右脳と左脳の広場

人間の能力の全面的な開花をめざし、さまざまな話題を提供します。

フランス人との会話

2007-03-29 12:41:58 | 語学
 宴会で運よくフランス人の隣に席を取ることができたので、さっそくフランス語をためしてみました。
「はじめまして」「私の名前は・・・です。あなたは?」「私はパリに行ったことがあります」「私はオペラ座でモダンバレーを観ました」「私はルーブル美術館に行ったことがあります」「私はオルセー美術館にも行きました」「私はパリ・ミュージアム・パスを使いました。それは大変便利でした」「あなたと話せてとてもうれしい」
 一応通じたようですが、ここまで来たら種切れになって、これ以上フランス語で会話するのが困難になりました。そこで英語に切り替えてもらっていろいろなことを話しました。
 この人、大変な黒沢明ファンで「彼は世界の中で最も偉大な映画監督だ」と言っていました。フランスでも黒沢作品はは大変人気があるようです。「影武者」「乱」「七人の侍」などが話題になりました。「生きる」という作品を彼は高く評価していました。これは少し意外だったです。「生きる」はその後の黒沢の作品とはずいぶん違いますから。社会派というかリアリズムというか、そういう作品です。
 フランスの文化についてもずいぶん話しました。ゾラ、ユーゴー、モーパッサン、サン・テグジュペリ、プルーストなどが話題になりました。
 フランスでは、芥川の作品や「宮本武蔵」(多分吉川英治二の作品でしょう)などが人気があるようです。驚いたことに「宮本武蔵」は全巻読んだそうです(もちろんフランス語版で)フランス映画を話題にしたのですが、原題を知らないので通じない作品もありました。

 久しぶりの英語だったのでしどろもどろだったですが、相手も英語ネイティブでなく、つっかえたりするので案外リラックスして話せました。途中からフランス人の向かいに英語ができる人が座ったので三人で話したということもあり、二時間喋りっぱなしでしたが、それほど疲れは感じませんでした。

 一応コミュニケーションはとれて内容的には非常に面白かったのですが、やはりフランス人とはフランス語で話したいですね。これだけのことをフランス語で話すためにはあとどれだけ勉強しなければならないのでしょう。中国語がひと段落したらまたフランス語にもどりましょうかね。フランス語の能力の飛躍的向上には、やはりフランス語で作文をしなくてはいけないような気がしています。自分の小説をフランス語に訳すのが一番いいかもしれません。英語に訳したものがいくつかあるので、それをGoogleなどの自動翻訳にかけると一応原案ができるのでそれを修正していくのが一番近道かもしれません。

久しぶりにフランス語です

2007-03-28 18:13:48 | 語学
 今日は夜宴会があるのですが、そこにフランスからの留学生がくる予定です。
この人と話してみようと思って、少しフランス語を思い出しています。さすが、右脳で記憶した(はず)なので、かなり覚えています。

 しかし、フランスへ行ったことや、観たものを話題にしようとすると、「過去形」にしなければならないのでこれが厄介です。初級テキストの文章は大部分現在形だったのです。
 まあ、あんまり頑張らずに、気楽に話しかけてみましょう。「はじめまして」「私のなまえは・・・です、あなたは」「私はフランス映画がすきです」「あなたと話せてうれしい」「ありがとう」「じゃああとで」くらいは言えそうです。
 
 フランス人は懸命にフランス語を話そうとする人に会うとすごく喜ぶそうですから、とにかくやってみましょう。そう言えば、フランスに行った時、オペラ座では周りの人がすごく親切にしてくれました。フランスの文化に触れようとする人を大歓迎していたのでしょう。

右脳的中国語学習

2007-03-22 19:05:04 | 語学
 30個の短いセンテンスはほとんどさっと口からでるのだが、いくつかはさっと出ない。たとえば「我是在美国的唐人街長大的」(私はアメリカのチャイナタウンで育ちました)という文章を諳んじようとすると、美国的あたりまでくるとあとはさっと最後まで口から出るのですが、どうもその前がモゴモゴします。

 おそらく「我是・・・」(私は・・・です)はいろんな文章を覚えているので、
「我是」のところでどれだったか、ちょっと迷うのでしょう。
 単独ではどうしてもこの部分がスムーズでないのですが、この前に「あなたはどこで中国語を学んだのですか」という文章をつけると、いくぶん迷いが緩和されます。前の文章を諳んじている間にその次の文章の検索の準備が進んでいるのでしょうか。

