空手道へっぽこ稽古日誌 An ordinary person's karate practice diary

いい歳こいて空手を学ぶおっさんの備忘録。
23年7月2日に二段になりました。
まだ続けるのこれ?

【閑話休題】母ですが、3月8日に、施設を転居することになりました。/24.02.29

2024年02月29日 | 【閑話休題】

母ですが、3月8日に、施設を転居することになりました。

夏ごろからちょいちょい転倒しては頭を打って、
森山病院脳外科受診というのを繰り返していたわけですが。
自分の備忘録的にこの2カ月あまりを時系列で整理すると・・・

 1月2日に「力がでない、立てなくなった」と母から連絡があり、
 当番医 梅藤整形外科クリニック受診。
 先生の診たては坐骨神経痛で、
 「痛みが激しすぎて痛みとして認識できない状態。だから力が入らない」とのこと。
 ブロック注射を施してもらい、「それから調子が良い」と母。

 で、1週間後の1月8日に転倒して右肋骨骨折と診断。
 しかし、肋骨は固定のしようもないので自然治癒を待つしかない・・・
 診てもらったのは、勤医協一条通病院の整形外科だが、
 「1年近く来てないから、もううちの患者じゃないからね」とあしらわれる。

 1月25日にもまた転倒しての後頭部打撲で、森山病院脳外科受診。

 1月27日の夜、「胸が痛くてたまらない」と母から電話あり、当番医 やまが整形外科クリニック受診。
 先生曰く、「え、勤医協さんで胸を固定するバンド、もらえなかったの?」と言われる。
 ・・・あのじいちゃん先生には嫌味と文句はいわれたけど、バンドはなかったな。
 マジックテープ式の胸バンドを出していただき、毎日起床時に固定することに。

 2月6日夜にまたまた「お母様が胸が苦しくてたまらないと訴えています」と施設から電話。
 痛みが肋骨骨折からなのか、内臓なのか訴えが曖昧なため、救急車を呼んでの救急搬送。
 救急隊員の方が検温したら、38℃。
 先ほどまで平熱だったのに。
 厚生病院、勤医協一条通病院、旭川脳外科病院、市立病院をことわられ、
 結局、施設から一番近い旭川日赤病院へw
 母の訴える痛みの場所と高熱から、「腎臓かもしれない」とそちらも検査してくれたが何も出ず。
 先生、辛抱強く母から話を聞く。
 で、原因わかってみたら、顎かっくんなあきれた理由でした。
 「押し入れの整理をするのに、邪魔だったから」と、
 マジックテープ式の胸バンドを外して、何時間か作業していたそうな。
 そら折れてる肋骨あたりが痛くなるし、発熱もするわ。

 その後もちょいちょい同様の騒ぎやらかす。
 2月27日も朝9:00頃、母が居室で転倒したと施設から電話。
 午前の就職面接前に様子を見に行くが外傷もなく、両手を20秒間揚げさせても異常認められず。
 今週来週で病院には連れて行くので、当日通院は取り止め。

東京の兄と電話で諸々相談した結果、

「母の安全のためにも、次男(私)の暮らしの為にも、母を体制の整った有料老人ホームへ移す」
「残り時間の少ない母の望みには極力応える」
「母や施設からの日中の呼び出しに対応できる仕事に次男(私)が転職する」という結論に。

幸いにも条件のいい施設に空き室があり、3月8日に転居できることになりました。
常駐の看護師がおり、病院との提携で毎月の往診もあります。
職員も多く、緊急時には職員が通院同行を行ってくれるなど整った施設なのでひと安心。
ケアマネージャーも常駐しているので、包括支援センターからバトンタッチ。
転居と共に母の介護度も要支援2から要介護1,もしくは2に区分変更をかけ、
暮らしや福祉用具など諸々新たにしていくことも決まって、胸をなでおろしています。

入居費用はガンとあがりますが、母と私たち家族の安心・安全のため。
惜しんではいられませんので。





【閑話休題】23年12月から24年2月までの過酷な勤務の備忘録。/24.01.20

2024年01月20日 | 【閑話休題】

事の起こりは、糞忙しい12月。

男性職員1名が腰椎炎で業務不可。
1月20日前後まで療養することに。

残る介護員5名のうち、1名は椎間板ヘルニアのため入浴介助不可。
そして、管理者が立場に胡坐かいて入浴介助にはいらない。
で、3名で現場を回す事態になっていた。

そう思ってる一方で、女性パート職員1名が、
ハードな勤務に体調を崩して、12月の残りの2週間は病欠。
主に午前中の勤務で入浴介助を頑張ってくれているのだが、抜けられると穴がでかい。

おまけに1月復帰するも、下旬からお子さんが相次いでインフルエンザにかかってしまい、
感染対策から出社できない状況が3週間あまり。

3名のうち、1名が体調不良とか家族が感染症にかかって・・・となると、
残る2名で交互に6日間の入浴介助を回すわけだ。



で、件の男性職員は年明け1月上旬に復帰するのの結局は腰がネック。
長い距離の送迎ができない、入浴介助も控えたい・・・

まぁ、これは致し方ない。

それにしても、どうしたら治るのか?
いつまで待てばいいのか?
もし長期化するなら、現場的には人が足りないわけで、
本人的には短時間シフトで勤務数を減らすとか、からだの負担を減らすことも考えないとだし、
現場的には、他にスタッフを増やすとかになると代表側の判断もいる。

職員の誰かがいまはからだがつらいといえば、
業務を替わるのはお互い様だしよくあること。
そんなことは、一向にかまわない。
けれど、その辺に「見通し」がほしいところ。

こちらも個人の事情があって、1月20日(土)に退職願をだした。
退職は2月29日。
つまり、10日プラス29日間。
2月末まで約40日間あれば、スタッフの補充もできるだろうと踏んでの話。
腰の故障で往生している男性職員も、それだけあれば回復するかも・・・と期待もしての話。

そう思ってた矢先。

1月25日(木)だったかな?代表と管理者から、件の男性職員に
「整形外科で診察をうけて、業務に支障なしとの診断書を貰ってきてほしい・・・」
そういう旨の話が持ち上がり、本人午後早退して整形外科へ。

で、もってきた診断書が「さらに3週間の療養が必要」

は?

続けての「明日から休みます」宣言だけして、本人は帰宅したらしい。

あんた、話聞いてたか?

「診断をうけて、業務に支障なしとの診断書を貰ってきてほしい」が、
どこをどうしたらそうなるんだよ?

いや、再診した結果の故障と療養はしょうがないとしても、
1カ月も休んで数日の出勤で、また「明日から休みます」ってなんだよ?

まず話し合いをもって、シフト調整するとかしてからだろ?
今週のこり2日だけでも出勤するとか、
例えば来週から週3回午前中だけ出勤するとかさ?

一方的に「明日から休みます」ってなんだよ?

いままで、あなたが戻ってくるまで・・・と人員不足を辛抱してきた、
私含む他のスタッフの2カ月近い苦労と頑張りは、なんだったの?

