右脳と左脳の広場

人間の能力の全面的な開花をめざし、さまざまな話題を提供します。

文化と歴史で学ぶフランス語

2006-04-27 06:53:51 | 教育
小倉博史という人の書いた「文化と歴史で学ぶフランス語」(丸善ライブラリ)という本を図書館で借りた。

 フランス語の成立過程などがよくわかって面白い。英語はフランス語からたくさんのの言葉を取り入れたため、とても単語数の多い言語である、との記述があった。日本人にとって、英語は何重にも学びにくい言葉である、とあらためて感じた。

 英語の中で不自然な発音をする単語は、フランス語から来ているものが多いようだ。

 この本の中には例文が豊富に載っていて、それを覚えれば役にたちそうだが、発音にいまひとつ自信がないので、やはりCDの付いたものから始めようと思う。

 昨日、中国出身の研究者と話した。西安出身だということだった。西安といえば、大昔の長安ではないか。奈良や京都やが手本にした街であるし、長く中国の首都であった都市である。

 話を聞いているうちに、中国にも行きたいと思った。中国語は漢字中心(というより漢字のみ)なので、ハングルにくらべれば、とっつきやすい気がする。本格的に学ぶ下準備のようなことを始めたいと思っている。

攻勢的ヒアリング

2006-04-25 18:04:38 | 教育
 ネイティブ向けの英語放送を聴いていると、やはり聞き取れないところが多々あるのだが、話し手の言ったことを頭の中で素早く自分のことばで繰り返すと、認識率が上がるような気がする。これはいわゆるシャドーイングとは違う(声を出すわけではないので)。

 ただ一心に聴いている方が聞き取れるように思えるのだが、実践的にはそうではないようだ。声にださなくても、繰り返すことはヒヤリングの妨げになるように思うし、実際、繰り返しに気をとられて、聞き逃すこともたまにある。


 繰り返しができる、ということはその単語が認識できたからではないか、とも思うのだが、不思議なことに、よく聞き取れなかった言葉でも頭の中で何とか無理してそのまま繰り返すと、自分にわかる響きがもどって、聞き取れることがあるのだ。頭の中で繰り返すことで、話者のリズムのようなものが、自分に乗り移り、そのリズムの中で単語が聞き取りやすくなる、ということもあるようだ。

 実際の会話になれば、相手が話しているときは、次、どう話そうか、と考えなければならないので、このような方法は使えないかもしれない。

 しかし、この方法によってかなり聞き取りの割合が上がっているようなので、勉強方としては注目すべきことであるように思う。

シャドーイングと右脳

2006-04-21 12:53:04 | 教育
 シャドーイングは発音の改善、リズムの会得などの理由で推奨されているが、私としては右脳との関係で考察してみたい。

 シャドーイングをすると、話者の言葉を頭の中に自分の声で残すことになる。この自分の声に対してその後の処理(特徴抽出や検索、同定など・・・)を行えば、さまざまな他人の声に対して処理を行うよりよほど楽なのではないだろうか?

 自分の声は、たとえ外国語であっても、もっとも聴きなれたものであり、サンプルそのものが、たとえば右脳にそのまま残っている可能性も高い。右脳が活躍する余地が広がるのではないだろうか?

 確かにシャドーイングが出来たときには、意味が格段にとりやすい。右脳派としては、シャドーイングを取り入れてヒヤリング能力を向上させる実験もやってみたい気がする。

ヒアリングと右脳トレーニング

2006-04-21 12:50:36 | 教育
 考えてみれば、ヒアリングというのは実に複雑な頭の働きである。話し手も言葉の調子も千差万別、それを同じ単語、同じセンテンスと認識するのは、一体どんな過程を経るのであろうか。音の特徴をとらえ、言葉に変換し索引する右脳、左脳総がかりの過程であろう。簡単な右脳トレーニングがヒアリングの向上に寄与できないのも無理からぬことであるのかもしれない。

