goo blog サービス終了のお知らせ 

かんちがい

、かも知れないけど、思いついたことを書いていく、ヤマサキタカシの日記です。

オニと丑寅

2022年02月03日 | Weblog
今日は、ふっと思いついたので、あまり深く考えずに、ふっと書いてみようと思います。

前回、約束のネバーランドの第2期をまだ見ていない、ということを書いたと思うのですが、先ほど晩御飯を食べながら、何気なく、そういや見てみるかなぁ〜という感じで、2期の第1話を見始めました。

見ている途中で、そういや、今日は節分だったなぁ〜節分に見る約束のネバーランドも、また乙なものかもしれませんなぁと思っていたら、昨日聞いたラジオの話を思い出しました。


朝、仕事に行く準備をしている間、スマホでラジオを聞いていることが多いです。

文化放送かニッポン放送を聞いていることが多いのですが、7時35分ごろのブレイクタイム?は、ニッポン放送で羽田美智子さんのいってらっしゃいを聞くことが多いです。

今週のテーマは「鬼」について、ということで、昨日2月2日は、干支と方角についてのお話でした。


古代中国からの言い伝えで、鬼がやってくるという「鬼門」の方角は、北東とされているようです。
そして昔は年だけでなく、方角も干支で表しており、北東は「丑寅」ということです。
その「丑寅」から、鬼は牛のような角を生やしていたり、虎柄のパンツを履いている、ということでした。



その北東の180度、真逆の方角、南西のことは「裏鬼門」と呼ばれており、干支で表すと「未申」、ということです。
猿から十二支を辿ると、猿、鳥、犬となり、これが鬼退治に行く桃太郎のお供となっている、という話で、ほうほうほうと、興味深く聞いておりました。



え、羊は?羊はどうしたの?という私と同じ未(ひつじ)年の方は、今ならradikoで聞くことができますので、ぜひそちらで聞いてください〜
2022年2月2日(水)07:37~07:41 | 羽田美智子のいってらっしゃい | ニッポン放送 | radiko

もしradikoの期限が過ぎてしまっている時は、定期的に公式ホームページに内容がアップされるようですね。
スズキ・ハッピーモーニング 羽田美智子のいってらっしゃい | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93


それで、話の最初に戻ると、そういえば、「鬼」にまつわるアニメが、最近?多い、かなぁ?とふと思いました。

「約束のネバーランド」、「鬼滅の刃」、キャラ的には脇役だけど「転生したらスライムだった件」とかでしょうか。
(あとはまだ未視聴なので鬼がどれくらい出てくるかは分からないけど桃太郎から題材を得たという「ピーチボーイ・リバーサイド」もありましたね)


©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable


©川上泰樹・伏瀬・講談社/転スラ製作委員会


干支で考えると、今年は寅年で、去年は丑年、ちょうど「丑寅」なので、「鬼」にまつわるアニメも期せずして多くなってしまったのかな?と思ってしまいました。

まぁ、言うて「鬼」が出てくるアニメ・漫画ってどの時代にもある気がしますし…
ぶっちゃけ個人的には、十二支にそれほど深い思い入れがあるわけではありませんし…
まぁたまにはふっと思ったことを書いてしまうのもお許しください!

…え、今年「うる星やつら」のリメイクが放送されるってまじ?

あ、そういえば、転スラの第2期も見てなかったことに今気づきました。


ではまた。
最後まで読んでくださりありがとうございました!

見出し画像:
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社・約束のネバーランド製作委員会 

近況報告

2022年01月23日 | Weblog
少し時間が空いてしまいましたが、あけまして、おめでたい方もそうでない方も、今年もよろしくお願いいたします。

個人的に、うまく言えないんですけど、新年はおめでたいけれど、身内に不幸があった人はおめでたくない、というのが、なんだか納得できないところがあって、どっちかにしてくれよ、という思いから、逆にむしろ上のような書き出し方を去年の年始もしていました。
おめでたくない人に知らないとはいえおめでとうって言いたくない、から、なんでしょうかね。


ちょっと今月はいまいち気分が乗らなかったので、簡単に近況報告だけしようかなと思いながら、ダラダラと過ぎていたのですが、いい加減そろそろ書かないとな、と思っていた時に、高校時代の友人の訃報が飛び込んできました。

あまりにも突然で、悲しい、というよりは、びっくりした、という感情の方が大きいかもしれません。

実感があまり湧かないので、涙も出ない感じでした。

前に書いたことがあるかどうかわかりませんが、そういう時には、Fairport Convention の「Farewell, Farewell」という曲を聴くようにしています。

歌詞の意味がよくわからないところもあり、ふさわしいのかどうかは不明なのですが、自然と涙が出てくるので、ちょっとスッキリする感じになります。

公式なのかどうかわかりませんが、動画貼っておきます。

OGPイメージ

Farewell, Farewell

Provided to YouTube by Universal Music Group

Farewell, Farewell · Fai...

youtube#video

 


頻繁に会ってはいなかったとはいえ、これまで亡くなった知り合いの中では一番親しかったであろう友人だったので、おそらく実感が追いついた時はガッツリ凹むかもしれません。

写真などを見返して、「そういえばディズニーランド行った時、〇〇(共通の知人)が魅惑のチキルームでノリノリで手拍子とかしちゃってさぁ〜」とか、バカ話ができないんだなぁ、と思いつつも、まだよくわかっていない感じです。


訃報を理由に今月のブログを書かないとかすると、俺のせいにすんじゃねぇよ、と怒られそうなので、内容はくだらないものも含まれると思いますが、最近思っていたことなどをダラダラ書いていこうと思います。



