川の果ての更に果てに

Svensk,Danmark,Norges,Suomen応援ブログ

法相の死刑拒否は絶対に許されないか

2005-11-08 15:27:25 | 犯罪・刑事関係
以前、法務大臣になった杉浦氏の発言について、苦言を呈したことがあります。
が、その後、ほぼ100%という数字で否定的論調の記事しか見ないという状況で少し考えが変わりました。
批判しているのが多いと、何となく反論したくなるのが天邪鬼体質。
それに法律というのはいかようにも解釈できるものですから、「法律はこうなっている、法概念はこうなっている」と一方的に言い切れるものかという気もしないでもありません。
よって、反論。

まず、死刑命令書にサインしなければ法務大臣の職責を果たしたことにならないのか。死刑について定めた刑事訴訟法475条との関係についてです。
475条2項の「法務大臣は判決確定の日から6ヶ月以内に死刑命令を出さなければならない」という、その期間は遵守しなければならないでしょう。これは疑う余地がありません。しかし、その期間内にしなければならないだけであって、別に命令書が送られれば即署名しなければならないとは書いてありません。なので、6ヶ月以内であれば死刑囚が再審請求なり恩赦願いを出すまで待ったとしても、別に問題はないといえそうです。その期間内で死刑執行命令を拒否していたとしても職務を果たしていないとは言えない。
また、官僚の出す死刑執行命令書に反対することは純然たる行政内部の問題であり、これが特に法律違反になるとは思えません。
6ヶ月の期間を遵守するために法務大臣の方から死刑囚に上訴・再審請求、非常上告、恩赦の出願、申出をするように仕向けるとすれば、これはいかがなものかと思わないではないですが、だからといって禁止しているわけでもない。
結局、感情論としてはともかく、6ヶ月を超えない限り、法相の拒絶は法律違反にはならず、職務に反しているとはいえません>。

次、裁判所(司法)の出した確定判決を、大臣(行政)が自己の判断で覆すのは裁判拒否であり、三権分立に反するという考え方。
これは一見してもっともですが、裁判所の死刑判決(判決主文の「被告人を死刑に処する」というくだり)は「被告人を絶対に死刑にしなければならないという裁判所の執行命令」であるという前提に立たないと成り立たない論理です。
そうではなく、「被告人に死刑執行することを司法は容認する」というのが死刑判決であるならば、法務大臣が「(現時点で)死刑までする必要を感じない」としたところで司法権の侵害にはなりません。
どちらなのか。
このあたり、刑事事件の判決の性質についてはっきりとしたことは分かりません。ただ、刑法の謙抑主義や刑事訴訟法全体を貫く人権尊重規定からは、また行政による恩赦などの制度が予定されていることからすれば、刑事事件の判決は裁判所がその人物に与えてしかるべき刑罰の最大限を示したものなのではないかと思います。その点で絶対的な命令であるわけではないといえるのではないでしょうか。それに命令だとすると、今度は司法の側が行政のやる事を決定することになり、三権分立に反します
ですから、死刑判決は「(現時点で)司法はこの被告人に死刑を課すのが相当であると考える」という性質だとするのが妥当だろうと思います。全く裁量の余地がないわけではない。
したがって、別に死刑執行の命令書への署名を拒否したとしましても、裁判拒否、三権分立に反するとまでは言えないのではないでしょうか(この点、無期懲役刑の囚人を行政が死刑にすれば司法権侵害になるのは当然)。
大体、裁量の余地がないのなら、5人の死刑命令書を提出され、大臣が「4人は仕方ないが、この人物は冤罪かもしれないから署名できない」ということすらできない、という理屈になってしまいかねないでしょう。これは現実的ではありません。

とはいえ、大臣の発言に問題があること、というよりも「嫌だ」と言ったのにサクッと撤回してしまったことに問題があるのもやはり事実。単純に「私は嫌だ」というのではなく、「制度全体についての議論を交わしたいので、暫定的に署名しない」というべきだったでしょう。

最新の画像もっと見る