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 言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

西行法師

2019年10月16日 | 歴史探偵
      
            高寺院 西行法師椅像

 今日は、ほぼ一日(西行法師)のことを探したり、まとめたりしていました。いま、実施している‘ほとけ展’の目玉の一つである高寺院の「木造西行法師椅像」のことで、新聞に寄稿しようと思っての材料集めです。

 西行さんは全国行脚したということで、あちこちに(西行の戻り〇〇)という所があるそうです。(戻り松)だったり(戻り坂)だったりするのです。たぶん西行さんは関西周辺と東北(往復の途中個所も含む)、中国・四国にはいった記録がありますが、九州には来ていないと思います。ところが白石(坂本町:球磨郡の境)にこんな伝説が残されているのです。

 西行法師が球磨に行く途中、白石の球磨川べりで女の人が綿を洗っているのが目に留まり、「洗っているのは何か」と尋ねた。「綿です」と答えると、「その綿は売るのか」と問うたら、その女の人は
 「白石の 瀬に棲む鮎の 腹にこそ うるかと云える わたはありけれ」 と答えた。その女の人にみやびやかな振る舞いで返答されたことに感歎して、西行法師はその場所から引き返した。その川にあった岩を「西行の帰り岩」と呼んでいる、というのである。
 全国各地の(戻り〇〇)も同じようにびっくりしてそこから先には進まずに帰っていったという伝えだそうです。白石駅付近のことだろうと思われるのですが、そのむかし、白石付近にも頓智のきく方がおられて、このような話が創作されたのではないかと思いました。
 そんなことを調べていたら一日が過ぎてしましました。

 今日の天気(  )

空振り

2019年10月08日 | 歴史探偵
      
          夕方4時ころの南の空です。縦になびく?飛行機雲?がありました。

 今日はshintoさんの‘人吉球磨の霧島神社’調査に付き合いました。shintoさんとは数年前からの付き合いです。考古学(縄文が専門ヵ)ではとても有名な方です。鹿児島の方です。とっても精力的な方です。パワフルです。

 退職されてから専門外の‘霧島信仰’に興味をもたれて調査をしておられます。ひょんなことから人吉盆地に‘霧島神社’の存在を知られて人吉に来られるようになりました。2年ほど前に山江の霧島神社の調査に案内したことがあります。
 私も(なぜ、人吉盆地に霧島信仰?)と思っています。今年になってshintoさんといっしょに調査しながら勉強させてもらっています。今日は相良村に‘上巡り霧島権現’が上川阿蘇神社に合祀されたのでは?という情報があって出かけたのです。上川阿蘇神社もいまは近くの公民館の中に祀られています。総代さん方にお願いして公民館を開けてもらい、仮本殿も開けさせてもらいました。ご神体は(懸け仏)でした。霧島神社に関連するものは見当たりませんでした。俗なるいい方ですが(空振り)でした。shitoさんにはわざわざ鹿児島から来てもらったのに残念なことでした。歴史が断片的にでも伝わっていればいいのですが、完全に‘プチリ’と切れていることがあります。今日の調査では切れてしまっているのではと感じました。

 山江では、3時過ぎに研修で村内を廻るコースに資料館が入っていたので、待機していたのですが、途中で時間が押してどうしても立ち寄れないと連絡がありました。こちらも‘空振り’でした。今日は‘空振り’の日だったのではと思いました。まあ、こんな日もあると思いました。