 昨日、ある集まりで中国で生活したことのある人といっしょになったので、中国語のことを話題にしたのですが「日本」(ri ben)の発音をやってみせてくれました。「r」の発音がよくわかりました。私のはまだ日本語の「りー」に近いそうです。

中国留学生との対話

2007-03-20 12:29:52 | 語学
 中国からの留学生の人は本当に勤勉で、一日中端末に向かって集中しているので話しかけにくいのですが、昼休みならいいだろうと思って、時々割り込んで話すことにしています。今朝、留学生の人が日本語で「上海より寒い、特に夜は寒い」と言っていたので、これを中国語にして、例によって紙に書いて持って行きました。
「東京的冬天比上海更冷。晩特別冷。」これを読み上げたのですが、なんだかゴツゴツして少しも中国語らしく発音できませんでした。
留学生の人が「晩」のとことは「晩上」とした方がよい、と言ってくれました。

「特別」の発音がよくわからなかったので訊ねると「トゥービェ」(カタカナではこう書くよりしょうがないのですが)だそうです。ピンインだと「te bie」で、CDで聞くと「クービエ」に聞こえたのですが、「トゥービェ」納得です。ピンインの「e」は難しい発音ですね。この母音に引っ張られて子音が聞き取りにくくなるようです。

 しかし、一人で口に出しているときにはかなり滑らかに発音できているのですがいざ、中国の人と話そうとすると急にぎこちなくなります。緊張によって右脳が引っ込んでしまうのでしょうか。どうも実力が発揮できないですね。紙に書いた漢字を読もうとするので左脳が取り仕切ってしまうのかもしれません。いっそ紙はやめたほうがよいのかもしれません。
 そう言えば、この感覚はカナダの留学生と英語で喋ったときも味わったものでした。

右脳的中国語学習

2007-03-16 06:48:03 | 語学
 右脳的中国語学習がいよいよ効果を発揮しはじめたようです。やはり気に入ったセンテンスを切り出して集めたのがよかったようです。約三十くらいのセンテンスですから、一回聞くのに3分くらいです。一回じゃ物足りないので二回聞くことにしています。中には漢字にして12文字の少し長めのものもあるのですが、こういうセンテンスも、はじめの一文字が始まると、頭の中で最後の文字まで一直線に行ってしまう感じです。まったく迷いません。

 フランス語やイタリア語よりよほど確実に頭の中から出てくる感じがします。中国語の独特のリズムや高低は、左脳に付け入る隙を与えず、右脳の独壇場になるのでしょうか。

 気に入ったセンテンスの切り出し追加はちょっとやっかいですが、こんなに吸収がよいなら、そんなこと言ってられませんね。

 しかし、今は30くらいのセンテンスですが、このやり方を拡大してたとえば1000くらいのセンテンスでもこういう風に覚えられるものでしょうか。もしそうなら、どんな言語も半年たらずでそれこそ「ぺらぺら」になるのではないでしょうか(もちろん読み書きは別に勉強するにしても)。さあ、やってみよう。

クラスメート有名人

2007-03-14 18:02:19 | Weblog
 昨日、桂利行君のことを書いたので、ついでと言っては何ですが、高校の同じクラスだった大学の先生を紹介しておきます。三年間組替えがなかったので、高校で知っているのは、ほとんど一つのクラス(B組)の人だけです。
 北海道大学の法学部に高見進という教授がいます。この人、東大の在学中に司法試験に通ったので弁護士になるのか、と思っていたのですが、大学に残りました。それから、柴田直君は出身は阪大ですが、今、東大の教授です。それから高田健治君は今、阪大の歯学部長だそうです。他にもいるはずですが、消息を知りません。

 高見君と柴田君は二人とも高校で生徒会長をやった人です。
 私の高校は全国的には少しも有名ではありません。また、「おとなしい」校風なので政治家や実業家ではあんまり有名な人はいませんが、学者はたくさんいるようです。私にとっては楽しい学校でした。あっそういえば同じクラスに滝哲郎という人がいて、この人は日本生命の常務(だったと思う)をやっている思います。

 私、小説にけっこう高校時代のことを書いています。
長編では「暗闇の応援歌」、短編では「矢口先生の困惑」 「校内球技大会」 「夏休みの前日」 「音展合唱コンクール」などです。
小説の目次はこちら、ホームページはここです。興味のある方はどうぞ。高校生活の資料的なページはこちらです。私の描いたスケッチなどもあります。 

