろう。

ただ事実は今、そう感じているだけだ。

ただ、これを感じ取れたのはサッカーがあったから。ブラジルを知ったからだ。

もし勉強だけしていたら、日本から出た事がなければ、感じ取れなかったであろう。

だから僕はサッカーに感謝。ブラジルに感謝だ。

僕に厳しさと苦しさに耐える事、そして痛みを教えてくれたサッカーに感謝なんだ……。

2019年8月20日
三浦泰年

画像に含まれている可能性があるもの:1人、スーツ

5年後の注射

2019-08-25 22:11:06 | サッカー

 月曜日の朝の教室で、いろいろな部活の勝った、負けたの話を良く聞きます。

他の部活と切磋琢磨するのも、学校の部活動の良いところだと思います。

でも、勝つことでなくすものや負けることで得るものあります。

勝てばうれしいし、負ければくやしい。相手もいるので、いつも勝てるわけじゃない。

選手の成長は、人それぞれで特に体格(パワー・スピード)の差は大きい。

中学年代は、パワー、スピードでごまかすことができる年代です。

でも、この年代で身につけなくてはならないことをおろそかにしてしまうと、

ユース年代で息づまる選手をたくさん見てきました。今は、試合の結果より、

その選手がどう成長するかを見るようにしています。

月曜日、勝ったじゃなく、どうだったと聞くようにしています。

ゲームもそんな視点で見る大人(指導者、保護者)が増えてほしいと思います。

そうすれば、日本がW杯で優勝する日も近いんじゃないかなと思います。

 

 


学び

2019-08-17 13:10:09 | サッカー

「ある指導者のお言葉」

最近、「マインドフルな指導」ということについて、ずっと考えています。

「マインドフル・コーチング」とでも名付けて、いつか上手にまとめてみたいな、と思っていたところなので、ここに共有させて頂きます。

私は、日本での指導経験がありません。ただ、これまでに「大会に帯同する」という形ではありますが、日本でピッチレベルに立ち会わせて頂く機会が幾度かありました。

とある大会に立ち会わせて頂いた時のこと、ある参加チームの監督さんのあまりの横暴ぶりに、びっくり!もう本当に、ビックリしてしまいました。

走って行って「あなたは指導者を名乗る資格がない」と、その監督を引きずり出したい衝動にかられるほど衝撃的な体験でした。主催者の方に「ひどくないですか、あれ?」と言うと、「残念ながら、日本にはまだまだああいう指導者が結構いるんです」とのことでした。あれは、まさに私にとって、洗礼でした。

また、別の大会に顔を出させて頂いた時のこと。

お隣のベンチや、背中合わせのピッチ背後のベンチから聞こえてくる指導者たちの、あまりに醜い有り様に、憤りと、悲しみと、絶望感でいっぱいになりました。

噂には聞いていたけれど、日本の指導者レベルはこんなものなのか、と。

日大アメフト部が問題になった時にも、色々と考えさせられました。

以前、このブログでも、


Learn(学び)

Unlearn(学び壊し)

Relearn(学び直し)

という、指導者のコーチングレベルをあげるために必要な、学びのプロセスついて書かせて頂きました。

「声を荒げ相手を黙らせることで人を支配し、物事を解決してきた人間は、恐らくそうした教育・指導環境で育ったのだろう。だから、「言葉」を使って「コミュニケーション」を育み「人間関係」を構築する、といったメカニズムがそもそもない。」とも書き留めてありました。

 残念ながら2年前に、他クラブに移籍してしまったのですが、私に衝撃的な学びを与えてくれたヘッドオブコーチングがいます。

弊クラブ所属の120名の指導者は、毎週2間、そのHoCの方と学びの場が設けられていました。

私も一応、HoCのライセンスを取得しているのですが、そのHoCの方から得た学びは計り知れないものがあります。

そしてその方が、私達に伝えたかったのであろうことが、今頃になって少し分かり始めた気がしています。

 

当時、その学びの場で、指導者の口をついて出てくるのは、「勝つ」「結果」「相手」といったものばかりでした。その度に、HoCから素早い突っ込みがあったことを今でもよく思い出します。

 「勝つためには」とか、「相手のFW」など言おうものなら、「それは自分で何かすればどうにかなるものなの?」と、何度も何度も、そして厳しく指摘されたものです。

またこれは、私が個人的に受けたカウンセリングですが、「いま」「ここ」に意識をフォーカスする習慣付けのトレーニング。私自身が指導者として内的に大きな変化を遂げたキッカケになりました。


ー「駅を通過する電車」をイメージしてみよう。

ー「何が見える?」

ー「君は、その電車に乗っている自分が見える?」

ー「それとも、通過するその電車に乗っている君を、駅のホームから見つめる君が見える?」

電車に自ら乗っかってしまうのか、駅舎から通過電車に乗っている自分を見つめるのか。意識の置き場しだいで、見える世界はまるで違うよ、と。

 そこから、「指導者が、勝ち負けにどっぷりと意識を奪われていたら(気を取られていたら)、選手の学びや成長に気を配れるはずがないよね」というところにたどり着く。

 「結果」とか、「相手」とか、「勝ち負け」などは、自分が何かすればどうにかなるものではないのだ、ということへの指導者自身の気づき。

※ここで言う「結果」の解釈は、「勝敗」はもちろんですが、「(結果的に)ゴールを決めた」とか「出せと思った方にパスを出した」といったことも「結果」として理解しています。

 

