かんちがい

、かも知れないけど、思いついたことを書いていく、ヤマサキタカシの日記です。

12.入院と治療

2018年08月15日 | 舌がん治療
どうにも続きを書く気にならなかったので、1年近く間が空いてしまいました。申し訳ございません。


というわけで、2017年の3月20日(月曜日)からの入院となりました。

実は、ものごごろついてからそれまで入院したことがなかったので、入院生活がどんな感じなのかよくわかっていませんでした。

まぁ舌に針を刺して我慢するだけで、基本的にはヒマなんだろうと、勝手に想像していました。

なので、最近おろそかになっていたパソコンでの音楽制作をやろう、とか、スマホゲームもいっちょインストールしておくか、とか、ちょっとした旅行気分でした。

のちに見事に打ち砕かれるわけですが…



初日は、特に治療の予定は何もありません。静かに音楽を聞いたりして過ごしていました。幼なじみも、ちょうど近くに来たとかで顔を見せてくれました。

病室は、放射線治療を行うので、隔離とかの関係があるのでしょうか、個室でした。トイレも部屋の中についています。感じとしては…留置場と安ホテルの中間、みたいな感じでしょうか?留置場に入ったことはありませんが。
トイレも仕切りが付いてはいましたが、多分これ、後付けだよなぁ、流すスイッチ仕切りの外にあるし…という感じです。

でも、放射線治療のためにその区画は隔離されていて一般の人は入って来ないようになっており、私の他に隣室にも治療中の人はおらず、これ、ギターとか持ってきてもオッケーっだったんじゃね?と、まだまだ余裕な感じでした。


2日目(火曜日)は、まだ準備段階です。
午前中は隣の歯科病院に行き、放射線から顎を保護するスペーサーの調整です。
一度、地元の歯医者で歯ぎしり防止のナイトガードを作ってもらったことがあり、そんな感じかと思っていましたが、もっと5倍くらい?ごっつい感じで、患部の関係か、かなり口の奥まで入る感じでした。

歯科の先生が、「結構奥まであるから、唾が止まらないかもね〜でも患部の位置的にしょうがないんだよね、タオルをいっぱい用意しておいたほうがいいですよ」と言っていて、あ〜それで持ち物に「ティッシュペーパー(多めに)」って書いてあったのか、でも2箱くらい持ってきたから大丈夫だろう、とこの時は軽く考えていました。

しかし、治療が始まったら、このゴッツイのをを5日くらいつけ続けなければいけないのか…と少し憂鬱になりました。途中で外しちゃう人もいるとのことで、気持ちはわかるような気がしますが、放射線による骨髄炎を予防するためにも、辛抱しなくてはなりません。

治療中は口から食事が取れないので、鼻からチューブを通して栄養補給したり、薬を飲んだりすることになります。
実際に治療が始まるのは翌日からですが、慣れておくために前日の昼からチューブを通しての食事となります。
このチューブが、食事自体は難しくないのですが、チューブが入っているという状態が最初はかなり違和感があり、唾を飲み込んだりすると気持ちが悪く、引っこ抜きたい衝動に何度もかられ、ちょっと家に帰りたくなりました。
ただ、寝て次の日に起きると、だいぶ違和感はなくなっていました。


3日目(水曜日)から、治療が始まります。

午前中はゆっくりして、お昼ごろにとうとうイリジウムの針を舌に刺します。
私の場合は舌根の方まで患部が広がっていたので、麻酔を3箇所打たれました。これがやっぱり痛いです。
針はホッチキスの針の長いやつのような、二本の針がつながっている針を三本刺されるのですが、これは麻酔が効いているので痛みはありません。
ただ、刺すまでにマーキングしたりなど、口を最大全開にしたまま、舌を掴まれてぐっと引き出された状態でしばらくいなくてはいけないのが辛かったです。

最後にスペーサーをはめて、終了です。これは治療終了するまで外すことはできません。

落ち着いたら昼食をチューブでとって、少し休憩です。
最初は余裕ですが、やはり、麻酔が切れてくるに従い、じわじわ痛み始め、最終的には激痛です。
痛み止めは処方されているので、痛み止めを投入です。

