11月14日(火)午後、高野山「一の橋」から「奥の院」まで約2
kmの参道を歩く。--「奥の院ナイトツアー」に備え、明るい
うちに奥の院まで。
この参道にはおよそ20万基を超える諸大名の墓石や祈念碑、慰霊
碑が杉木立の中に立ち並んでいる。
大名家の墓所は驚くほど立派である。
すべては写真に収められなかったが、かなり多くを撮影した。
約2kmを行くのに2時間近くを要した。--もしかしたら「一人
旅」だからできること?
12:13
12:13 奥之院と一の橋
最初に現れるのは「仙台伊達家墓所」と「加賀前田家墓所」。
12:14 奥州仙台伊達家
12:17 加賀前田家墓所
続いて、司馬遼太郎文学碑。--平成20(2008)年9月に完成。
司馬遼太郎の「高野山管見」の冒頭部分が刻まれている。
今年、令和5年は司馬遼太郎生誕100年だ。
12:19
12:19
12:19
近くに関東大震災供養塔を見つけた。今年は関東大震災100年で
もある。
12:20 関東大震災供養塔
12:22 こちらは、薩摩島津家墓所
大大名家の墓所が並んでいる。
12:23 岡山池田家
奥の院までの参道は樹齢数百年の杉木立。
12:24
12:25
12:28 秋田佐竹家
佐竹氏は、もともと常陸国にあったが、関ヶ原で西軍となり、秋
田に移封される。戊辰戦争では官軍に属した。
現秋田県知事の佐竹さんは佐竹北家のご出身。
12:30 高野山は「観光地」でもあり、トイレが充実している。
「必殺一念石」とは何かしら?
案内板を読むうちに「そうだったのか」という想いに。
12:40
12:40 必殺一念石の由来 「夫を返せ!子を返せ!父を返せ!」
元シベリア抑留者有志一同
昭和の戦争の慰霊碑も多い。
12:41
12:41
12:43 「五族之墓」 「五族」にピンと来る人もいるだろう。
12:43 満洲国軍五族の墓奉讃会 ひっそりと?
12:45
12:47
12:49 親鸞聖人
12:51
12:52 「高野山町石道」
12:53 江崎グリコの墓所
いわゆる「講」の記念塔もある。
12:56 大阪玉造の「円満講記念塔」
12:57
12:58 多田満仲→こちら。
12:59 紀州初代藩主徳川頼宣 頼宣は家康の十男。
13:00 奥州南部家
13:01 北海道松前家
地図によれば、そろそろ武田信玄があるハズだが・・・・・・。
13:02 あった~、武田信玄
13:02 武田信玄勝頼墓所
13:03
13:03 紀州徳川家七代宗将
参道のアプリで検索している人も多い。
私のそばで母娘が
「分かりにくいけど、あれが上杉謙信じゃない?」
と言っているのを小耳にはさみ、
「すみません。ついていっていいですか?怪しい者ではありませ
ん」
「どうぞどうぞ」
「有難うございます」
比較的武田信玄の近くに上杉謙信がある。参道から少し登ったと
ころに。
13:06 「お先に(写真を)どうぞ」
13:07 これぞ「上杉謙信霊屋」(上杉謙信廟)
13:08
13:09 同上
13:11 岩国吉川家 みんな立派ですね~。
13:12 上州館林榊原康政
「どうする家康」にも出てきた(演ずるは杉野遥亮)。
13:13 徳島 蜂須賀家
13:14 伊達政宗墓所
13:16 同上
13:17 大阪市老人クラブ連合会供養塔
13:18 海軍整備科
13:19 薩摩島津家初代と二代
13:20 石田三成
13:20 明智光秀墓所
13:20 同上
13:22 同上
何回作り直してもヒビが入るという言い伝えが・・・・・・。怖~い。
近くにいた若い女性等いわく
「たしかに割れてるわ~」
13:24
13:24
13:26
13:27 庄内藩主 酒井家
13:28 桑名城主本多忠勝
13:29 こちらは南海電鉄創業者
ゆっくり歩き、ほぼ中間地点の「中の橋」までやってきた。
撮り忘れもあるかも。
13:30 中の橋
13:30 中の橋
13:31 汗かき地蔵
「汗かき地蔵は、つねに衆生の苦を代わって受けて汗を流してい
ると信じられている。」
右横に姿見の井戸がある。
「この井戸を覗き見て、自分の姿が水に映らなければ3年以内の
命であるという説が広まり、『姿見の井戸』と呼ばれるようにな
った。」
13:32
13:33 住友分家之墓
13:34 森下仁丹
13:35 クボタ
13:36
13:37 信州 高遠鳥居家
13:37
13:38 高麗陣敵味方戦死者供養塔 和歌山県指定文化財だ。
13:39
13:40 安芸浅野家
13:41 長州毛利家
13:41 (蓮華谷の)成福院 ビルマ方面戦没者のために
13:42
13:44
13:45 30人ほどの団体さんがやってきた。
13:45
13:46 芭蕉句
13:47 お化粧の地蔵さん
「お地蔵さま」とは?これが簡単に説明できる人はすごい。
13:47
13:48
13:48 一般的に四角いお墓は明治以降だ。
13:50 法然上人
13:50 同上
13:52 結城秀康(家康の次男)
13:53 同上
13:53
13:53 肥前島原松平家
周りの人が騒いでいたので、皆さんについていったら、近年発見
された織田信長の墓所があった。やや分かりにくい所にある。
よく見たが「織田信長」という刻印はない??