 今日の天気(

10月5日

2019年10月05日 | 歴史探偵
       
      「やまえのほとけ展」開催中。高寺院の毘沙門天立像です。

 今日から人吉市の成人(老人か?)講座‘花まる学園大学’がはじまりました。今年で8年目だそうですが、私は3年目の参加です。今年の歴史講座のテーマは‘古墳時代’・・4回の講座開催です。今日は「古墳時代における倭王権と人吉球磨」のテーマで熊大の杉井先生の話でした。この先生の話ははじめてでした。約2時間・・前半は‘古墳時代とは’という概要をしゃべられました。古墳時代を前期・・終末期とか聞くのですが、わかりやすく聞くことができました。
 後半は、そのことを前提に、人吉球磨の古墳のことを。私もこの人吉球磨は古代(近世までずっとかも)は特異なる存在だったと思っています。まさしく、クマソの国です。ミヤコから遠いので偏狭な地でヘンな文化があって→そのうちに、ミヤコに吸収されていくのが面白いです。むかしも今も一緒なのかもしれません。
そんな思いをしながら話を聞くことができました。

 百舌鳥・古市古墳群とは違って、そして真似させられていった古墳時代のこの地方のことを想像させられたことでした。しかし、田舎の古墳が故に‘開発による破壊’が進んでいます。山江でも古墳の存在は知られていても、破壊されていてその調査もされていません。とても興味が湧いたのですが、ここにまで手を出したらたいへんかな・・・しかし、そこは歴史探偵家の端黒を自称しているゆえに泥沼に陥らぬように手を出していかなければならないのかと思ったことでした。

 今日の天気( 朝は霧にあふれていました、人吉盆地も霧の季節となりました。すっかりの秋です)

涌泉

2019年10月04日 | 歴史探偵
 人が生活するためには「水」は必要不可欠なものです。2年程前に歴民サークルのtateishiさんが一丸地区の井戸も含めた湧水調査をされたことがあります。その調査をもとに今日は実際に現地調査をしてみました。むろんtateishiさんの案内でです。

 一丸地区は(アゾ山)の麓になります。このアゾ山に降った雨が一丸、味園地区までその恩恵をもたらしています。宅地造成、道路拡張などで現状が見れなくなったところもありましたが、記録にだけはとどめてきました。また、村の上水道が完備されたことや湧水量の減少によって、湧水池が本来の機能を発揮できなくなったり消滅してしまったりしていました。

     

 写真は、天神さん下の湧水池です。まだかなりの水が湧き出ていました。触ってみたら冷たかったです。使われ方はむかしとは違っていても大切に維持されていることを感じました。この場所にも水神さんが祭られておりご幣や塩が供えられていました。「水神」の石塔も見られたし、お祭りしておられるところがもありました。

 湧水池も井戸も残ってはいましたが、残念なことに(水質検査)をすると(飲料不適)になると思われます。もう少し、実態調査をして付け加え、記録には残しておく必要を感じました。また、他の地区での湧水池、井戸の調査もすることで、むかしから住まわれてきた地域のことが明らかになるような気がします。
 9時ころから昼までには終えました。湧水池は、球磨弁では(井川:いがわ)、それが訛って(ゆがわ)などと呼ばれています。面白い調査ができました。

 今日の天気(

歴史探偵ごっこ 2

2019年09月13日 | 歴史探偵
 今日は歴史探偵ごっこに。
 まず、錦町の(一宮神社)へ。昭和52年に建て直された現祠:棟札に書かれてあった人の家に伺いました。不在でした。祠(一宮神社)の近くの人に尋ねましたが「一宮神社の由来」「霧島神社?」のことはわかりませんでした。後日に出直しです。
  
    
               川邉 中嶋神社

 それから、相良村へ。(川邉 上山下の中嶋神社)です。行きつきました。すぐ近くの国道は何度も通って、相良北小時代は7年も通っていたのに、ちょっと入り込んだのは初めてでした。「霧島」という意識は持っておられずに「火の神さま」と言っておられました。

 そして巡り観音へ。彼岸の接待準備で来ておられる方がおられたので(鰐口)のことを聞きました。お堂の中になおしこんでありました。出してもらって写真を撮らせてもらって寸法も計ってきました。
 すぐ近くにあったはずの(上廻り霧島神社)を聞きました。この神社は‘上川阿蘇神社’に合祀されたのではないかと思っています。そんなことを尋ねたら(近日中に上川阿蘇神社は修理するので遷座)ということを聞きました。その機会に本殿を見せてもらえるように話をしてきました。ちょっと尋ねたことが次につながりました。

