右脳と左脳の広場

人間の能力の全面的な開花をめざし、さまざまな話題を提供します。

右脳的英会話

2006-02-23 11:19:46 | 教育
 留学生と、ある話題について話そうと思うときには、一応準備をする。話題について必要な単語を和英辞典で調べ、言い回しなども考える。

 それから、そのことを一切忘れて(ここが大事)、留学生と向き合い、「ハーイ○○」と気楽に呼びかけ、こちらから話題を持ち出す。

 終わってみると、大体よく話せている。相手の言うことも、言葉を追うのではないのだが、よくわかっている。実際、「終わってみると」という感覚なのである。話している時は、夢中で、普通の状態と違っている。もとの感覚に戻るのは、話が終わった時である。多分、右脳が主導権をとっている状態なのであろう。

 こちらから話しに行くときはたいていうまくいくのだが、廊下でばったりあっていきなり向こうが話題を提供してくる場合など、まったくうまく対応できないことがある。ドギマギしてさっぱり言葉がでてこない。英会話がぜんぜんできなかった頃の状態にもどったような感覚である。

 これは、おそらく左脳が強力に右脳を抑え込んでいるのだろう。右脳の厖大なデータベースも、素早い検索機能も何も利用できなくなっているのだろう。英語に関しては全く別人になる。よく話せたり、全く話せなかったりで留学生もとまどうだろう。

インナー・ランゲッジ

2006-02-22 18:11:08 | 教育
 前に、T.ガルウェイのことを書いたことがある。ハーバード大を卒業してテニスコーチとして有名な選手を育てたコーチングの草分けのような人である。
 インナー・テニス(インナー・ゲーム)、インナー・スキー、インナー・ゴルフそしてインナー・ワーク、インナー・ミュージックと言った著書がある。右脳と左脳との対応でいうと、ガルウェイの理論は、いかに左脳を黙らせ、右脳を解放するか、にある(本人はそういう単純化をきらうが)。テニスにおいては、ラケットが玉に当たるときの音に意識を集中することによって右脳を解放する方法を紹介している。

 インナー・ゲームを外国語の習得に応用する方法を試みようと思う。とりあえず、英語のリッスニングにおいて、邪念(翻訳など)をなくし、ひたすら言葉に「身をゆだねる」方法を追求してみる。
 私の方法は、英語においてしばしばあらわれる、摩擦音に着目し、リスニングでこの音に出会ったら、その口の形をつくり、あたかも自分の口から出ているように想像するのである。こうすることによって、邪念をはらい、ひたすら音を聴くことに集中できるような気がする。

まだ試みの段階だが、成功すれば、インナー・ランゲッジとでも名づけたい方法である。

 

体験の共有と言語の獲得

2006-02-21 18:10:28 | 教育
 ヒッポ・ファミリー・クラブでは、「遊び」を中心にして言語獲得を目指すようだ。私は、常々、体験の共有は言語を獲得する近道であると考えてきた。

 たとえば、目標とする言語を喋る人と何かいっしょに行動すると、共通の体験が得られる。森の中を一緒に歩くと、静かだったり、怖かったり、寒かったり、いろんな物が見えたりする。その時、目標言語を話す人が発する言葉をそのまま真似すると、五感から得られた情報と言語が一度に結びつく。これは体にしみついた言葉になるだろう。「遊び」はそういう要素を強く持った行為である。したがって、英会話学校で、ただ机の前に座って「言葉」だけでトレーニングするよりも深いレベルで言語が獲得できるのではないだろうか・・・
 留学生が来て、一緒に実験したり、旅行に行ったり、日常生活をともにすると、語学力が飛躍的に伸びるのはこういう理由であると思われる。

 もちろん、遊ぶだけでは日常的な会話が「話せる」ようになるだけであろう。読み書きを覚えるのは、文法も含め、別に勉強しなければならないのだろうが、喋ることができると、読み書きの理解を大いに助けるだろう。

 一方、言語速習システム「サジェストペディア」の方は話すだけでなく、一月の間に一応読み書きもできるようになると宣伝されている。無意識の中で文法をも暗示する方法がとられているのだ。

ヒッポ・ファミリー・クラブ

2006-02-20 19:04:47 | 教育
 街の電信柱によく「ヒッポ・ファミリー・クラブ」の宣伝ポスターが張ってある。「七ヶ国語を話す、日常がある」という風に書かれている。最初はどういう団体かわからなかったのだが、インチキ集団ではないようだ。遊びの中でとにかく喋ってみる、というやり方のようだ。インターネットで体験者の声などを聞くと、評価は分かれている。不満は、お金が高い(二十万の教材と月一万の参加費?)、労力をとられる、講師がいないので正しく話しているかどうかわからないなど・・・。評価する意見は、子どもといっしょに楽しんでいる、口から多言語が思わずでるようになった、コミュニケーション能力が高まった、国際交流ができたなどなど・・・

 ボランティア団体であるところがいいところだが、お金がかかりすぎると、参加したくてもできない人がいるだろう。言語獲得を研究する機関と結びついているのはよいところだ。内容は、詳しくはわからないが、案内などを読むと、やはり右脳の開発と関係がありそうだ。リズム、歌、聞こえたままに発声する能力などなど・・・。また、前に書いたが、言語速習システム「サジェストペディア」からもヒントを得ているところがあるのではないだろうか。

