晴旅雨旅

爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

蓮舫氏「岡田代表は大好き、ただ本当につまらない男」

2016-08-23 23:32:58 | 政治

蓮舫氏「岡田代表は大好き、ただ本当につまらない男」

うーん、「本当につまらない男」…なかなかここまでストレートに言われると、立ち直れないのが普通の男だ。1対1で面罵されるのは誰にでもありそうだ。しかし、敢えて女性を特別視するわけではないが、全国の津々浦々までこうした個人を特定した文言を電波でとばすような残酷さは、男には無い。

先日来の小池東京都知事の誕生と同じで、近い将来の優秀な女性宰相の誕生が近いことは予想されるのだが…。


「名古屋ぎらい」Facebook仲間の投稿をシェア

2016-08-23 21:39:40 | 教育
私は半分名古屋人、半分湘南人であることの中途半端さが、妙に気に入っている。
産声をあげたのが名市大で、伊勢湾台風の直撃を受け、うどんよりもきしめんを食することが多かったのは、私が正真正銘の名古屋人であることを証明する。

一方、幸か不幸か私は一時名古屋の下町を離れて「湘南」という、当時最先端のファッションストリートでキリスト教系の幼稚園に通ったこともあった。「そうざますね、オホホ」「ごきげんよう」などという「ざーます言葉」にすっかり名古屋人の牙を抜かれたのは、本来が象舌な私の母であった。彼女を驚くほどに無口にさせた湘南は、繊細な少年の心を傷付け、大きな田舎の名古屋人と後ろ指さされる(そんな輩は、名古屋人自身だけどねw)恐怖感で脅し続けたw

しかしながら、いつの日か日本の標準語を自分たちが用いている言葉に置き換えてやる、と言う野心を抱く関西人や九州人とは異なり、名古屋人はひたすらに権力者を崇め、弱気を挫き、強きを助ける太鼓持ち。価値観はコペルニクス的転回を遂げつつある今日ではあるが、頑なに権力者に媚びへつらう現実主義者でもある。よって、名古屋弁を堂々と語るのは、マスコミ受けを狙った何処かの市長さんなどの圧倒的少数派に限られている。そして、殊に嫁入り前の若い女性にとっては、名古屋弁を用いないことそのものが、正しく人気のある「花嫁修行」ということになるw

まあ、言葉を用いる時に、いささかでも謙虚ではある名古屋弁、嫌いじゃないけどw

※以下の玉置氏のFacebook投稿に「いいね」して、こうしてシェアさせていただきました。

玉置 真悟さん「自分は県外出身者なので、こういう分析には人一倍興味があります。」

新しい経済哲学の種を蒔く

2016-08-23 09:50:03 | 政治
【労賃の低さが日本の最重要課題】
本日の日経新聞特集「オピニオン」でスパークス・グループ社長の阿部氏が述べるように、日本の労働分配率の低さこそが日本の最重要課題なのは、労働者はもちろん、経営者や資本家だって誰しも良く分かっている。需要の基本である所得が伸びなければ、「国富論」に示されるまでもなく、GDPの増加はほぼ不可能だろう。
だとすると、みんなが賛成ならさっさとあげれば良さそうなものだが、これが自由主義経済の功罪に直結する根本的矛盾だから難しい。
例えば、国家権力の発動によって一時的に労働者の給与をアップさせても、必ずそれを逆手に取る業者が抜け駆けして大儲けする。結果、良心的な企業はあっという間に倒産することは容易に想像できる。ならばそうした業者を厳しく取り締まれ、と言ってもそんな経済ファシズムの行き着く先は歴史の実験を終えている。
社会変革には時間が必要だ。打出の小槌は無い。資本主義の自由度を活かして上手く社会の本当の豊かさへとつなげていく「智慧」が人類に求められ、その後やっと資本主義を超えた新しい哲学が登場するだろう。
今はその哲学の土壌を築き上げる時期だ。焦ったところで、何も生み出しはしない。
 賃上げによる日本型資本主義を 阿部修平氏(日経新聞オピニオン 2016,8,23)

「人権配慮」がオリンピック本来の意義を回復させた

2016-08-23 01:12:58 | 日記

【前評判は最悪だったが、終わってみれば、人権に最大限配慮した心温まる大会だった】

リオの人たちに感謝だ。彼らの生活を踏みにじるような大会を無理強いした上に、事前には散々と文句を垂れていた私たちだ。しかるに、彼らは精一杯の人権尊重の「おもてなし」をしてくれた。

大会がいざ始まってみれば、どこか手作りの温かさが伝わって来た。確かに、いろいろと運営上の手違いはあったにせよ、特にボランティアの人々が必死に動こうとしてくれた姿は、何物にも代え難いものだった。参加選手もそんなリオの温かさに感化されてか、明るい本来のオリンピックを楽しんでいたような表情を示していた。普段からリオの人々が何を大切にして暮らしているかがよく分かる。

しかし、これとは真逆に、閉会式における日本プログラムのあまりにも完璧な運営は、4年後に東京に足を踏み入れる期待感よりも、不安感を強めたのではないだろうか。安倍首相まで登場した周到な演出に、リオの人々の人間の温もりをあざ笑うかのような冷たさを感じたのは、私がひねくれ者だからか?

相も変わらず、一部の参加国指導者や視聴率絶対主義のマスコミがメダルの数ばかりにこだわる姿が、下劣で恥ずかしい態度であることは言を待たない。これを外国メディアがそれとなく皮肉っていることも、為政者は気付かないだろうなw

加えて、日本の選手が判で押したように“口先”感謝の言葉を述べざるを得ない大人の事情も、理解するにしても、本当にメダルを獲得することが日本に奉仕すると考えているとすると、これはこれで怖ろしい。

「私はLGBT」表明した出場選手が史上最多 リオ五輪

http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160822-00000047-asahi-spo