現場に無理を強いているのは、休んでいるスタッフだけではなく、
昨年7月から新しい管理者になったYさんにも原因がある。

 この人、送迎業務にだけ熱心でとにかく外にいきたがる。
 その上で、午前・午後の入浴介助と昼食準備をどうしてだかやらない。
 言い分として
 「管理者は、ホール固定で利用者との交流と観察がメイン」
 「普通は入浴介助は行わない」
 ・・・そういうなら、送迎こそ嬉々としていくなよ。

 利用者数の多い、スタッフ数もそろったデイサービスならそれもわかるが、
 地域密着型通所介護でそれやったら、現場が回らんがなw
 おまけに管理者Yさん、この送迎業務も偏りがあり、
 「行きたがる送迎コース」「基本的にいかないコース」がある人なので、
 これまたフォローするのに負荷高くて、めんどくさい。

 しかし、当日の配置を決めるのも管理者なので、
 自然と入浴介助と昼食準備をできる職員4名でまわすことになる。
 
 この4名のうち、
 1名が主に午前中の入浴介助のみ。
 1名は椎間板ヘルニアのため重い利用者の入浴介助不可。
 (昼食準備と自立した利用者のみ入浴介助は可能)
 送迎と入浴介助と昼食準備、全部こなせるのは2名。
 この2名の負荷がはんぱなく、そのうちのひとりが私であるw

  朝の送迎>午前 入浴介助>昼休憩>昼の送迎>午後 ホール担当>帰りの送迎
  朝の送迎>午前 ホール担当>昼食準備>昼休憩>昼の送迎>午後 入浴介助>帰りの送迎

 などという配置が普通にあるので、かなりの仕事量だ。

 そして、週3日入浴目的で午前のみ通っている、2人介助が必要な利用者さんがいる。
 この方が来る日は、大概私は午後の入浴担当なのだが、
 午前中のこの方の介助補助も私がやっている。
 やりたくてやっているわけでは、決してない・・・

 「率先してやってくれている」と思っている職員も多いだろうが、
 午前中に最低でも5人お風呂に入れないとならない状況で、
 「いまから〇〇さん、入ります」
 「わかった、いまから入浴用衣に着替えるわ」
 とかやってたら時間が5分も10分もロスするので、
 先んじてさっさと準備してヘルプに入っているだけ。

 はっきり言えば、管理者Yさんのホールでの動きが悪いのだ。
 糞忙しい午前中でも、ちょいちょい事務所に姿消すし。
 いろよ、せめてホールにはよ (# ゚Д゚)

そんなこんなで、12月から2月の3カ月で全身の疲労が酷い。
クイックマッサージ60分などでは追いつかないレベルの蓄積された疲労。
コリやらハリやらで、からだがガチガチになっている。

だんだんと健康が蝕まれてきているのを実感する。

で、だんだんと私の退職が迫る中、
腰痛に悩む男性職員の退職がきまったのが2月になってから。
まさかこのタイミング辞めんのかよ?と思うものの、そこはどうにもできんしな?

 本来なら12月末で「身体的故障による就労不可」として退職していたら、
 会社としてもスタッフの募集ももっと早くに、募集の回数もかけられたろうに・・・

 退職も会社と相談して、自己都合でなく会社都合として扱ってもらえたら、
 失業保険の給付がその月からになるのに・・・

決断、最悪じゃね?

そんな中、2月中旬に1名管理者候補の男性が入社したが、なにがあったのか2日で退職。
こっちもどうかしてるわ。
それ以来、求人募集に応募がないらしい。

3月から、求人をかけつつ残ったスタッフでフル回転だろうし、
管理者も胡坐かいてるわけにもいかず、入浴介助もすることになるだろうが、

後は野となれ山となれ。

しらんがな。





【閑話休題】娘、はじめての学習塾の顛末。/23.11.17

2023年11月17日 | 【閑話休題】

今年というか来年2月と3月に、娘は高校受験であります。
2月に私立高校、3月に公立(道立)高校の受験です。

自室でも、居間でも、熱心に集中して勉強している様子ですが、
公立高校は「絶対合格ライン」をふわふわ前後しているらしい。

そういう家内と娘の会話を聞いたのが、11月17日(金)。



学習塾とか家庭教師について、ちょいちょい話題にはなるものの、
人見知りというより、人間関係に馴れるまで時間がかかる。
ちょいコミュ障入ってる娘としては「嫌だ」と避けてきたわけだが、
そうもいってられない事態になってきたのだろう。

塾の体験学習とかして見ない?などと話を進める家内。

しかし、これ、悠長にやってられんだろう?

まずは近場に教室がある学習塾の資料を取り寄せたほうが早いなと、
居間のパソコンから検索かけて、個人指導型の学習塾に資料請求。

なんと、1分後に携帯に電話がかかってきたw
そこのコールセンターからw
対応早っ!




先方から「体験学習してみませんか!?」とぐいぐい押してくる。
いま11月中旬で、塾としてはこれから超繁忙期にはいるので、
入塾するなら、今月がデッドラインという。
つまり入塾できる=見ることができる生徒数に限りがあるからだ。
そらそうだわw

成績もさることながら、娘の情報をおさえているのは家内なので、
かわって電話をうけてもらうがあれよあれよと話は進む。

で、来週の23日(木)に面談と体験学習という運びに。

人買いに売られたような風情の娘に「お父さん酷い」と罵られるw

いや、お父さん、資料請求しただけだしw

そんなこんなで、11月はお試しで12月から週1回、1月から週2回の受講が決まり、
自習もOKとのことで、これもちょいちょい通っているらしい。
2月は更に頻度が上がり、3月も直前まで見てもらえるとのこと。

まぁ、高校受験は必ず通る道なので、一度は体験しておけと思う訳で。

頑張ってくれたまえ。



少し大仰な話をするならば。

世の中に転がってる資格のほとんどは高校卒業を前提としているので、まずは高校を卒業すること。
そして高校を卒業するまでに、自分の意志で学習するプロセスを身につけてほしいと思う。
そうすれば転職してから、あるいは転職にむけて必要な知識を学んで資格を取って現場にはいることができる。

晩婚な私たち夫婦に、遅くに授かった娘。
長くてもあと20年も一緒にいられないだろうし、
娘の助けになれるのはもっと短く10年もないだろう。
財産だって、食うのにかつかつで僅かなものしか残してあげられない。

大人になったときには、一人で暮らしていける力をもっていてほしいと願ったり。






【閑話休題】現役で働ける残り少ない時間で、転職について準備と行動、その理由。/23.10.15

2023年10月15日 | 【閑話休題】

先週は勤務は2日だけで、あとの4日間、フォークリフトと大型1種に全振り。

日曜もいれたら丸5日間、介護の現場から離れてみたわけです。

出来ないことが多い高齢者でなく、普通に働いている人たちと会話して、
介護の現場が異常とは言わないまでも、いかに非日常的、というか、
現実の暮らしと近いのにどこか断絶されたものであるかと思い知らされた感じ。

 家庭で在宅介護をしている人は、毎日の当たり前の暮らしに、
 少しずつ、当たり前じゃない暮らし方が楔か水漏れのように刺さりこんできて、
 段々とそれが広がっていき、気がつけば、当たり前の暮らしではなくなっている。
 "浸食される"という表現は好ましくないだろうが、そんな感じだろうと思う。

この度、介護から他業種へ転職準備中。



転職を考えたのは、給与が安い、コロナ禍以降は業績回復しない=ボーナスがでない・・・
といった金銭的な理由も確かにある。

 ただ、失業して年齢も手伝って就職先がなかったときに、人手不足とは言え、
 業界が「40代で正社員待遇」の受け皿があったことは感謝しているし、
 この10年曲がりなりにも勤め人として普通に働けた経験は、自分にとっては大きい。
 鬱病になるような自分が”10年普通に働けるのだ”という自信になったのは確か。
 介護福祉士という国家資格を取得できたことも自信の根拠のひとつ。