記憶ではその日の夕方ごろだったような気がするのですが、もしかしたら翌日だったかもしれません、針がちゃんと刺さっているか確認するためのレントゲン撮影がありました。
撮影時に絶対舌を動かさないでください、と言われるのですが、唾がスペーサーの関係か止まらない感じで、ちょっと窒息しそうな感じで結構きつかったです。

この撮影を元に何かを計算するとのことで、その結果、針を抜くのは27日(月曜日)の早朝、ということになりました。5日間の辛抱です。
針はちゃんと正確に刺さっているとのことでした。



いろいろ大変だったことはありますが、まずは、痛みでしょうか。
針が動いてしまうこともあり、話すことは禁止されているのですが、そもそも痛くてしゃべれないので、看護師さんや先生とは筆談になります。それは入院の案内に書いてあったので、母親が100円ショップで小さいホワイトボードを買ってきてくれていたので、それが役に立ちました。
先生の話では最後の方はしゃべれるくらい痛みが落ち着く人もいるらしいのですが、私の場合は最後まで痛いままでした。

痛み止めは処方されているのですが、それが切れてくると、信じられないほど痛みます。
ただし、痛み止めのよく効くやつ(○キソニン)は、あまり頻繁に使わないほうが良いらしく、もう一つの効き目がやわらかなものと代わり番こに、という感じで処方されていました。
ナースコールで呼び出してドアに「痛み止めをください」のサインを出しておけばもらえるので、我慢しないでください、と看護師さんからは言われていたのですが、あまり痛み止め漬けになりたくなかったのもあり、痛みが出始めるのを待ってから痛み止めをもらっていました。なので、結構痛みに震えながらチューブから入れる、みたいなことを繰り返していました。今思えばもうちょっと早めにもらっておいても良かったかもしれません。

眠れない時は注射の痛み止めと睡眠剤を出します、と言われていたのですが、それも結局もらいませんでした。


また、唾が止まらないことが大変でした。
歯科の先生の予告通り、信じられないほど唾が出て止まりませんでした。
しかし、飲み込もうにも、激痛が走るので飲み込めません。

痰を吸引するための装置がベッドも枕元に取り付けられており、使い方は入院当初に習っていたので、それで唾を吸引するのですが、なんかそれもだんだん面倒になっていきます。また、ベッドのすぐ脇に洗面台があるのですが、唾が口に溜まる度に立って洗面台に吐き出す、というのも面倒です。下手したら5分に一回くらいのペースになるので…

たまたま、茶碗くらいのサイズのタッパーみたいなものを100円ショップで購入して持ってきていました。これは、特に言われてたわけではないのですが、スペーサーを歯科で調整した後、自分で保管して置かなくてはいけないのかな、と勝手に想像して持ってきていました。結局先生の方で保管してくれていたので必要なかったのですが、これに唾をためて、たまってきたら捨てる、ということに使えたので、意外と役に立ちました。

眠るのにも一苦労です。普通に横になって寝ると、寝たと思った頃に唾が気管に入ったりして、熟睡できません。もちろん咳き込むと激痛が走ります。
うつ伏せに寝て、ベッドにタオルを敷きまくって口から唾がだだ漏れ状態で寝ようと試みましたが、どうもすぐ目が覚めてしまいます。
治療中は部屋から出られないので、運動不足で疲れてないこともあると思いますが。
前述の睡眠剤をもらわなかったのも、起きたらベッドがビショビショ、というのが嫌だったのもあると思います。

というわけで、逆に昼間特に何をしなくてはいけないというわけではないので、夜・昼関係なく、眠くなってきたら、ベッドのリクライニングで45度くらいにして、胸のあたりにタオルを巻いておいて、ウトウトする、ということに落ち着きました。


続いて大変だったのは、痰が止まらないことでした。
よく理屈は分からないのですが、鼻からチューブを入れている関係で、痰を出やすくする薬が処方されており、そのためかどうなのか、痰がなかなか切れない状態が最後まで続きました。

