今夜はお通夜に行ってきました。
結香が通っていた保育園の園長先生が亡くなられました。
75歳だったそうです。
その保育園との縁は、私が子供の時に通っていた保育園の園長先生の奥様で
その後、何年かしたあと離婚されて夢であった自分で無認可の保育園を建てました。
龍平が3歳の頃、私がパートに出始め、男の子で元気が有り余り
とても母では面倒を見切れず、どこか一時預かりでもないかと探していたところ
その噂を耳にし、すぐに入れていただきました。
半年ほどの短い期間ではありましたが
全員で20人ほどのこじんまりした保育園で、アットホームな園でした。
おやつも園長先生直々の手作りまんじゅうや枝豆、ふかし芋、とうもろこし、
残りご飯でついたお団子、おにぎり、全て手作りでした。
そして数年後、結香の園を探し始めるものの
こんなに重いアレルギー児を引き受けてくださる園があるだろうか
心配と不安しかなかった時にふと思い出したのがやはりこの園でした。
すぐに園長先生にお話をしに伺い、本当に常に爆弾を体に抱えているような
重篤アレルギー児だと言うことを説明し、少しのことでも命に関わってしまう
大変な子であることを全部話しました。
だけど園長先生のポリシーは「どんな子だってすべて平等。私はどんな子だって
見てあげるよ。安心して預けにおいで」と言ってくれました。
本当に涙が出るほど嬉しかったです。
そして話が決まっていよいよもうすぐ入園だ、と言う時に
携帯に園から電話がかかって来ました。家族旅行中でした。
園長先生の声のトーンがいつもと違って不安を覚えました。
「ごめんね、私はどんな子だってなんでかんで見てあげたいのだけど
保母の先生方に話をしたら特に若い先生たちは怖がってしまってダメなのよ。
よそへ行ってもらったらって言われてしまって。
本当に申し訳がないのだけど、他を探してもらえるかしら」と涙ながらに
話してきました。
出先だったのでとりあえず電話を切り、後日改めてきちんと先生方も含め
大変な子ではあるが、気をつけてさえいればまったく普通の子と同じなんだ、
と言うことを説明してなんとか理解をしてもらったものの、最後には「もし何かあった場合には全責任は親に委ねる」のような誓約書をかかされました。
園長先生はまた泣きながら「こんなことまでさせてごめんね、ごめんね」と
言ってくれました。
案ずるより生むが如し、皆さんの協力や手助けのもと何事もなく
お友達もたくさん出来て無事卒園することが出来ました。
本当に感謝しています。
お友達にも恵まれ、お母さん方の理解も得られ、自分で想像していた園生活とは
まるで別世界の親子共々本当に楽しい2年間でした。
今でもその頃のお母さん方との子供ぐるみのお付き合いは続いています。
こんな素敵なめぐり合わせをくださったのもすべて園長先生のお陰と思っています。
今日は最後のお別れに行って来ました。
子供たちが園長先生が詩を書いた「園歌」を歌いました。
詩を見ると本当に園長先生の素晴らしさ、温かさが伝わってくる
素晴らしい園歌です。
咲いた桜 美しく のどかな国から 春が来て
僕たち私たち 嬉しいな
命はかがやく さんさんと
楽しい ほほえみ 子どものくに
森の緑 そよそよと 光の国から 夏が来て
むこうのお空に 虹が出た
命はかがやく さんさんと
楽しい ほほえみ 子どものくに
遠い山の むこうから 実りの国から 秋が来て
祭りのたいこも にぎやかに
命はかがやく さんさんと
楽しい ほほえみ 子どものくに
ぴーぷー北の 風吹いて 冷たい国から 冬が来て
木枯らし ヒュルル 吹いてくる
命はかがやく さんさんと
楽しい ほほえみ 子どものくに
元気な声の 子供たち ぞうさん くまさん うさぎさん
りすさん ひよこさん 歌ってる
楽しい ほほえみ 子どものくに
本当に本当にありがとう。
天国でもたくさんの大好きな子供たちに囲まれていることでしょう。
