最高裁司法研修所が裁判官と市民(将来の裁判員候補)に量刑関係のアンケートをとってみたところ、少年の刑について両極端な結果が出たそうですね。
裁判官は9割が軽くする、としたのに対し…
市民の方は半分が同じ、25%は「むしろ重くすべき」としたのだそうです。
7割以上の市民が少年の刑を軽くする必要はないと考えているわけで、少年法の理念が全く受け入れられていない、ということですね。共同通信の配信記事にもありましたが、「裁判官の常識が通じていない」ということで興味深いです。
ただ、この調査ではそこまで突っ込んだことは考えていないでしょうけれど、どうして重くすべきか、という点まで考えている人はそんなに多くないんじゃないかなという気はします。
要は、現在は少年の刑を軽くするということで、だから少年が頭に乗っているんだという反発心が強いから重くすべきだと言っているんじゃないのかなと思うわけです。
敢えて重くしなければならない理由は特にないですからね。
いやま、ないことはないですよ。例えば刑罰をあくまでその人間の人生の何割かを浪費させることで反省をさせるものと考えるとすればですね。例えば平均寿命を80歳とすると、15歳の人間には65年間残っていて、60歳の人間には20年しか残っていない。
その上で、窃盗罪なんかですと、その人間の残り人生の2割くらいを贖罪に費やすべきだなんて考えに立ったとしたら、15歳なら13年、60歳なら4年、という風になるわけですね。この考え方にたてば確かに少年の方が、というか若い人間の方が刑を重くすべきということになりそうですが、でも、こういう風に考えている人はいないんじゃないですかね。
結局は少年犯罪が増えているから、厳しく取り締まるべきだという発想なんでしょうか。実際には少年犯罪の重大事件の数自体は減っていますが…
ただまあ、そうした実数とかはさておきまして、実際問題として、少年はある意味早熟になりつつあり、ある意味昔よりも幼児のままである。その一方で大人も少年同様に幼児退行化が進んでいるとも言えるわけで、両者の線引きを明確に引く意味はないのかもしれません。
ばぶばぶ(管理人も退行中[笑])。
臓器移植の光と闇で触れたように、無理に少年を守るのをやめる反面、少年の意思を尊重するような法発想(15歳以下でも当人の同意があれば臓器提供を可能にする一方で、親権者などの同意は認めない)にすれば公平でいいんじゃないですかね。
もちろん、民法上の未成年保護制度などは20歳で区切ることの是非はさておくとちまちて、制度自体はまだまだ必要かと思います。ので、こちらをなくすのはいけません。
結局、少年だからという理由で責任能力を軽減したりするのではなく、5歳児とか明らかにこの幼児には拳銃を発射するという意味が分からないという特別な場合に責任能力がないという思考過程を辿る方が理解はされるでしょうか。
ばぶー。
参考:
[時事]少年犯罪に対する量刑意識(「知」的ユウレイ屋敷)
将来ある少年の未来を閉ざせば社会全体が暗くなると、重刑化に反対されてます。
少年による殺人に、成人より重い刑を求める人たち。(とりとめのない考察)
「少年は重い刑に」が25%、量刑の市民感覚は?(だんなの屋根裏部屋)
少年を守る必要はないとしつつ、敢えて重くする必要はないと述べられています。
【少年犯罪】一般人の25%は「少年は重い刑にすべき」と回答-最高裁司法研修所が調査より(弁護士湯原伸一(大阪弁護士会)の右往左往日記)
この調査結果を受けての、弁護士の方の感想です。
そら当然 - 「少年は重い刑に」が25% 最高裁司法研修所が調査(七生亡国)
事実であるかどうかに疑問を呈し、市民感覚を重視することにも疑問を呈しておられます。
賛成派がいないですね。いや、他にも20くらいあたりましたが、賛成している人はゼロでした。統計が正しいなら四人に一人は賛成しているはずなのですが(笑)。
一番下の方の疑問は案外的を得ているのかもしれませんね。
裁判官は9割が軽くする、としたのに対し…
市民の方は半分が同じ、25%は「むしろ重くすべき」としたのだそうです。
7割以上の市民が少年の刑を軽くする必要はないと考えているわけで、少年法の理念が全く受け入れられていない、ということですね。共同通信の配信記事にもありましたが、「裁判官の常識が通じていない」ということで興味深いです。
ただ、この調査ではそこまで突っ込んだことは考えていないでしょうけれど、どうして重くすべきか、という点まで考えている人はそんなに多くないんじゃないかなという気はします。
要は、現在は少年の刑を軽くするということで、だから少年が頭に乗っているんだという反発心が強いから重くすべきだと言っているんじゃないのかなと思うわけです。
敢えて重くしなければならない理由は特にないですからね。
