アントニオ猪木デビュー50周年を記念して全国50カ所で開催されているイベント「闘魂トークライブ50」が、愛媛県松山市のひめぎんホールで開催されるということで、息子と行ってきました。
プロレスラーを引退して12年も経っている人のトークショーにお客が集まるのかと心配しましたが、そんな心配は無用。
会場は、三千人の猪木ファンで埋め尽くされました。
照明が落とされて、テーマソング「イノキ・ボンバイエ」の曲が流れ、暗闇の中からスポットライトを浴びてアントニオ猪木が登場すると会場総立ちでイノキコール
「イ~ノキ!」「イ~ノキ!」「イ~ノキ!」の大合唱
愛媛県の人気パーソナリティー井坂彰氏との掛け合いトークとなりましたが、猪木さんに「台本どおりやってもつまんないんだよ」「なっ、つまんね~だろ。」と怒られ、いつもは怖いもの知らず、毒舌の井坂氏もおそる、おそる絡んでいきます。
「一番強かった相手は?」という質問に
猪木さんは「あ~っ。そんな質問も聞き飽きたよ。」と言いつつ
「まだ動けた頃のアンドレ・ザ・ジャイアント(故人)」と断言。
「まだ動けた頃」という前置きは、晩年、アンドレは体重が増加し続け、大きな身体を持てあましていたからでしょう。身長224cm、体重280kgの身体は常識を越えていました。
私も一度、一対一でアンドレ・ザ・ジャイアントと対峙したことがあります。
昭和57年3月23日、当時中学生だった私は、新日本プロレスの第5回MSGシリーズを観戦するために、愛媛県からはるばる高知県高知市まで行って、ホテルサンルート高知に宿泊しました。
そのホテルが、たまたま外人レスラーの宿泊先となっていたため、アンドレと客室廊下で遭遇。
アンドレは「少年ファンが、ホテルの客室まで入ってきやがった!」と思ったのでしょう。
「アウトサイド!(でていけ!)」と怒鳴ると、持っていたバックで「ボカッ!」と頭を叩かれました。
山でバッタリと熊に会ったとき、きっとあんな気持ちになるのでしょう。
アンドレ(224cm、280kg)にとっては、軽くだったのでしょうが、純真無垢な少年だった私(60kg)は、生きた心地がしませんでした。
話がそれましたが、
トークが終わると猪木さんが張り手を見舞う闘魂注入の儀式(?)
注入してもらえるのは抽選で5名。
3,000分の5は、倍率が高すぎて残念ながら当たりませんでした。何でもいいので猪木さんと対峙したかったのですが残念です。
今から40年前、私が幼稚園の頃から、プロレスラーのアントニオ猪木といえば、誰でも知っていました。40年の月日を経て、67才になっても注目を集め続ける。不世出の英雄です。
こんな選手、こんな国民的英雄は、もう二度と現れないでしょう。
私も人生のいろいろな場面で、プロレスで活躍するアントニオ猪木に勇気づけられ、夢を与えてもらいました。
ちょっと違ったかも知れませんが、こんなニュアンスの言葉を猪木さんが言っていました。
「若い頃は、他人の欠点にばかりに目がいった。年をとってくると他人の良いところにも目がいくようになった。最近、さらに年をとってくると良いところも悪いところもすべてが見えてくるようになって、人間が好きになってきた。」
私もそんな境地に達するように頑張りたいと思います。
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プロレスラーを引退して12年も経っている人のトークショーにお客が集まるのかと心配しましたが、そんな心配は無用。
会場は、三千人の猪木ファンで埋め尽くされました。
照明が落とされて、テーマソング「イノキ・ボンバイエ」の曲が流れ、暗闇の中からスポットライトを浴びてアントニオ猪木が登場すると会場総立ちでイノキコール
「イ~ノキ!」「イ~ノキ!」「イ~ノキ!」の大合唱
愛媛県の人気パーソナリティー井坂彰氏との掛け合いトークとなりましたが、猪木さんに「台本どおりやってもつまんないんだよ」「なっ、つまんね~だろ。」と怒られ、いつもは怖いもの知らず、毒舌の井坂氏もおそる、おそる絡んでいきます。
「一番強かった相手は?」という質問に
猪木さんは「あ~っ。そんな質問も聞き飽きたよ。」と言いつつ
「まだ動けた頃のアンドレ・ザ・ジャイアント(故人)」と断言。
「まだ動けた頃」という前置きは、晩年、アンドレは体重が増加し続け、大きな身体を持てあましていたからでしょう。身長224cm、体重280kgの身体は常識を越えていました。
私も一度、一対一でアンドレ・ザ・ジャイアントと対峙したことがあります。
昭和57年3月23日、当時中学生だった私は、新日本プロレスの第5回MSGシリーズを観戦するために、愛媛県からはるばる高知県高知市まで行って、ホテルサンルート高知に宿泊しました。
そのホテルが、たまたま外人レスラーの宿泊先となっていたため、アンドレと客室廊下で遭遇。
アンドレは「少年ファンが、ホテルの客室まで入ってきやがった!」と思ったのでしょう。
「アウトサイド!(でていけ!)」と怒鳴ると、持っていたバックで「ボカッ!」と頭を叩かれました。
山でバッタリと熊に会ったとき、きっとあんな気持ちになるのでしょう。
アンドレ(224cm、280kg)にとっては、軽くだったのでしょうが、純真無垢な少年だった私(60kg)は、生きた心地がしませんでした。
話がそれましたが、
トークが終わると猪木さんが張り手を見舞う闘魂注入の儀式(?)
注入してもらえるのは抽選で5名。
3,000分の5は、倍率が高すぎて残念ながら当たりませんでした。何でもいいので猪木さんと対峙したかったのですが残念です。
今から40年前、私が幼稚園の頃から、プロレスラーのアントニオ猪木といえば、誰でも知っていました。40年の月日を経て、67才になっても注目を集め続ける。不世出の英雄です。
こんな選手、こんな国民的英雄は、もう二度と現れないでしょう。
私も人生のいろいろな場面で、プロレスで活躍するアントニオ猪木に勇気づけられ、夢を与えてもらいました。
ちょっと違ったかも知れませんが、こんなニュアンスの言葉を猪木さんが言っていました。
「若い頃は、他人の欠点にばかりに目がいった。年をとってくると他人の良いところにも目がいくようになった。最近、さらに年をとってくると良いところも悪いところもすべてが見えてくるようになって、人間が好きになってきた。」
私もそんな境地に達するように頑張りたいと思います。
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