だが、一番大きい理由は、実母が手がかかるようになってきたこと。

毎週の平日の休みが母の通院の同行で潰れる。
日曜にも美容院にいきたい、買い物に連れて行ってと呼びだしがはいる。

 施設が、人手不足を理由に、利用者の些細な訴えを黙殺したり
 「ご家族にやってもらって?」と、家族に振ることも当たり前になり、また多くなっている。

昨年末からは、下半身の筋力の低下含む老化で、転倒をよくするようになった。
その際に頭部を打ち付けては、施設から呼び出しがかかり、脳神経外科に。
頭部CTを撮りに5回は通っているだろうか?
だから、必然的にいま買い物は車椅子が用意されているところになる。
つまり家内や娘に「おばあちゃんのでかけるお伴をして」というのは、もう既に無理。
車に乗せる、車から車いすに移乗させる、車椅子で移動する・・・
介護職の本職のスキルがいるレベル。

耳も普通の人の7割ほどしか聴力がないらしく、補聴器を用意したが、
「耳に差し込めない」「電池交換をひとりでできない」とこぼし、常装着しない。
携帯電話はボタンが押しにくいといい、結局固定電話を居室に取り付けることに。
そうすると今度は電話が使いやすくなり、些細なことでかけてくる。

実母含む高齢者は、自分達が「人の時間を食っている」という自覚が希薄だ。
月ごとの予定は、勤務のシフト表を渡すと全部の休みに用事を言いつけてくるので、
こちらで月末に来月の通院や買い物を組んだ予定表を郵送している。、
施設事務所のFAXした時期もあるが細かい齟齬が起きるので、
いまは施設の分の予定表も同封し郵送している。
ワープロの普通の文字の大きさでは読めないため、かなり大きい級数で印刷する。

そうして、

その上で、

日々の勤務は、赤の他人の高齢者の介護・介助・見守りである。

さきにも書いたが、実母含む高齢者には、自分達が「人の時間を食っている」という自覚が希薄だ。

先月9月、仙台在住の叔母が亡父の墓参に来てくれたのはうれしいことだが、
シフトの決まった月内にはいって「再来週旭川にいくから」では、困ることこの上ない。
墓参の同行、親戚一同での食事会の手配など少なくない手間に悩まされた。

例えば、普段の施設でも、トイレからホールへ歩いている途中で窓の外を見て立ち止まり、
「ここ眺めが綺麗だから、もう少し見ていたい。置いていってくれていいから」などと、
杖ついていつ転ぶかわからない身で、あるいは車いすで平気で言う。
綺麗なものに心奪われるのは理解できる。
ただ、いまは移動中であってそれが目的。
置いていけるはずもないし、本人は自覚がないが10分も同じ姿勢で立っていたら、
今度は歩き出すまでにも時間もかかるし、歩きだせば「足が、腰が痛い」と言い出す。

加えるなら、介助者が貴方ひとりに10分多く見守りと介助をすれば、
他の利用者の行動が10分遅れるのだということがわからない、思い至らない。

車いすの場合、自走もできない人ほど自分が「立てない・歩けない」自覚がなく、
介護員が目を離した瞬間に立ち上がって、伝い歩きをしようとして転倒・骨折などざらだ。

 こういう事案が発生した時、少し前までは利用者の家族も、
 「世話してもらうだけでもありがたい」「うちの親がすみません」という姿勢だったが、
 この数年来、利用者家族が民事で損害賠償請求が増え、また裁判で勝訴するパターンが増えた。
 利用者が施設内で施設職員の手落ちで怪我をした場合、
 施設がかけている損害保険で治療費などはカバーするのだが、
 それ以上に「誠意」を求めてくるケースが出来している。

 そして、徐々に界隈に、勤務先にも現れはじめたモンスター利用者層「団塊の世代」。
 家族どころか、本人が理不尽と抗議とクレームの塊だ。

高齢者本人は、迷惑はかけているという思いはあるようだが、
自分の衰えを正しく把握できていない故に、的外れな行動が多くなる・・・
いってしまえば、こちらの神経を逆撫でするというやつだ。

勤務でも、プライベートでも、常にこういう高齢者の相手を務めている。

もう気持ちの上で、いっぱいいっぱいになっている。

仕事もいま、段々と雑になってきている自覚がある。

いろいろ限界というか臨界に近いのだろう。

介護職の給与は安いとは言え多少の貯えもできてきたので、
「講習実習に行けば誰でもとれる」系と、「独学でもとれる」系の資格をとって転職。

自動車免許とボイラー2級や危険物取扱乙種あたり。
フォークリフト講習は昨日完了!大型自動車1種免許は11月にはなんとかというところ。

転職の職種として、倉庫の構内作業員やトラックドライバー。

10年ほど前は、トラックドライバーなど募集要項に「経験者に限る」と記載されていたが、
いまは大概、「未経験者OK、資格も入社後取得でOK」が増えている。

からだをつかって働けるのは、あと10年くらいなもの。
気になっているのは自動運転技術の台頭だが、実用化と普及に10年はかかるだろう。
うん、私が引退してからだろう。

いまはそういう流れかな。




【閑話休題】時代は巡るよ。〇〇通によるマウンティング。/18.12.22

2018年12月22日 | 【閑話休題】

最近、ツイッターとかSNSに見るマウンティングについて。

ラノベやBL、萌え絵とかを叩きに来る人の話。

普通の人たちもいるが、目立つのは、漫画や映画、アニメを愛しているという人たち。

 もともとそういうものに馴染みの薄い人たちや、
 そういう嗜好を理解できない人たちもいるので、
 あれはどうなの?と言われれば、

 「なるほどそういう見方もあるのか、じゃあどうすればいいのかなー」と、ない頭を捻ったり、
 「いやそれはやりすぎでしょ?極端でしょ?」と反論してみたりするわけですが…

もともとそういうものを自分も愛好しているのに、
「〇〇は邪道、あってはならぬ」と、マウンティングしてくる意味不明w



ラノベとBLがクローズアップされること多いけど、私らの時代にはあれだ。

SFとミステリーに詳しい奴ほど、マウントとりに来る奴が多くて本当にうざかったw

時代はめぐるのなー

高校生の時、3年生でSF大会にもいってた美術部の先輩が当時いってたのは、
最近読んだSFはと問われて「(朝日ソノラマの)機動戦士ガンダム」という
世代が現れたとき、会場内に激震がはしったそうだ。

それから幾星霜。

アニメの原作ノベライズとか、ラノベ原作のアニメや映画が
当たり前になった30年後の今素敵w


映画通を気取る奴もうざかった。

映画に詳しくてキューブリックマニアのやつ、
ホラーやB級作品を小馬鹿にしているやつ、
アカデミー賞取るような作品「だけ」が素晴らしいとかいってた奴。

作家気取り、映画監督気取りが多かったけど、

いまでいえば完全に「中二病」w

しかも、そういう奴らで、

プロの商業ベースでの作家・制作者になった奴、皆無。



その自称映画通たち「ブレードランナー」「エイリアン」を見て、
リドリー・スコットすげぇ美術とはかくあるものみたいなこと言ってたが、
初監督作品の「決闘者」とか「レジェンド光と闇の伝説」とかの美術・撮影の
凄さはスルーしてたり、リチャード・ドナーのことも誰それ?みたいに冷笑。

あとで気が付いたのは、そいつらがキネマ旬報とかの信者で、
作品のチョイスや論旨がそっくりなことだった。

「我こそ我々こそ映画文化を愛するもの」みたいな連中がいやになった。

こういう連中になりたくないな、と思ってどうしたか?

