平成22年3月29日(月)
職場で私の留守中に児玉さんという方から電話があったという連絡を受けた。
「児玉さん?児玉先生かなぁ・・・。」
メモに記された電話番号にかけると
「あっ、龍山さんですか。わたし、児玉英雄の息子ですが」
「父が今朝の4時に亡くなったので連絡させていただきました。お通夜が明日の4時から葬儀が明後日の1時からです。年度末でお忙しいでしょうが、お時間が取れるようでしたら来ていただけないでしょうか。龍山さんは父の自慢の教え子でしたから。」
児玉英雄先生は、私にとって人生の恩人である。
児玉先生がいなかったら相撲をやっていなかったかも知れない。
私が、宇和島市立城北中学校に入学したときに、相撲部の顧問をされていた児玉先生。
相撲部といっても、試合前だけ柔道部から借りてくる臨時の相撲部員しかいなかった正式部員のいない開店休業中の相撲部。
その相撲部に私が一人だけ入部すると土俵の近くに相撲部の部室をつくってくださり、土俵を整備していただいた。
そして、他の部に入部していた私の小学校時代の友人に
「おまえは明日から相撲部だ! 明日の放課後、土俵に来い!」
という強引な勧誘(強引すぎる?)でドンドン部員を集めてきた。(引き抜いた?)
私が、中学3年生の時には相撲部は、部員34人の大所帯となっていた。
部活動だけでなく、6時間目のクラブ活動(必修授業)でも相撲クラブをつくり、クラスマッチにも「相撲」をつくり、毎朝7時から朝練で相撲の稽古、昼休みに相撲の稽古。ちょっと考えられないような環境をつくってくださった。

2列目の右端が私(当時体重40kg)、左端が児玉先生
台風で暴風警報が出て、学校閉鎖。生徒は自宅待機。
そんな日でも家に電話がかかってきた。
「タツよ! 風はだいぶ弱まった。土俵が待っとるぞ!出てこい!」(強引すぎる~)
いつも土俵の下で見守ってくれていた。時に厳しく。時に優しく。そして、ユーモアに富んでいた。愛情にあふれていた。情熱があった。
いまもずっと私の理想の指導者像である。私の目標である。
私が大学進学したとき、社会人になった時、人生の要所、要所で達筆な筆字で巻物の手紙が届いた。

思いつきでこんな巻物の手紙が書けるわけがない。
情念がこもっている。どんなことがあっても児玉先生だけは私のことを信じてくれている。

2年前にブラジリアン柔術の全日本選手権で優勝したことが、愛媛新聞に掲載されたときに、家に電話があった。
「宇和島の児玉さんという方が、『おめでとう』と伝えてほしい。」
と言っていたと妻から聞いた。
児玉先生の魂が私を呼んでいると思った。
亡くなられてから、いくらお墓に話しかけても仕方ない。
いま、元気なときにお礼を言っておきたい。
すぐに宇和島に向かい、父と息子と3人で児玉先生の自宅に行った。
児玉先生、児玉先生の奥様と3人で2時間以上、思い出話をした。
「いまも先生を目標に子どもたちに相撲の指導をしています。」
「先生が、僕の目標なんですよ。」
もしかしたら最後になるかも知れないと思いながら
「先生は僕の人生の恩人です。本当にありがとうございました。」と魂を込めてお礼を言った。
その時に撮った最後の写真です。

本当に最後になってしまいました。心の支えを失い、戻らない時間の切なさと、人生の儚さに寂しさがこみあげてきて、自然と涙が溢れてきます。
また一人、私の心の支えとなる人がこの世を去ってしまいました。