桂利行君のこと

2007-03-13 17:35:11 | Weblog
 週刊誌に有名大学教授の出身高校という特集が載っていました。東大の理学部の数人の有名教授の中に桂利行君の名前がありました。西宮の高校で三年間同じクラスだった人です。なにやら懐かしい気がしました。
 この人、高校時代から本当に勉強が好きでしたね。特に数学がよくできたです。「大学への数学」などの雑誌に投稿し、模範解答として掲載されていたようです。中学のときは卓球のクラブをやってましたが、高校に入ってからは、一線から退いたみたいです。
 この人のテスト前の勉強の仕方に特徴があったことを覚えています。ノートを隅から隅まで視覚的に覚えていたようです。試験のあと、あの問題は確かノートの右上の方に書いてあった、とかなんとか言ってましたから。

 なんと言うバカげた勉強法だろうか、とその時は思いましたが・・・。

世界ウルルン滞在記

2007-03-12 18:06:06 | Weblog
 日曜の夜、「世界ウルルン滞在記」という番組を見た。俳優の忍成修吾が、フランスの銀食器ブランド、クリストフル社の工房で“銀のアート”に挑戦する様子が映し出されていた。

 一番興味深かったのは、この工房の職人さんたちの雰囲気である。創造性をサポートする思いやりに溢れた仕事場をうらやましく思った。力仕事と芸術性が入り混じった健康な空気を感じが、そういえば、ダ・ヴィンチもミケランジェロもこのような空気の中で仕事をしていたのではないか、とふと思った。

 アトリエの責任者は、忍成のその日の様子を絵入りでユーモアたっぷりに黒板に書き留めていた。さすがフランス人。

右脳と自信

2007-03-07 18:44:54 | 心理学
 若い頃には頼りなげで、特に「優れている」という感じでもない人がある分野に精通すると、人が変わったように他のことにも能力を発揮し始めることがある。

 普通これは「人は自信を持つことが大切だ」とか「一芸に秀でた人間は他のこともできる」といった言葉で表現される。

 右脳を研究している私としては次のような解釈をしたい。

 ある分野(たとえ小さくても、またマイナーであっても)に精通すると、おそらくその分野では、全体と部分の区別がつき、あるいは全体をとらえる必要にかられ、その能力が養われるのだろう。知らず知らず右脳が働くことになり、右脳の協力を得た頭の使い方ができるようになるのではないだろうか。

 立場が能力を養う、という現象もよくみかけるが、全体を見る必要のある立場に立つと、右脳が働かざるを得ず、それが新たな頭の働かせ方を体得させるのではないだろうか。

多言語習得者と数学者

2007-03-02 12:30:20 | 語学
 多言語習得者として有名なピーター・フランクル氏は数学者でもあります。あんなにたくさんの言葉を操れて、しかも数学者なんて、どんな特殊な頭をしているのだろう、とうらやましく思います。私の身近にも多言語習得者で数学者の人がいました。数学者としても一流だったですが、言語はラテン語サンスクリット語を含めて18カ国語くらいできました。ただしこの人の場合は喋るより読み書きが中心でしたが。ほかにも十数カ国語が話せる人が身近にいます。この人もやっぱり数学ができます。それから方向感覚が非常にすぐれています。ただし日本語の文章を書くのがあまり得意ではありません。もちろん研究者ですから普通の文章は書けるのですが・・・数学のできる人は左脳を中心に考える人だと思われがちですが、学者レベルになると右脳も働かないと思考の速度が遅くて通用しないのかもしれません。

 これらの多言語習得者の行動パターンを観察しているとやはり右脳が強く働く人たちであるように思います。多言語習得と右脳の働きとの理論的な関係はまだよくわからないのですが、現象的に相関がありそうです。もちろん、この人たちは私のように右脳的習得法によって多言語を習得したわけではありません

 私の場合はどうかというと、もともと典型的な左脳人間で、右脳の研究をやっているうちにだんだん右脳が使えるようになってきました。少し困っているのは、日本語の文章が前ほどスムーズに書けなくなったことです。ですから小説を書く速度が遅くなっているのですが、まあ、全く書けないということでもないので、このまま右脳のトレーニングも続けていこうと思います。