当時TSUTAYAでバイトしてたこともあり、店員割引がきいたこと、
VHSレンタル時代の全盛期で佳作駄作ともに多かったことに乗じて
とにもかくにも手当たり次第にいろいろ見た。

母校の高校教師でホラー映画のコレクターの書道の先生や、
ドキュメンタリーや40~70年代映画に詳しい元担任との交流も
大学在学時につづいていて、勧められるものは何でも見た。

その後紆余曲折を経て、映像業界の端っこに
座ることを許された時期があるが、

業界の現場で、「黒沢が、キューブリックが最高」ーとか言ってる人には
終ぞ会わなかった。

「黒沢も、キューブリックも最高だよね!でも好きなのは」と会話がつきない人、
あるいは「え、それしらない?どんな作品?」と自分の知らない映画や監督に
食いついて来る人が多かった。



今の自分は多少アニメ寄り洋画寄りかもだけど、映画もTV番組は好きだし、
漫画だって一般作品も読むし買うが同様に18禁のH漫画も買う。
いまはネットの投稿サイトからデビューされる方も増えたが、少し前は、
ラノベやアニメのコミカライズなどH漫画出身の方が多いように思う。

しかも、Hな漫画が描ける人は構成がうまいし、なにしろからみを描くのは
画力と絵の構成力がいるのだから、半端な能力ではない。

「エロ=低俗、絵柄が萌えなら、おっぱいと尻さえうまければだれでもかける」というのは、
「B級ホラーなんてお約束さえ押さえれば誰でも撮れそう」とか豪語する映画通と同じ、
アカデミックを気取った、只のもの知らずでしかない。

うん、やっとここまでたどりついたw

こっから

こういうことがいいたかったんです。

文化にA級もB級もないのです。

おもしろさがすべてで、どんな作品でも見たい読みたい需要はあるし、
その嗜好を選別することは誰でもできない。

消費者は、選抜は「買う買わない」「観る観ない」でおこなえばよく、
ゾーニングはプロの本屋さんが棚と導線をつくっておこなってくれるし、
TV放送なら、深夜放送という放送枠やR12~15などレーティングもあるのだから。

逆に、それを飛び越えて語ることがまずオカシイ。

最近深夜アニメの残虐的なシーンについて「子供がみたらどうするんだ」という
投稿をあちこちでみるが、そのための深夜枠だしw

枠を超えてまでのっかってくるなよなw

追記:

 ごくたまに「え?これ地上波でしかもこの時間でやっちゃうの?」っていう
 お茶目さんもあるけどねw

◆この記事は、18.12.22 ツイッターでのツイートをまとめたうえ、加筆したものです。


【閑話休題】やりたいとおもったら、やる。それだけ。/18.12.17

2018年12月17日 | 【閑話休題】


40歳で空手再開して、職場の人々に言われた8割は「なんでいまさら」だった。

40過ぎて野球やってますサッカーやってますって人に久しく会わない。

私見だが、スポーツや武道、体を動かす趣味について、多くの人は、
学生時代か若い時分にやるものと決めつけていることが存外に多い。

それとなく理由を聞くと、

「勝つためには上手くなるためにはハードな練習が不可欠で、
 年食ってそれはできない」という答えが返ってくる。

中学や高校で運動部経験のある人だけでなく、
部活の練習を見ていただけの人も同じことを言う。

でも野球やサッカーはチェックするし大きな試合は見るという。

つまり、
「体を動かすのは楽しいが率先してやるほどではないし、
 楽しむには見るに限る」という答えが多い。

学生時代、野球やサッカー、柔道をやっていたという人間に
例えば指導者になったりはしないのかと問えば、

学生時代にしこたまゲップがでるほどやったからもういいかなと笑う。

もっと突っ込んでいえば、

「やりたいこともあるけど趣味には金がかかる。
 いまはそのソースは家族や子供の習い事へかけているから」という返事もあり、

だから自分は金のかからない娯楽を選ぶのだという人もいる。

趣味に注力できるほどの余暇が少ない上に、給与も低い。
おまけに「勝つためには上手くなるためにはハードな練習が不可欠」という
若い時分の経験からくる呪い。

こういうものが、どういう風に働くかというと、趣味を楽しむ人たちを評して
「現(うつつ)を抜かす」、つまり逃避行動であると非難になる。

貧しいよなぁと思う。

もっと自由でいいと思う。

やりたいならやってみればいい。

楽しむ中でうまく強くなればいい。

うまくなるのも強くなるのに期限はない。

「短期間に」というのは競技会や大会にでるという縛りのためで、
学生時代は「在学中にそれが至上の目標だった」かもだが、

大人は縛られなくていい。

いま、特に趣味のない人ほど、趣味を持っている人に
「いい年して」「うつつを抜かして」というのはこういうことかなと。

興味のあることはやってみればいい。

やることないし実益かねてパチンコいくかとか言ってる人が、
同じ金をかけて習い事してる人を軽んじるのは、無様だ。

【閑話休題】改めて、この2年で2段を取りたいと目標設定。/18.10.30

2018年10月30日 | 【閑話休題】


改めて、この2年で2段を取りたいと目標設定。

10年かかって初段取得。

4年で2段を取得できたらいいなと少し欲がでたw

いまなら少し先に進めるんじゃないかと思うのです。

特に武器術ねw



そのために年末までにまだ練りこめてない古流型の習得が急務。

【セーサン】【抜塞】をなんとしても終わらせたい。

うちの会で習う古流型は、8つ。

そのうち、初段の段階で5つを学ぶ。

 【ナイファンチ】【アーナンクー】【ワンシュウ】【セーサン】【抜塞】

ここからは、高等な型に入っていく。

 【鎮東】【クーサンクー】【五十四歩】

そのためにも、型の習得は、

 1.「正しく覚えること」
 2.「緩急と呼吸も込みで覚えること」
 3.「分解応用も込みでおぼえること」

この3つが理想だが、せめて1,2、まではなんとかものにしたいもの。

具体的にいうと、

 18年10月~12月 古流型 1.「正しく覚えること」
 19年01月~03月 古流型 2.「緩急と呼吸も込みで覚えること」
 19年04月~06月 棒術型【天龍の棍】【周氏の棍】 杖術型【真の型】

ここまでは自己の課題として、やっておきたい。

道場稽古は、このまま推移すれば、古流型は【鎮東】だろう。
釵術も、型は【アーナンクー】から【浜比嘉の釵】になるだろうし、
夏以降は、トンファーかヌンチャクの基礎?
または棒術で【徳嶺の棍】か?
それとも方円流杖術で【乱の型】か?

この辺は、指導してくださる師範が会員各々の出来を
判断された上でのことなので、「このどれか」くらいの
ざっくり感で捉えておけばよくw

ま、じりじりと前進しますわよ。



「空手なんてやってどうするんですか?」と問われることあり。

その矮躯で、その体格で、その年齢で、

…と言外に付属する質問の多いことw

健康のため、心身症の防止のためと、なによりたのしいからです。

段を意識するようになったのは、できているか否かを
客観的に審査されることが、学ぶ上で必須であると考えるからです。

あるいは、

「異なる武術を弊習すると、どちらもものになりませんよ」とも、
よく言われるが、ものになるとはどういうことかと問うと、

一人前の腕になれないか、なるまで時間がかかるということらしい。

 一人前とはと聞けば高段者を指すという。
 あるいは実戦に耐えうる武道ということらしい。

御心配には及びませんw

 そういう指摘をする方はどうだか知らないが、
 当方は「4段、5段とるぜ!師範になって…」という望みはもってません。
 指導者になりたいわけではないからです。

 「空手やってるオレツェー」とか「武道とは…」と、
 思い悩み突き詰めるほど、若くも暇でもないしなw

自分なりのやり方で、師範にも許しを得て学んでいるだけなのだから、
「学ぶからには~」と勝手に決めつけないでいただきたい。

もっというと、これは経験則だが他流他門派を見てから
本門を見ると改めてその良さがわかる。

「だから空手はこうなんだ…」ではなく
「だから空手はこうなんだ!」という、
おもしろさやすばらしさを再発見する喜びたるや。

他流他門派への尊敬も芽生え、学ぶ喜びは2倍3倍です。

 よく空手修行者が中国拳法に触れ、「こんな高等なものが!」と感激。
 宗旨替えして空手を辞めて習い始め、
 「空手は遅れている」とか、
 「空手には身体操作の面でカンフーに及ばない」とか
 酷いのになると、
 「空手などで時間を無駄にした」とのたまう方によく出会います。

 漢学者の荻生徂徠が、漢学に傾倒して、国学を罵倒し、
 自らの住居をより中国へ近くなるよう、引越しを繰り返し、
 都度「かの国に近づいた」と悦に入ってた話。

 それはどうよ?

