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かんちがい

、かも知れないけど、思いついたことを書いていく、ヤマサキタカシの日記です。

親方ァ!地下からショタロボットが!!〜メイドインアビス感想(前半)

2021年11月06日 | Weblog
まずはいつものように近況報告から入りたいと思います。

先月はほどんどアニメ見ませんでした。
実は鬼滅の刃の劇場版をまだ見ていないので(汗)、今放映されている無限列車編は見ておこうとは思っているのですが、まだ見ていません。

代わりに何をやっていたかというと、ゲームのモンハンライズやってることが多かったです。

今年の3月に発売されてから、特に他にやりたいゲームがなかったこともあり、ここ半年ずっとボチボチやっていたものの、モンハン初心者の私にとっては難易度が高く一向に上手くならなかったのですが、ここ最近ようやくモンハンというゲームのシステムが少し分かってきたのか、結構楽しくなってきました。



まぁもっとお金になることに時間を使った方がいいのかもしれませんが、ここしばらくはゲームをやっててもあまり楽しくなかったので、またゲームが楽しいと思えるようになっただけでも個人的には嬉しいですね。


〜〜〜


というわけで、今回は先月観た唯一のアニメ、「メイド・イン・アビス」について感想などを書いてみようと思います。

2017年に放映されていたアニメということで、ようやく見てみた感じです。

評判は結構良いと思うのですが、Googleで検索してみると「メイドインアビス 鬱」とか「メイドインアビス グロ」とかが予測で出てくることからも想像できるように、面白かったものの、なかなか一筋縄ではいかないアニメでした。

今回のブログは、前半はネタバレ少なめでざっと紹介する感じ、後半はガッツリネタバレしながら感想を書いていきたいと思っています。


簡単にあらすじを書いておくと、巨大な底知れぬ大穴「アビス」の淵の町で過去の「遺物」を発掘しながら孤児院で生活している少女リコは、ある日アビスの底から来たと思われる記憶を無くした少年の姿をしたロボット・レグと出会い、探窟家で死亡扱いとなっている行方不明の母親を探すためにアビスの底を目指す…という話です。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会


最初見ていて思ったのは、「天空の城ラピュタ」の真逆、というか、鏡像、っていう感じだなぁ、と思いました。

主人公:少年パズー ↔︎  少女リコ
ヒロイン:少女シータ ↔︎ 少年(ロボ)レグ
目指すもの:天空の城 ↔︎ 大穴の底

ただ、世界観は似ているものを感じます。
どこかヨーロッパの田舎町を彷彿とさせるような街並みや、主人公がどちらも両親がいないもののたくましく生活しているところなど、です。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会


読んではいないのですが原作はマンガということで、この原作者さん、多分ジブリで育った我々と同世代なんじゃないか?と思ってWikiで調べたら、同い年でした(笑)


なんとなくワクワクしてくるような世界設定ですが…今回は、普段アニメを見ない人に向けて素直におすすめできるかというと、ちょっと難しいでしょうか。

先にもちょっと述べましたが、ストーリー展開に結構しんどいものがあると思います。

第6話ぐらいからちょっとざわっとしたものを感じ始め、第10話ぐらいから、え、ちょっと待って…という感じになり、第1期最終話の第13話は、嘘だろ…嘘だと言ってくれ…という感じになりました。



個人的にどれぐらいキツかったかというと、第10話から第13話が一気に見られなかったので、ちょこちょこコメディ映画「ポリス・アカデミー」を見ていたのですが、シリーズ全7作品を結局見てしまっていたくらいです。
結局第10話以降を見終わるまでに2週間以上かかりましたかねぇ(遠い目)

まぁポリスアカデミーを見ていたのはメイドインアビスのせいだけではないので、半分冗談なのですが、久々にキツいものを見たような気がします。

系統的には、ドラマ「ウォーキング・デッド」のどぎつさを少し思い出しました。
「ウォーキング・デッド」って、ゾンビのグロさもあるのですがそれよりも、人間のおぞましさ、みたいなのを際立たせている感じがあると思います。
(まぁウォーキングデッドに関しては、逆に、人間というか人類ってここまで酷くないだろ、とやり過ぎな感じも受けるので、最近は見ていません。)

と言っても、「メイド・イン・アビス」は名作と言える作品だと思います。
まだ原作も完結していないようなので、現段階では、となりますが。

自己判断でトラウマ耐性があると思われる方は、見てみるのはいかがでしょうか。
ストーリーとしては面白いと思います。

お時間の無い方には、再構成された総集編もあるみたいですね。13話まるまる見るよりは短いかと。
私はそっちの方は見ていないのですけど、新規カットもあるらしいので見た方がいいのかな。
ちなみに、前編・後編に分かれていて、後編はPG12ということです(笑)
さらに、その続編の劇場版「深き魂の黎明」はR15+となっております。


