広島県の女児殺害犯として、今月現場近くに移転してきたペルー人が逮捕されたそうです。
事前の報道などでは土地勘がある、というものが多く、また状況からもそういう感じなのかなと思えた部分もあっただけにやや意外でした。
と同時に、捜査過程の報道などについて非常に考えさせる逮捕でもありました。
考えさせられたのは捜査過程の情報公開についてです。
もちろん、行政の情報はできるだけ公開されていることが望ましいのは言うまでもありません。しかし、今回の事件のような場合に情報がつぶさに公開されていたとしたらどうでしょう。ペルー国籍の犯人は「これはまずい。俺は相当怪しまれている」とペルーに逃げ帰ったかもしれません。
そうなると、日本としては犯人引渡をめぐりペルー政府と交渉しなければなりませんが、現在ペルーとの関係はフジモリ元大統領との関係で悪化しています。引渡に応じず、ペルーが自分達で逮捕・処罰してしまう可能性もあるといえたでしょう。
そういうことを考えると、捜査情報の公開はされない方が望ましい部分もあります。メディアの要求する捜査の透明性(被害者の実名報道もその一環でしょう)を貫き通すのはむしろ好ましくない。
加えて、メディアが事件について大きく取り上げると、警察の中には慎重な捜査が自分達の怠慢と思われるのではと警戒したりして、ついつい情報を漏らしたりすることもあるそうです。こういうのもまた望ましくないですが、一方でメディアにそうした情報公開を要請しているのが我々普通の市民であることも確か。
単に被害者のプライヴァシーだけの問題だけではなく、色々な問題が捜査情報の透明性という部分には内在しているといえそうです。
もっとも、じゃあ非公開こそ望ましいのかというと、例えば事件の犯人が警察関係者であった場合などが問題になりそうです。透明性が存在しなければ隠蔽されてしまう可能性などがあることも確かですね。
そうしたバランスをどこでとるべきなのか。
一段落ついたのは良かったですが(まあ、法律論をうるさく言うなら、まだ逮捕されただけで彼が犯人と断定されたわけではないとも言えますけど)、こういう問題も真剣に考えないといけないのかなとも思わせる逮捕劇でした。
事前の報道などでは土地勘がある、というものが多く、また状況からもそういう感じなのかなと思えた部分もあっただけにやや意外でした。
と同時に、捜査過程の報道などについて非常に考えさせる逮捕でもありました。
考えさせられたのは捜査過程の情報公開についてです。
もちろん、行政の情報はできるだけ公開されていることが望ましいのは言うまでもありません。しかし、今回の事件のような場合に情報がつぶさに公開されていたとしたらどうでしょう。ペルー国籍の犯人は「これはまずい。俺は相当怪しまれている」とペルーに逃げ帰ったかもしれません。
そうなると、日本としては犯人引渡をめぐりペルー政府と交渉しなければなりませんが、現在ペルーとの関係はフジモリ元大統領との関係で悪化しています。引渡に応じず、ペルーが自分達で逮捕・処罰してしまう可能性もあるといえたでしょう。
そういうことを考えると、捜査情報の公開はされない方が望ましい部分もあります。メディアの要求する捜査の透明性(被害者の実名報道もその一環でしょう)を貫き通すのはむしろ好ましくない。
加えて、メディアが事件について大きく取り上げると、警察の中には慎重な捜査が自分達の怠慢と思われるのではと警戒したりして、ついつい情報を漏らしたりすることもあるそうです。こういうのもまた望ましくないですが、一方でメディアにそうした情報公開を要請しているのが我々普通の市民であることも確か。
単に被害者のプライヴァシーだけの問題だけではなく、色々な問題が捜査情報の透明性という部分には内在しているといえそうです。
もっとも、じゃあ非公開こそ望ましいのかというと、例えば事件の犯人が警察関係者であった場合などが問題になりそうです。透明性が存在しなければ隠蔽されてしまう可能性などがあることも確かですね。
そうしたバランスをどこでとるべきなのか。
一段落ついたのは良かったですが(まあ、法律論をうるさく言うなら、まだ逮捕されただけで彼が犯人と断定されたわけではないとも言えますけど)、こういう問題も真剣に考えないといけないのかなとも思わせる逮捕劇でした。
本文でも書いたように、一般の人達が「知りたい」という欲求を抑えることも必要なのかなと思います。