「アジャラカモクレン」という4人組のフォークユニットを組んでいるのですが、もともと集客力がなく、ここ2年ほどはライブが難しかったということもあり、自宅に一人ずつ来てもらって、本当に少しずつ録音をしていました。

この年始には久々に4人集まって、あーだこーだ言いながらMIXををしました。

4曲を録音していたのですが、一旦は完成ということになりました。

あとは、CDの形にするのか、YouTubeに上げるのか、それとも他の音楽配信サービスにするか、というところですが、いずれお届けできるかと思いますので、気長にお待ちいただけると幸いです。


で、その時に、昨年フジロックに行ったメンバーがいたので、平沢進さんの話になりました。

私は、平沢進さん単体ではあまり聴かないのですが、アニメ監督の今敏さんの作品でよく音楽の担当をされていたので、その印象が強いです。

映画「パプリカ」の所長発狂シーンで、平沢進さんの「パレード」という曲が流れるのですが、追加されているSEともあいまって、初見は自分も発狂するかと思いました。

今では「オセアニアじゃ常識なんだよ!」はネットのネタにもなってしまいましたが。

ということで久々に「パプリカ」を見返してみましたが、ユング心理学をかじった後で見ると、新たな発見もあり面白かったです。

ただ、テーマが「夢」ということもあり、考察ブログを書くと1シーンずつ書かなくてはいけないような感じになってしまいそうなので、やめておきます。

今監督は「アキラ」の大友監督の弟子、とか、エヴァの庵野監督は宮崎駿の弟子、とか、人間関係から作品を見るのも好きなので、最後のスタッフのエンドロールもなんとなく目を通したりします。

すると、Production I.Gチームのところに京極義昭さんのお名前が。
おそらくゆるキャン△監督ご本人だと思います。
作画班の一人という感じで、今監督と師弟とかそういうのではなさそうですが…

今監督はもう亡くなられてしまいましたが、まだまだ作品を見てみたかったですね。


そして、映画「パプリカ」が影響を与えたとも言われる、クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」も改めて見返してみました。

クリストファー・ノーラン監督は「ダークナイト」以来好きで結構見ていると思うのですが、「インセプション」は難解でいまいち好きにはなれない感じでした。

しかし、「インターステラー」と「テネット」を見た後だと、入ってきやすい感じはしました。

「インセプション」は良く言えば早すぎた、というか、悪く言うと詰め込みすぎてしまっていた、のかもしれません。

見返すと結構面白かったので、特にラストシーンに絞って、いつか考察を書いてみたいなぁと思います。

そういえば蛇足になりますが、以前「ダンケルク」を見たときに、第二次世界大戦の実話を元にした映画で、市民がよっしゃやったるで!と頑張った話なのですが、こりゃ日本は負けるわけだわ、とちょっと思ってしまいました。

最近の日本は「欲しがりません勝つまでは」のような、ガチガチの空気感が強いような気がして、コロナが明けた時に、また遅れをとってしまうで、と余計なことを考えました。



「鬼滅の刃」の遊郭編は、ずっと見ています。

そう言えば前に書き忘れたのですが、伊之助役の松岡さんの演技、割と好きです。

松岡さんといえば、SAOのキリト役のイメージが強烈で、松岡さん=イケメン主人公キャラ、みたいな感じが一時期ありましたが、最近は色々な役をされているので見ていて面白いですね。

無限列車編のラストの「こっち来い!修行だ!」は泣きました。


というわけで割と2期を見ていないアニメが多いことに気がついたので、最近は見るようにしています。

最近映画が公開されている「呪術廻戦」ですが、二期というか後半は京都校との交流戦、ということで、学園ものの宿命とはいえ、ヒロアカじゃないんだから、と食わず嫌いしていました。
なんとなく、呪術の真人とヒロアカの死柄木はイメージが被ってしまうこともあり。

あ、死柄木役の内山さんは、呪術ではおにぎり先輩の役でしたか。

声優が誰か視点でアニメを見るのも面白いのですが、「呪術廻戦」は中堅どころの声優さんが多いので、おっさんアニメファンにはうれしいですね。

現ジャイアンvs現スネ夫カードが見たかったところですが…なんてね。
そして釘宮さんは今日もカワイイ。

前半はほとんどしゃべらなかった花御役の田中敦子さんのセリフが多かったのも良かったです。
田中さんは中堅というか大御所クラスになるのかな…?


Dr.STONEの2期は、特に理由はなかったのですが、見ていませんでした。

「科学王国」も発展してきて仕方ないとはいえ、第2期は、科学要素が少なめで少し寂しい感じはしました。

ただ、千空と司の関係は、ユング心理学的に面白いので、いつか考察を書いてみようかなぁと思ったりもします。



後は、「約束のネバーランド」の第2期をまだ見ていないです。

なんだか、原作が少年ジャンプのアニメの話ばかりになってしまいました。



最後にゲームの話を。

去年はずっと「モンスターハンターライズ」をやっていました。

しかし、ある時気づいてしまったのですが、私って、ゲームで俺TSUEEEEEをしたいんですよね。

モンハンで強くなるには、装備もある程度重要ですが、プレイヤースキルの方が重要なので、普通にスポーツみたく練習が必要だったりします。

まぁ友達とワイワイやるのが楽しいのだと思いますが、私は基本ゲームはボッチなので…

ヌシ3体連続まではなんとかクリアしたので、イベクエは全部は消化していないけれど、とりあえず別ゲーを始めることにしました。

ということで、その時テレビでやっていたというゲームランキングで、1位だった「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」を始めることにしました。

いやー高評価なのもうなずけます。

これぐらいの難易度がちょうどいいですねぇ。

わりと私は、攻略法ガッツリ見て、効率良くゲームをしてしまう人種だったのですが、このブレワイに関しては、なるべく攻略法を見ずに、あっち行ったりこっち行ったり、ウロウロするのがむしろ楽しいゲームです。

