晴旅雨旅

爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

平成の〝秩父困民党〟はできるか?

2016-11-22 01:55:49 | 政治
秩父事件って、なに?(秩父事件研究顕彰協議会オフィシャルサイト)]
明治15年頃、軍備を拡大するための間接税の増税と緊縮財政によって、各地の農村は深刻なデフレに見舞われた。当時と今の日本とが似ていることの一つは、デフレ経済に苦しんだ民衆の怒りが蓄積されつつあることだ。

ところが、思わぬ人物をアメリカ新大統領に選んだことが、その怒りの矛先を移民などの社会的弱者に向け、弱者同士の憎しみを利用することでその反逆のエネルギーを摩耗させ、潰し合う仕組みを作ることになりそうな雲行きになってきた。

ところが、こんな時こそその存在性を発揮しようかという“庶民の味方”を旗印に掲げている各野党は、時代が“平和主義的な”秩父困民党を求めているのに対して、出てくる候補者は有権者のご機嫌伺いのような者たちばかりで締められそうだ。有権者は自分のエゴを満足させてくれる候補者に一票を入れることと引き換えに、口を封じられた。

かくして日本においては、これで庶民は半永久的に自らの政党を立ち上げる魂を売ってしまったことになる。言葉を日本人は奪われることとなった。それを差し置いて、明治維新以降150年の月日に意味があった、などとはとても言えない。

さて、安保条約をどうする?

2016-11-12 14:59:27 | 政治
<外務省>日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
<LITERA>安倍首相の対米従属が日本を危険に晒す!「米国はどうなる」ではなく、「自分たちがどうあるべきか」を自分の頭で考える必要がある。リベラルにこそ、覚悟が問われる時代なのだ

《第三次アンポ論議を》
思わぬ形で決着したアメリカ大統領選。世界史は一つの転換点を迎えたと言える。
そして、これは間違いなく日本の激震へと連鎖した。私たちが避けてきた刃、「米軍の撤退」がにわかに現実性を帯びてきたからだ。

さて、どーする。安全保障の新段階の扉が開きそうだ。そうなればアメリカに寄りかかった甘えは通用しなくなってしまうことになる。
本格的に武装するのかしないのか。中国、ロシア、朝鮮半島との関係はどうするのか…ただし、軍事費の増強は、ただでさえアップアップの国家財政を危険水域に落とし込む。
単純な力に依拠した安全保障などできようはずもない。

無意味に、もう“昔の話”となったTPP論議などで貴重な時間を浪費する余裕はない。日本の政治家の公約とは次元が異なるのが、新大統領の言葉だ。

新大統領は沖縄をどうする? そのとき日本は??

2016-11-12 11:46:54 | 政治
<米大統領選>翁長・沖縄知事がトランプ氏に祝電
日本の与野党や官僚が大慌てで、今まで散々けなしてきたトランプ氏の発言を無理やり解釈し直したり、、彼の手足となって動いてきたり動こうとしたりする人物を物色し始めている矢先、翁長沖縄県知事はさっさと手を打った。
今後の展開は今まで予想されていたものとは明らかに異なるだろうということだけは分かるが、どうせ大勢に変わりはないだろうとタカをくくっていると、大どんでん返しが待っている…現代史のダイナミックな展開に、果たして私の石頭がフォローできるかどうか自信は全く無いw

 アートで世界が変えられるか?

2016-11-06 01:33:29 | 政治
アートを通して世界をひっくり返す
「アート」って何だろう…絵?音楽?うーん、ちょっと分からないが、要するに何か美しいと感じるもの?
でも、政治には関係なさそうな気もするのに、時の権力者は滑稽なほど警戒するからそれなりに力を持っているのかも。

実は「警戒される」ことは怖いことというよりも、名誉なことだと私は思っている。税金をいっぱいつぎ込んだ官憲がわざわざ時間と労力を傾けてくれるわけだからね。例えば、一人の警官をデモ警備に配置すれば、単純に人件費は一人数万円と計算できる。小さなデモでも、数百万円の税金を使うことになる。

しかし、この場合の名誉は得たとしても大した使い道はない。それほどの金とエネルギーを注いで街頭でどんなに声を上げても、ビラを配っても、ある程度の規模を超えないと新聞記事にもならない。記事になったとしても、交通事故や強盗の記事ばかりでは飽きられる穴埋めとしてのデモ・集会の記事扱いだと、注ぎ込んだエネルギーが虚しく思える。デモコースに当たった住民やタクシードライバーには、まず殆どの人がデモをする主催者に反感を抱くだろう。冷徹な現実は、一人の味方を得るために、10人の敵を作るかもしれないデモは、危険な博打とも言える。

人を説得するのに、言葉は微力だ。おまけに最近の言葉は散々政治家に弄ばれて、真実と遠くなってしまっている。耳障りの良い言葉ほど、それを用いる人物の裏ばかりを探られる。昔ならいざ知らず、政治的プロパガンダ言語を真に受けるのはよほどのお人好しとして見なされ、まともな大人としては世間は見てくれない。正義を語るほど正義から遠去かるのが、今の日本だ。

そんな呆れ返るのも飽きてしまった日本の現状に、一石を投じられるかもしれないのが、アートなのかもしれない。あくまで、さざ波を起こす程度のことしかできないかもしれないが、じわじわとウイルスのごとく身体の奥深く侵入して、人間を根本から変えてしまう力がアートにある、のかもしれない。希望は捨てるには早過ぎる。