 昼近くになっていましたが、それから人吉・大柿地区に。ここに(朝日神社)があるのです、霧島神社系です。初めて行ってみました。球磨川のすぐ近くです。おかげでわが家に帰り着いたのは12時半過ぎでした。

         
                 朝日神社

 午後からはパソコン処理・・歴史探偵ごっこで今日はお終いでした。わからないから面白いです。

 今日の天気( 3時過ぎに早めの夕立)

歴史探偵ごっこ

2019年09月11日 | 歴史探偵
      
             相良 白鳥神社

 午前中にFamily歯科に、前歯の真ん中の歯がぐらついています、若ければ抜いてインプラントと云われるのでしょうが、隣の歯とボンド?でくっつけておきます、という処置をされました。私も適切なやり方だと思いました。また、来週です。ある人曰く、人吉でいちばん予約が取れない歯医者さんだそうです。

 午後から鹿児島からshintoさんが来られました。「霧島神社」のことを調べておられます、いまは、(なぜ、人吉球磨に霧島神社がある?)を調べておられます。錦にある(一宮神社)を調べに来られました。消滅か合祀された神社と思われていたのですが、(一宮権現)として小さな祠として現存していました。祠の中を見せてもらいましたが(霧島)という確証されるものはありませんでした。そのあとに、相良の‘白鳥神社’にいきました。私も20年ぶりくらいに行ってみました。「鉄鉾」がありました。(霧島神社)としての証拠?みたいなものです。そのことを初めて知りました。
 shitoさんは私よりも2つくらい年上の方です、一緒のクルマの中でいろいろと話をされました。‘歴史探偵家’の先輩として「すごい」と思いました。その熱心さに学ばせてもらいました。私はまだまだ学ぶ学生並みでした、頑張らねばでした。

 今日の天気( 残暑)

古稀 2日目

2019年09月02日 | 歴史探偵
   

 今日はいつもの病院での薬もらいの日でした。誕生日を過ぎて70歳になったので、これまでの(国民健康保険被保険者証)から“兼高齢受給者証”が付け加えられて3割負担が2割負担になりました。安くなるということは年金生活者にとっては有り難いことです。

 今日は歴史探偵ごっこをしてきました。古仏頂、木地屋、大塚方面です。古仏頂・・こぶっちょう・・と読みます。地名由来は知りたいことです。ここにお堂が2つあって2つともに鰐口が掛かっていたのです。一つには「天保十三寅」と年代が記されてありました。もう一つは無銘でした。隣同士にあるお堂で2つともに鰐口があってビックリでした。
 木地屋のお堂は鰐口を下げるようにはクギがあったのですが下がってはいませんでした。近所の方に尋ねましたが、よくわかりませんでした。また、出かけて他の人に聞かないとわからないようです。一度ですべてが、とは毛頭思っていません。何度も出かけて少しずつ、なのでしょう。しかし、古希の私には何度も行く時間はあんまり無いのが残念なのですが。

 今日の天気(一時)

鰐口展の終り

2019年08月25日 | 歴史探偵
         

 今日で(鰐口展)が終わりました。約1カ月半ほどだったのですが、終わってみたらあっという間でした。しかしこの2~3カ月ほど、たいへん勉強になりました。鰐口の「鰐」の字も書けなかったのにけっこう詳しくなりました。

 今日もほぼ一日、資料館に行っていました。せっかくの機会なので(図録)を作ってみようと思っています。先日、deaiさんにも指摘されたことでした、したがって今日は鰐口の寸法を測りました。総幅何cm、面径何cm、厚さ何cmの3点の寸法を測りました。ついでに写真ももう一度撮っておきました。

