50歳の育児日記

うつ状態になり休職、復職
子供の誕生、Uターン・・
50代を目前に授かった子供の育児を中心に日々の暮らしを綴ります

料理にはまる

2012年02月27日 | 休職の日々
休職中には、いくつかのマイブームがありました。
もともと熱しやすく冷めやすい性格なのですが、それがかなり顕著な気がします。
今のマイブームは、ブログです。

11月ころは、料理にはまっていました。
妻が働いていることもあり、家事は私が全てやっていたのですが、妻の実家から大量の野菜が送られてきたことをきっかけに、料理ブームが到来しました。

マンション住まいでは、田舎の実家のように冷暗所(納屋)もなく、かといって冷蔵庫では乾燥が進んでしまい、せっかく頂いた野菜も、半分ほど使った時点でダメにしていました。


11月に送られてきた野菜の中に、どう食べていいかわからない生ナツメと、食べきれないほどの平茸がありました。
このままでは、食べないまま捨ててしまうと思った私は、レシピサイトで料理法を調べて、造ったことのない料理にも挑戦しはじめました。


それなりに料理ができて、そこそこおいしいと、また別の料理をつくってみたくなり、しばらくは豊かな食卓が続きましたが、ブームは野菜を使い切るまでの1ヶ月ほどで終焉。
妻が退職したこともあって、料理担当は妻に譲ってしました。


それでもときどき料理は造るし、レタスクラブは今でも愛読書のひとつです。



写真は、平茸の瓶詰めとナツメ酒です。生ナツメの残りはジャムにして完食しました。

外出できない

2012年02月27日 | 休職の日々
もともと出不精な私ですが、休職後は診察に行く以外、ほとんど外出することができませんでした


あと、30分したら出かける準備をしよう、昼からにしよう、今日行かなくてもいいか、明日行けばいいか、と理由をつけて先延ばしてしまします。


病気による気力の低下のせいなのだと思うのですが、それよりも
いい大人が平日の昼間に、普段着でフラフラして、ご近所さんや外出先の店員さん、街の人はなんて思うだろう
という恐れのほうが強かったかもしれません。


その証拠に、朝起きると外出する予定もないのに、平日の朝、ヒゲをそることを欠かしませんでした。
もともと毎日ヒゲを剃るのが面倒で、土日は無精ヒゲで通していました。
休職中は、当然仕事をしていないので、私のルールに従えば、ヒゲを剃らなくても良いはずなのですが、

 無精ヒゲ=仕事をしていない

と思われるのが恐かったのだと思います。


外出が楽しい最近では、ヒゲのことなど全く気になりません。
自分は病気療養中、仕事をしていなくて当然、と思えるようになるには、休職してから4ヶ月もかかりました。

「好きなことをしてください」

2012年02月27日 | 休職の日々
初診の時、診療内科の医師は、「しばらく休んで好きなことをしてください」と言ってくれました。


よーし、これまで忙しくてできなかったことをやろうと、その時は思ったのですが、いざ休んでみると、何かをするというのが、ひどく億劫で、そのうち苦痛なものに変わっていきました。


昼間、本屋に行く、映画を見に行く、野球観戦に行く、小説を書いてみる・・・・やりたいことのリストができき、明日は○○しようと、前の日に計画を立てるのですが、当日になると、結局、時計とにらめっこ、自分会議を始めて、何もしないまま一日が終わっていきます。


野球のチケットを取って、行かなきゃいけないように追い込んで出かけても、面白くないのです。


せっかく、外出しても、当初の目的を達すると1分でも早く家に帰りたくなりました。


「好きなことをしてください」は、「イヤなことをしないでください」ということだったのかなと、思っています。

「今日、何してた?」

2012年02月27日 | 休職の日々
妻から「今日、何してた?」と聞かれるのが、たまらなくイヤでした。


休職し始めた頃は、妻はまだ働いており、平日の昼間は、自宅に私ひとりでいました。


妻は、心配して声をかけていてくれたのですが、
「何してた?」→「何もしていないのか」→「何もしないのはどうしてだ」と、何かをしなければいけないんじゃないかという脅迫観念のような、いい大人が仕事をしていない罪悪感のような感覚に襲われていました


私の場合は、会社に行って仕事をする以外、他のことは普通にできたので、炊事や洗濯、部屋の掃除はしていたので、何もしていない訳ではなかったのですが、それでも「何してた?」と聞かれるのが、たまらなかったのです。


妻は心配してくれているだけ、心配してくれているのに、「何してた?」と聞かないでとお願いしたら、妻は傷つくだろうかと逡巡した結果、1ヶ月くらいしてから、ようやく妻に聞かないでとお願いできました。


妻は、ちょっと寂しそうに困惑していましたが、理解してくれたようです。


ほんのささいなことなんですが、そんなことが気になった休職後の私でした。