龍山義弘の武道求道録

人生を通じて、様々な武道や出来事に挑戦する過程を綴っていきます。
「人生はチャレンジ!」 命尽きるまで全力投球!

角界の鉄人が2度目の優勝へ王手!

2022年09月24日 | 相撲

「角界の鉄人」玉鷲関が、初日から今日(14日目)まで絶好調!

きょうも翔猿関を立ち合いから電車道で土俵下に突き倒しました。

明日の千秋楽の相撲で勝てば、2度目の幕内優勝!

いまから3年半前の平成31年1月場所、関脇で初優勝した際は、師匠の片男波親方(愛媛県西予市野村町出身)の故郷、愛媛県でも盛大に祝賀会が開催されました。

その時の祝賀会での片男波親方のあいさつで印象的だった言葉が

「人生には3つの坂があります。

ひとつは上り坂。人生上り調子の上り坂でも有頂天になってはならない。

二つ目は下り坂。人生うまくいかないときもあります。

そして、三つめは「まさか!」という坂です。
人生には想定外のことが時として起こります。それが、今回の優勝でした。」

祝賀会の会場は、大きな笑いに包まれましたが、2回目の「まさか!」が起こりそうです。

37歳10か月の優勝は、年6場所制(1958年)以降の史上最年長の優勝とのこと。

2回目の優勝は、「まさか!」ではなく、常日頃の地道な努力の賜物。
丈夫で長持ちの実力者として、師匠の片男波親方も弟子の偉業を称えてほしいと思います。

あすは、一差で追う高安関との本割に勝てば優勝。
負けたら、本割に続いて優勝決定戦で再度、高安関と対決。

二人の過去の対戦成績は拮抗しており、同じ一門ということで稽古もしてきていると思うので。

まさか、連敗することはないと思うが、、、。

そちらの「まさか!」が起こらないことを、テレビ桟敷で祈りたい。


大学相撲部時代の友との再会!

2022年09月19日 | 相撲
愛媛県西予市野村町の乙亥会館で2年前に開催される予定だった「全日本実業団相撲選手権大会」ですが、新型コロナウイルスの感染拡大で昨年、一昨年と中止になってしまいました。
 
今年も、愛媛県では8月に「医療危機宣言」が発出されるなど、深刻な状況が続いていましたが、ウイズコロナで感染対策をしながらイベント開催をすることがスタンダードになってきており、今年度は何とか予定どおりに「第64回全日本実業団相撲選手権大会」を開催することが出来ました。
 
しかし、大会直前に、大型で猛烈な台風14号が、日本列島を直撃するという予報が流れ、肝を冷やしましたが。
1日ほど台風の通過が遅れて、大事に至らずで良かったです。😨
 
今大会には、全国から実業団相撲の精鋭が参加。同じ中央大学の相撲部の先輩、後輩とも久しぶりの再会をして、再会を喜び合いました。
 
特に大学時代に4年間一緒に寮生活をして、相撲道場の土俵で汗と砂にまみれて切磋琢磨し、昼は大学のキャンパスで勉学に励み、夜は南平の街のカラオケスナックで酒を酌み交わし🍻🍶。みんなで歌と踊りの練習🎤🎤(?)に励んだ同級生の小西武彦さん(以下、敬称略)との再会を喜びました。
 
小西とは、性格は真逆なような気もしますが、大学1年生の時から仲が良く、事あるごとにツーショットを撮り続けてきました。
 
▲ 1985年10月2日 中央大学南平寮で大学1年生の龍山と小西(右側)
 37年前、まだ19歳の二人。
 
▲ 中央大学相撲部の夏合宿が、北海道札幌市で開催されて、夜に札幌ビール園に観光に行って、ジンギスカンを食べ、ビールを飲み倒す。大学2年生、20歳の二人。
 
▲ 1990年9月23日 第32回全日本実業団相撲選手権大会(和歌山県和歌山市)に、就職してそれぞれの勤務先から実業団相撲大会に出場。二人とも大会で技能賞を受賞。社会人2年目、24歳の二人。
 
▲ あれから37年。二人は56歳。
 2022年9月18日(日)第64回全日本実業団相撲選手権大会で再会を喜ぶ二人。
 
アルバムには、二人で写した37年間の写真が、たくさんあります。📷
 
私も気持ちだけは、まだ20代なのですが、、、。(実年齢 56歳)
歴年の写真を見ると「二人とも年をとったなぁ。。。」と感慨深いです。😊
 
龍山「いつか、どちらかが欠ける日がくるけど、それまでは、ずっとツーショットを撮り続けるぞ。」と言うと。
 
小西「オゥ! 俺は、しぶといよ~!(笑)」と笑っていました。😄
 
大切な親友なので、酒の飲み過ぎ🍻に注意して長生きしてほしいです。(笑)😄
 
多くは語り合いませんでしたが、語らなくても、分かり合えてると思います。🍀
 
「あと20年、30年と。写真を撮り続けられるように、健康に気を付けて、おたがいにがんばろう!」 😄

第64回全日本実業団相撲選手権大会に出席!