 作業が済んだころにお客さんが来られて喋ることができました。学校の先生ご夫婦(新婚さん)・・理科の先生ですが歴史も大好き先生・・企画展常連お客さんです。
 昼からは村内の方お二人・・来てもらってよかったです・・説明もしました、よくわかってもらえたので、もっとよかったです・・・何気なく見ていた、これまで見過ごしていたものに(目をむけてもらう機会)ができたことは、今度の企画展の収穫の一つでした。山江村内だけでなく、人吉球磨にまで拡げたこともよかったです。

 私も引き続き、人吉球磨の(鰐口)を追いかけてみようと思っています。まだ見つかっていない‘中世鰐口’と‘近世鰐口’も調査記録しようと思っています。(あそこのお堂に鰐口が掛かっていた)という情報をお持ちでしたら教えてください。このブログでも(新着鰐口情報)を紹介していきます。

 今日の天気(

鰐口展 1

2019年07月13日 | 歴史探偵
    

 昨日からはじまった‘鰐口展’に出展されている鰐口をちょっとずつ紹介してみます。興味を持ってもらって覗きに来てもらうとありがたいです。今回は32点の鰐口出品(写真展示も含めて)されています。ただし1点は(昭和の終りから平成始め)に盗難にあったと思われる‘淡島観音堂の鰐口’です。(延徳3年:1491年)の銘があったものです。中山観音堂のは協力が得られずでした。湯前の宝陀寺観音堂のは外すときにお堂に傷つけるということで断念(安永3年:1774年)しました。(この2つも写真展示です)
 祭があってまだ借りに行けないところもあるのですが来週中には揃う予定です。

 球磨村の橋詰観音堂の鰐口のことです。永正13年(1516年)に田浦大河内観音に奉納された鰐口です。ところがどういう訳か天文6年(1537年)には(たぶん)今の場所に移されているのです。永正13年陰刻の裏面に天文6年のことが刻まれています。両面併せると96文字が刻されています。今回の展示鰐口でいちばんの銘文文字数の鰐口です。書かれた文字の情報しかありません。‘田浦大河内観音’も現在のどこなのかはっきり分かりませんが芦北町と思われます。
 願主と思われる人名が9名書かれています。(慶順)という書き方ですのでお坊さんかなということしかわかりません。書かれてある文字を読みながら想像力を働かせるしかありません。
 橋詰観音堂の鰐口の文字はよく読み取ることができるからよい方です。しかし、何と書いてあるかよくわからないのもたくさんあります。現在は書かない字で書かれてありのもあります。お手上げです。想像をはたらかせながら読んでいます。楽しみでもあります。

 今夜はまた警報が発令されました。夕方前から大雨です。

 今日の天気(

はじまり!

2019年07月12日 | 歴史探偵
    

 いよいよ今日から「球磨人吉の中世鰐口展」をはじめました。ようやく、やっとこさで始めることができました。中世鰐口が人吉球磨内に25口あることを把握しています。残念なことに(中山観音堂)は断られました。趣旨を理解してもらえなくて残念でした。

 内布は私どもで外すことができなかったので昨日紹介したcarpenterにお願いして近日中に行く予定です。昨日のようにうまく取り外せればいいのですが。中林は15日がお祭りだそうで16日に借りに出かけようと思っています。というわけでほとんどの中世鰐口に来てもらうことが出来そうです。天授7年(1381年)が一番古いものです。室町時代:足利義満の時代のものです。638年前です。

 実物を見ながら写真を撮らせてもらいながら(書かれてある文字:銘文)を読んでいます。青銅製がほとんどです。陰刻して文字が書かれています。上手く彫れていないところは読みにくくなっています。悩ませるところです。間違い字もあります。「寄進」の「寄」を「竒」と書かれてあるのもあります。
 今日から8月25日まで展示しています。これだけのものが揃うということはまあないはずです。どうぞ、一見を。ブログでも紹介していきます。

 今日の天気(一時