これまで指導者としての25年間において私は、暴言を吐いたり、人を罵ったり、軽蔑したり、否定したり、物を投げつけたり、蹴飛ばしたり、そういったことは誓って一切ありませんが、熱く、そして「厳しい指導者」だったと思います。

「プレス遅れてるよ!」「ラインが下がり過ぎじゃない?」「左が空いてるでしょ?」「今のは打っといて(シュート)いいんじゃない?」

指導者は、どうしても、こういった、すでに自分が出している「答え」を選手に押し付ける習性があるものです。

選手に何が見えていて、彼らがどう感じ、何を思い、何に危険を感じ、何に自信を持って、判断に至っているのか。個に歩み寄ることが、なかなかできません。

指導者として自分改革をするために、自分が何かすればどうにかなるものに「意識」を据え置くトレーニングをすれば、雑念は自然と消え去り、不要なエネルギーを浪費したり、無駄に感情を荒立てることは無くなる、という発見への導き。

最近、日本で弊クラブのメソッドについてお話をさせて頂く機会が増えました。それに伴って、関係者の方々から「ビジャレアルの指導者が、何も言わないコーチングになったのは」というくだりを聞くことが増えました。

その都度私は、「あ〜、全く理解してもらえてない」と、自分のコミュニケーション力不足を悔やみます。

「選手に何も言うな、黙っておけ」というのが、ビジャレアルのメソッドでも、HoCの教えでもありません。

 「いま」「ここ」を認識することがマインドフルな状態だとすると、それを指導現場に置き換えて「選手」「向上」をマインドフルな指導だとしたら、どんなに質の高い教えと豊かな学びが溢れるだろう。

「勝ちたい」「勝ったら嬉しい」はしっかりと持ち合わせたまま、しかしスポーツの究極の目標を勝敗などの「結果」ではなく、「アスリートの日々の向上」であると理解する指導者が増えれば、自分改革を進めるコーチが増えるはず。

事前に用意してある自分の「答え」を台本にして、チームを遠隔操作しようとする指導者の思考メカニズムを突き詰めて分析すると、彼らの言動の源が「自分(=監督)」にあることが分かります。

「俺の言った通りになぜ出来ないんだ?」「だから言っただろう!」「見えてねえぞ、全然!」‥

俺が不愉快、俺が悔しい、俺がイラつく‥

こうした言動は、いずれも「俺」が主語であることから生じます。

スポーツにおいては、「アスリート」が主役、主語でなければなりません。

それに気付き、理解し、認識した上で指導にあたっているコーチがまだまだ少ないのが現状です。


クロスボールを自分の指示通りに出せなかった選手の胸ぐらを掴んで「ここに上げろって言っただろう!」と詰め寄る指導者は、「プロだから勝利にこだわって当然」と言い放ち、「ダービー戦で負けたらクラブが許さない」とか、「大事なのはパッションだ!」などなど、様々な理由付けをしながら、「プロセス」よりも「結果」を優先する自分を正当化します。

「勝利の方程式」を、もっともらしい様々な理由で作り上げ、自らを落ち着かせたり、自分の不安を満足させる習慣もあります。

 

怒りという感情が爆発しそうになったら、まず「あ、自分、怒ってるな」と認識する。そして「何に対して自分は怒っているの?」と問うてみる。その答えの原点が「自己を満足させるため」なのか、「選手のために」なのか、に気付けば、きっと次に起こす行動が変わってくるはず。マインドフルな心の持ち方を習得すれば、指導者は変わることができるのではないか、と。

そんな中、世界有数のリーグであるここスペインのラ・リーガ1部で、「選手を主語に」を合言葉に監督業を推し進めているコーチングスタッフが実際に存在します。もちろん情熱的なコーチ陣です。これぞまさに、理想の在り方、目指すべき姿だと、私は個人的に尊敬しています。(個人的な意見ですので、あえて名前は伏せておきます)

ビジャレアルの提携アカデミーである鹿島学園およびカシマアカデミーの指導者の皆さまには、下記のような指標を提案させて頂いています。


【カシマファミリー指導者の指標】

年齢や立場を問わず、人としての尊厳をリスペクトし、嫌味、皮肉、軽蔑、侮辱といった「毒」を含む言葉を使ったり、選手を否定しません。

指導者のひとつひとつの言動を「効果」と「弊害」といった両面から検証、認識し、選手にとって「意味ある学び」が生まれるよう意識しながら指導にあたります。

試合中は「実況中継」的、または「指示命令」型コーチングではなく、

Attitude アティチュード (課題に取り組む態度やその姿勢)

Intentionality インテンショナリティ (アクションに含まれる意図性)

Decision ディシジョン (アクションを起こすに至った判断や決断)

といった、主に「プロセス」に対する「即時ポジティブ(肯定的)フィードバック」を、指導者の主要ツールとし、選手を全面的にサポートします。

たったこれだけでも、「何やってんだよ、テメ〜!」的な指導者が減ると思っています。指導者の意識の置き場、フォーカスをずらしてあげるだけで、指導者としてかなり進化すると思っています。



近畿大会

2019-08-08 20:50:02 | サッカー

 準決勝

                 
東谷(兵庫1位)   2 vs 0 木津南(京都1位)
                                                                 
賢明学院(大阪1位) 2 vs 1 社(兵庫2位)
                              

 決勝 
           
東谷(兵庫1位)  3 vs 0 賢明学院(大阪1位)
                                                                   


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 5位トーナメント

            
八木(奈良2位)  0  vs  4  河西(和歌山1位)
                     
有功(和歌山2位) 0 vs 5 神川(京都2位)


河西(和歌山1位) vs0 神川(京都2位)
       延長 0-0
          1-0