 中国拳法に触れて、その術技が「高等」だと判断できる身体性は、
 空手の稽古で培われたもので、否定すべきものでもないだろうと。

まして、つかいこなせるか、できるかできないかは、

習う技撃の問題ではなく、個人の資質と努力の問題。

常思う。

【閑話休題】外国に学ぶべきこと。武道の指導員育成。/18.10.27

2018年10月27日 | 【閑話休題】


カナダで大麻が合法化されるそうだが、今後数年でどういうことがおこるのか
ブログなどに書き留めておきたい。

カナダが間違った選択をー…などと、上から目線でものをいうつもりはなくて、
実際にラリッての交通事故含めて事故の増減、人刺しちゃった撃っちゃった事件の有無増減、

それに関する刑事罰と社会の受け止め方。

外国で大麻が合法化すると、待ってましたと「わが国でも医療量大麻のー」が始まるけど、
他国が先陣をきってくれたのだがら、それを行ってどうなったかよく学ぶべきだと思うのだ。

それからでも遅くない。



日本で大学・高校・中学で空手柔道の指導で起きる事故は1年間に結構あるが、
欧米では普通に、当たり前に10年間ゼロとか、1,2件で推移してたりする。

共通するのは、指導員は段位のみならず、緊急救命や人体の解剖学・生理学・心理学など
200時間にわたるトレーニングを受けないと先生にはなれないということだ。
フランスでは、日本での高段者でも同じくトレーニングを終了しないと公的な指導はできない。
(相互の契約での、プライベートレッスンの形では別だろうが)

日本では武道団体各位で、段位を得れば、「先生」「指導員」になれてしまう現実がある。

古流では3段で教授免許、4段で師範というあたりだが、
昨今の流派では初段で指導員、2段3段で師範で道場主ということが少なくない。

へたすると、段位すら怪しい輩が、道場や団体を立ち上げ、「師範」をなのったりする。

技術的に優れているとか、試合などで強いこと、実績があることを理由に指導者を選ぶと、
元々高い身体能力の持ち主だったり、天才的な直観で動ける人の場合、技術を解析・体系化
して指導することができず、経験則である「やればできる」「回数をこなせばできる」という
ロジックに陥ってしまう。

そうするやり方で伸びる選手もいるにはいるが、伸びない選手や指導に否定的な選手をさして、
「私の言うことを聞かないからだ」
「私を軽んじている」
「言うことを聞かせてやる」
そうして、陰に陽に服従を迫る圧力がはじまる。
それが、ハラスメントを生む。
ハラスメントが蔓延した指導を受け続けると、それが当然と思い込み、
その選手が指導者になったときにも、同じ指導を繰り返す。

結局パワハラ・セクハラの連鎖は止まらない。

それは昨今の柔道、ボクシング、体操、相撲などそうそうたる日本〇〇協会の不祥事であきらかだ。

中学・高校で、大学で体育教師が、指導の名のもとに、自分の実績と趣味の延長で、
クラブ顧問の活動に邁進し、事故を起こし、生徒に暴行・性的暴行をはたらき、
内申書や推薦を盾に隠ぺいする事案が事欠かないなら、学校でのクラブ活動を改革し、
地域のスポーツクラブがその受け皿になるべきではないのか?

日本はいまこそ、外国の指導員育成の在り方も学ぶべきではないのか?

TVや新聞は、閉じた日本の教育・労働環境を賛美し、「日本スゲェ」の番組をお茶の間に垂れ流すが、
根性と経験だけが支えてきた現場は、もう限界にきている。

常思う。


◆この記事は、18.10.27 ツイッターでのツイートをまとめたうえ、加筆したものです。

【閑話休題】お子さんに武道推奨する親御さんの話。/18.09.21

2018年09月21日 | 【閑話休題】
【閑話休題】の最後の更新、ちょうど一年前ですねw



「武道を学ぶからには礼儀や稽古に臨む姿勢を厳しく!」という
親御さん多いですけど、私の周囲では厳しくした挙句、
学業に専念することを理由に中学や高校進学を機に武道を辞める
お子さんのほうが多いですね。

「受験が終わったら、再開する!」って子供にはあったことがありません。

 やれやれやっと辞められる!
 これからスポーツするんだ!文化系クラブに入部するんだ!

むしろ、晴れやかな子が多かったりします。



「武道とは」みたいなことを、親御さんも指導者の方たちも、
謹直・礼節・継続などの美徳とくっつけたがりますが、
乱暴かもですけど、例えば、サッカー=一日中球蹴ってるのが楽しいってのと、
空手・拳法=その流派門派の理に沿って打・投・極を覚えるのが楽しいってのは
イコールでいいと思うのです。

 「武道とは」、そんな人生観をどうこうするほど高尚なものではありません。
 高尚なものになりえるのは、修めた本人が相応の実力を得たあとのことです。
 青帯茶帯、初段や2段でいきっててもしょうがないw

礼儀や思いやりを大切にするようにと諭すのは、
ふざけた態度で学ぶとケガにつながるし、
練習相手のいる稽古もあるから、わかります。

勿論大事です。

しかし「自他共に厳しくしなければ上達大成しない」みたいな
論調には違和感を感じます。

違和感はなにかといえば、「早く巧く強くなってほしい」という
投資したから期待してるという親のエゴが見え隠れするからです。
そして指導者の教えたがり―会員の成熟を待つことができない、
早く段階を進めたいというエゴとか未熟を感じます。

武道を習わせる理由はなんでしょうか?

巧く強くなってほしいならば、その子にあったスポーツ競技を探して、
あるいは本人の希望に沿って好きなスポーツをやらせたらどうでしょうか?

競技人口の多いスポーツだと、練習の機会や試合も多い。
体育の授業で触れる機会も又多い。

他者との競争・比較ありきなら、スポーツの方が断然楽しいはず。
技術や身体の成長を本人が体感しやすいというのもよい。

武道は勝敗より「できるかできないか」「使えるか使えないか」。
つまり「制敵技術として通用するかしないか」です。
組手や試合は、その確認をするための稽古の手段であって、
他者との競争・比較が本意ではないのです。

大会にでて好成績をおさめるとか、より上の段・級を目指すというのであれば、
スポーツや勉強、資格試験に集中させたほうが有意義です。

スポーツでも勉強でもないけど友人との濃密な時間を過ごせる趣味の方が、
もしかしたらもっと有意義かもしれません。

武道とスポーツは違うと力説する親御さんに「では武道とは?」と話を聞くと
大概、「煮詰まったコーヒーみたいな根性論のスポーツ観」を力説してくれるので
襟落としか地蔵落としでイカせたろかと思います。

で、そういう親と感性が違う子は、進学を理由に武道やめます。

「嫌いじゃないけど周りの圧が凄くて」

同じ武道、同じ道場であっても親はスポンサーで応援者であるべきで、
「学ぶ姿勢や暮らしのあれこれまで武道的であれ」みたいな
余計な煽りはいらんと思います。



親兄弟がやってるから、あるいはお友達がやってるから、親がやらせたいからに加え、
始めるのは早い方がいいと子供の時から取り組ませる。

よく聞くのは、おとうさん(おかあさん)が武道をやってるからはじめたというパターンですが、
単に親御さんのことがが大好きで、一緒にいたい同じことしたいという子ども心の発露だったりします。