まぁ一つだけ不満な点というと大げさなのですが、挙げておきます。

第1話のオープニングが、起承転結の「起」が終わった後にスッと入ってくるのですが、これがめちゃめちゃカッコよかったんですよね。
曲もいわゆる「アニソン」ではなく英詞のアンビエントな感じで、アニメというよりは映画のオープニングみたいな感じでした。

それが、第2話からはオープニング・エンディングの両方とも、キャラソンというか、声優さんを歌い手に起用した曲になっていて、あれ?となってしまいました。

別に私は、洋楽至上主義でもキャラソン否定派でもないのですが、第1話のオープニングがカッコ良すぎたので、少し残念に思いました。



権利とかの関係で使えなかったのか、監督さんの何かしらの思惑があるのか、何か事情があるのかは分かりませんが。

まぁでも後半に差しかかると、なじんで違和感はなくなりました。
もともと悪い曲というわけではないので。特にエンディングの曲は結構好きですね。



「底の知れない大穴」というのは、ユング心理学的に言うと、人間の「自己」において、「無意識」の部分をあらわしていると言えると思います。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

大穴の底に向けて旅をしていく、ということは、「無意識」の中の光の当たらない、自分の中のおぞましい部分にも対峙せざるを得ない、ということで、「メイド・イン・アビス」が鬱展開になるのも、必然だったのかも知れないと思います。

(が、個人的には「無意識」の中にも、美しいものは存在しているのではないかと思いますし、また、おぞましいものが自分の中に存在しているとしても、それはあくまでも自分の「一部」なので、あまりそればかりに目を向けてしまうとかえって取り込まれてしまうこともあるのではないかと思います。)


この後のブログの後半はネタバレ有りで、もう少しユング心理学的なことを書いてみたいと思います。
一気に書こうかとも思いましたが、後半は改めて次回にしようと思います。


最後まで読んでくださりありがとうございました!


オールドタイプ 〜「スマホ脳」感想

2021年10月08日 | Weblog
シャアって子どもの頃、めっちゃカッコいいと思ってましたが、おっさんになってから見返すと、ニュータイプとしてはそれほど、なんですよね。
しかも「逆シャア」ではロリコン癖まで…


…今回は別にガンダムについて書くわけではありません。
「スマホ脳」という本が面白かったので、その感想です。

オタキング岡田斗司夫さんが動画でこの本を紹介していたのですが、彼は有料のオンラインサロンを運営しているので、無料はここまで・あとは有料会員になって見てね!という感じで途中で終わってしまいます。

なんとなく有料会員になるのは癪なので(笑)、それなら本買って自分で読むわ、となりました。



ちょっと乱暴かもしれませんが、この本の結論を一言で言うと「運動しろ」ってことです。

運動を勧める本は山ほどありますが、この本はその理由が面白かったです。


例えば、私自身の話をすれば、食べるとすぐ太っちゃう体質に困っています。
ガン治療をしてから1年ほどは、理想体重をキープしていましたが、5年ほど経った今ではすでに以前のポッチャリした体型に戻ってしまっています。

この「体に脂肪を貯めやすい」という体質、そして「食べられるものは食べられる時に食べられるだけ食べておきたい」という性質は、縄文時代などの狩猟・採取生活では有利だったかもしれません。

しかし、炭水化物や糖質が安価で大量に手に入る現代では、むしろ害になってしまうこともあります。



少し話がそれますが、岡田さんがマリー・アントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」が、ボケじゃなく本当の時代になって来ている、と言ってました。
「あ、そっすね、じゃあ夕飯はコーラとポテチにしますわ」ってなっちゃいますからね。
現代では裕福な人たちはスリムな体型が多く、お金に困っている人には太っている人が多い、という傾向が生まれつつあるみたいですね。


あと、私はわりと些細なことが気になって考えすぎてしまう性質があります。

ただ、仕事のスケジュールやメールの内容、苦手な人間関係など色々悩ましいことはありますが、それが生命の危機に直結するかというと、そこまでではありません。
が、いったん悩み始めるとそれが世界の全てみたいになってしまうこともあります。

狩猟・採取生活では、不安=死の危険、ということが多く、野獣がうろついている時にうかうか眠ったりリラックスしているのも危険なため、「いろいろ考えて不安になってしまう」という性質も、当時は有用だったのかもしれません。