 もし、ヒアリングに右脳トレーニングが大きく貢献するとすると、こういうモデルが考えられる。右脳は、言語を音としてとらえるのが得意だ。しかも何でもかんでもそのまま記憶するのが得意だ。非常に多くの話し手の言葉を聴いてそのまま覚えれば、新たな話し手の言葉も類似品を見つけ出すことが容易になるのではないだろうか?
 結論的には、ヒアリング能力の向上のためには、できるだけたくさんの人の言葉を聴くという常識的なところに落ち着いてしまってつまらない気がするが・・・

 もし、特定の人とだけ会話をするのなら、右脳はずっと言葉を聞き取りやすくなるだろう。これは思い当たるところがある。
 ネイティブ向けの放送のヒアリングはなかなか向上しないが、留学生との会話では、最近聞き逃すことが少なくなった。
 

外国語習得における右脳のすばらしい役割と限界

2006-04-21 12:18:39 | 教育
 私が右脳的に英語の記憶を再編して以来、一番顕著な現象は、「調子のよいときには、あふれるように英語が口から出てくる」ということである。これは、右脳トレーニングを行い英語のセンテンスの記憶を右脳的に再学習する以前には、決して実現しなかったことである。こういうことが話したい、と思った(日本語で思ったかどうかもわからないのだが)瞬間に英語が口から出ている。

 英語に関して言えば、この学習の前後であまり変化しなかったものもある。それはヒアリングの能力である。言葉にこだわらずに、全体として何を言っているかがさっとわかる時もあり、これなどは右脳がヒアリングの能力向上に寄与してはいるが、スピーキングにおける無意識的検索の有効性にくらべるとやはり影がうすい。

 ヒアリングも、結局は相手の言った言葉を自分の頭の中で検索する過程があると思われるので、右脳のトレーニングは役にたっているはずなのだが、どうもスピーキングほど効果が顕著でない。

 ヒアリングは、検索以前に相手の言葉がまずそのまま聞き取れないといけないのだろうが、早い会話では、私のこれまで聴いたことのない音があらわれて、それを聴きそこなうのかもしれない。もし、音として正確にとらえることができるなら、その後の検索は右脳が働けば非常に有利なはずなのだが・・・

 まったく新しい言語を学ぶ過程では、ヒアリングにおける右脳の貢献は顕著である。しゃがれ声、悲痛な言葉、得意げな言葉など、感情のたっぷり入った、あるいは奇異な言葉、センテンスは、一度聴いたら忘れられない。いやでも頭にくっついてしまう。しかし、実際の会話になると、相手はしゃがれ声や感情たっぷりの言葉で喋ってくれるとはかぎらない。この段階になると、ヒアリングにおける右脳の貢献は劇的でなくなるだろう。
 

短期フランス語独習法

2006-04-19 18:32:21 | 教育
 名詞、動詞の区別もつかず、ただ頭の中にしまいこんであるフランス語のセンテンスを有効に活用する勉強法を実行している。幸いテキストがあるので、覚えている一続きの短いセンテンスを、発音と意味から読みほぐしている。「ああ、こういうことだったのか」と納得することが多い。

 最初に音だけから入り、それを覚えてしまってから、文字に向かうのは母国語を習得する方法ににている。総合的にみれば、結局このほうが早い学習法であると思われる。文字の読み方を勉強しても、それによって、覚えこんでしまったセンテンスの発音が悪い方向に影響されることはほとんどないことがわかった。

右脳と疲れ

2006-04-18 12:38:07 | 教育
 発音を覚えるため、NHKのラジオ講座のCDを聴きながら該当する部分のテキストを目で追っているが、これは非常に疲れるし飽きる。CDだけを聞き流していた時は、疲れたり飽きたりということがなかったのだが、やはりこれはテキストを読む時に左脳が強く働き始めるためだろう。