モンハンもブレワイも、今年、大型アップデートだったり次回作が来るらしいので、楽しみにしています。




最後に、大事な友人を失ってはしまいましたが、代わりに、私一人の力ではないですが、しばらく連絡をとっていなかった多くの同級生と久しぶりに連絡を取ることができたりしています。

また完全に別件で、20年ほど会っていなかった中学時代の友人と、ひょんなことから年始に再会することもできました。

今年は再会に恵まれる年になればいいなぁと願っております。


長いブログを最後まで読んでくださり、ありがとうございました。



クリスマスの意義について考える

2021年12月22日 | Weblog
のっけから甘えたことを言うようで申し訳ないのですが、最近、どうにもやる気が起こりませんでした。

まぁ普段からそれほどテンションは高い方ではないのですが、ここしばらくは顕著な感じでした。

ただ、原因がどうにも思いつきません。

最近は特に悩んでいる人間関係もありません。

「モルダー、あなた疲れてるのよ」と自分に言ってみても、師走だしまぁそれなりに、という感じで、あまりピンとはきません。

色々考えてみましたが、ふと寒くなってきたからかな、と思い、あ、これかも!と、なんかパズルのピースがはまったような気がしました。

そんな思いつきについて今回は書いていきたいと思います。


私、現在は関東に住んでいますが、大学時代は日本海側の雪国で過ごしておりました。

冬になると、どんよりとした天候の日が続き、なかなか青空を見ることができません。



確か、大学の先生が言っていたと思うのですが、冬は、朝起きたらとりあえず部屋の電気をつけろ、と。

なんでも、日照時間が少ないことによりうつ病のような症状を引き起こす「冬季うつ病」というのがあるということで、特に雪国育ちでない他地域から来た学生はなりやすいということだったと思います。


以前のブログにて「スマホ脳」という本についての感想を書きました。
簡単に言うと、人間には狩猟・採取生活時代の本能・体質が残されており、急速な社会の進歩についていけてないため、色々と歪みが出ている、という内容の本でした。

その中にうつ病に関しても述べている箇所がありました。

長期のストレスによりうつ病の発症することが多いわけですが、本来は、怪我や感染症のリスクから自分を遠ざけるため自身の行動を抑制する「免疫機能」としてうつ病があるのではないか、という説でした。


それを踏まえて展開させると、冬季うつ病というのは、狩猟・採取生活の中で食物の見つけづらくなる冬において、行動を制限することにより消費するエネルギーをより少なくするための本能の、名残なのではないか。

さらに簡略して言うと、一哺乳類としての本能である「冬ごもり・冬眠」に近いのではないか、と思いました。



冬季うつ病の特徴が、「過食」「過眠」であることも、よく似ているということができます。

やる気が出ない、というのは苦しいことですが、古い本能である、と考えると、少し安心というか、仕方ないのかなぁと、自分をそんなに責めなくてもいいのかなぁ、という気になります。

ただ上記のことは完全に思いつきで述べており、私は医者ではないので、実生活に影響が出るほど冬季のうつ症状で苦しまれている方は、受診を検討された方がいいかもしれません。


動物と言っても冬ごもりするものばかりではなく、冬にも活発に活動する動物もいますので、人間においても個人差はあると思います。

(個人的には、私は冬よりも夏が好きな人間です。)

とはいえ、一定数の人間は本能として冬は活動を少なくしたくなるものの、現代社会においては、冬も他の季節と同様に生活することを求められる、ということは言えるのではないかと思います。

ので、冬はなんとか自分の本能をだましだまし生活する必要がある。

そこに「クリスマス」はうまくはまったのではないか、とふと思いました。




ここでクリスマスの起源について調べてみますが、Wikipediaによりますと、クリスマスはキリストの降誕を記念する日、ということで、実際の誕生日は不明ということです。

なぜ12月25日になったのか、ということについては、古代ローマの太陽神を祝う冬至の祭りがローマ暦の12月25日だったので、それの影響を受けているという説が有力のようです。

なぜ太陽神を祝う祭りが、冬至、一年で一番日照時間の短い日なのか、ということについては、短くなり続けていた昼の時間が冬至を境に長くなっていくことから、太陽神が「再び生まれる」日である、という信仰からきているようです。

私は太陽神を信仰していませんが、感覚としては、だんだん日が短くなると少し不安になり、冬至を過ぎて日が延びていくとホッとする、というのは共感できます。



昔のクリスマスがどのようなものだったかは分からないのと、実際に太陽神の祭りが影響しているのかどうかは分かりませんが、現代のクリスマスにおいては、冬至の頃の長い夜を明るく照らすかのような、イルミネーションが大きな特徴の一つとなっています。

個人的にクリスマスは(ボッチで陰キャということもあり)それほど好きなイベントではないのですが、闇夜を照らすイルミネーションに、心がホッとしてしまうのも事実です。

動物的な本能としては、短くなっていく日照時間に不安が増し、冬ごもりしたくなるところを、煌々と灯りをつけることによって、冬もなんとか生活して頑張りましょうと、お互い励まし合うような気持ちが、根底にあるのかもしれません。

キリスト教そのものはあまり根付かなかった日本において、クリスマスは根付いてしまった、という事実は、日本人の宗教に対する節操の無さだけでなく、「冬」に対する本能的な不安に訴えかけるものがあったためではないか、と思います。




話は少し逸れますが、日本の伝統的な正月においても、大晦日まで必死こいてお節を作って、正月は何もしないでそれを食べる、というのは、秋に食料をひたすら集めて冬はひたすら寝るという冬ごもりの名残なのかな、と思ってしまいます。

