50歳の育児日記

うつ状態になり休職、復職
子供の誕生、Uターン・・
50代を目前に授かった子供の育児を中心に日々の暮らしを綴ります

「戦う」を考える

2012年08月05日 | 哲学する?
日曜の朝は、テレビ東京の「まんが日本昔ばなし」を観ます
「みるばなし」がキャッチフレーズ
子供のころ観てたテイストそのままです

主題歌は現代らしく、しょこたんが起用されています。
ところで、主題歌の一節、「たたかえ」って出て来ます

およそ子供が観る昔話の番組の歌には似つかわしくないように感じます
時代なんだろうか、歌手のしょこたんをイメージしてなんだろうか


大人になるにつれ、社会にでたら、否が応でもいろんなことと戦わなくてはいけません。
まあ、子供もいろんなことと戦っているか、毎日


それでも、敢えて「たたかえ」って歌詞に入れなくてもいいんじゃないと思います。


思えば、なぜ人は戦わなくてはいけないんでしょうね
自分の望みを実現するため?不正を無くすため?

たしかに、社会を発展させには、古いモノと戦い壊すことから始まりますよね
満足したら、そこで終わり。あとは停滞して淀んで腐るだけ
だから「戦う」ことが必要なんでしょうね


でも、最近の「戦い」は殲滅戦のような気がします
相手がこの世から無くなるまで、完膚無きまでにたたきのめす
ビジネスでも、実際の戦争でもそんな感じです
共存も、共栄も無い、あるのは自分だけ。


ホントにそれでいいんでしょうかね
特にビジネス
いかにに相手を潰すか、勝利するかが目的のなっているように感じます。


お互いに名乗り合って一騎打ちなんて時代で無くなった近代の戦争
戦う相手が直接見えなくなってから、残虐で悲惨になった。
実際の戦争を分析したコメントです

「世界と戦う」
ビジネスでも聴く言葉ですよね
でも、ホントに何と戦うというんでしょうか
ホントに倒すべきはライバル会社じゃなくて、貧困や不公平を生み出す仕組み、商習慣、価値観なんじゃないんでしょうか
なんて思います。

勉強するということ

2012年03月24日 | 哲学する?
3/19発売のAERAから
●養老孟司の大脳博物館「『先生』ではなく『後生』
●新浪剛史の前を向いて歩こう「50代は感受性が豊になる次期。生き方を問い直す『哲学』や『歴史』を」


2つとも勉強に関するコラムです。
養老孟司さんのは、大阪市長が進める教育改革に絡んで、「制度をいじってどうなるものではない」「『先生』というのは、『お前が後からきたんだよ』ということを言っているのである」「あとから来ている以上、それより前はどうだったかを見る態度が必要・・」と書いています。先生が生徒を引っ張るのではなく、自分で調べるのが当たり前、「どうやって自ら学ぶ方法を身につけさせるか、くらいの話である。」なんだそうです。

一方、新浪さんのは、中年の方に対し、「50代は第二の人生を考え出すべき大切な時期」「まずは自分の生き方や考え方を問い直す『哲学』や『歴史』を学ぶといいと思います」なんだそうです。

ともに、自ら学ぶことの大切さ、自分を深めることの重要性を説いているように感じました。

私の入った大学は、最初の新歓コンパで、先生に「私のことを先生と呼ぶな」と言われました。
「先生と呼ぶと師弟関係になって、自分が正しいと思うことも言えなくなるから」
「大学では先生も学生も一研究者だ」

それは、先生も先輩も共通の認識でした。
良い大学に入ったなと、今でも感謝しています。
随分失礼な言動もしたと思いますが、先生や先輩方は寛容に接してくれました。
もちろん、私自身、先生や先輩方への尊敬の念は忘れていませんでしたが。

誰かが導いてくれるんじゃない、先人の知識や経験に触れ、自らの答えを出すのだ、先生は道を外れないように見守ってくれるだけ、コラムを読んでそんなことを考えました。

パチプロとトレーダー、何が違うの?

2012年03月23日 | 哲学する?
『パチンコや麻雀、競馬で生計を立てるギャンブラー』
『自宅でデイトレードして生計をたてる個人投資家』
『証券会社や投資運用会社で金融商品を扱うサラリーマン』



ふと考えると、『この人たちの、何が違うんだろう』と考えてしまいます。
賭け麻雀は違法、ギャンブルにはまる人も反社会的、
デイトレーダーは大儲けすれば羨望の的、
証券会社や投資運用会社のサラリーマンは超一流、
うーん何が違うんでしょう。


デイトレーダーや証券マンから、
「オレたちゃ、社会情勢や企業情報を検討しながら、市場動向を読み解いて、高度な判断をしてんダヨ!」
「たった数分で、何千万も何億の金を儲けているんだ!一緒にすんな!」
と怒られそうです。

でも、ギャンブラーも情報誌を丹念に読んで、パチンコなら技術動向、競馬なら馬や馬場の情報を収集して、熟慮の上、高度な判断をして大金を動かしています。大きく負けて生活に支障を来したり、返しきれない借金を背負ったりすることもあるでしょう。


単純に考えれば、誰かが儲ければ、誰かが損をしているんじゃないんですか?金融商品って。一握りの勝ち組のまわりには、大量の負け組がいるはず。
そして、すべての損得を合計すればゼロになるんじゃないんですか?
金融商品に関わる人の給料払って、会社を維持する経費もかかるハズ。
だから、トータルすれば儲けって、すこーしマイナスにしかならないんじゃないの?