乱文ですが、最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
結香が通っていた保育園の園長先生が亡くなられました。
75歳だったそうです。
その保育園との縁は、私が子供の時に通っていた保育園の園長先生の奥様で
その後、何年かしたあと離婚されて夢であった自分で無認可の保育園を建てました。
龍平が3歳の頃、私がパートに出始め、男の子で元気が有り余り
とても母では面倒を見切れず、どこか一時預かりでもないかと探していたところ
その噂を耳にし、すぐに入れていただきました。
半年ほどの短い期間ではありましたが
全員で20人ほどのこじんまりした保育園で、アットホームな園でした。
おやつも園長先生直々の手作りまんじゅうや枝豆、ふかし芋、とうもろこし、
残りご飯でついたお団子、おにぎり、全て手作りでした。
そして数年後、結香の園を探し始めるものの
こんなに重いアレルギー児を引き受けてくださる園があるだろうか
心配と不安しかなかった時にふと思い出したのがやはりこの園でした。
すぐに園長先生にお話をしに伺い、本当に常に爆弾を体に抱えているような
重篤アレルギー児だと言うことを説明し、少しのことでも命に関わってしまう
大変な子であることを全部話しました。
だけど園長先生のポリシーは「どんな子だってすべて平等。私はどんな子だって
見てあげるよ。安心して預けにおいで」と言ってくれました。
本当に涙が出るほど嬉しかったです。
そして話が決まっていよいよもうすぐ入園だ、と言う時に
携帯に園から電話がかかって来ました。家族旅行中でした。
園長先生の声のトーンがいつもと違って不安を覚えました。
「ごめんね、私はどんな子だってなんでかんで見てあげたいのだけど
保母の先生方に話をしたら特に若い先生たちは怖がってしまってダメなのよ。
よそへ行ってもらったらって言われてしまって。
本当に申し訳がないのだけど、他を探してもらえるかしら」と涙ながらに
話してきました。
出先だったのでとりあえず電話を切り、後日改めてきちんと先生方も含め
大変な子ではあるが、気をつけてさえいればまったく普通の子と同じなんだ、
と言うことを説明してなんとか理解をしてもらったものの、最後には「もし何かあった場合には全責任は親に委ねる」のような誓約書をかかされました。
園長先生はまた泣きながら「こんなことまでさせてごめんね、ごめんね」と
言ってくれました。
案ずるより生むが如し、皆さんの協力や手助けのもと何事もなく
お友達もたくさん出来て無事卒園することが出来ました。
本当に感謝しています。
お友達にも恵まれ、お母さん方の理解も得られ、自分で想像していた園生活とは
まるで別世界の親子共々本当に楽しい2年間でした。
今でもその頃のお母さん方との子供ぐるみのお付き合いは続いています。
こんな素敵なめぐり合わせをくださったのもすべて園長先生のお陰と思っています。
今日は最後のお別れに行って来ました。
子供たちが園長先生が詩を書いた「園歌」を歌いました。
詩を見ると本当に園長先生の素晴らしさ、温かさが伝わってくる
素晴らしい園歌です。
咲いた桜 美しく のどかな国から 春が来て
僕たち私たち 嬉しいな
命はかがやく さんさんと
楽しい ほほえみ 子どものくに
森の緑 そよそよと 光の国から 夏が来て
むこうのお空に 虹が出た
命はかがやく さんさんと
楽しい ほほえみ 子どものくに
遠い山の むこうから 実りの国から 秋が来て
祭りのたいこも にぎやかに
命はかがやく さんさんと
楽しい ほほえみ 子どものくに
ぴーぷー北の 風吹いて 冷たい国から 冬が来て
木枯らし ヒュルル 吹いてくる
命はかがやく さんさんと
楽しい ほほえみ 子どものくに
元気な声の 子供たち ぞうさん くまさん うさぎさん