入り口としてはありでしょう。

でもやってみて続けてみて子供側に習うことへの違和感や抵抗、逡巡が見られるようなら、
「折角続けてきた」とか「〇帯までとったのだから」といったことにとらわれず、
何が原因なのか、話あったほうがいいと思います。

ちなみに、「継続ありき」、「続けるか辞めるかの二択」といった安直な対処はNGかと。

そもそも「なんのために習わせるのか」。

「心身の成長、健康の増大」と答える親御さんが多いです。

ならばなおのこと、

「習うからには、早く巧く強くひとかどの実力をもってほしい」などと、
費用対効果や教育投資としての成果を「親が」欲しがってはならないと思います。

 習い事ですから、教育の一環とはなりましょうが「投資」ではありません。
 心身の成長に効く嗜好品・サプリメントみたいなものと考えるのが妥当でしょう。

一般家庭で「〇〇やるからにはオリンピック選手目指そうな?」と気軽にいう家族―…
おとうさんおかあさんや旦那さん奥さんだったら、ドン引きOKだし、
全力ダッシュで逃げてかまわないと私は思います。

そして親御さんは「辞める・辞めたい・辞めさせるべきとの決断・判断はどこで下すのか」を
腹くくっておかないとブラック企業とかブラック部活と変わらない事態を引き起こしかねません。

 親御さんが段持ちだったり、指導員だったりすると、
 スポンサー兼監督兼寮監のようになるので、
 「子供にとってあまり楽しくない習い事」の場合、
 将来的には恨み節的禍根を残すことになります。

スポーツが嫌い、武道も嫌い。

あるいは武道が嫌い、スポーツのほうが好き。

親御さんにしてみれば、「良かれと思って」でしょうが、
子どもにしてみれば、「有難迷惑だった思い出」=黒歴史だったり。



流行り廃りや、教育投資だの、早期英才教育だの、
最近決まったオリンピック正式種目だのといった、

雑音に、

親御さんが惑わされることなく、

まずは親御さんがお子さんに、

どういう風に育ってほしいのか、

何を学んでほしいのか、

何を楽しんでほしいのか、

そういうあれこれをよくよく考えて送り出してあげましょう。

勿論、我が家も含めてです。

写真3枚は、18年8月5日に師範に、導入型「太極初段」の指導受ける娘9歳。

最後の写真は、17年11月5日に新しく会で購入したハンドミッドと娘8歳。

大好きな師範に遊んでいただきつつ、段々と空手になれつつあります。

運動や外遊びが嫌いではないけれど、
からだが小さい上に細い。
からだの使い方も上手じゃない娘。

学校のスポーツではいまいち楽しめていない模様。

からだ動かすのが楽しいと実感してくれて、

お稽古楽しいと道場に足を運んでくれたら、

いまはいいかと思っています。

つらつらと常思います。







 会場は、2F美術工芸室です。
 当日は、写真にある大きな机は撤去されて、結構な広さです。

 当日は、1F児童センターも体育館も特別開放されています。
 お母さま、お子様連れでおいでになり、お子様といっしょに受講されるもよし、
 お子様は児童センターで遊んでいただいてもよし、です。

 神楽市民交流センターまつり では、蕎麦打ちの会の模擬店などもやっております。
 となりの道の駅あさひかわ(地場産センター)にはフードコートもあります。

 護身術講座が終わったら丁度お昼時。
 「ちょっとおでかけ」の気分でおいでくだされば幸いです。





【閑話休題】日本〇〇協会などの醜聞についても思ったこと。[加筆版]/18.09.01

2018年09月01日 | 【閑話休題】
ここんとこ、話題の日本体操協会、ボクシング協会などの醜聞についても思ったこと。

いくら実績功績があっても、70代の男女が指導の現場で要職ってオカシイ。

 そういうと京セラの稲盛さんがーとか、
 聖路加の故 日野原さんとかー
 いう人いるけど、ちがうって。

 経営者や医療従事者は本来、
 チームとか組織を率いるもので、
 「亀の甲より年の功」ってのが通用する世界だ。

でもちょっと待ってください。

こちらは、スポーツですよ?
競争の現場ですよ?

世界的な基準や、規則にのっとって戦う世界です。

定年過ぎたお年寄りは本当に通用するの?

日進月歩の技術に、スポーツ科学。
メンタルヘルスにマネジメント。

顧問とか名誉職で年少部の指導をして、
選手層を厚く育てるのに尽力とかならわかるけど、
現役選手の育成の現場にいるのは、まずいでしょう?

また組織の上位はまずいでしょ?

しかも、各選手のスポンサーは民間だもの。

所属先のエゴも派閥意識もでるでしょ?普通に。

 体操の場合、女性選手とコーチの関係や、
 その間にあった暴力的な指導があったとしても、
 それは別個で解明・解決するとしてもですよ?

JOCだの○○協会だの、しがらみの多い年寄りが多すぎだよ。

しかも皆そろって強欲。

名誉欲だの、金銭欲だの、権勢欲だの。

今の日本の若い世代のアスリートは、現役後のことまで模索してる
クレバーな世代が台頭してきているとしても、それ以前の世代では、
競技の世界とその周辺でしか生きられない偏った人たちが固まって
だぶついてるように見える。

これはセカンドキャリアの育成を講じてこなかったその時代、
その競技の世界の問題でもあるけれど、現役を降りたら、
その競技の指導者か、そうでなければ芸能界含む解説者やコメンテーター、
スポーツキャスターってのが多すぎる。

メジャーリーガーやNBA選手は、現役引退後に弁護士とか医師とかにもなれるし、事実多い。

そして、そうなれる社会的環境がある。

欧米では大学には全年齢で学びに行く人がいるのが普通だ。

だが、日本の場合は、大学は若人の学び舎という事実。

というより、大学を学問の府というより、会社的実務を教えさせて
「新卒社会人養成校」にしようと、経団連あたりが躍起になってる
という阿呆な構図がある。

おまけに、それを後押しする厚顔無恥にもほどがある現政権。

そして元来というかこれまでが、学校卒業>会社に入社>定年まで勤務…
みたいなロールモデルが多すぎて、それを数が多いからと、
「平均的日本人」=勤勉でひとつの集団への奉仕と帰依が特徴であり、
美徳である=正しいとしてきた社会的同調圧力がある。

一意専心、滅私奉公こそ偉いという変な根性論。

そして無責任な社会。

スポーツや競技としての武道はそれの極地だ。
若い時からそれ一筋に「楽しい」「嬉しい」が高じて、選手にになり、
しかも好成績となると、まわりもちやほやして大会成績が推薦が国際大会で推して推して、
大学出ました学業成就となったら、

 「はい今まで感動をありがとう。就職や起業は自己責任で」ってなるわけだ。

全日本で通じる実力者や、国際的な大会で活躍できる人は、
その道の指導者もやっていけるかもだが、そこには到達できずに
競技の世界を降りなければならない人のほうが多いわけで。

競技者としては「それしか知らない人間」になるよう、さんざ後押しておいて、
選手として旬が過ぎたら、就業年齢になったら、
市井の人たちと同じ土俵でさあどうぞ、と、ひどすぎるよなぁと。