このように、ここでは私の体質で考えましたが、人間の生活環境はあまりにも早く変化しているのに、心体の方は、狩猟・採取生活のまま、適応できていないようです。
人により違うとは思いますが。

私はずっと、なんというか、「生きづらさ」を感じることが多く、「まぁオレってばニュータイプだから仕方ないよね」と、半ば冗談で半ば本気で思っている節がありました。

むしろ逆だったんですね。オールドタイプ。過去の遺物。

「認めたくないものだな」

©創通・サンライズ



というわけで、旧時代の生き残りはどうすればいいのか。
世界が石器時代に戻ることを祈るしかないのか。


そこでこの本が主張しているのは、旧時代の体質の人間は「運動する」と、昔を思い出して調子が良くなる、ということです。

例えば、やばい!逃げろ!すぐにダッシュ!!みたいな時代を思い出して、運動することでストレスにも対処しやすくなるということです。



信じるか信じないかはあなた次第、というか、まぁ私はあり得る話だなぁと思っています。

それにダマされたところで、運動自体はお金がかかるわけではないですし。

というわけで、まあ最近もギリ週一くらいで運動はしていたのですが、本では1回45分を週3やるといいですよとのことなので、もうちょい増やしていくのを目標にはしようと思います。

続けるか続かないかは私しだいです。


今回はあえてスマホについて書かれたパートについては触れませんでしたが、むしろこの本はスマホの影響について書かれた本です。

上に書いたことはだいぶ私なりの言葉も混じっちゃってますし、興味を持った方は実際に読んでみるのがいいと思います。

私もこの本を丸々信じたわけじゃなく、細かいところではツッコミを入れながら読んでいました。

生まれた時からスマホのある社会で生活する小さい子どもたちをお持ちの親御さんたちには、役に立つかどうかはわかりませんが、一つの問題提起になるのではないかと思います。




というわけで、今回はちょっと感想が熱いうちに書いてみようかと思い、前回のブログからあまり時間が経っていませんが書いてみました。

最後まで読んでくださりありがとございました!


本のデータ
「スマホ脳」
アンデシュ・ハンセン著
久山葉子訳
新潮新書

「走れメロス」に感じた違和感

2021年10月02日 | Weblog
ここ最近は、活字を読んでいることが少し多くなりました。

少し先月は仕事が忙しくて、といっても民間の会社で全時間就労していた時とは比べ物にならないのですが、それでも割と余計なことをあれこれ考えながら仕事してしまうので、勝手にヘトヘトになって帰ってきます。

考えないようにすることも訓練すれば減らせるのかもしれませんが、まぁ今みたく週4で働いている分にはなんとか一週間の体力は持つので、自分はこういう感じなんだろうと半ば諦めながら受け入れるように努めています。

頭がこんがらがった状態で帰ってくるのですが、酒を飲んでも、そのこんがらがったものがそのまま底に沈んでいくような感じで、あまり疲れが取れるような気がしない。

そこで最近は、デスメタルなんかをよく聞いています。
デスメタルは、ヘビーメタルが究極に速くなったもので、ブラストビートと言う、スネアドラムが1拍子でズドドドドドドと刻む、普通に聞くとアホな感じのするビートが特徴の一つとなっています。

でもそれが割とこんがらがった頭には心地よかったりします。

といってもあまりにグロいのは苦手なので、あまりアルバムジャケットがグロくないのを聴いたりしています。
歌詞は…グロいのかもしれないけど、そもそも何て言ってるかわからないので(笑)あまり気にしていません。



ただ私は、音楽だけ聞く、というのができないんですよね。

運転しながら、とか、本を読みながら、とか、何かをしながらの方が聞きやすかったりします。

流石にアニメや他の動画を見ながら、というのはできなかったので、最近は本を読むことが増えたわけです。


そこで買って積んでおいた本に手をつけ始めたのですが、その中に「走れメロス」を含めた太宰治の短編集もありました。

「走れメロス」は教科書とかにも載っていたと思うので、恐らく皆さん一度はお読みになったことありますかね。
これからガッツリネタバレしていくので、もし嫌だという方はここでブログを閉じてくださいますようにお願いします。
あと、考察する上で「東京八景」と「人間失格」についても少しネタバレすることになりますので、ご承知ください。