正月を「新春」というのも、もう春ですから冬ごもりはそろそろやめましょうね、という「お約束」のような気がしてしまいます。


ということで「冬ごもり」について考えてきましたが、冬はやる気が出ないものとして半ば諦めた方が良いのか、それともなんとか自分をだまくらかして活動的になった方が良いのか、難しいところですよね。

ただ、考えてみると、現在の日本社会において「冬だから」というだけの理由で食料が得られずに飢える、ということはほぼ無さそうです。
(無いとは言い切りませんが、もし飢えてしまうのであれば原因の多くは、冬以外の理由の方が多いと思います。)

というわけで、乱暴に言ってしまうと、現代人は「冬ごもり」をしなくても、生命には問題ないわけです。

できることなら、冬も活動的に過ごせるなら、それにこしたことは無いと思います。




私は心の病気の専門家では無いので、どうしたら良いかというのは、正直分かりません。

試しにこの前の土日にたまたま予定がなかったので、罪悪感に目をつむり、思いっきり引きこもってみたところ、今週はなんだか少し元気が出てきたような気はします。

まぁ人それぞれ違うでしょうし、その年々の状況でも違うかもしれません。

自分との対話が重要なのでしょうけど、自分が必ずしも正直とは限らない。

自分なりのやり方を見つけた時にはもう、おじいちゃんになっていそうな気もします。



というようなことをふと思いついたので、前から考えていたことも含めて、ちょっと突発的にはなりましたがブログを書いてみました。
まぁ僕ちゃんの想像妄想憶測なので、話半分に読んでくださいませ。



今年もあと少し。頑張っていきまっしょい。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

モーフィアスの嘘?〜映画マトリックス3部作考察【ネタバレあり】

2021年12月09日 | Weblog
今回はタイトルにカッコよく「考察」とつけましたが、「妄想」の方が正しいかもしれません。


まずは近況報告を。

アニメ「鬼滅の刃」の第1期は見ていたのですが、劇場版「無限列車編」の方は、私の加入している配信サービスで見られなかったのもあり、ずっと見ていませんでした。

しかし、劇場版を再編集したテレビ版が放映されていたので、先日まとめて見始めたところ、一気に見てしまいました。

煉獄杏寿郎役の日野聡さんは、「オーバーロード」の重厚な声の印象が強かったのですが、別人のように爽やかな青年の役をこなしていてすげぇなぁと思いました。

やっぱ少年漫画は面白いですなぁ

まだ見ていないのですが「遊郭編」も楽しみにしています。

〜〜〜

というわけで、映画「マトリックス レザレクションズ」が12月17日に公開されるということで、その前のお話となる「マトリックス」「〜リローデッド」「〜レボリューションズ」の3部作について、考察というか、妄想を書きつらねていこうと思います。

最初の「マトリックス」公開は1999年ですか。
もう20年以上前になるんですねぇ〜
当時大学生だった私はハマって映画館に2回ほど見に行ったような覚えがあります。

これから3部作のネタバレを含みますので、ネタバレを好まれない方は、ここでこのブログを閉じていただけますようお願いいたします。
また、見てないけどネタバレ気にしないという方も、登場人物など詳細な説明は省きますのでご了承ください。


TM&© Warner Bros. Entertainment Inc.

まずは、これから書く「妄想」を思いついた経緯から書いていこうと思います。


最近はあまり見なくなってしまったのですが、岡田斗司夫さんの動画をよく見ていた時期がありまして、その時に「ユーチューバーが消滅する未来」(PHP新書)を買って読みました。

内容としては、岡田さんがニコ生であれこれ予言というか、「未来予測」をしたものを本にまとめたものです。

時期的には2015年から2017年あたりに行われた生放送とのことです。

当たらずとは言えないし遠いかもしれないけど当たってる、というものが多く興味深いです。


例えば、「日本人ユーチューバーの市場も、これから2、3年でアイドルや芸人に荒らされることになるでしょう」ということを2017年12月31日のニコ生で言っていたようです。

実際、コロナ禍で仕事が激減したこともあるのでしょう、ここ1、2年ほど芸能人たちがこぞってYouTubeに参入してきたことは記憶に新しいところです。

が、現状は、視聴数が思ったより伸び悩んでいる芸能人は多く、草の根ユーチューバーが勢いを失ったかというと、そうでもないようですね。



この現状について(岡田さんもお気に入り?の)へライザー総統が、「別にユーチューバーが面白いというわけではなく、彼らはYouTubeのアルゴリズムを理解しているから」というようなことを言っていて、なるほどそうかもと思いました。

勝手に、やっぱネット民は陰キャが多いから芸能人とか苦手なのか?と思っていました(笑)


あとは、これはまだ現実にはなっていませんが、自動翻訳が進化していくと、日本のユーチューバーは世界のユーチューバーを相手に視聴数の奪い合いをするか、もしくは地元に特化したコンテンツで勝負していくことになるだろう、というようなことも言っていました。

確かに、TikTokなどの人気動画を眺めてみるに、言語に頼らずいかに面白いことができるか、というような動画か、もしくは高校生など若者たちの内輪ネタ的な動画、に大きく分けられるような気がします。
まぁ私はあまりTikTokに詳しくはないのですけど…




ちょっと前置きが長くなってしまいました。
そのような予測の中の一つに、「空飛ぶ車が僕たちの家になる」というものがありました。

航空機メーカーのエアバスが「Pop.Up」というコンセプトカーを開発しているそうなのですが、これはイメージとしてはガンダムのコアファイターのように、人が乗るカプセルを付け替えることで、ドローンで空を飛んだり、地面を自動車として走ったりできる、というもののようです。