いやま、ないことはないですよ。例えば刑罰をあくまでその人間の人生の何割かを浪費させることで反省をさせるものと考えるとすればですね。例えば平均寿命を80歳とすると、15歳の人間には65年間残っていて、60歳の人間には20年しか残っていない。
その上で、窃盗罪なんかですと、その人間の残り人生の2割くらいを贖罪に費やすべきだなんて考えに立ったとしたら、15歳なら13年、60歳なら4年、という風になるわけですね。この考え方にたてば確かに少年の方が、というか若い人間の方が刑を重くすべきということになりそうですが、でも、こういう風に考えている人はいないんじゃないですかね。
結局は少年犯罪が増えているから、厳しく取り締まるべきだという発想なんでしょうか。実際には少年犯罪の重大事件の数自体は減っていますが…
ただまあ、そうした実数とかはさておきまして、実際問題として、少年はある意味早熟になりつつあり、ある意味昔よりも幼児のままである。その一方で大人も少年同様に幼児退行化が進んでいるとも言えるわけで、両者の線引きを明確に引く意味はないのかもしれません。
ばぶばぶ(管理人も退行中[笑])。
臓器移植の光と闇で触れたように、無理に少年を守るのをやめる反面、少年の意思を尊重するような法発想(15歳以下でも当人の同意があれば臓器提供を可能にする一方で、親権者などの同意は認めない)にすれば公平でいいんじゃないですかね。
もちろん、民法上の未成年保護制度などは20歳で区切ることの是非はさておくとちまちて、制度自体はまだまだ必要かと思います。ので、こちらをなくすのはいけません。
結局、少年だからという理由で責任能力を軽減したりするのではなく、5歳児とか明らかにこの幼児には拳銃を発射するという意味が分からないという特別な場合に責任能力がないという思考過程を辿る方が理解はされるでしょうか。
ばぶー。
参考:
[時事]少年犯罪に対する量刑意識(「知」的ユウレイ屋敷)
将来ある少年の未来を閉ざせば社会全体が暗くなると、重刑化に反対されてます。
少年による殺人に、成人より重い刑を求める人たち。(とりとめのない考察)
「少年は重い刑に」が25%、量刑の市民感覚は?(だんなの屋根裏部屋)
少年を守る必要はないとしつつ、敢えて重くする必要はないと述べられています。
【少年犯罪】一般人の25%は「少年は重い刑にすべき」と回答-最高裁司法研修所が調査より(弁護士湯原伸一(大阪弁護士会)の右往左往日記)
この調査結果を受けての、弁護士の方の感想です。
そら当然 - 「少年は重い刑に」が25% 最高裁司法研修所が調査(七生亡国)
事実であるかどうかに疑問を呈し、市民感覚を重視することにも疑問を呈しておられます。
賛成派がいないですね。いや、他にも20くらいあたりましたが、賛成している人はゼロでした。統計が正しいなら四人に一人は賛成しているはずなのですが(笑)。
一番下の方の疑問は案外的を得ているのかもしれませんね。
つまり、凶悪性の方を問題にするとなると例えば「あいつは鬼畜だから死刑にしろ」となるわけですね。この場合、死刑になるのは「あいつが鬼畜だから」であって、理屈としては被害者が二の次に置かれるのではと思うわけです。
例えば、松本智頭夫の裁判の場合は全部やっていたら時間がかかってかなわないということで一部の事件については意図的に裁判にしていません。しかし、その一部についても被害者の人はいるわけですよね。松本事件については検察の説得もあって被害者が納得しているそうですが、まず「アイツを死刑にしろ」となるとそういう風に置いていかれる被害者もいる、ということになるわけです。
「鬼畜は死刑にしろ」の場合、奪った命などを時に無視して犯人中心の扱いで意見が進められ、逆に被害者は放置される場合もあるのではということは考えないといけないのではないでしょうか。
もちろん、現行法のありかたに満足してはいません。ただ、これは最初の光市の判決のところで触れましたが、例えば軽く出すこと認められているからといって、実際に安易に危険人物を出す出さないは刑務所の判断によってなされているわけです。となると、七年で危険人物を出してしまっている刑事政策にも問題があるのではと思うわけです。
例えば、強姦致傷で無期の判決を受けた人間を15年で出し、その人間が再犯を犯した場合、強姦致傷に死刑を定めていない刑法が悪いのか、無期でも仮出獄などを認める監獄法が悪いのか、それとも再犯しそうな人間を見抜けなかった刑務所が悪いのか。
そのあたりを考えると、単純に刑事法のみの問題としてだけで解決しようとするのは難しいと思います。
上記の文ですが・・、申し訳ありません。
何回読んでも、よく意味が分かりません。
私も、「川の果て様」と同様に、単に「殺人事件」と言っても、単純な基準だけで処理出来るなどとは考えていません。
しかし、現行法の有り方に本当に不都合は無いのでしょうか?