だって、実際のお金は有限のハズですよね。
お金がマネーになった途端、誰もが儲け続けられるステキで誰も把握もコントロールもできないモノになっちゃうんでしょうか?
不勉強ですみません、なんだか理解できないんですよ。


その昔、大学生だった友人は、ある日パチンコ店の華美な電飾や広大な敷地、デラックスな建物を漠然と眺めて、それまで長年熱狂していたパチンコを突然止めてしまいました。
理由は簡単。
「だって、これだけ土地や建物、装飾にお金がかけられるんだから、オレが儲けられる(儲け続けられる)ハズがない」
友人よ、よく気がついた。それでも自分だけはと思ってやるのが、正しいギャンブルなんじゃ・・・


フツーのサラリーマンを証券市場に誘うのは、少ーしづつ損をさせる人を沢山確保するため?
『世界は利息を求めている』
金融、必要なのは判っているんですが、考えてしまうんです。

すべての社員が悪いのか?

2012年03月17日 | 哲学する?
最近、東電社員が眼鏡店で買い物中、社員証を見せたら「おまえ東電社員か!」と叩かれた、というニュースを聞いて悲しくなりました。きっとその社員も、自分の仕事を精一杯やっているハズなのに・・・


近所に、三菱系の自動車工場があります。
何年か前リコール隠しが発覚して大変な時、工場を見るたび、こんなことを考えていました。

「トヨタと三菱自動車の従業員、特に工場のラインで働いている人に、どれだけの差があるんだろう」



トップダウンで絶対服従、末端社員は替えの効く部品、が主流のようです。トップのやり方に異論を唱えれば自分のクビが危うくなるのに、失敗は全員の責任にさちゃいますよね。
トップの決めた方針やルールに従い、その中で一生懸命使命を果たし改善に努力する社員は、どの会社でもそれほど差はないと思うのです。


会社での出世は上司が決めるもの、偉くなって欲しい人がなるほうは希ですよね。経営者なら株主が決めることです。『こいつが偉くなるのは問題』、『この人は不適格』と評する上司を偉くさせないのは不可能に近いです。でも、不的確上司の指示でうまくいかなければ、社員全員で責を負うことになります
せめて上司が、会社全体のことを考えていれば救われるのですが、保身のため、トップ(または株主)のほうを見るばかりではやりきれません。


私の会社でも、不的確だな思う人がトップに立ったことがありました。なんとか辞めさせるためにどうしたら良いか考えたこともあります。意図的に社員全員でサボって、業績を悪化させれば・・・・なんて、建設的じゃないし、不健全この上ない妄想に取り付かれたこともありました・・・


トップには、トップの苦労や大変さがあるのは承知しているつもりです。決断の心細さも。部下がホントに無能なこともあるでしょう。辞めるだけが責任の取り方ではないですが、失敗したら潔く認めて改善する、自分が不的確なら辞める覚悟は常に持っていて欲しいですね。
最も不的確な上司は、自分が悪い、自分が不的確だと認識もできないんでしょうけど・・・

制度改革、できないのか、しないのか

2012年03月04日 | 哲学する?
録りだめてあった番組を2つ観ました。
一見異なるジャンルの番組ですが、私には同じ問題を根底に抱えていると感じる作品でした。。


NHKBSのドキュメンタリーWAVE「南京長江大橋に星を ~中国 急増する農民工の自殺~」
テレビ朝日のドラマ(再放送)宮部みゆき原作「火車」


「南京長江大橋~」は、南京長江大橋から自殺をしようとしている人を、止めたり相談に乗ったりする個人ボランティアの話。近年の中国の発展を支えた農民工が、戸籍を移せないがために生じる不利益が原因で自殺する人が後を絶たないらしい。

自殺を止める人に着目すればただの美談で終わってしまいますが、自殺の原因を知ると先富論(豊かになれるところから豊かになり、その影響で他が豊になる)で生まれる「その影響で豊になる」はずの人々の問題が浮き彫りになります。

単純には戸籍移動が容易に変更になれば済む話のように思えますが、制度改革が追いつかないのか、政策上あえてしないのか。社会の底辺層は使い捨てで良いのか
最近、日本でよく見かける楽しそうな中国人旅行者を思い出したりしました。


「火車」は、原作の設定が平成の初め頃で少し古いが、消費者金融の取り立てやカード破産が大罪のドラマ。
大手の合法消費者金融は、現在では最高裁の判決ひとつで、現在では壊滅してしまいました。
消費者金融のグレーゾーン金利の問題は、最高裁判決の随分前からテレビや雑誌で取り上げられてきましたが、行政は取り立ての仕方を規制しただけで、根本的な解決は何もできないままでした
問題がわかっていながら、制度改革ができない。いろいろな問題で苦しむ人がいても、制度改革ができないのか、しないのか、現在も何も変わらないような気がしています。


私も休職が長引けば、傷病手当がなくなり、職を失うことになります。
仮に原因となった方々を相手取って裁判を起こしても勝ち目はないでしょう。
食い詰めれば合法的でないお金に手を借りてしまうかもしれません。


今、私にできるのは、社会に復帰できるように、治療に専念することだけです。