中・高・大学の部活動で、よく老監督が檄とばしてるのが
TVなどで「熱い!」などと報じられる。

 「おまえら、〇〇(競技名)をやるのは、なんのためだ?!
  勝つためだろ!?
  そのためにここに(望んで)きたんだろう!?」

私見だが、人生そんな単純じゃないし、二択三択で物事を
語る指導者は、能力がない。

もっというなら、

皆、あんたの指導が受けたくて、その学校に来たんじゃないよ。

論理的に、科学的に、最短距離で強く巧くなれる、
巧さ強さを維持するには環境が必要で、そのひとつの形態が
「強豪チーム、名門チーム入り」というだけのこと。、

つよい学校のクラブで、切磋琢磨して、全国や世界で活躍したいと
願っただろうけれども、一個人の熱血根性馬鹿に指導を受けたくて
そこにきた訳じゃないと思う。

 「おれがこの学校の歴史をつくった」と吼える顧問。

あんたじゃなくて頑張った生徒、選手たちだ。

あんたは、わき役に過ぎない。

願わくば名伯楽になっていただきたいものだが、多くの指導者は、
実は自分が主役だと思っている。

これは地方の学校でよくあることで、この拡大再生産された仕組みの中で、
圧縮濃縮されたものが、いまの日本〇〇協会なのだろう。

常思う。

◆2018.09.01の投稿から抜粋加筆。

【閑話休題】さて、50歳になりまして。/17.09.30

2017年09月30日 | 【閑話休題】
【閑話休題】というカテゴリで書くの久しぶりだな。
ことしの3月以来か。
その前はおととしの10月か。



さて、9月で50歳になりました。

26歳で起業して、39歳で倒産・自己破産。

その後勤め人に転じて、クリエイティブ方面で3,4年。
合間に、市役所の臨時職員とか、ネット通販の手伝いとか。

一転、介護の世界で4年半。

まぁ、波乱万丈でありますな。

私人としては、倒産した年に結婚。
結婚10年目。

結婚2年目で娘を授かる。

いま娘8歳。

成人まであと10年か。



直近の目標は今期の空手初段取得と、3年後に2段取得。

それと詠春拳の稽古の再開かな。

 心に秘めた計画もあり。
 そちらはいずれ形になってから。

何度も書いていることだが、空手や拳法で身を立てたいなどと思わない。

先生・師範にはならないし、第一なれない。

なりたくもない。

自身の健康増大と維持。

そして、より早く精密に動くようになる自身の変化が楽しい。

 万が一の事態に役立つかもしれぬ技を学び、
 それを生かしきれないかもしれぬ自分がいる。
 それらと対峙するために、稽古する。

ただそれだけ。



最近といっても昨年あたりから、
10年前の起業家としての私や
5年前までのクリエイターとしての私を知る人から、
コンタクトがくる。

いまなにしてるの?元気かい?

別にどうということもないが、「あいつはどうしているだろう」と
逢いに来てくれたり、電話をくれたりする。

50年、生きてきて、社会にでたのは22歳。

28年の歩みの中で、大きな失敗もしたが、
損得抜きで、声をかけてくれる人がいるというのは、
ありがたいことだと思う。

それなりの実績と蓄積はあるということを、
誇りにしてもいいだろう。

 60歳までにできること・やらねばならぬこと。
 65歳までにできること・やらねばならぬこと。
 70歳までにできること・やらねばならぬこと。

自分で考えて行動できる残り時間は、
20年を切ったわけなので、
いろいろと準備をはじめないと。

いや、走りださないとね。

残り時間は20年、学べる期間は10年。

どう生き抜くか。

ゆるゆると急ごう。

【閑話休題】突き抜けたものが案外にないのは「普通」の弊害。/17.03.23

2017年03月23日 | 【閑話休題】
懇意のオタ友、素晴さんのブログ『介護と漫画の素晴らしき日々』。

故あって本日、凍結・閉鎖ということになりました。
まぁ、よくあるおよそくだらない理由で、残念ながら。

ひさびさに出会った面白いブログだった。
自分も介護を生業にしているが、漫画にするという
発想はなかったのでなw



旭川で「ブログやってます」というと、大概、ネタが決まってくる。
グルメ・スイーツ、イベント云々がネタに多い。
たまにガンプラとか仕事関係とかとんがったブログもあるが、
大概は、地元の情報を発信するというような試みで始まった
ブログが多い訳で、むべなるかとも思うが、

地元の情報を発信する=どこかの店、どこかのイベント…

要はネタが他人頼みなのだな。

ある意味突き抜けた感が足りねぇw

そういうエリアでいえば、群を抜いておもしろかったのだがw

ご本人もいい意味で「相当におもしろい人」なので
新設でのブログ再開を待ちましょう。



断っておくが、面白い人というのは、変わった人という訳ではない。
個性的であるということだ。

しかも、常識があって普通に人としてちゃんとした
気遣いができる人物であることが前提である。

非常識・無礼な人間は面白いのではなく、よくも悪くも
単に目立つだけであって、決して人として面白みがある訳ではない。

テンションが高い人、事業で成功している人の話も
日常的ではない話題だったりするだけで、よくよく聞けば、
「私変わってるでしょ」というアピールだったり、
「頑張れば報われる」という二宮金次郎的エピソードだったり。

ついでに「私、こういう人なの~」という自己アピールを聞くたびに、
「あんたがどういう人か判断するのは他人だよ」と突っ込みたくなる訳で。

そして「社会人として」「常識でいって」という言葉を連発する人間こそ、
結構な確率で「自分が思う社会的常識と思われるライン内」に安住している
だけで、蓋開けてみたら、粘着気質でサイコパス野郎でしたなんてことも
往々にある。

学歴や職歴も十分にあるのに、口を開けば下ネタばかりで、
「自分はフランクで砕けているだろう」アピールをする人は、根幹に
「そういうネタならあたりさわりがないしハズレない」という芸人もどきの
なにかを抱え込んでたりするしね。



俗にいうオタク。

オタク的になにかを収集していたり、耽溺している人は少なくないが、
なぜかマンガ・アニメ・ゲームは目の敵にされる。

不思議だ。

月に何万もパチンコ・スロットにつぎ込むんでも、「娯楽だよね」の一言で
済まされるのに、マンガ・アニメ・ゲームに1万もつぎ込むと「頭おかしい」と
いまだにいわれるのは、マスコミにも大いに責任があると思う。
某ガイチ的でんでん首相もおっしゃる「イメージ誘導」だ。



80年代、アニメや漫画を愛好する青年が起こした凄惨な事件のおかげで、
同じ趣味の愛好家をマスコミが「オタク」と蔑み、漫画・アニメ文化を、
凄まじい勢いで叩きまくった。

90年代のバブル期には、真面目だったり、誠実だったりと美徳にあふれた人間を
「ネクラ」とレッテルばりして、「暗い暗い」とバカにして叩きまくった。

そういう、マスコミのあり方を決して忘れていない。

昨今の言葉でいえば、「イケテル・イケテナイ」かw

マスコミは無責任で、忘れっぽい。

最近では、「報道」という本来の仕事すら忘れかけている。



いまでこそ、かつてのカウチポテト=レンタルCD・DVDも定着し、
あまつさえ、DVDの廉価販売=個人で購入というのも一般化して、
大人がアニメを見る、劇場映画にいくなんて当たり前になったがねw
その究極の阿呆な造語が「クールジャパン」だw