まぁ内容知ってるし、子ども騙しの御涙頂戴だろうけど、短いし久しぶりにまた読んでやるか、ということになりました。

一応内容をおさらいしておきますか。

羊飼いの青年メロスは、妹の結婚式の準備のため村から市街へと出てくるのですが、そこで暴君ディオニスの圧政を目にします。正義感の強いメロスは王城にリア凸し、とっ捕まって死刑が宣告されます。しかしメロスは妹の結婚式があるので3日後に帰ってくるから一旦解放して欲しい、と言い出します。いやいやいや、お前なぁとなるわけですが、メロスはその市に住んでいた親友セリヌンティウスを人質に置いておくことを発案し、人間不信が暴政の一因となっているディオニスは、それもまた一興とメロスを解放し、メロスは真実の友情を証明するために走り出す…というお話でしたね。



これが、改めて読んでみると、意外と内容知ってても普通に面白く読めたんですよね。
太宰治の文章力なんでしょうか。

メロスが3日後になんとかギリギリ、親友が処刑される直前に刑場にたどり着くのですが、走りすぎて声が出なくて最初誰も気づかなかったりして、うおおお、めっちゃハラハラするやんけ!と内容知っててもドキドキしました。

そして、二人が一発ずつ殴り合ってから抱き合って嬉し涙を流すシーンでは、うおおおお!めっちゃいい話やんけ!と不覚にも私も泣いていました。
はい、子ども騙しとか言ってイキってすみませんでした。



しかし、問題はその後です。
引用してみますね。

「ありがとう、友よ」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。
 群衆の中からも、歔欷(きょき)の声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」
 どっと群衆の間に、歓声が起こった。
「万歳、王様万歳」


…へ?
ここで一気に涙が引っ込みました(笑)
王様さぁ、なにちゃっかり仲間になろうとしちゃってんの?
群衆もさぁ、なに王様万歳とか言っちゃってんの?
え、この王様めっちゃ人殺してきたけど簡単に許されちゃっていいわけ?

となりました。

なぜ結末にこのようなシーンがつけられているのか、少し理解ができませんでした。
子どもの時は全く引っかからなかったシーンだったのですが。


ちょっと前まで私はYouTubeで、いわゆる「スカッと系」という動画をよく見ていたんですよね。

この「スカッと系」でいう「ハッピーエンド」は、人に迷惑をかけていた「悪役」が、その迷惑行為が自分に戻ってくる形で罰を受けて、その人と縁は切ったので今はもうスッキリしています!その人は今も苦労しているみたいですよ!みたいな感じが多いです。

最初は面白いなぁと思って見ていたのですが、毎日毎日見てると、流石にちょっとげっそりしてくる時もあるので、ほどほどに見るようにしています。

が、それにしてもちょっと「走れメロス」の結末は甘すぎりゃありませんかねぇ、太宰先生。



ドラゴンボールに関するブログでも書きましたが、「切り捨てる」ことがハッピーエンドとなる現代と、「取り込み融合する」ことがハッピーエンドとなる時代とで、感覚が違うのかもしれません。
どっちがいいとか悪いとかではないと思うんですけどね。

それが、私が子供の時にこのシーンを読んでもあまり引っかからなかった一因かもしれません。


太宰治の生きていた時代背景を考えるためWikipediaで調べてみると、1933年に「列車」でデビューし、1948年に自殺で亡くなっていますが、「人間失格」など亡くなる直前まで執筆はしていたようです。
日本が第二次世界大戦に突入していくきっかけとなった満州事変が1931年で、終戦が1945年ですから、第二次世界大戦まっただ中に執筆活動をしていた、と言えるかもしれません。
「走れメロス」は1940年に発行されていますが、その年は日独伊三国同盟が締結された年ということですね。杉原千畝がユダヤ難民に独断でビザを発行したのもこの年だったみたいです。

ということまでは調べてみたものの、ちょっとその時代の人々の感覚というのはどうだったのでしょうか。

まさか戦時中に、大らかな雰囲気はないとは思いますが…

最近YouTubeで岡田斗司夫さんのチャンネルだったり切り抜きを見ることが多いのですが、我らがオタキングはコロナ禍のことを「第三次世界大戦」と呼んでいるので、第二次世界大戦中も、やはり現代のような、殺伐とした雰囲気が漂っていたのではないだろうか、と想像だけはすることができます。

そういえば、「この世界の片隅に」というアニメ映画は、第二次世界大戦時の庶民の雰囲気を綿密な取材に基づいて描いたということですが、今になって考えると、コロナ禍の穏やかなようで重苦しい雰囲気と、少し似たものがあるかもしれないなぁと思いました。

あとは、真珠湾攻撃の前後で、日本国内の雰囲気もだいぶ異なるような気もしますし、勉強不足なので、想像妄想憶測はこれくらいにしておきます。



少し話がそれたかもしれませんが、というわけで、太宰治の生きた”時代”が「走れメロス」に与えた影響というのは、私の知識量ではちょっと分からないわけですが、彼の他の小説を呼んでいくうちに、少し思いついたことがありました。


