龍山義弘の武道求道録

人生を通じて、様々な武道や出来事に挑戦する過程を綴っていきます。
「人生はチャレンジ!」 命尽きるまで全力投球!

黒帯の贈呈を受ける

2006年10月26日 | 柔道
今日は、柔道の稽古。
9月10日の昇段審査で初段に合格していたが、松前柔道会から黒帯を贈呈して頂くことがわかっていたので、BJ柔術の時は、柔道着に「極真空手の黒帯」を締めて練習に行っていたが、柔道の稽古には、茶帯を締めて稽古に通っていた。

今日、柔道の稽古が終わった後にみんなの前で「柔道の黒帯」を贈呈して頂いた。
極真空手の黒帯を取った時は、黒帯が届いた時に極真会館愛媛支部長の高見師範に直接、巻いて頂き感激したのを覚えている。

武道における黒帯は、やっと一人前になったと言う気がする。今は亡き大山倍達総裁がよく言っていた言葉で「千日の修行を初心とし、万日の修行を極めとする」という言葉があるが、千日(3年)どころか、まだ始めて11ヶ月なのでこれからも永く頑張ろうと思う。

寝技の稽古が楽しくなってきた。柔道とブラジリアン柔術の稽古をずっと並行してやってきたのは正解だと思う。ブラジリアン柔術は練習時間の9割9分は寝技の練習である。柔道は9割は立ち技、残り1割ぐらいが寝技の稽古という比率。

双方の競技においてあまり使わない関節技、絞め技、固め技を使うとよく極まる。極まるとおもしろい。

厄除け祈願

2006年10月22日 | 相撲
今年、数えで41歳。来年は数えで42歳の本厄になるので厄除け祈願に厄除けの寺として有名な遍照院に参拝に行って来た。昨日は、石手寺に家族で参拝。今日は、職場の同僚で1歳年上「本厄」になる土居氏と遍照院を参拝。

8月下旬にあった四国相撲大会の懇親会の折りに、日大相撲部OBで私と同い年の田中栄一郎氏に「厄払いに行った?えっ、行ってないの!行っとかないとやばいよ。オレも信心深い方ではないけど行ったぞ。」と脅かされて、周りにいた先輩方からも「そう。そう。行っておいた方がいいぞ!バカにしたらいかん!」と声を合わせて言われ、早く行かないといけないと思っていたが、毎週日曜日の12時からしか、祈祷をしていないということで、なかなか仕事の休みと調整がつかなかったが、今日やっと行くことが出来た。

お寺に行くとわらじを履いて一度参拝し、参拝したわらじで祈祷しながら背中を叩いて頂き、そのわらじを火で焼いた。その後、本堂で20分ほど祈祷して頂き、再度、背中を叩いて頂き、お札、お守りをいただいて帰った。

これで少し、気持ちが落ち着いた。行ってよかった。



これは風邪です!

2006年10月11日 | 柔道
柔術大会の前から微熱が続き、のどが痛かったのだが、良くなる気配もなく、だんだん悪くなるので病院に行った。

「う~ん。これは風邪ですね!」

「はい。ありがとうございました。」

「ところで耳がすごいですね。柔道をされてたんですか?」

「柔道もやってますけど、これは20年ほど前に相撲の稽古で湧いてしまいました。当時は、対処方法を知らなくて、相撲の稽古が終わるたびに友達に注射器で耳に溜まった血を抜いてもらっていましたが、それが失敗だったと思います。まだ、小さいうちに冷やして固めてしまうべきでした。焼け石に枇杷の葉を巻いて耳に当てて、耳を暖めろとか先輩に教えてもらって実行してましたが、いま考えると、これも大嘘です。」

「そうですか、柔道耳というんですよ。何か不自由なことはありますか?」

「はい。もうあきらめていますが、耳に水が入りやすいので耳の中がジクジクすることが、よくあります。それと『あの人の耳を見てと時々、指を差されます。』これが結構イヤです。」

「柔道の選手が、耳の血を抜いてくれとよく来るんですよ。」

「うん。抜いて固めれば、それで良いんですが、抜いて稽古をすると、また新しい血が入ってきてどんどん大きく醜くなります。血を抜いたら、しっかりアイシングして稽古を休めないかも知れないけど、勇気をもって稽古を1週間ほど休むように指導してあげてください。そうしないと後で必ず後悔しますから」

柔道の選手が耳の血を抜いてくれと病院を訪ねてくることがあるとのことで、カリフラワー・イヤー(湧いた耳、柔道耳)の大家として、病院の先生に色々と教えてあげた。

体調がすぐれないが、晩は、柔道の稽古に行く。大人の選手と乱取り中、強く引き手を切られた時に薬指と中指が横にねじれて激痛が走った。

1.5倍ぐらいにパンパンに腫れ上がる。痛かった。

今日は相撲の稽古だ!