2022年09月19日 | 相撲

令和2年度に愛媛県西予市の乙亥会館で開催予定だった全日本実業団相撲選手権大会ですが、新型コロナウイルスの感染拡大により2年連続の大会中止に追い込まれました。

今年も感染拡大の収束には至っていませんが、各種スポーツ大会やイベントは、感染対策をしながら開催される方向に変わってきています。

新型コロナウイルスの感染対策をして大会の準備を行ってきましたが、直前になって台風14号が、日本列島を直撃する予報となり、肝を冷やしましたが、1日ほど通過する予定が遅れたことで、台風の影響は最小限にとどまりました。

大会には、愛媛県からも西予市役所、愛南町役場が団体戦に出場し、大会を盛り上げました。

個人戦でも愛媛県出身の3選手がベスト16に進出。

由留部選手(西予市役所)の上位入賞が期待されましたが、日本通運の寺田選手に敗れました。

個人優勝は、鳥取城北高校を卒業したばかりの落合哲也選手(18才)。圧巻の強さでした。

団体戦では、野村高校相撲部、中央大学相撲部の後輩。田中大介選手が所属する東京の日本通運株式会社が団体優勝。

田中大介選手は故郷の西予市野村町で栄冠を勝ち取り、大会に花を添えました。

しかし、団体戦では相手のいなしや引き技に腹ばいになる相撲が多々あり、大将の中村悠星選手(中央大学相撲部OB)が、1対1の接戦をいずれも持ちこたえて、優勝までたどり着いた印象でした。

小兵ながら懸命に頑張った中村選手の健闘を称えたいと思います。

▲ 団体優勝した日本通運株式会社
(左から 田中大介、古川晴貴、中村悠星、寺田貴博 敬称略)

大会には、中央大学相撲部の先輩、後輩もたくさん参加しており、ひさしぶりに再会することができました。

3年にも及ぶ、新型コロナウイルスの感染拡大で会う機会がさらに減っており、貴重な再会の機会となりました。

▲ 中央大学相撲部の先輩と後輩(左から 後輩の岡田拓郎くん、松島基茂先輩、私)

▲ 中央大学相撲部の同級生と小西武彦くん(右側)

▲ 中央大学相撲部の後輩、和歌山県庁の冨田有輝選手(右側)と一緒に。
 亡くなった冨田選手のお父さん(アマチュア横綱の冨田忠典さん)にも生前は親しくしていただきました。

 

 


中四国ボディビル選手権大会に出場!

2022年09月10日 | ボディビル

ボディビルのデビュー戦となった8月7日の愛媛県男子ボディビル選手権大会から1カ月。

体重を92kgから80kgに絞ったまま、9月4日に開催される第20回中四国男子ボディビル選手権大会に挑戦した。

前日は21時30分まで職場で仕事をして、朝5時00分に起床。

松山観光港から7時30分のスーパージェット(水中翼船)に乗って、開催地の広島県広島市に向かった。

広島市西区にある会場のコジマホールディングス西区民文化センターに9時00分に到着。体重測定、カラーリングの検査などを行ってから開会式に参加。私が出場する「男子ボディビル75kg超級」予選は、お昼過ぎからということで控室でゆっくりと体を休ませて、お昼ごろからパンプアップを開始した。

前回の愛媛県ボディビル選手権大会で規定7ポーズは、しっかり練習を重ねてきているので、慌てることなくポーズをとることが出来た。決勝審査のフリーポーズもミスなくこなせた。

ボディビルの大会は、当日の運、不運に左右されない。格闘技のように番狂わせやラッキーパンチもない。

ボディビルスーツ(パンツ)一枚で裸になると、今まで積み重ねてきた努力の成果が、筋肉の凹凸、身体全体のフォルムに表れており、ごまかしは効かない。

審査員に自分の筋肉を高く評価していただくために細かい工夫はするが、大会前日までの準備段階で、勝負がほぼ決まっていると言っても過言ではない。

ただ、ボディビルは対戦相手を叩いたり、蹴ったりすることがなく、対戦相手にケガさせられたり、ケガをさせてしまうこともないので、気持ち的には格闘技の大会よりも穏やかな気持ちで臨める。自分自身が最善を尽くせばよいのだ。

決勝審査に残った人間がポーズをとって、下位から順番にゼッケン番号と名前を呼び上げられるポーズダウン・表彰式にステージに上がった。

順位は第4位であった。

3位以上にメダルが用意されていたので、4位の賞状は頂けたが、メダルには一歩届かずの結果、残念であった。

しかし、現在の自分の実力が、県大会、ブロック大会でどのレベルなのか、認識することができた。

半年の準備期間では短すぎる。これから一年後のボディビル大会に向けて、弱点部位の強化、筋肉のバルクアップを図り、トレーニングを積み重ねていきたいと心に誓った。

来年は、年齢別(年代別)の日本マスターズボディビル選手権大会への出場を目指したい。