50歳の育児日記

うつ状態になり休職、復職
子供の誕生、Uターン・・
50代を目前に授かった子供の育児を中心に日々の暮らしを綴ります

北朝鮮みたいな会社

2013年03月09日 | 復職、そしてその後の日々
 会社を辞める決断をしました

 辞めたいという気持ちは休職する前からあり、上司にも伝えていたので、その辺は変わっていなかったわけです
 休職する時に辞めるという選択肢もありましたが、リハビリも必要だなと考え、そのまま在籍したわけです

 この辺は、ずるいかなとも思いますが、使えるものは全部使ってやろうと気持ちですね


 さて、復職してみると、会社の経営陣は相変わらずで、社員は必死でがんばってるのに業績は今ひとつ
 でも、同僚の暖かい気遣いと、仕事自体は楽しくてやりがいがあるので、このままいてもいいかななんても思いました


 しかし、業績がパッとしないと、経営陣は戦略も戦術も無いまま精神論に走って、おかしなことを始める訳です


 『社員の教育がなってないからだ!』

 これまでも、規則を厳しくしたり、月イチで全員清掃を始めたり、服装コードを厳しくしたり・・・
 主旨はわかる。業務拡大に何の足しにもならなくても、気持ちを引き締めることは大事
 でも、やり方ってものがあるでしょう、と


 私の会社は飛行機で移動することが多く、飛行機会社からみれば上得意
 なので、ちょっとイイ席のタダ券を使えたりします
 でも、会社に付与されているタダ券はもちろん、個人でもらっているアップグレード券も仕事では使用不可
 理由は、『利益の出せない会社の社員はイイ席に座る権利なんて無い!』
 呆れるほかありませんでした

 好きで狭い席に長時間乗って出張に行っている訳ではないんです
 お金が余計にかかるならまだしも、タダ券なのにね

 業績が悪い時こそ、戦略と戦術、そしてそれをやり遂げる社員ひとりひとりのやる気が大事なのにね


 北朝鮮は、大きなセレモニーの時、とてつもないマスゲームをやるので有名です
 しかし、その練習のために学生さんなんかはほぼ授業をしないで練習に明け暮れるらしいです
 一糸乱れぬ統制、将軍さまを称えるセレモニー、国民に人権などない・・・

 なんだか自分の会社と重なってしまうのです。


 こんな会社にはいられない・・・
 この会社にいたら、また会社に行けなくなるな

 それが、会社を辞める一番の理由です

 まあ、同僚には子供が生まれて田舎に帰るが立て前なんですけどね
 最後まで、ずるいのは自分なのかもね



妻の妊娠

2013年03月07日 | 復職、そしてその後の日々
 私たち夫婦には子供がいませんでした
 作らないつもりもなかったのですが、いろいろな要因が重なり機会を逸していました。


 私の会社の業績が結婚後長期的に思わしくなり将来に漠然とした不安を感じていたこと
 妻が仕事でがんばりたいという気持ちなど、お互いに子供が欲しいという気持ちの周期が一致しなかったというのが理由かな・・・
 
 いやいや、自分が子供を育てるということに、経済的、生活面、精神的に大きな不安を感じていたことが一番の理由だったですね

 
 そして、時間だけが過ぎていき,妻の出産できるギリギリの年齢が近づいてきました
 妻は、将来の不安もあって、強く子供を欲しがり、休職中でしたが私もそれに応じたという感じです

 
 とはいえ、望めば簡単に妊娠するわけでもなく、妻の不妊治療がスタートしたのです
 夫の私はといえば・・・もうストレスの連続で・・・・

 休職中の私には、大変なイベントでした
 続きはのちほど
 

その後のいろいろ

2013年03月07日 | 復職、そしてその後の日々
 ずいぶん久しぶりの更新です

 うつが悪化して、また休職していた訳ではありません。
 仕事をしたり、家族との時間を過ごすうちにブログを更新することの優先順位がどんどん低くなっていたのが理由かな
 
 とはいえ、順調に会社に行って仕事をしていたわけでもありません。
 ときどき会社や仕事をする気になれなかったり、朝体が重かったりで、復職当時22日もあった有給を2月までの8ヶ月間で使い切ってしまいました
 これからの休みは欠勤になります

 
 同時期にうつになり休職していた同業の友人は、3ヶ月で復職しましたが、今でも苦しそうで、ときどき少し長めに休んでしまうこともあるそうです
 それに比べれば、私は同僚の理解もあり、恵まれた環境でリハビリできているのかなと感じています。
 

 さて、復職してから9ヶ月目、その間いろいろな変化があり、決断がありました。

 1.妻が妊娠する
 2.会社を辞めることにした
 3.実家に帰る


 それぞれが関連することで、前から考えていたことで、決断そのものはさほど迷うものではありませんでした
 ただし、その過程は、まあいろいろありました。
 思い出しながら、次からの更新で書き残せればなと考えています。