暴君ディオニスは、太宰治本人なのではないか、ということです。


「走れメロス」は、まぁ現実にはほぼありえない話なので、太宰治の願望がかなり反映されたものだということは想像できますが、最大の願望が、人を信じられずに酷いことを繰り返してきた自分を許して欲しい、ということだったのではないかということです。

太宰治は、私はこれまで「走れメロス」しか読んでこなかったので知らなかったのですが、自分の身に起こったことを多少脚色を交えたりはするものの割りとそのまま小説風に書く、いわゆる私小説を多く残している作家さんのようです。

その中で「東京八景」と「人間失格」は、描かれている内容がかなり近いものだと思います。

「東京八景」は割りとストレートにそのまま書いている感じ。「人間失格」は主人公の名前も創作で、脚色多めに書かれている感じ。がします。

が、どちらを読んでも、太宰治のかなりヒドい私生活が垣間見えます。

ただ問題行動については本人も気づいている、というか本人が一番気にしていたような気もしますし、ものすごい罪悪感に苛まれている様子も見てとれます。



人から金を借りまくったり、薬物中毒になったり、自殺未遂を何度か起こしたりするうちに、半ば騙されるような形で「脳病院」今でいう精神科に入院させられてしまいます。

これがどうやら、相当ショックだったみたいですね。
当時の精神疾患に関する認識も、今とはかなり違うとは思います。

「人間失格」ではこの入院生活でタイトル回収されていたりします。

「東京八景」でも、同居していた女性に退院後次のように語っています。

「僕は、これから信じないんだ」私は病院で覚えて来た唯一のことを言った。
「そう」現実家のHは、私の言葉を何か金銭的な意味に解したらしく、深く首肯いて、「人は、あてになりませんよ」
「おまえの事も信じないんだよ」
 Hは気まずそうな顔をした。


このように、かなりの人間不信に陥っていたことが分かります。

人を信じられぬと言いながら親族や家臣をたくさん殺していた暴君ディオニスは、太宰治自身だったのではないか。
と思うのです。


しかしながら、太宰治の周りには、彼のことを見捨てようとしなかった人たちもいたようです。

作家の井伏鱒二は、師匠という立場だったようで、結婚などの面倒も見てあげていたようです。

また、「帰去来」と「故郷」には、もともと父親の御用達だったような人たちで、太宰治の面倒を見てくれている人が二人出て来ます。

彼らにとって太宰治に関わっていくことは、それほどメリットはなく、むしろデメリットの方が多かったと思うのですが、それでも付き合いをやめなかった、ということは、彼に人間的魅力があったのかどうか。

それはさておき、そんな自分を見捨てようとしない人たちのことが、太宰治はまぶしかったのではないか。
そして、裏切ってばかりの自分は、彼らから許されたかったのではないか。

暴君ディオニスのくだりから、そんなことが想像できました。



私はそれほど太宰治に詳しいわけではないので、間違っているところもあるかもしれません。

ただ、これから全タイトル読破してやろうとか、そういう気も今のところありません。

個人的には、「私小説」のスタイルは、あまり好きじゃないというのもあります。

そういえば中学だったか高校だったかの国語の先生で、
「日本文学は私小説ばっかりで、フィクションではないので西洋文学より劣っている」
みたいなことを言っていた人がいたような気がします。

まぁ私はそこまでは思いません。
おそらく民族というか文化の違いなんだと思います。

例えば、いわゆる「西洋料理」では生で魚を食べることはほとんどありませんが、和食ではお刺身が代表的なメニューの一つとなっています。

そんな感じで、実際の出来事について、煮たり焼いたりソースをかけたりして加工したものが「創作小説」で、さばいてわさび醤油を添えて出すのが「私小説」なんじゃないかと思ったりしています。

ただ私は登場キャラクターの裏の意味なんかをあれこれ憶測するのが好きなので、「創作小説」の方が好き、というだけだと思います。

料理としてのお刺身は大好きですけどね。

というわけで太宰治に関する考察は、いったんこれくらいにしておこうと思います。



別に心に決めてはいなかったのですが、月一回はブログを書いていこうと思い始め、なんだか1年が経ちました。

わりと飽きっぽい方だとは思うので、めちゃめちゃ頑張ってはいないけど、まぁそれなりに自分なりに頑張ったところもあると思うので、まぁよくやったと言ってあげることにします。

読んでくださる方々には大変感謝をしております。
ありがとうございます。

これからも辞める予定はないので、ダラダラと長いブログではありますが、気が向いた時などでも構いませんので、お付き合い頂けますと幸いです。


最後まで読んでくださりありがとうございました!!