©創通・サンライズ

その後アウディなど他の会社も参加しているようですね。「Pop.Up Next」の紹介動画を貼っておきますので、ご参考にご覧ください。

OGPイメージ

Pop.Up Next 2018

Pop.Up Next reflects the philosophy driving Italdesign’s 50th annivers...

youtube#video

 


自動運転ということもあり、そのまま寝られるし、もう家に帰って寝る必要は無いよね、というのが岡田さんの考えのようです。
動くネットカフェ、みたいな感じでしょうか。

さすがに狭いよね、とか、たまには友達と家飲みしたいよね、という人には、レンタル用のドッキングできるスペースを用意すればいいのではないか、ということです。

引用すると、
「今の僕らの生活は無駄だらけです。仕事や遊びに行っている間は誰もいないのに、その固定住居のためにお金を払っている。」(太字は原文ママ)
ということです。

私としては、人間は本能的に「家」というか「巣」に対する思い入れがあるような気がするので、そう簡単には割り切れないような気がします。
さすがはサイコパス、岡田さんらしい合理主義だと思います。
(別にディスりではなく、ご本人がご自分のことをサイコパス認定していらっしゃいますので…)

と言っても、個人的には両手を上げて賛成はできないものの、そのような考え自体は理解できますし、利点も理解できますので、面白いことを言うおじさんだなぁ、と思っていました。


そして、これって突き詰めると「マトリックス」の世界じゃね?と思ったのです。

ここ2年ほどのコロナ禍においてテレワークが急速に普及したことで、一定数の人たちは、家から出なくても仕事ができてしまう、という事実が発覚しました。

あ、インターネットってそんなに進んじゃってるの?と、まぁ考えれば以前から予想できたことなのですが、友達とオンライン飲み会をやったりして、体験として目の前に突きつけられると、個人的には衝撃と言っていいほどでした。



私はまだ不勉強なのですが、最近「メタバース」という言葉が注目を集めているようで、仮想空間がより発達し、仕事もその中で完結してしまえるようになれば、移動すら必要にならない日が来るかもしれない。

趣味についても、私のようにアニメとかゲームが趣味の人間は、例えば自宅のパソコンで映画を見ようが、仮想空間の映画館で見ようが、対して違いは無さそうです。

旅行やアウトドアが趣味という人も、仮想空間で近い体験ができるようになれば、それでいいや、という人もいるかもしれない。

「家」についても、例えばファイナルファンタジー14のようなMMOとか「あつ森」など、ゲーム上で「自宅」をカスタマイズして楽しむ人たちはいるわけで、それの延長上として楽しめる人もいるかもしれない。

すなわち、先ほどの「移動カプセル」も、人間が快適に生命を維持できる環境が用意できれば、もはや移動する必要もなく、一箇所にとどまり全てを仮想空間内で完結することができるかもしれない。


TM&© Warner Bros. Entertainment Inc.

というわけで、「マトリックス」の元型は、AIではなく人間が作ったのではないか?と思ったのです。
あくまでも空想のお話ですけどね。


ここでようやく映画「マトリックス」の話になりますが、モーフィアスが寝起きのネオにマトリックスについて説明したものをおさらいしてみます。


TM&© Warner Bros. Entertainment Inc.

①人間とAIの間で戦争が起こった
②コンピュータの電源を止めるため人間が主要発電源の太陽光を遮った
③AIは人間を発電源として利用するため、栽培し、支配するためマトリックスを生み出した

というものでした。


それを、人間がマトリックスの元型を作った、と仮定するとどうでしょうか。

ここからは妄想全開で行きますので、ご了承ください!


①に関しては、そもそもAIは反乱など起こしていない、と想像できます。


②についてはおおよそ、嘘は無くその通りだったのでしょう。

しかし、「人間」といっても「マトリックス反対派の人間」、なのではないでしょうか。

人類がマトリックスに繋がれて生活するのは、ある意味、合理的で安全だと言えるかもしれません。
が、一生物としてはやはり抵抗があるのも事実なので、それについて反対する人間が出てくるのも容易に想像ができます。

私も繋がれたいかというと、ちょっとやですねぇ。

なので、「ザイオン」は人類代表みたいな扱いになっていますが、「マトリックス反対派の、実力行使もいとわない過激派」だった、というのが実情だったのではないでしょうか。


© 2003 Village Roadshow Films (BVI) Limited. © 2003 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

AIが執拗にザイオンを攻撃するのも、人類に対する憎しみというよりは、マトリックスの正常運営を妨害するものを排除するため、と考えることができます。

さらに言うと、少し不思議なのが、人間が太陽光を遮ってから200年ほど経っているようですが、まだ地球は暗闇に包まれているようです。
地球には自浄作用があると思うので、もう少し改善されていてもいいような気がするのです。

と言うことは、継続的に太陽光を奪う仕組みがはたらいているのではないか?と想像できます。

するってーと、ザイオンのこの装置がぷんぷん匂いますなぁ


© 2003 Village Roadshow Films (BVI) Limited. © 2003 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

センチネルが執拗にザイオンを狙うのもこれか?と思ってしまいます(笑)



③については、捉え方の違いなのではないか、と想像できます。

マトリックスを人間が作り出したとして、最初から全てをAIに丸投げ、ということは少し考えにくいです。

おそらく、最初は宿直当番というか、一定期間マトリックスから離れてメンテナンスを行う人間がいたのではないでしょうか。
しかし、ザイオンの攻撃を受けたためか、メンテナンスを行う人間がいなくなり、AIだけで運営せざるを得なくなったと思われます。

AIには感情がなく超合理主義ですから、
電源がなくなっちゃったけど、このままオレたちAIが止まると人間たちも死んじゃうなぁ、あ、どうせエネルギーは余ってるから人間を電池にしようぜ!
死体もどうせなら溶かして栄養にすれば無駄がないじゃん!