13:57 織田信長。お隣は筒井順慶
13:58
13:58
13:59
14:00
14:01 水向地蔵もスポットの一つ
14:01 御廟霊域でのお願い
14:02 文字どおり奥の院--突き当りは「燈籠堂」。
14:02
14:03
14:07
14:08 昭和天皇の「御製」
14:10
14:12
14:16
14:17
14:17
14:19 興山応其上人廟
信長に続いて高野山攻めを行った秀吉は、応其(おうご)上人の
説得に応じて高野山焼き討ちを取り止め、以後高野山を庇護する
ようになった。
応其(おうご)上人は「説得力」の本が書ける?
14:19 同上
14:19 浅野内匠頭
14:21 筑前黒田家
14:23 加賀前田家利長
14:23
奥の院の大杉林は和歌山県の天然記念物だ。知らなかった~。
14:27
高野山には企業関係の供養塔も多い。
14:28
14:29 東日本大震災物故者慰霊碑
14:29
14:30
14:32
14:34
14:35
14:37
14:38 中の橋バス停よりバスで蓮華谷バス停へ
ちょうどバスが来ていたので「待って~~」。
14:39
14:45 蓮華谷下車
15時のチェックインまでしばし近所を散策する。
14:46
14:48
14:48
14:51 成福院 ビルマ戦没者供養塔
15:01
15:03 再び成福院
15:04 持明院
15:05
15:06 持明院境内へ
15:07
15:11 弱い暖房が入っている。暖かい。
15:11 持明院の立派な庭
チェックイン後、
「朝のお務めは7時から30分ほどです」
「有難うございます。参加させていただきます(寒そうだけど)」
「朝のお務めで、ご先祖の供養をさせていただいております。
よろしかったら如何でございましょうか」
「せっかくですから、永代供養などではなく、一回限り(*)
で母の供養を」
(*)「一回限り」が一番安く、千円だ。母も生誕100年。
「お風呂は大体4時ごろから。ご準備できましたらのれんを出し
ますので。最後は9時になります。翌朝はございません」。
「承知しました」
「7時からナイトツアーに行ってまいります」
「承知しました。門限が9時ですので、帰りはバスをご利用くだ
さい。その間にお布団を敷いておきます」
15:19 一服
15:33 なんて書いてあるのかしらん。
15:43 2階の部屋 お隣は外国人ご夫婦だった。
15:43 足を踏み外したら、救急車だ。
15:57
混まないうちに入浴へ。
後から外国人(欧州人かな?)が入ってきた。
見ていると日本人と同じ入浴方法だ。
まずは身体を洗い、タオルは湯船に持ち込まず、静かに入る
(さすがに都々逸は歌わない)。
--どこかで事前学習してきたのか、日本に慣れているのか?
「Excuse me. Where are you from?」
と言いたかったが、かえって日本語がペラペラだといけないので
やめておいた。
15:59
15:59
16:23 お湯は41℃くらいだったかな?
16:24 立派な襖と屏風
16:32
16:36
18:01 いわゆる「精進料理」をいただく。美味な健康食だ。
18:01 お酒を1合(常温)660円とリーズナブル。
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高野山は歩きます。後期高齢者となるとキツイかもしれませんね~。もっともさほど階段がないのがいいですが。