使用したイラストは全て「いらすとや」さんのものです。

ケムリクサと北斗の拳

2021年09月06日 | Weblog
まずはアニメの話は置いておいて、先月観て印象深かった映画の感想を簡単に述べます。


「フィールド・オブ・ドリームズ」

先月は何の気なしに、最近ちょっと埋もれがち?なケビン・コスナーを勝手に再評価しようと、彼の主演作品を2、3本見返していました。
これは1989年の映画です。
子どもの頃に見たことはあったのですが、その時は面白いとは思ったもの、それほどグッとくるものはありませんでした。
が、おっさんになってからこの映画を見返すと、ものすごく泣ける映画になっていました。
おっさん・おばさんになってからは観てないなぁ、という方は、ぜひお勧めします。


「ロード・オブ・カオス」

ノルウェーのブラックメタルバンドの周りで起きた、教会放火など実際の事件を元にした映画です。
私は大学生の頃、ヘビメタ雑誌 BURRN! を愛読していたので、北欧にはヤバい奴らがいる、というのは聞いていました。
ずっとガチの悪魔崇拝者が起こした事件なのだと思っていましたが、実際は厨二病を悪い方へこじらせてしまったことが、悲惨な事件を引き起こしてしまったのかもしれない、という、切ない青春映画でした。
めっさグロいシーンもあるので、視聴注意ではありますが、グロいシーンをエンターテイメントとして描いている感じはなく、「ブラックメタル」というある意味ネガティブなものを取り扱うには、避けえなかったのかもしれないと思いました。
そして映画音楽はシガー・ロスが担当していて、ブラックメタルとは対極の存在というかなんというかですが、映画の切ない感じとはよく合っていると思いました。

映画『ロード・オブ・カオス』シガー・ロスバージョン予告編


それぞれの映画で一本ずつブログを書こうかとも思いましたが、今回は簡単にまとめるだけにしておきます。

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今月は「ケムリクサ」について書いてみようと思います。
ようやく観てみました。

2019年に放送されたアニメです。

監督は「たつき」さんです。

たつき監督は、「けものフレンズ」という動物の萌え擬人化アニメが非常に評価されて、一躍アニメ界に登場した、という感じです。

この「けものフレンズ」にはその後騒動が起こります。

「けものフレンズ」の第2期が決定し、第1期のコアなファンたちは、当然たつき監督の続投を期待しました。

最初はその方向で話は進んでいたようですが、結局たつき監督は第2期からは外れることになります。
ハッキリと原因・真相はわかっていないようなので、ここでは取り上げません。

ネットがざわつく中、「けものフレンズ2」と「ケムリクサ」は同時期に放送されます。

そして前期から世界観が変化してしまった「けものフレンズ2」はネットで大炎上し、「ケムリクサ」は期待を裏切らず高評価を受けた、という、当時はアニメ界隈を大きく騒がせた騒動でした。


当時の私は、炎上で「けものフレンズ」第1期が高評価を受けていたということを知って興味を持ち、まずはけもフレを観てみるわけですが、あまりの萌え要素の強さにあてられてしまい、第1話だけ見てやめてしまいました(笑)

というわけで、「ケムリクサ」もまぁ見なくていいかなと、これまで時が過ぎてしまったのでした。

しかしここ最近は個人的に、新作アニメというよりも、以前のアニメで高評価だったものを観ていることが多いので、そんな中で「ケムリクサ」も観てみることにしました。


これがもう、まごうことなき名作でした。

ネタバレをなるべくせずに、感想・考察を書いていきたいと思います。

簡単なあらすじとしては、荒廃した世界の中で、りつ・りん・りなという”姉妹”たちが、アカムシという蟲のような謎の存在からの攻撃をかわしつつ、生き延びるために水を探し続けています。そんな中、わかばという謎の少年が突然現れ、水を探しながら世界の謎が次第に明らかになっていく…というSFファンタジーです。

©ヤオヨロズケムリクサプロジェクト


最初見ていて気づいたのは、「北斗の拳」との共通点です。

まずは荒廃した世界が舞台になっている、という点ですね。

そして、ご存知の通り「北斗の拳」の主人公ケンシロウはめっさ強いわけですが、

©️武論尊・原哲夫/NSP・東映アニメーション

「ケムリクサ」でも主人公のりんはめっさ強いです。

©ヤオヨロズケムリクサプロジェクト

また、北斗の拳でも同名のリンちゃんという女の子が登場しますが、こちらは、ケンシロウの表に出さない、優しさ・弱さ・甘さなどを象徴しているキャラとも言えると思います。