という感じで運営状況が出来上がったのではないかと想像できます。


アーキテクトが今のマトリックスになるまでに試行錯誤を繰り返した、と発言していますが、マトリックス設立のごく初期にAIだけで運営をしなければならない状況になった、ということにしておきましょう。


© 2003 Village Roadshow Films (BVI) Limited. © 2003 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

このように、マトリックスの元型を人間の方が作ったと考えると、AIのやつら、マトリックスを維持するためにめっちゃ頑張ってるやん!といじらしくなってきますね。
ね?


ちょっと話はそれますが、現在の現実でもいわゆる「ネトゲ廃人」と呼ばれる人たちがいるわけじゃないですか。
トイレに行く時間も惜しんで、ペットボトルとかバケツとかに排泄してまでもゲームにのめり込んでしまう人たち。



もし、「マトリックス」の元型が、「ソード・アート・オンライン」の進化版というか、食事や排泄を気にせず没頭できるフルダイブVRMMOだったとしたら。

ネオ以前にもいたという「救世主」という存在は、もしかしたら、職業や能力のガチャでスーパーレアを引き当てた人なのかもしれない。



想像はどんどん膨らみますが、これくらいにしておきますか(笑)


というわけで、私の妄想を書かせていただきました。
どちらかというと二次創作のネタみたいな感じになってしまいました(苦笑)

20年も経つと価値観もだいぶ変化しますねぇ。

公開当初は、「人間を仮想空間で生かすなんてAIけしからん!」と思っていましたが、最近では人間の方がマトリックスを開発し始めても驚きはしないような世の中になってきたと思います。

といっても、私が生きているうちに技術的に実現できるのかどうかは分かりませんが…


さて「マトリックス レザレクションズ」、どんな話になるのでしょうね!
予告編は見てみましたが、私の妄想は妄想のまま終わりそうです(笑)

楽しみではあるのですが、おそらく映画館には行かないと思います…

とういうのも、最近映画館で途中にスマホを見始める人がいるらしいからです。
多分、もし遭遇してしまったらイライラしてしまって、ひとこと言ってやろうか?いやそれも他のお客さんに迷惑になるか?いやそれは日和ってる言い訳なんじゃないか?とか色々なことを考え始めてしまって、おそらく映画に集中できなくなってしまうと思うんですよね。

というわけで、配信されるのをのんびり待つつもりでいます。

あ、もしかしたら一番前の列で見れば気にならないのか?
でも首と目が疲れそうだなぁ


次回はちょっと何を書くかまだ決めてません。
久しぶりに見た「大草原の小さな家」がめちゃくちゃ面白かったので、それについて書くかもしれません。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

影響を受けた人の意見についてはその旨書いているつもりですが、自分の記憶もごっちゃになっちゃって、もしかしたら、さも自分で考えたかのように書いてしまっている箇所もあるかもしれませんので、その時はごめんなさい。


タイトル画像:
TM&© Warner Bros. Entertainment Inc.

【ネタバレあり】奈落の底で母は〜メイドインアビス感想(後編)

2021年11月23日 | Weblog
今回は前回のブログの続きとなります。

結局あの後、おさらいの意味で総集編は見てみて、続編劇場版ももう一度見てみました。

今回は、感想に交えて、ユング心理学的な解釈を手前ミソな感じで書いていきたいと思っております。
私はユング心理学を正式に学んでいるわけではなく、趣味として好き勝手書いていきますので、一個人の解釈ということでご理解ください。

そして今回は「メイド・イン・アビス」のTVアニメ版第1期(劇場版総集編・前編「旅立ちの夜明け」後編「放浪する黄昏」)、劇場版「深き魂の黎明」のネタバレを含みますので、まだ見ていないのでネタバレは嫌だという方は、ここでこのブログを閉じていただけますようにお願いいたします。

またネタバレ気にしないという方にも、詳細なストーリー説明は省いていくつもりですので、ご了承をお願いいたします。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会


①大穴の意味

前回のブログの最後の方で少し触れましたが、「底知れぬ大穴」というのは、人間の「無意識」をあらわしていると考えられます。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

ユング心理学の考え方は、「自己」の中において「意識」は海面に浮かぶ氷山の一角のようなもので、もっと大きな「無意識」が存在していると考えています。

そしてその「無意識」はさらに「個人的無意識」と「普遍的無意識」に分けられる、という考えです。


(河合隼雄「ユング心理学入門」岩波書店 を参考に作成)

「個人的無意識」については後で取り上げたいと思うので一旦置いておいて、「普遍的無意識」について考えてみたいと思います。

「普遍的無意識」とは、人類は無意識のある部分を共有しているのではないか、という考えです。
世界の昔話にどこか似たようなものが多く存在していること、「虫の知らせ」という現象を体験する人もいることなどから、ユングはそのような考えに至ったようです。

それに対してリコも、いざ大穴に向けて旅立とうと孤児院の仲間に別れを告げる時に、「もしかしたら2度と会えないかも知れないけど、私たちはアビスでつながっている」という発言をしていて、興味深いなぁと思いました。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

(まぁ私個人としては、「普遍的無意識」を完全に信じているわけではなくて、まぁ本当にそうだったら楽しそうだよなぁ、くらいな感じです。)


また不動卿オーゼンも、アビスから地上に戻ってくる時の上昇負荷、すなわち「呪い」について、「心がやられると体にも出てくる」と述べていて、アビスと心に深いつながりがあることがうかがえます。

