ようやく読み終わりました。1か月ぐらいかけてチビチビと。
最近陶芸を習っているので、図書館の工芸関係の棚をうろうろしていて見つけました。
主に大正から昭和にかけて、総合芸術家・プロデューサーとして活躍した人です。
漫画「美味しんぼ」の海原雄山のモデル、といえば分かりやすいでしょうか。
最初は書道や篆刻、古美術商などで身を立てていたようですが、その後会員制料亭「美食倶楽部」を立ち上げ、それが発展して星岡茶寮となり、そこを追い出されてからは星岡窯というところで陶芸などの芸術活動に打ち込む、という、だいぶ乱暴に書くとそんな感じになりますか。
傲慢で鼻持ちのならない人物としても有名だったようで、僕は我孫子市出身なのですが、我孫子の有名人に柳宗悦という人がいるのですが、仲が悪かったようで、その人のことを魯山人が批判した文章も本に載せられていましたが、そのディスり方といえばその辺のラッパーも真っ青な感じです(笑)
内容的にはどちらかというと魯山人に肩入れした本となっているような気がしましたが、それでも何となく、この魯山人という人は、嘘がつけない人だったんだなぁ~という気がしました。
うらやましいような、大変だったろうな、とか。
結構おもしろいことを言っているので、抜粋して書いてみます。
古い漢字や仮名遣いは適当に直してあります。違ってたらごめん。
「いい人の手になったものは、不手際でもいいものが出る。つまらぬ人間がいくら手際よくやっても、やはりそのつまらなさを覆うことはできない。」
「美し過ぎる、美味過ぎるなどは物のなんであろうとも最上ではない。(中略) 牡丹桜の美し過ぎは人工ではないから仕方はないが、人の心で為す行き過ぎは、人の心で『程』が生まれないことはない。賢過ぎる人間というものは、嫌なものであることさえ分かれば程々は自ずと生まれる。」
「ここに一本の大根があったとする。もしその大根が今畑から抜いて来たという新鮮なものであるならば、之を下ろしにして食おうと、煮て食おうとうまいに違いない。だがもしこの大根が古いものであったならば、それは如何なる名料理人が心を砕いて料理するとしても、大根の美味を完全な持味に味わわせることはできない。天のなせる大根の美味は、新鮮な大根以外に之を求めることができないからである。(中略)
そこでよい料理をしようとすれば、先ず大根の持つ味を活かすために、新鮮なる大根を手に入れることが必要であり、第二にはよい種類の大根を選ぶということが料理人の心得として必要である。」
「美術眼を高くするということは、なによりも真先に自然美に親しみ、その美に浸り、鑑賞意欲のそのもとたるべきものを養って、ゆがめられない素直な眼をつくり、あるいはつくりつつ、(中略)美術作品を鑑賞して行くのが、一番理想的な方法だと思うのであります。」
意外と、大自然の前では謙虚なところもあったのかもしれません。
巻頭のグラビアページに魯山人の作品がいくつか載せられていましたが、最初に見た印象は、「へったくそだなぁ~」という感じだったのですが、本を読み進めるうちに、だんだんと味があるような気がしてきました。だまされてるかもしれませんが(笑)
僕は美術館とか行くと、自分がその作品を「好き」か「嫌い」か判断しながら回っていくのですが、その作者がどんな人間だったのか?ということを想像しながら見ると面白いのかもしれません。
魯山人が、ピカソやシャガール、フロイトやユングといった人たちと同時代を生きたことを考えると、そういう抽象的な?時代だったのかもしれませんね。まぁこれはちょっと背伸びした発言ですけど。
とりあえず、上記までの情報の正確さは保証しませんので、あしからず(笑)
さて、来週はライブです。この、芸術的視点の変化が生かされるのかどうか(笑)
<ソングブックライブ・アーカイブス>
12月17日(木)
柏Studio WUU
■しょーじ(vo,g)
■ウチダツネタ(vo,g)
■飯田満美子(vo,pf)
■はいず 山貴志 (vo,g) 鈴木悠平(vo,g)
Open 19:00 Start 19:30
予約¥1700 / 当日¥2000 +ドリンク代
昔からのお友達との久々の対バンです。