 発音は少し慣れてきた。母音が重なるときにそれを一つの音で表現する、というのがユニークでもあり、迷うところだ。au がオ、ai,eiがエなどなかなか難しい。

 繰り返し聞いた音声がかなり頭の中に残っているので、CDを聴かずにテキストだけを見ていく方法もかなり有効そうだ。

 しかし、細かい発音を気にすると、たどたどしくなって、少しもフランス語らしくなくなってくる。話すことと読み書きは別物ととらえ、いずれ、それぞれをなかば独立にやってみるつもりだが、とりあえず、発音を覚えるために発声と文字の融合を行う。

 CDに非常の多くの例文が入っていれば、喋りたいことほとんどをそのまま耳から覚えてしまう手もあると思う。しかし、そういうCDが手元にあるわけではない。基本例文を覚えて、名詞や動詞お置き換えて練習し、実用的なフランス語を習得していきたいと思うが、発音規則を知らないと、この置き換えさえもうまくいかない。リエゾンなどが起こるし、置き換えた対象をどう発音するか確信がないからだ。

 それにしても、フランス語とイタリア語は良く似ている。似ているとかえって混乱する。イタリア語からの類推を使う方法もあると思うが、とりあえずイタリア語のことは頭から追い出して、フランス語に専念してみよう。


「超」フランス語入門

2006-04-17 10:27:30 | 教育
 西永良成氏の「『超』フランス語入門」を買った。発音についても要領よく書かれている。
 カタカナ(一部ひらかな)が添えられていてありがたかったのだが、私がラジオ講座で耳から覚えた単語の響きとずいぶん違うものがある。さて、どうしたものか。発音の規則などは非常にためになったが、カタカナは細かく追わない方がよいのだろう。おおきな間違いをしないためのガイドというかガードというか、それくらいに考えておくとよいのかもしれない。

 私の頭の中には、わけもわからずに覚えたたくさんのセンテンスがある。どれが動詞やら名詞やらわからぬまま、しかし、口からさっと出るようになっている。この「財産」を有効に生かすやり方はないものだろうか。

 CDに対応するテキストは一応そろえてあるので、CDを聴きながらテキストを目で追ってみようか、と考えているのだが・・・。
 

フランス映画と語学

2006-04-11 15:12:44 | 教育
 語学学習のためという口実で最近フランス映画を見ている。帰宅経路にある図書館はLDやDVDが豊富なので、週に二回くらい閉館間際に寄り、一つの映画を細切れに鑑賞している。

 先週は「マルセルの夏」というのを見た。プロバンス地方が舞台となっていたが、なかなかの名作である。原作を読んでみたが、これほど原作に忠実な映画というのも珍しい。せりふの細かいところまで原作通りである。

自分で持っているフランス映画は「他人のそら似」「天井桟敷の人々」「レ・ミセラブル」「クリムゾン・リバー」くらいだろうか。これらも見直してみたい。

 ヘミングウェイの「父」という作品にはミラノからパリに移住する父子のことが書かれていて、子どもは「フランス語はやさしい言葉だ」と言っている。英語やイタリア語の喋れる子どもにとっては、友人に交じってフランス語を喋ることは難しくないことなのかもしれない。

フランス語の勉強法

2006-04-05 10:36:20 | 教育
 もともと、私が外国語学習法と右脳トレーニングを結びつけるきっかけとなったのがフランス語であった。NHKのラジオ講座にガブリエル・サントニというすばらしい講師の方が出ていて、この人のフランス語を聞きたいのでCDを買った。暮れに年賀状を作りながら、このCDを何度も繰り返し聞き流していると、突然頭の中でフランス語の会話が鳴り響き、それがいつまでも持続した。
 エビングハウスの忘却曲線にまったく従わない記憶の存在を私は実感したのである。

 イタリア語は一休みして、再びフランス語に取り組もうと思う。フランス語の完全な右脳学習はちょっとやっかいである。初心者には文字と発音がすぐにむすびつかないのである。イタリア語では見事に成功した「ひたすらお経のように唱える」方法が使えない。経文が読めないのである。

 さて、どうするか。とりあえず、文字の読み方を少しずつ勉強してみよう。イタリア語では「話せるイタリア語」というすばらしい教科書があったが、これに相当するCD付きの教科書を見つけることが先決であるかもしれない。