時折現実の人間も、人間の闇の部分に触れてしまうと心が壊れてしまい、現代の医療技術では元に戻らないことも残念ながらありますが、それと似たものを感じます。


②息を吹き返すアニマ

最初見た時は、オーゼンのシーンでは特に思うところがなく、更なる鬱展開への助走なのかな、みたいな感想しかありませんでした。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

ですが、2回目に総集編で見たところ、不動卿オーゼンと黎明卿ボンドルドはもしかしたら”対”として描かれているのかなぁ、という感じがしました。


不動卿オーゼンのところで、リコは死産だった、という事実が発覚します。

河合先生の「ユング心理学入門」のアニマの章のところで、アニマは夢の中で少女の形を取ることが多く、死にかけの少女が息を吹き返してホッとしたという夢を見た男性の話が出てきたのをふと思い出しました。

オーゼンはリコの母ライザの師匠だったわけですが、ライザがある日、結婚相手を連れてきたときに、めっちゃショックを受けています。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

恋愛感情、というよりは、娘を嫁にやる父親の喪失感に近いんじゃないのかな、と個人的には思っています。
もしくは両方入り混じってるのか分かりませんが。まぁオーゼンの性別は女性のように見えますけどね。

リコが死産で取り出されたということは、オーゼンの中でのアニマ(優しさ、柔らかさ)喪失の危機があったことをあらわしているのではないかと思います。

しかし、「呪いよけのかご」に入れられたリコは息を吹き返します。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

地上に戻るまでに何度も捨てそうになった、とのことですが、オーゼンは地上まで運び上げます。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

結果オーゼンは、リコすなわち自分のアニマを守り切った、と想像することができます。

もし、途中で捨ててしまっていたとしたら、おそらくライザとも絶交となってしまっていたでしょうし、そうなればもしかするとオーゼンも黎明卿のように、血も涙もない感じになってしまっていたかも知れません。

しかし、めっさ怖いおばさんではあるものの、チラッと見え隠れする優しさが、オーゼンの魅力になっていると思います。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

オーゼンは自分の仲間の探窟隊「地臥せり」のことを「地上に帰る場所のないろくでなしども」と呼んでいますが、同じく「筋金入りのろくでなし」と呼んでいる黎明卿やアンブラハンズと比べると、かなり地臥せりさんたちは人間らしさが残っているので、彼らを通してオーゼンの人間性も透けて見えるような気がします。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

話が逸れますが、わりと騒がしいキャラの多い印象の豊崎愛生さんがマルルク役ではいつもと違う雰囲気だったので、へぇ豊崎さん、こういう声も出るんですか、すご!って思いました(笑)


③成れ果て

第4層までたどり着いたリコとレグは、タマウガチに襲われ、リコは瀕死の重傷を負ってしまいます。

そこでナナチに助けられ、アジトでミーティと遭遇します。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

ナナチは自分のこともミーティのことも「成れ果て」と言っていますが、ミーティは人間性が失われてしまっています。

第6層から第5層への上昇負荷で人間は人間性を失ってしまう、ということですが、ナナチとミーティは黎明卿の実験体として使用されたために、そのような姿になってしまったことが後々わかります。

第6層には多くの「成れ果て」の子供たちが残されているようです。

この「成れ果て」とは何なのだろうなぁと思っていたところ、河合先生の個人的無意識について説明したところに、面白いことが書いてありました。

「個人的無意識 これは第一に、意識内容が強度を失って忘れられたか、あるいは意識がそれを回避した(抑圧した)内容、および、第二に意識に達するほどの強さをもっていないが、何らかの方法で心のうちに残された感覚的な痕跡の内容から成り立っている。」
(河合隼雄 「ユング心理学入門」 岩波書店)

これって…「成れ果て」そのものじゃないですか…?

少し噛み砕いて、例えば私自身のことで言い換えてみますか。
私は、普段は忘れている子どもの頃の記憶がふとした時によみがえることが時折あります。
そんな時は、何であんなことしてしまったのだろう、と、恥ずかしさや後悔などから、叫び声を上げたくなったりします。
が、そんな記憶でも今の私を作ってきた一部ではあります。



叫び声を上げたくなるほどグロいけど、よく見るとかわいらしく見えなくもない「成れ果て」と似ているところがあるなぁと思いました。

もしかしたら私の無意識の中には、そうした記憶の痕跡が、無数にうごめいているかもしれない、と考えると、ちょっとゾッとしますが、まぁそんなものかもしれないとも思います。


④ニュートンの法則と異世界への案内役

ナナチは、レグに火葬砲でミーティを葬ってもらうことに決めます。
そしてそれと入れ替わるように、リコは目を覚まします。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

この、何かを得るためには何かを代償にしなければならない、というのは昔話などでよく見られるようで、河合先生も時折言及することがあります。

例えば、厳密には昔話ではありませんが「泣いた赤鬼」で、赤鬼が人間の友達を得た代償として、青鬼は去らなければならなかった、というような感じです。



物理法則と通じるものもあり、興味深いところです。


© Warner Bros. Entertainment Inc.