2006年10月10日 | 春日館道場
今日は、本業の相撲に戻って春日館で相撲の指導。
道場生20人中、欠席者は1名のみ。
みんな、伊予土佐親善相撲大会に向けて気合いの入った(?)稽古をする。

ブログも「春日館相撲道場」というよりも「ブラジリアン柔術日記」みたいになってきたので相撲のことも書かねばと開けてびっくり。本日35件のアクセスということで開設以来、史上最多アクセス記録となった。40のオッサンの柔術大会デビューにみんな興味(心配?)を持ってくれたのだろう。

こうなると次は、総合格闘技(修斗)公式戦デビューぐらいするともっとアクセスが増えるのかもしれないが、昨日もPRIDEからHERO,S(格闘技イベント)に移籍して話題となった中央大学の後輩、桜庭和志(私が大学4年の時の1年生)が修斗のヨーロッパチャンピオンと闘い、意識が飛び、吐き気をもよおし、全国にテレビ放送が予定されていた秋山選手(柔道)との決勝戦出場は、ドクターストップがかかり欠場をしたが、私も打撃でKOされて、そのまま3人の幼い子どもを残し、天国に逝ってしまったりすると洒落にならないのでよくよく考えて行動しないと軽率な行動は本当に命取りだと思う。(来年は本厄だし)

まずは、総合格闘技のベースとなる柔術を完全にマスターしたいと思う。


西日本柔術選手権大会

2006年10月09日 | ブラジリアン柔術
10月8日(日)広島市で行われる西日本柔術選手権大会に出場するため前日にフェリーで松山観光港から広島へ渡った。緊張のため、身体が過敏になっているせいか、微熱とのどの痛み、鼻づまり、下痢と試合が近づくにつれてどんどん体調が悪くなっていった。

9時00分に会場につくと計量と受付をすませた。開会式が終わると少年の試合から始まり一般の試合に移る。絞め技で失神する選手が続出。相撲の大会ではあまり見られないシーンである。自分もひょっとしたらこうなるのかもと思い、「体調不良を理由に帰ろうかなぁ。」とか思いながら他人の試合をみていた。

しかし、自分の試合が近づくに従って集中力は高まってきた。
「相撲五段、極真空手初段、柔道初段、全日本学生相撲体重別2位、全日本社会人選抜相撲3位」と賑々しく経歴を書いていたためか、一回戦は私だけシードになっていたので、2回戦からの出場。相手は柔道ベースの選手だが潜り込んでくるところを押し倒してフロントネックロックで締め上げると相手はギブアップ。レフェリーに手を挙げてもらう「初体験」。何か良い気分である。子どもの頃、プロレスラーに成りたかった夢がよみがえってきた。

準決勝は、大阪の柔道三段110キロ、私より一回り身体が大きい選手。組み合い押し合う状態で1~2分硬直状態が続いたが、払い腰から袈裟固め、腕も極められ敗退。柔道のテクニックが私よりも一枚も二枚も上手であった。

気を取り直して、3位決定戦では、岡山県の柔道、少林寺拳法ベースの選手。試合前から私に向かってさかんにシャドーボクシングを繰り返し挑発してきた。せめて銅メダルぐらいは獲って帰りたい。そのためには負けられない。

試合が始まると相手が飛びついてきてクローズガードの体勢。私はクローズガードをパス(はずす)してマウントポジション(正面から馬乗り)から横四方に移行。腕を取ってストレートアームバーで相手の腕を逆方向に渾身の力でねじ曲げる。相手はギブアップ。

決勝戦は、私に勝った大阪の柔道家と修斗重量級の四国チャンピオンの対戦。柔道家の圧勝。

閉会式の前に優勝した柔道家が準優勝した選手に丁寧に頭を下げて何かを言っていた。
つぎに優勝者は私が更衣室で着替えていると近寄ってきて「今日はありがとうございました。勉強になりました。また機会があったらよろしくお願いいたします。」と丁寧に柔道式の腿の前で手を揃える立礼をしてきた。意外だったので「こちらこそ」と返すのが精一杯だった。柔術で一本取られ、試合後にも一本取られたという感じがした。

相撲や空手、柔道の大会で負けた相手に「試合をしたお礼」を言われた経験はない。
嫌みで言われたようにも聞こえなかった。敗れた相手への礼。「勝って勉強、負けて勉強、武道とはこういうものぞ。」と神様が、「武道求道録」と偉そうに講釈をたれる私に送り込んできた刺客だったのかも知れない。

今日のブラジリアン柔術のデビュー戦は、西日本柔術選手権大会(無差別級)3位。優勝目指して、また挑戦したい。

大変勉強になった。