 一つの外国語を学習するよりたくさんの外国語を同時に学ぶ方が楽である、という主張は注目に値する。一度講演会などを聴いてみたいと思う。

速音読、効果有り

2006-02-16 14:16:20 | 教育
 思いきり早く英文を音読するやり方がかなり効果をあげているように思います。まだ数日実行しただけなのですが、ネイティブ向けの英語放送がずいぶん聞き取りやすくなりました。(気のせいだったりして・・・)
 もし、本当なら、トレーニング法として非常に興味があります。とにかく続けなくては、と思います。音読はすいた電車の中でやるのですが、近くにいる人は変に思うかもしれません。しかし、トレーニング法としては画期的なものが発見できるのかもしれないので、少々のことは目をつぶってやってみます。

別件。昼休みにカナダの留学生の人と話しました。話題は「御神渡り」「神戸空港」「カナダの政権交代」など。川口湖に行ったというので「Was it cold?」と訊いたのですが、これが通じません。複雑な話は結構通じたのに、こんな簡単な言葉がどうして通じないのか、と不思議に思いました。後でわかったのですが、coldを私は「コールド」と発音していたようです。「コウルド」といわないといけなかったみたい。「ワズ イット コールド」では「それは呼ばれましたか」になってしまうのかもしれません。一つ勉強になりました。


 

なぜ、英悟は速くなると聞き取れなくなるのか

2006-02-14 15:12:19 | 教育
 喋る言葉が速くなれば聞きとりにくくなるのは当たり前、と思っていたが、イタリア語の勉強をはじめて認識を新たにした。前にも書いたが、イタリア語の場合には速くなっても音として聞き取れない、聞き取りにくいということが起こらない。
 同様に、日本語の場合も、どんなに速く話しても標準語であれば、音として聞き取れないということはまずおこらない(意味がわからなくなることはあるが)。

 英悟でこういうことが起こるのは、速く話すと、ゆっくりと話す時とは違った音が現われるためではないか、と考えるに至った。一つ一つの単語をゆっくりと話す時とは違った音が、特に単語のつながりの部分で発生するのではないだろうか。

 もし、そうだとすると、これは私にとって少しやっかいだ。この歳になるまでほとんど耳にしたことのない音を聞き分けるのは、かなり難しいことなのだろうから。

 しかし、何か対策を講じて、チャレンジしてみたい気もする。

 どこかで「自分が話せない音は聞き取れない」というような言葉を聴いたような気がする。会話学校の宣伝だったかもしれない。とりあえず、これを信じて、「高速音読」にチャレンジしてみることにした。

 テキストは「お経のようにひたすら唱える」ための中学教科書から少し格上げして高校の教科書にしてみた。高速で音読するのに妨げとなる一切のものを廃する工夫をした。「うまくよもうとしない」「滑らかでなくてもよい」「時に乱暴に」
「長い文章はぶった切って読む」「時にしゃがれた声で」「わざと間違ってみたり」「ネイティブの実況中継を思い浮かべて」・・・・とにかくひたすら速く音読してみる。しばらくやってみよう。

英語の聴き方

2006-02-14 13:34:26 | 教育
 大体毎日英語のニュースを聴くことにしているが、最近面白い聴きかたを試みている。ネイティブ向けのニュースのような速い英語を聞いていると、日本語に置き換えようと頭が必死で単語を追いかけがちだが、こういうやりかたと全く違うやりかたを実行している。

 「意味をとる」ことを忘れるのである。英語の美しさ、力強さ、心地よさ、そういうものに身をまかせる、とでもいうのだろうか。これによって、英語としての言葉をそのまま吸収することができるような気がしている。日本語に置き換えるということを全く意識しなくても、言葉が英語として聞こえると、少し遅れて日本語としての意味がポツ、ポツと頭の隅でわかる。もちろんこれも、意識して訳そうとか日本語に置き換えようということはやっていない。
 「意味をとることを忘れる」というよりはいっそ「意味をとることを禁じる」と表現したほうがよいのかもしれない。

 定量的な比較はしていないが、こうして聞く方が、結果としてよく意味がとれるように思う。「意味をとろう」としないことが、緊張をやわらげ、「あせり」のようなものをなくしていることも良い結果につながっているのかもしれない。


 もう一つ、この方法のいいところは、「飽きない」ところである。BBCなどの英悟ニュースを聞いていることが少しも苦痛にならず、いつまで聞いていてもいやにならない、それどころか「止めたくない」と思うほどである。

 右脳、左脳との関係で言うならば、右脳で聴くことに集中し、後は、情報が左脳に送られて処理(翻訳)するのを無意識下の処理に任せている、ということになるのだろう。

イタリア語辞書

2006-02-10 16:51:44 | 教育
 小学館の「ポケット プログレッシブ 伊和・和伊辞典」を買った。ポケット版とは言え、かなり厚い。この辞書を買ったのは、小学館の「ポケット プログレッシブ和英辞典」がとても使いやすかったからである。有名な小学館の緑の辞典(伊和中辞典)と赤の辞典(和伊中辞典)も魅力があったが、伊和辞典は白水社のものが手元にあるので、今回は旅行用に携帯版を買った。

 パラパラと繰っていると面白い言葉が見つかる。amico というのは友達、味方といった意味があるが、反対語は nemico である。いっぺんに覚えられる。またcoda というのは音楽で使う用語であるが、もともと「しっぽ」という意味だ。音楽での用法もなるほど、と思う。

 辞書を繰っているうちに目に留まった単語が、見覚えのある絵を想起させることがある。「いっそイラスト イタリア単語帳」の効果である。