そしてナナチは、リコとレグの旅についていくことに決めます。

人間も、先に進むためには時折、子供の時の大事なものを、心を裂かれるような思いで決別しなければならない時がある、ということでしょうか。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

また、ナナチは第5層の黎明卿の実験場にいたのでこの先のことにも詳しく、案内役ともなります。

河合先生によると、「言葉を話す動物」というのは、無意識世界への橋渡しとして昔話などに登場することがあるようです。

これも昔話ではありませんが、「不思議の国のアリス」に出てくる白ウサギなどは分かりやすい感じですね。



ナナチは動物というよりは、動物の姿になってしまった人間ですが、ウサギっぽいところなどはその辺りのモチーフから来ていることもあるのかもしれません。


©︎つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス「深き魂の黎明」製作委員会


⑤愛情と探究心

最初見ていた時は、黎明卿ボンドルドは、なんてひどいやつなんだ!と思っていましたが、2回目見てみると、それほどでもなくなってきました。

もちろん、彼のしでかしたことを肯定するつもりはありませんが…


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

彼の目的は「第6層の上昇負荷による”呪い”をなんとかしたい」というもので、私利私欲のためではない、というか、自分が金持ちになりたい!とか、名声を得たい!とか、性欲を満たしたい!とか、そういうわけではなさそうです。

確かにアンブラハンズはレグの腕をもいじゃったりしてひどいんですが、割とリコも最初レグに酷いことしてました(笑)
リコも技術と機材があったらもしや…と思ってしまいます。

ボンドルドもリコに「君は私が思っているよりずっとこちら側なのかも知れませんね」と言っています(笑)


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会


ボンドルドに感情がないかというと決してそんなことはなく、むしろ彼は愛情にあふれた人間であるようです。

実際、”娘”のプルシュカは、普通に”良い子”に育っています。

別に取り繕っているようなようでもなく、リコたちに陰湿な嫌がらせをするわけでもありません。


©︎つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス「深き魂の黎明」製作委員会

惨烈な実験が行われている場所で、見せないように気をつけてはいるだろうとはいえ、まっすぐな子に育てたボンドルドは、結構すごいと思うのです。
私に子育ての経験はないので、あまり分かったようなことは言えないのですが。

また彼は、実験に使用した「成れ果て」の子ども達も全て誰が誰だか見分けがついていて、名前も覚えているようです。


©︎つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス「深き魂の黎明」製作委員会

(まぁ普通の人が目を背けたくなるようなものを、全て完璧に覚えている、というのも、ちょっと異常な気はしますが…)


ただ、ボンドルドの何が異常かというと、そのように愛情を持ち合わせた人間でありながら、自身の行動の決定に、感情がいっさい介入しない、ということだと思います。

それは、自分の身体に対する愛情に関しても同じで、彼は白笛を得るために自分の身体を犠牲にしたようです。

ユング心理学では「タイプ論」いうのがあって、人の心理的行動基準を、思考型、感覚型、直観型、感情型の4つのタイプに分けるものがあります。


(河合隼雄「ユング心理学入門」岩波書店 を参考に作成)

あまり詳しい説明を今回は省きますが、簡単に私なりの考えも交えて説明すると、

①思考型:理論・ルールを重視する人
②感覚型:自分の感覚情報や、計測データなどを重視する人。例えば、私は自分が見たものしか信じない、とか。
③直観型:ひらめきを重視する人。もしくはロマンチスト。
④感情型:感情を重視する人。例えば、可哀想だから許してあげよう、とか。

どの型が重要視されるか、ということで100%この型だという人はいないと思います。
また、どの型が良い悪いというのではなく、4つともバランスが取れているのが最善と言えると思いますが、ボンドルドの場合は、④の感情型がすっぽり抜け落ちてるような感じがします。

「第6層の呪いを解決しよう!」というロマン、そして数多くの実験を経て、ナナチとミーティの例から呪いを「祝福」に変える方法の糸口をつかみ、それを自分とプルシュカで実践してみた、という感じなのでしょうか。
ただそこに、可哀想だからこの実験はやめておこう、とかの感情による判断が存在していない、というところに異常性を感じます。


激しい戦いののち、ボンドルドは倒されてしまいます。

(最初はやったぜ!と思っていたのですが、2回目の視聴では、長年の実験の結果ようやく「祝福」を獲得した黎明卿の体を破壊されてしまったので、申し訳ないけど、ちょっともったいない…と思ってしまいました。)

これは「バルス」展開来るか!!と思ったものの、リコは黎明卿の生き残りを見逃します。
「探究心」というのも人間にはもちろん重要で、それを完全に滅ぼすことはできない、ということなのでしょうか。


こうしてリコはプルシュカにより白笛を手に入れるわけですが、「呪い」を「祝福」に変えるカギというのが、極限状態で他人を思いやる心、というのがなんとも泣けました。


©︎つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス「深き魂の黎明」製作委員会



⑥第2期への期待

来年2022年には第2期「烈日の黄金郷」が放映されるとのことです。
PV第一弾が公開されているようですが、これ以上ブログが長くならないように、ブログをアップしてから見ようと思います(笑)


最後にまとめますが、リコの当初の目的は、アビスの底で待つという母親を探す、というものですから、ユング心理学的に言えば「普遍的無意識」の底にあるグレートマザー(人類共通の”母”のイメージ)を探究する、というのが物語の目的、と言えそうです。

奈落の底で見出すのは、聖女か魔女か。


©2017 つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス製作委員会

とは言いながらも、アビスの底に向かう旅を描く、ということは、作り手さんたちが自分自身の無意識部分と向き合う、ということとも言えると思うので、相当キツい作業にはなるのではないかと思います。

と思っていたら、原作者さんは体調があまりよろしくないようで…

もし私なら「オレたちの冒険はこれからだ!」でとっくに投げ出してると思うので、余計なお世話ですがご自愛いただきたいものです…


〜〜〜

というわけで、長いブログを最後まで読んでくださりありがとうございました。
感想後編も二つに分けようかとも思いましたが、分けるとまた書こうという気にならない恐れがあったので、一気に書いてしまいました。
わりとひらめき重視でダーっと書いてしまったので、おかしなところがあったら、後日こっそり修正しているかもしれません(笑)


次回は、「マトリックス レザレクションズ」がもうじき公開ということで、マトリックス3部作について最近妄想していることなどを書こうかなと思っています。

重ねて、読んでくださりありがとうございました!