「死刑」と「無期」とは、相当に重みが違うと思います。
それに少年の場合は、最高刑が「無期」で、7年あまりで仮出所が認められる場合が有る。
これは大いに問題が有ると思います。
よく言われるように、私も「死刑」と「無期」の間に「終身刑」は必要だと思います。
予断ながら、確かに「奈良の高1生徒の殺害・放火事件」、これは未だ詳しい事情も分かっていませんけど、「死刑にしろ」とも「寛大な判決にして」とも言いがたいなと思います。
…とは言い切れない気もしますが。
まあ、それは置いておくとしまして、犯人の凶悪性を問題にするのであれば、今度は「奪った命が幾つか」ということが薄められるのではないでしょうか。数人事故死させたとしてもその後の態度を考慮されるのであれば、結局のところそれは被害者軽視ということに結びつくのでは。この部分では人権を同等に扱っていないことになりませんか?
結局のところ、「犯人の人権」などを唱える見解と「凶悪だから厳刑にしろ」という意見は表裏の違いがあるだけで『犯人>被害者』と見ている点では同じなのではと私は思うわけです。
また、交通事故の運転手の話からは、行為の後でも謝罪すれば罪が薄められるということになるように読み取れますが、それは結局改悛の可能性ということにも結びつきます。であれば、現行のあり方がそんなに不都合であるとは言えないのでは。
全体として言わんとすることは分かるのですが、極端な事件ならともかく、単純な基準論だけでは処理しきれない事件もあるわけで、刑罰論は色々な要素をもって成り立っているのではと思うわけです。
例えば、今話題になっている奈良の高校一年生の殺害・放火については短絡的に「死刑にしろ」とも、逆に「色々な事情があるから考慮して更正の可能性を大いに残してあげなさい」とも言い切れないのではないでしょうか?
とても参考になるご意見、ありがとう御座います。
しかし、検察官などが「楽できる制度」・・・。
人の命を左右する立場にある役人には、作って欲しくありませんねェ・・・。
「犯人の凶悪性を問題にしている」
まさに、その通りです。
私は、「罪を憎んで、人を憎まず」など理想論もいいところだと思います。
「罪を犯すのは人なのだから、人を憎みます」。
しかし、10㌧トラックで内臓破裂させて人を殺した犯人は、深く後悔している。
毎日のように謝罪文を書き続け、
「自分の命で償います、どうか死刑にして下さい」
と、自分から訴え続ける。
更には、拘置所内で自殺を図ったり、食事も取らず餓死しようとまで考える・・・。
その犯人は、関係者の誰に聞いても真面目な人間だと言われる。
このような場合、死刑が妥当と判決されるでしょうか?
一刺しで被害者は「即死」。
しかし、犯人は全く反省していないし、暴力団関係者で、「初犯」とは言え、何度も疑わしい事件を起し、手下を使って上手く警察から逃れていた。
再犯の可能性も非常に高い・・・。
このような場合は?
犯人の態度が、副次的なもので有ってはいけないと思います。
「人権は平等」
これは、あくまで基本。
人を殺しても平気な人間、人の人権を平気で踏み躙る人間。
それと、法を守る善良な人間。
この両者を、
「いや、人権は平等、あくまで同じだ」
と言ってしまえば、異論が噴出すると思います。
情状によって酌量していくのが望ましいということになるわけですね。その点は了解しました。
ただ、「人権の平等」、「命の重さ」を考えれば、本来「過失」だろうと「敵討ち」だろうと他人の命を奪ったのなら死刑になるべきではないでしょうか。故殺だろうと過失だろうと奪った命の重さは変わらないはずですが。
もちろん、例えば死体損壊などの死してなお人間の尊厳を害する行為などがあった場合は別でしょうけれど、刺殺して即死させる場合と、10tダンプで内臓破裂させる場合とを考えると尊厳・命の重さ・被害者の苦痛という点ではどちらが重いとなるでしょうか?
