新・野球を学問する (新潮文庫) [文庫]
桑田 真澄 (著), 平田 竹男 (著)
文庫: 283ページ
出版社: 新潮社 (2013/2/28)
言語: 日本語
ISBN-10: 4101368910
ISBN-13: 978-4101368917
発売日: 2013/2/28
知性派の大エース桑田真澄が「学問」という武器を得た!
早稲田大学大学院の指導教授との対話を通じて、
科学的根拠に基づく野球指導の重要性を説く一方、
自身のMLB経験とイチロー、松井、松坂らの
豊富な人脈から得た知見から、日本野球が世界で
勝ち残るための秘策を明かす。
また、スポーツビジネスの最新情勢にも言及、
球界復権への決意を示す。
『野球を学問する』改題。
※
購入したのは、2014年04月16日。
もう4年も前になるか。
出版から1年にもならない本だが、古本屋で税込み108円で入手。
てか、いい買い物したわ。
なんせいまでも時々読むし。
本書は、書籍の紹介文にある通りの内容だが、
著者の二人から「これからの若いひと」へ向けての言葉が多く、
その点をこの本を推す理由として、特に上げておきたい。
※
桑田真澄さん、一時期、甲野善紀さんの古武術研究から得た指導を
受けていたわけだが、この人ならうなづける。
甲野善紀さんについては、売名的に指導を受ける人間、
受けたが「あれは偽物だ」的なことを吹聴する人間が後を絶たないが、
指導をうけてよかったとハッピーになっている人たちの方が多いのだから、
指導を受けて、成果や喜びを享受できなかったほうが単に不幸なだけだろう。
世間的には、「常識を疑う」というと斜め上から穿つように見ると、
そういういう印象があって、あまりよろしくないイメージなのだが、
大概の場合、疑うふりで「蘊蓄のひけらかし」をやらかして嫌われてるだけだったり、
一家言ありな風で、なんでもかんでもいちゃもんつけるので、嫌われてるだけだったりする。
実際には「常識を疑う」には。冷静な観察と丹念な調査・考察が必要なので、
疑うためにかかるコストは実は相応なものになる。
その労力を考えるなら、いまある常識とその範疇にとどまっている方がよほど楽だ。
桑田真澄さんの場合は、常識を疑うから「成功した」のではなく、
小さな成功を常識を疑うことで得たその体験を
生かし続け、磨き続けて、
大きな足跡を残し、今に至るということなのだろう。
これは、海外の優れたスポーツ指導者にも、総じて共通することだ。
※
昨今、日本のスポーツの現場、日本〇〇協会が毎年のように不祥事を起こしている。
パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、不当な斡旋、収賄や搾取。
「過去の経験によれば」「実績に基づいて」などとうそぶき、
その競技社会でしか通用しない「過去と経緯」「常識」を、
長年慣習・慣例としてきたものが、2020年のオリンピック開催を
前に「それおかしいだろ?常識として考えておかしいだろ」と、
連日のように報道される。
長い間、一意専心・上意下達を日本の常識かつ日本人の美徳としてきたが、
あまりに長い間唱えすぎて、玉石混淆どころか、ぶらさがる砂利の方が、
圧倒的に増えていたというところなんだろうな。
桑田 真澄 (著), 平田 竹男 (著)
文庫: 283ページ
出版社: 新潮社 (2013/2/28)
言語: 日本語
ISBN-10: 4101368910
ISBN-13: 978-4101368917
発売日: 2013/2/28
知性派の大エース桑田真澄が「学問」という武器を得た!
早稲田大学大学院の指導教授との対話を通じて、
科学的根拠に基づく野球指導の重要性を説く一方、
自身のMLB経験とイチロー、松井、松坂らの
豊富な人脈から得た知見から、日本野球が世界で
勝ち残るための秘策を明かす。
また、スポーツビジネスの最新情勢にも言及、
球界復権への決意を示す。
『野球を学問する』改題。
※
購入したのは、2014年04月16日。
もう4年も前になるか。
出版から1年にもならない本だが、古本屋で税込み108円で入手。
てか、いい買い物したわ。
なんせいまでも時々読むし。
本書は、書籍の紹介文にある通りの内容だが、
著者の二人から「これからの若いひと」へ向けての言葉が多く、
その点をこの本を推す理由として、特に上げておきたい。
※
桑田真澄さん、一時期、甲野善紀さんの古武術研究から得た指導を
受けていたわけだが、この人ならうなづける。
甲野善紀さんについては、売名的に指導を受ける人間、
受けたが「あれは偽物だ」的なことを吹聴する人間が後を絶たないが、
指導をうけてよかったとハッピーになっている人たちの方が多いのだから、
指導を受けて、成果や喜びを享受できなかったほうが単に不幸なだけだろう。
世間的には、「常識を疑う」というと斜め上から穿つように見ると、
そういういう印象があって、あまりよろしくないイメージなのだが、
大概の場合、疑うふりで「蘊蓄のひけらかし」をやらかして嫌われてるだけだったり、
一家言ありな風で、なんでもかんでもいちゃもんつけるので、嫌われてるだけだったりする。
実際には「常識を疑う」には。冷静な観察と丹念な調査・考察が必要なので、
疑うためにかかるコストは実は相応なものになる。
その労力を考えるなら、いまある常識とその範疇にとどまっている方がよほど楽だ。
桑田真澄さんの場合は、常識を疑うから「成功した」のではなく、
小さな成功を常識を疑うことで得たその体験を
生かし続け、磨き続けて、
大きな足跡を残し、今に至るということなのだろう。
これは、海外の優れたスポーツ指導者にも、総じて共通することだ。
※
昨今、日本のスポーツの現場、日本〇〇協会が毎年のように不祥事を起こしている。
パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、不当な斡旋、収賄や搾取。
「過去の経験によれば」「実績に基づいて」などとうそぶき、
その競技社会でしか通用しない「過去と経緯」「常識」を、
長年慣習・慣例としてきたものが、2020年のオリンピック開催を
前に「それおかしいだろ?常識として考えておかしいだろ」と、
連日のように報道される。
長い間、一意専心・上意下達を日本の常識かつ日本人の美徳としてきたが、
あまりに長い間唱えすぎて、玉石混淆どころか、ぶらさがる砂利の方が、
圧倒的に増えていたというところなんだろうな。