よろしければぜひおいで下さい~
最近陶芸を習っているので、図書館の工芸関係の棚をうろうろしていて見つけました。
主に大正から昭和にかけて、総合芸術家・プロデューサーとして活躍した人です。
漫画「美味しんぼ」の海原雄山のモデル、といえば分かりやすいでしょうか。
最初は書道や篆刻、古美術商などで身を立てていたようですが、その後会員制料亭「美食倶楽部」を立ち上げ、それが発展して星岡茶寮となり、そこを追い出されてからは星岡窯というところで陶芸などの芸術活動に打ち込む、という、だいぶ乱暴に書くとそんな感じになりますか。
傲慢で鼻持ちのならない人物としても有名だったようで、僕は我孫子市出身なのですが、我孫子の有名人に柳宗悦という人がいるのですが、仲が悪かったようで、その人のことを魯山人が批判した文章も本に載せられていましたが、そのディスり方といえばその辺のラッパーも真っ青な感じです(笑)
内容的にはどちらかというと魯山人に肩入れした本となっているような気がしましたが、それでも何となく、この魯山人という人は、嘘がつけない人だったんだなぁ~という気がしました。
うらやましいような、大変だったろうな、とか。
結構おもしろいことを言っているので、抜粋して書いてみます。
古い漢字や仮名遣いは適当に直してあります。違ってたらごめん。
「いい人の手になったものは、不手際でもいいものが出る。つまらぬ人間がいくら手際よくやっても、やはりそのつまらなさを覆うことはできない。」
「美し過ぎる、美味過ぎるなどは物のなんであろうとも最上ではない。(中略) 牡丹桜の美し過ぎは人工ではないから仕方はないが、人の心で為す行き過ぎは、人の心で『程』が生まれないことはない。賢過ぎる人間というものは、嫌なものであることさえ分かれば程々は自ずと生まれる。」
「ここに一本の大根があったとする。もしその大根が今畑から抜いて来たという新鮮なものであるならば、之を下ろしにして食おうと、煮て食おうとうまいに違いない。だがもしこの大根が古いものであったならば、それは如何なる名料理人が心を砕いて料理するとしても、大根の美味を完全な持味に味わわせることはできない。天のなせる大根の美味は、新鮮な大根以外に之を求めることができないからである。(中略)
そこでよい料理をしようとすれば、先ず大根の持つ味を活かすために、新鮮なる大根を手に入れることが必要であり、第二にはよい種類の大根を選ぶということが料理人の心得として必要である。」
「美術眼を高くするということは、なによりも真先に自然美に親しみ、その美に浸り、鑑賞意欲のそのもとたるべきものを養って、ゆがめられない素直な眼をつくり、あるいはつくりつつ、(中略)美術作品を鑑賞して行くのが、一番理想的な方法だと思うのであります。」
意外と、大自然の前では謙虚なところもあったのかもしれません。
巻頭のグラビアページに魯山人の作品がいくつか載せられていましたが、最初に見た印象は、「へったくそだなぁ~」という感じだったのですが、本を読み進めるうちに、だんだんと味があるような気がしてきました。だまされてるかもしれませんが(笑)
僕は美術館とか行くと、自分がその作品を「好き」か「嫌い」か判断しながら回っていくのですが、その作者がどんな人間だったのか?ということを想像しながら見ると面白いのかもしれません。
魯山人が、ピカソやシャガール、フロイトやユングといった人たちと同時代を生きたことを考えると、そういう抽象的な?時代だったのかもしれませんね。まぁこれはちょっと背伸びした発言ですけど。
とりあえず、上記までの情報の正確さは保証しませんので、あしからず(笑)
さて、来週はライブです。この、芸術的視点の変化が生かされるのかどうか(笑)
<ソングブックライブ・アーカイブス>
12月17日(木)
柏Studio WUU
■しょーじ(vo,g)
■ウチダツネタ(vo,g)
■飯田満美子(vo,pf)
■はいず 山貴志 (vo,g) 鈴木悠平(vo,g)
Open 19:00 Start 19:30
予約¥1700 / 当日¥2000 +ドリンク代
昔からのお友達との久々の対バンです。
よろしければぜひおいで下さい~