「犯情を考えれば…」のくだりを読む限りでは、むしろ被害者の受けた被害そのものよりも犯人の凶悪性を問題にしているように思えます。しかし、処罰されるべきは殺人なら「被害者を殺害した」という行為のはずで、犯人の態度そのものは副次的なものに過ぎないのではないでしょうか。
検察官は現実としてかなりの事件の案件を抱えているわけですから、例えば刑罰面で不利にならない方向であれば被害者の文句を言っても聞き流すとかそういう部分はあるとかいう話があります。
起訴猶予の件数も現実としてかなり多いわけですし、楽できる制度ができればかなりその方向に流れるのでは…?
「基準がブレる」と言うより、「現実の基準そのもの」が、「死刑」か「無期刑」か・・・、
「明確な境界は無い」と言うか不明瞭ですよね?。
私が言っているのは、「人権の平等」、「命の重さの平等」から、
「人を1人殺せば死刑が基準」
と書いた訳です。
「人を1人殺せば『即』死刑」とは書いてません。
「殺人は、5年以上の懲役、無期、死刑」
この刑法の判例を変えろと言うつもりも有りません。
様々な犯情を考えれば、「過失」や「間違い殺人」、「敵討ち的な殺人」などを含めて、「死刑は妥当で無い」と言う判決の方が多く出る事は明確です。
しかし、「検察官も一々個々の事情に突っ込みたくない」のですかネ???
突っ込んで調べて貰わないと困りますけど・・・。
ついでながら、「人を殺せば死刑」とするのなら、挙げられた事例などについては極端な話どれだけ理由があっても死刑にしても仕方ないのではという気がします。
例えば家族が殺害されたから、犯人を殺害した。
この場合に、では家族や恋人の定義はどうなるのか(一方的に思い込んでいるストーカーも恋人っていえば恋人になるでしょう)。
また、例えば犯人を勘違いして別の人を殺害した場合などにはどうなるのか。
以上を考えると、現実としては一まとめにすることは到底不可能といえるでしょう。明確に法によって応報なり刑罰が課せられるにもかかわらず、敢えて違法行為に及んだということで、家族や恋人であっても死刑にせざるをえないのではないかという気がします。
また、現実として検察官は年間1万以上の殺人事件の処理をしなければならないのであり、検察官も一々個々の事件の事情に突っ込みたくないでしょうから、一度「原則死刑」が成り立てばそうなるのが必然であり、結果本来は助けてほしい人間も死刑になるということになるのではないでしょうか。
補足させて戴きます。
「人を一人殺せば死刑」
と言うのは、考え方の基準です。
「人が人を殺すケース」は無数に有ると思います。
いわゆる、法的に「過失致死」や「正当防衛」、「過剰防衛」などに該当するケース。
また、話しは「ドラマ的」ながら、愛娘や恋人が強姦されて、そのショックで自殺したとします。
この場合、犯人に適用されるのは「強姦罪」とか「障害罪」で、「殺人罪」は適用されない筈。
しかし、犯人には一片の反省も見られず、その強姦は「再犯」だったとします。
それを知った被害者の父や恋人が、その犯人を刺殺した。
その父や恋人は、とても真面目な人間で犯罪歴も無い。
ただ、娘や恋人を愛していただけ・・・。
このようなケースなら、私も、
「犯人を死刑にしないで下さい」
と、嘆願します。
ですから基準は基準、犯情によっては、私見ながら「死刑」にならないケースの方が多いと、私は考えています。
朝から長い書き込み、失礼致しました。
「少年法」は、その最たる法律でしょう。
「年齢」で死刑が適用出来ない。
これは大いに問題です。
「永山基準」などと言う「妙な物差し」も意味が分かりません。
「人権が平等」なら「人を1人殺せば死刑」。
これが「基準」になるべきです。
「光市の母子殺害犯人、福田孝行」の場合は、母親1人を殺害したとしても「死刑が妥当」です。
最初「少年法」で検索したら『山口の母子殺害事件』のエントリの方が遥かに多かったですね。
まあ、個人的には人権という言葉は、「こいつの人権すら守るのだから、いわんや一般市民は守られる。そういう意味で守られなければならないものだ」という考え方の方がすっきりしそうなものですが、中々そうも考えられないようです。
子供は大人の鏡ですからね。まずは大人からというのは全く同感です。
化石のような時代に作られた法律なんて(*´Д`)=з
『山口の母子殺害』弁護士が欠席!!( ̄ω ̄;)
ゼシカ思うんですが今の大人のシツケからやりなおさないと無理思うのですが、いかがでしょうか?
大人の蒔いた種が今の子供に根付いてると思うのですが・・・。″φ(ー_ー;)