©️武論尊・原哲夫/NSP・東映アニメーション

そして「ケムリクサ」でりんの表に出てこない優しさ・弱さ・甘さを象徴しているのは、主に少年のわかばです。

©ヤオヨロズケムリクサプロジェクト

そしてわかばはケムリクサという謎の物体に興味を示し、好奇心の強いキャラとしても描かれているのですが、この「好奇心の強さ」というのは、昔話などでは女性キャラが担うことが多いようです。

©ヤオヨロズケムリクサプロジェクト

例えば、グリム童話などで鍵を預かったお嬢さんが、一番奥の部屋だけは開けてはいけませんよ、と言われたものの、好奇心に負けて開けてしまい問題が起こる、とか、聖書にも最初の女性エバが蛇に唆されて好奇心に負け、禁断の果実を食べてしまうという話が載せられています。


このように、「北斗の拳」と「ケムリクサ」は共通点も多いですが、男性キャラと女性キャラの役割がまるっと入れ替わっているところが興味深いです。

最近の傾向なのか、この点については以前「呪術廻戦」について書いたブログでも触れました。

その他、鉄骨とかなんでも食べてしまう りな はDrスランプのガッちゃんを彷彿とさせたり、旅の移動に使う路面電車はどことなく猫バスとかジブリっぽい感じがして、我々世代のどこか懐かしいものが詰め合わされている感じもします。

©ヤオヨロズケムリクサプロジェクト

ストーリー的には、SFというかファンタジーながら「好きなことを見つける、好きなことをして生きる」という大きなテーマがあります。

世界観の設定もかなり緻密に練られているようで、ストーリー展開も、この問題はどうやって解決するんだろう?とワクワクしながら観ることができ、ラストは号泣しながら見ていました。

久々にいい作品を観ることができました。
これだからアニメ見るのやめられないんですよね。

この作品は、普段アニメ見ない人、例えば、ジブリとかは普通に見るけど深夜アニメはちょっとなぁ、という方にぜひ見てもらいたいですね。

といっても深夜アニメ特有のというか、語尾に「〜にゃ」とか「〜ナ」とか付けるキャラがいて、そういうのを生理的に受け付けない方もいるかもしれません。
語尾をつける意味というのも最後の方で明らかになるのですけどね。

しかしこれは我々アニ豚だけのものにしておくのはもったいない作品だと思いました。

私も気付くのが2年越しになってしまい申し訳ございませんでした。



「ケムリクサ」を見たあとだと、なんだか、「けものフレンズ」を受け入れられるような気がして、改めて1話から見てみましたが、今度はすんなり見ることができました。


©けものフレンズプロジェクトA

「ケムリクサ」は水を探して旅する、「けものフレンズ」は自分の居場所を探して旅する、どちらもロードムービーの要素があります。

第3話まで観ると、あぁこれって単なる萌えアニメではないのね、と気づき始め、第10話のラストから、うおおおおおお!そうだったのか!となり、第11話と第12話で号泣する感じでした。

個人的には、「ケムリクサ」よりも「けものフレンズ」の方が好きかもしれないと思いました。

主人公のかばんちゃんは、臆病で鈍臭くて、初対面の人とタメ口で話せない、もろHSPという感じなのですが、それが自分を見ているような気がすることもあるかもしれません。

さっきまで「ケムリクサ」をあそこまで推しておいて(笑)

まぁある程度アニメを見ていた私も初見では第1話で切ったくらいなので、「けものフレンズ」は難易度が高いと言ってもいいのではないでしょうか(笑)
萌え要素が強すぎて、裏にある緻密な設定とか、メッセージなどに気づきづらいと思います。
実際、第1話放送時には評価はむしろ低めだったみたいですね。

ただ「けものフレンズ」が高評価を受けなければ「ケムリクサ」も生まれなかったわけで、「けものフレンズ」の凄さに気づき高評価をした当時の萌え豚ども…じゃなかったアニメファンの方々には、感謝の念しかありません。

やはり才能のある人は生きているうちに評価されて欲しいですよね。



というところまで書いて、一休みで酒飲みながら第1話をもう一度見返してみましたが、伏線と思ってなかったところまで第12話で綺麗に回収されていることがわかり、涙が出ました。

岡田斗司夫さんじゃないですけど、一シーンずつ解説したくなるような感じですね!