普段は意識していないのですが、私の場合、痰を切る動作と唾を飲み込む動作が一連の流れになっており、唾を飲み込むのに激痛が伴う以上、なかなか上手くできません。
ふと無意識に痰を切って、はずみで唾を飲み込んで、痛みに悶える、とか何回かありました。
前述の痰の吸引器も、やってみましたが、なかなか素人には喉の奥の方の痰は吸引できませんでした。

しだいにぜんそくみたいになってきて、咳が止まらなくなってきました。これまた咳をすると舌がちぎれるんじゃないかというくらいの激痛が走るので、咳を我慢するようにしていましたが、最後の2日ほどはお願いして咳止めを出してもらいました。

入院中、スクワットくらいやって体力を落とさないようにしよう、と入院前は思っていたのですが、運動しようとすると咳が出てしまうので、ストレッチくらいしか結局できませんでした。

喉も痛かったりして風邪をひいていたのかもしれませんが、退院後は全く風邪の症状がなくなったので、放射線なり薬なりの影響だったのかもしれません。専門家ではないのではっきりとは言えませんが。


というわけでまとめると、痛み、唾、痰、咳がかなり辛かったです。


あとは、大変ではなかったですが、便通が少なくなりました。食べ物が鼻から入れる液体なので、そのせいもあるのかもしれませんが、普段便通の良い私としては、あまり気分の良いものではありませんでした。


入院前あれこれウキウキとたくさん持ち込んだものですが、結局頭を使ったりするのはできませんでした。結局のところ、地上波のテレビを見ていることが一番多かったかもしれません。病院のテレビはお金がかかるのと、寝ながら見るのが難しい位置に設置されていたので、スマホのワンセグで見ていました。ちょうど”爆弾”と呼ばれたあの人の国会証人喚問をやってましたっけ。


放射線のため隔離されているものの、面会は短時間であれば許可されています。ただし面会者は、金属板のついたての上から顔だけ出してしゃべるような形になります。しゃべれなくなって筆談になることだし、家族にはお見舞い来なくていいよ、と言っていたのですが、結局母親は毎日来てくれました。誰も来ないと思っていたので、下着を7日分用意してきたのですが、来てくれるならそんなにいらなかったのになぁ、というのは半分冗談にしても、心強かったです、ありがとうございました。



というわけで、27日の朝を迎えました。

針を刺すときは、研修の人達でしょうか、ギャラリーが10人くらいいたのですが、抜くときは主治医の先生と、もう一人の先生のお二人だけでした。確か朝7時とかだったような気がしますが、早朝出勤してくださった先生に感謝です。

まずスペーサーを外しましたが、もともとガッチリしているのもありますが、かなり痛みや咳をこらえるのに歯を食いしばっていたので、なかなかとれませんでした。下の前歯がちょっと抜けちゃうんじゃないかと思いました。

そして、針を外すのには、当たり前といえば当たり前ですが、麻酔はありません。肉がふさがろうとしているせいなのか、これまたかなり痛かったです。涙がじんわり出てきました。

それでも、治療はこれで終わりです。
腫れているような感じがして、ろれつが上手く回らない感じでしたが、とりあえずその時は痛みはなくなっていました。
この開放感と言ったらないです。


その日のうちに帰っても良いとのことだったので、昼ごろには帰路につきました。
持ってきたスーツケースは、宅配便で送ることにしました。
これが正解でした。5日間運動などをしなかったせいか、帰り道何回かくら〜っとすることがありました。
体重を測ったら5キロくらい落ちていましたが、体型はあまり変わっていなかったので、筋肉ばかり落ちたのだと思います。

帰ってからは、久々にぐっすりと眠ることができました。


そして、副作用の口内炎との新たな戦いの日々が幕を開けるのでした。



この章の最後に、大変なことばかり書いているようですが、病状が人それぞれなのと同じように、痛みなども人それぞれのようです。私はこうだった、というのを参考までに書いたつもりです。
書ききれていないこともあると思うので、思い出したら加筆しようと思います。