りすさん ひよこさん 歌ってる
楽しい ほほえみ 子どものくに
本当に本当にありがとう。
天国でもたくさんの大好きな子供たちに囲まれていることでしょう。
乱文ですが、最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
えええええ~~~~。
覚えててくれたんだねぇ~~~
ほんとうにほんとうにあの頃、みんながいてくれたことが心強くて心の支えになってくれていたよね。
みんながいるってだけで強くなれたよ。
何よりもの頼りだった。
みんなに会えてなかったらまた進む方向違ってたんだろうなぁ~、って思う。
有難き出会いです。感謝感謝です。
お遊戯会の衣装も園長先生の手作りや、冬には園児全員にマフラーを編んであげたりね。
無償の愛、って言うだね。ああいうのを。
>Yu-
うんうん、「聞いてもらえる」これだけのことなんだけど、これがどんなに心の支えになって強くなれたことか。
不安しかなかったもんね。
Yu-もまだまだ心配なことは次々出てくるね。
私もまだまだだ、これでもかって問題は押し寄せてくる(汗)
けど、どんどん解除をすすめましょうって・・・。
医療知識も何もない人がそう言うの???
そうなんだよね。大変なのは食アレだけじゃない。
やってもらって当たり前って態度では出たくないけど、あまりやんわりでも伝わらない。
この辺は本当に難しいって実感してるよ。
頑張ろうね
今わたしは、次男の保育園で園長先生が変わったのでまた大変。
個別対応をできるだけしたくないようでどんどん解除をすすめましょうよという感じなの。
自治体でしっかり対応しますとなってても現場の園長にその気がなければどうしようもないじゃない。
もちろんやってはくれているんだけどね、できれば集団の枠にきっちり入れたいのよね。
大変なのは分かるけど・・・。
がんばって話し合いをしていきます。
見学に行って話しをする中で、私立だとはっきり断る園もあるし、公立でもやんわり断る(断りはしないけどできれば来てもらいたくないと言葉に表れてる)園もあるし、すんなり受け入れてくれても後からトラブルになる園もあるし、普通と違うって食アレだけじゃなく、大変なこと。
結香ちゃんが通った園の園長先生のような想いで子ども達みんなが接してもらえますように。
私も、遠くからだけど、先生ありがとうって祈りたいです。
恐らくほほえみでお世話になったお母さん方みんながそれぞれ「家が一番お世話になった」と思っているのでしょうね(笑)
今日でほんとうにお別れ。
先生の作った「マカロニきなこ」一度でもいいから食べてみたかったな~。
>EMIさん
本当にアレルギー児に対する理解は嬉しいことに年々高まっていて随分と親も苦労が減ってきていると思います。
けど、それは増え続けているアレルギー児があってのこと。少し複雑な思いでもあります。
昔はみんなと同じものが食べられないだけでひどい話では「養護学校に行ったほうがいいんじゃないか」と追い返されたりって例もあるんですよ。
EMIさんの娘さんが通っている園も素晴らしいのね。ずっとずっと絶えないで欲しいね。
>masaさん
そうでしたよね^^本当にいつぞやはお世話になりました。先生もとても喜んでいましたよね。
「すずめのなみだ」を思い出しちゃった(爆)
縁って不思議ですね。
結香にとってほほえみは第二のふるさとです。
来年転勤になれば娘は今の園を卒園できないけれども娘が大人になってもずっと、あり続けて欲しいな・・・て思います。
みんな園長先生への思いはそれぞれ違うと思うけど、こんなにも親身になって、そして保母さんと同じ様に近い存在であってくれた園長先生は 他にどこを探してもいないと思う。
園歌も暖かくて優しくて懐かしい感じですごく好き。
私の中で癒しの1曲でもあります。
私もこの場をお借りして・・・
園長先生 いままで本当にありがとうございました