今年の正月に春日館道場生の保護者から「子どもたちのためにも健康に気を付けて、いつまでも元気でいてください。」という年賀状が届いた。
今度は、児玉先生から受けた愛情を子どもたちに注ぎ、私が子どもたちの心の支えとなる番なのかも知れない。
児玉先生の教えは、私が引き継ぎます。
安らかにお眠りください。
受けた恩は、一生涯忘れることはありません。ありがとうございました。
職場で私の留守中に児玉さんという方から電話があったという連絡を受けた。
「児玉さん?児玉先生かなぁ・・・。」
メモに記された電話番号にかけると
「あっ、龍山さんですか。わたし、児玉英雄の息子ですが」
「父が今朝の4時に亡くなったので連絡させていただきました。お通夜が明日の4時から葬儀が明後日の1時からです。年度末でお忙しいでしょうが、お時間が取れるようでしたら来ていただけないでしょうか。龍山さんは父の自慢の教え子でしたから。」
児玉英雄先生は、私にとって人生の恩人である。
児玉先生がいなかったら相撲をやっていなかったかも知れない。
私が、宇和島市立城北中学校に入学したときに、相撲部の顧問をされていた児玉先生。
相撲部といっても、試合前だけ柔道部から借りてくる臨時の相撲部員しかいなかった正式部員のいない開店休業中の相撲部。
その相撲部に私が一人だけ入部すると土俵の近くに相撲部の部室をつくってくださり、土俵を整備していただいた。
そして、他の部に入部していた私の小学校時代の友人に
「おまえは明日から相撲部だ! 明日の放課後、土俵に来い!」
という強引な勧誘(強引すぎる?)でドンドン部員を集めてきた。(引き抜いた?)
私が、中学3年生の時には相撲部は、部員34人の大所帯となっていた。
部活動だけでなく、6時間目のクラブ活動(必修授業)でも相撲クラブをつくり、クラスマッチにも「相撲」をつくり、毎朝7時から朝練で相撲の稽古、昼休みに相撲の稽古。ちょっと考えられないような環境をつくってくださった。

2列目の右端が私(当時体重40kg)、左端が児玉先生
台風で暴風警報が出て、学校閉鎖。生徒は自宅待機。
そんな日でも家に電話がかかってきた。
「タツよ! 風はだいぶ弱まった。土俵が待っとるぞ!出てこい!」(強引すぎる~)
いつも土俵の下で見守ってくれていた。時に厳しく。時に優しく。そして、ユーモアに富んでいた。愛情にあふれていた。情熱があった。
いまもずっと私の理想の指導者像である。私の目標である。
私が大学進学したとき、社会人になった時、人生の要所、要所で達筆な筆字で巻物の手紙が届いた。

思いつきでこんな巻物の手紙が書けるわけがない。
情念がこもっている。どんなことがあっても児玉先生だけは私のことを信じてくれている。

2年前にブラジリアン柔術の全日本選手権で優勝したことが、愛媛新聞に掲載されたときに、家に電話があった。
「宇和島の児玉さんという方が、『おめでとう』と伝えてほしい。」
と言っていたと妻から聞いた。
児玉先生の魂が私を呼んでいると思った。
亡くなられてから、いくらお墓に話しかけても仕方ない。
いま、元気なときにお礼を言っておきたい。
すぐに宇和島に向かい、父と息子と3人で児玉先生の自宅に行った。
児玉先生、児玉先生の奥様と3人で2時間以上、思い出話をした。
「いまも先生を目標に子どもたちに相撲の指導をしています。」
「先生が、僕の目標なんですよ。」
もしかしたら最後になるかも知れないと思いながら
「先生は僕の人生の恩人です。本当にありがとうございました。」と魂を込めてお礼を言った。
その時に撮った最後の写真です。

本当に最後になってしまいました。心の支えを失い、戻らない時間の切なさと、人生の儚さに寂しさがこみあげてきて、自然と涙が溢れてきます。
また一人、私の心の支えとなる人がこの世を去ってしまいました。

今年の正月に春日館道場生の保護者から「子どもたちのためにも健康に気を付けて、いつまでも元気でいてください。」という年賀状が届いた。
今度は、児玉先生から受けた愛情を子どもたちに注ぎ、私が子どもたちの心の支えとなる番なのかも知れない。
児玉先生の教えは、私が引き継ぎます。
安らかにお眠りください。
受けた恩は、一生涯忘れることはありません。ありがとうございました。
追伸
http://yakami888.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=743&summary=on
当方のブログにコメントありがとうございます!
目の前での伝達式は一生に一度あるかないかの出来事ですので、両親子で立ち会えたことを素直に喜びたいと思います。