というわけで「けものフレンズ2」なのですが。

ネットではニコニコ生放送のアンケートで低評価の記録を塗り替えるなど、大炎上したようです。

ただ、ネットの意見を鵜呑みにしても仕方がない。
一通り全て観てみました。

感想は…そうですね、個人的にはあまりグッとくるものはなかったです。

ところどころ引っかかるなぁ、と思って、何が原因かと思ったのですが、考えると、第1期ではあまり感じなかった「権力」の概念がチラッと感じられるところかもしれないなぁと思いました。

あと、問題のイエイヌちゃんは、僕だったら旅の仲間に加えるなぁ、と思いました。
犬は家よりも人間につくって聞きますし。

ただ、第1期が素晴らしすぎたので、何をやっても炎上した可能性はあります。

むしろ第2期は割り切って、コンセプトデザイン吉崎観音さんの「ケロロ軍曹」みたくちょっとドギツいギャグ路線で行った方が、第1期のファンは離れていくでしょうが、新たなファンはついたかもしれないなぁ、と勝手に思いました。

もしたつき監督が第2期を手がけていても炎上した可能性は十分あるとは思います。

「けものフレンズ」「ケムリクサ」と高評価を叩き出したたつき監督ですが、次作のプレッシャーも相当なものでしょう。

ある意味、「けものフレンズ」と「ケムリクサ」って ”同じ” だと思うんですよね。

もし次作も素晴らしい作品を生み出すことができれば、宮崎駿クラスの天才ということになるでしょうが、あまり無理しないでのんびりやって欲しいなぁとも思います。



実は、今期は「探偵はもう、死んでいる」とか、「ピーチボーイリバーサイド」など、気になっている作品はあるのですが、まだ手をつけていません。

むしろ「けものフレンズ」の2周目が楽しくて仕方がない感じです。

まぁ、私も一般の人から見れば立派な萌え豚でしょうねぇ。



長い文を最後まで読んでくださりありがとうございました!!

今回のは多分数年後に読むと恥ずかしくなるやつだと思います(笑)



鳥とユングとインターネット

2021年08月05日 | Weblog
先月もあまりアニメは見ていませんでした。

昔のアニメなどはちらほら見ていましたが、ここのところは暴露系の生配信ユーチューバーのアーカイブや切り抜き動画をダラダラと見ていることが多かったです。

私の知らなかったネットの側面も多く、ネットって怖いなぁと思いながらも、ついつい見てしまいます。



そんな中ふと、ユング心理学者の河合隼雄先生が昔話「ヘンゼルとグレーテル」について書いていたことを思い出しました。

兄妹は帰り道が後でわかるようにパンくずを落としていくわけですが、それを鳥が食べてしまい、森の中で迷ってしまうというシーン。

これについての考察が、鳥(の群れ)はユング心理学では「集団心理」と解釈することがあり、民衆により人は道を惑わされてしまうことが時折ある、みたいなことが書かれていたと記憶しています。

集団心理の権化というようなSNSの代表格であるTwitterは、鳥のさえずりという意味があるらしいですし、「鳥」がモチーフにされているというのも興味深いなぁとその時思ったのでした。





そしてふと、そういえば「鳥」っていう映画があったよなぁ、と思い出したのでした。

アルフレッド・ヒッチコック監督の1963年の映画ですね。

子供のときに、父親がビデオで見ていた脇で一緒に見たような気がしますが、襲ってくるのが"地球外生命体"とかではなくて、ただの「鳥」であるという地味さや、銃でバババババとか派手な戦闘シーンもないので、キッズの心の琴線には響かなかったようであまり覚えていません。

そこで、上述の考察なども踏まえて、改めて見返してみることにしました。

鳥=匿名のネット民、と解釈して観ると、これはもう、ネットの炎上によって人々が苦しんでいる様を描いているようにしか見えなくなってきます。


© 1963 Universal Studios

当時のヒッチコック監督なりに、新聞などのマスメディアなのかどうか、「鳥」をイメージさせたものがあったのだとは思いますが、ネットの普及した現在に見ると、驚くほどカッチリとピースのハマるような映画だと思いました。


オリンピックなど最近のネットでの騒動を見ていると、事実関係を私はよく知らないので、該当者たちのやったとされる事柄が擁護できることなのかどうかはここでは述べませんが、ちょっとモヤっとしたものを感じます。


ネタバレになってしまいますが、この映画の結末は特に解決策が提示されるわけでもなく唐突に終わるのですが、まさにそのようなモヤっとした感じで、それもまた現在のネット社会を表しているような気がしてならないのでした。



最後まで読んでくださりありがとうございました!