マスコミあたりが中心の世間様でいうところの
「普通」「常識」など、すぐにうつろうw

そしてそういう「普通」に安住して、毎日毎日
「刺激がない」「なにかおもしろいことない?」と
スマホながめて嘆く、「普通の人」の数の多さよ。

「世間様」の曖昧な「普通」の線に、
おっかなびっくり安住するのなんて、
つくづくつまらねぇよな。

最初から、自分の主観と趣味趣向でいこうw

【閑話休題】情報発信の難しさ。/16.10.02

2016年10月02日 | 【閑話休題】
よく届く問い合わせのメール。

「空手・護身術をやっている団体を探している」方からの問い合わせ。

「そちらではどんな稽古をするのか」とのこと。

こちらとしては、

 内容は公式ブログにありますが、動画はありません。
 一度、体験見学にいらしてくださいと答えます。

すると、結構な頻度で言われるのが、

 ●忙しいので見学など無駄な時間を使わないで、
  自分にあった道場・ジムを見つけたい。

 ●武道は未経験なので、詳しいことを知ってから学びたい。

 ●武道の教室や団体はそもそもがHPやブログを持っていないし、
  持っていても稽古の詳細がわかる情報を載せていない…

…というようなご意見多いです。

「わかりました。ご縁がありましたらいずれ」と返信して、終了。

…なかなか難しいよなぁ。

なにせ、相反・矛盾する内容だしw



HPやブログを持っていない団体が多いのは、きっとこういうことです。

自分では作る手間が大変だし、他人に委ねるにしても、
原稿として文章と写真などをまとめるのが大変だから。

写真や動画については「いまは簡単にスマホで撮れる」と思うでしょうが、
撮影に知識・経験がある人が撮るのと、ほんとうに素人が撮るのでは、
機材以前に、できあがりに差ができます。

それに仮にカメラマンに任せても、武道の技の見せたい一瞬がどこかは
そのカメラマンが武道を見る目に肥えてないと…ね?

つまり伝えたい情報を載せた写真・映像を撮るのは難しいってことです。



それともうひとつ、受け手側の問題があります。

こういう映像を見て、まったく空手の経験がない人や、他流派の例えば
フルコン系の方が観ても「なんだこれ?」で終わってしまうと思います。
同流でも、【ナイファンチ初段】や【アーナンクー】しかやってない人が、
【汪楫】や【セーサン】や【抜塞】についてはわからないじゃないですか?

だから、HPやブログに載せる稽古内容や写真・動画は、
これからはじめたいと思っている初心者に向けてつくっていることが多いです。

特に空手などは過激な体を壊しかねない乱暴な稽古をする印象が世間様に
広がっている分、誤解を受けないよう言葉や露出を選んでいるので
空手に強さとか憧れをもっている方からすれば、どうしても「ものたりない」
情報になってしまいがちだと思うのです。

昨今、そんなことを思う次第。

【閑話休題】ちょっと寄り道。メモ程度。/14.11.29

2014年11月29日 | 【閑話休題】
私見ですが。

武術とか武道ってのは、「対人での緊急対処の方法を学ぶこと」です。
相手がもし攻撃を仕掛けてきた場合、それを迎撃して制圧するなり殺傷するなり、
対人での暴力に、いかにこちらの暴力(腕力や武器)を合理的に使い、
こちらの損害を最小限にして対処するかという技術です。

それを身につけるというのは、脳とからだにすりこむ作業をすること。
どのくらいの刷り込みかというと、寝起きでも、多少熱があっても、
襲われたら即座に対応してしまうように訓練することです。
「気迫をこめる」「真剣になる」など気持ちのスイッチも切り替えることなく、
当たり前に速やかに対応するレベル。

で、学ぶ途上で得られるもの、「副産物」が、まず健康増大です。
筋力がつくし、からだの統一感が得られるから怪我も減るし、汗もかくしご飯もおいしい。
私のようにうつ病やアトピー性皮膚炎の抑止に役立つ。

次に得られるのが、心の充実です。
自分の対処能力が上がり、それが即ち攻撃力が上がることによって、自分の心身に自信がもてます。
そうすると普段の暮らしで出会う様々なことが小さく見えるようになります。
多少落ち込んでも、直に元気を取りもどすことができます。

 で、わかりやすいところで、
 うちの空手の場合、基本技ができてきて、”板が割れる”レベルになると、
 もうすこし体感できることが増えます。

 厚さ1cmの杉板がわれれば、急所に当たれば相手をOKできるレベル。
 厚さ2.5cmの松板が割れれば、相手の顔面に当たれば眼窩なら陥没させられますし、肋骨なら折れます。
 (ちなみに肋骨は、素人なら相手を寝かせて思い切り蹴り踏みつけてようやく折れます)

 ここではじめて、自分が不用意に武術・武道の技を使うと、
 無用なトラブルも生むし、相手を、または自分を傷つける
 リスクに気がつきます。

そのキケンをしることが、「礼儀を大切にする気持ち」とか、
「慈しみの心をもって相手に接する」ことにつながります。

 もっと赤裸々にいえば、
 「この拳がまともに当たったら相手がすげぇ怪我するぞ」というリアルな感触こそ、
 「いやいや、使っちゃいかんだろ、これ」「相手の拳があたっても同じだよな?」
 で、それが「何事も穏便に平和的にいこう」という想いにつながります。

よく武術や武道の教室の宣伝で、「健康増大」「礼儀正しさを学ぶ」「慈しみの心を育む」とか
そういう宣伝しますが、これはある程度学んだ上で得られる、あくまで副産物なわけです。

副産物目当てで、武術・武道をはじめるのは良しとしても、
学ぶものの本旨、見失わないようにしたいものです。

そして、武道を学んだからといって、即ち「礼儀正しい、慈悲の心あふれる健康な人」に
必ずなれるわけではないのです。

それは、日本で、武道の指導現場でシゴキによる傷害致死が絶えないことが照明しています。

以下は文部科学省の武道必修化についての概論です。

 http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/jyujitsu/1330882.htm

 武道・ダンス必修化

 文部科学省では、平成20年3月28日に中学校学習指導要領の改訂を告示し、
 新学習指導要領では中学校保健体育において、武道・ダンスを含めたすべての領域を必修とすることとしました。
 武道は、武技、武術などから発生した我が国固有の文化であり、
 相手の動きに応じて、基本動作や基本となる技を身に付け、
 相手を攻撃したり相手の技を防御したりすることによって、
 勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わうことができる運動です。
 また、武道に積極的に取り組むことを通して、
 武道の伝統的な考え方を理解し、相手を尊重して練習や試合ができるようにすることを重視する運動です。

 ダンスは、「創作ダンス」、「フォークダンス」、「現代的なリズムのダンス」で構成され、
 イメージをとらえた表現や踊りを通した交流を通して仲間とのコミュニケーションを豊かにすることを
 重視する運動で、仲間とともに感じを込めて踊ったり、
 イメージをとらえて自己を表現したりすることに楽しさや喜びを味わうことのできる運動です。

つまり、武道必修化を言い出したいまの首相は、
武術・武道のことをイメージで表層的に持ち上げているだけで、
理解や考察、検証をしたことがないのが明らかなわけですね。

【余談】こんなのみたことあります。>ロシアのサンボ。

2014年03月31日 | 【閑話休題】
その昔、サンボを見せていただいたことがあります。

地元の興行会社の関係で、旭川にきていたロシアの方から。
ボリショイからきていた人たちです。

時代は、まだ掣圏道の道場が旭川にあったころです。

こちとら、空手をはじめたばかりだったんですが、
「君がどう突いてきても対応してあげるから」って、
たしか、2回お相手いただきました。

ご縁は、とある方の紹介。

そのロシアの方とお仲間に組まれると
極めると、かならず首・肩とか脇とかをポンっと叩かれる。

「はいこれでオワリね!」

そういう合図かとおもってたんですがね。

あとから聞いたら、すんごく答え難そうに

 「あれ、ナイフで突く動作なんだよ…」ってw

オワリ=組手のオワリじゃなくて、
一巻の終わりという意味でしたw

で、最近流行のシステマ。

上記の方々が、従軍経験のあるとのご本人の談で、サンボのことを
"システム"と呼んでいたので、システマって聞いた時、

「あ、これきっと軍隊式のサンボのことかな」と勝手におもってたら、

全然別物でしたわ。

そんな昔の話とコネタでした。