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爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

「ジャスミン革命」が起きちゃった

2011-01-25 15:43:42 | 日記
(共同)
民衆蜂起により23年間続いた強権的なベンアリ政権が崩壊したチュニジアの政変が、インターネット上で「ジャスミン革命」と呼ばれ始めた。ジャスミンはチュニジアを代表する花。

(NHK)
チュニジア情勢 周辺国に影響
1月24日 9時33分
北アフリカのチュニジアで、市民の抗議行動によって独裁的な政権が崩壊したことを受けて、中東のイエメンでも、連日、反政府デモが行われるなど、チュニジア情勢の影響が周辺の国へも広がりを見せています。
イエメンでは、22日、首都・サヌアの大学に学生や活動家などおよそ2500人が集まり、32年にわたる長期政権の座にあるサレハ大統領に退陣を求めました。これに先立って行われた16日のデモでは、名指しで大統領を批判することはありませんでしたが、AP通信によりますと、22日はサレハ大統領の名前を挙げたうえで、「友達であるチュニジアのベンアリ前大統領の下へ行け」などと声を上げていたということです。続く23日に行われたデモでは、取材していたカメラマンが、一時、拘束されるなど、イエメン政府が情報の管理に神経をとがらせていることがうかがえます。このほか、チュニジアの隣のアルジェリアや中東のヨルダンなどでも、現政権への不満が市民のデモという形で噴出しており、チュニジアから始まった市民の抗議行動の影響が、周辺の国にも広がりを見せています・・・・

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 一体、何が起きているのだろう。
 私は、この「ジャスミン革命」に代表される昨今の“意外性”が連綿と続いていることに対し、眩暈すら覚える。私達は、日本に居てこのような動きを僅かでも察知していたであろうか。確かに、一人の貧しい青年の命と引き換えの訴えを契機としてチュニジア民衆の怒りは爆発し、あっという間に独裁体制は崩れてしまった。あまりにも鮮やか過ぎて、日本の体制側も反体制側(もしかしたら死語?!)もあっけにとられ、情報・認識不足も手伝って語るべき言葉を誰も持ちえていない、というのが正直な日本の状況だと思う。
 私は偶然、青年が自らの身体に火を放った12月17日の翌日、チュニジアに入国した。初めて訪れる国は、事前に若干の政治・経済情勢は頭の片隅においておくのは、別に私でなくとも誰しも行うことだろう。それによれば、アラビア語圏にありながら、近年安定成長を続け、宗主国フランスのリゾート地としても有名。日本でも、カルタゴの遺跡などを訪れる観光客も増え、イメージとしては平和な観光地だった。少なくとも、ときの政権を脅かすような動きがあるなど思いもしなかった。
 世界の政治情勢に若干なりともアンテナを高くしていたという自負はもろくも崩れた。
 この動きに、ある種の期待を込めてしまうのは、虐げられた人々が起ち上がった、それもFacebookやTwitterなどを駆使しながら、ということだから。とかくこれまで政治は一般庶民には無縁の権力者間での争いに終始しがちで、誰が勝ってもただ権力者の顔が変わっただけ、というところだった。しかし、この爽やかさはなんだ!ただ嬉しい!たとえ、政治の世界はおそらくこの爽やかな空気に嫉妬して、やがて色々な思惑や欲望によって複雑な表情を見せることになっても、だ。
 久々に、市民が政治の表舞台に、突然登場してしまったこと、私達はそれを歓迎する準備などまったくできていないうちに、歴史の歯車はぐるんと一周してしまったのかもしれない。それほどに、歴史的な動きの第一歩になるかもしれない「ジャスミン革命」。私なりにしばらく注目していきたい。

ランキングばかりにとらわれる私達にチャレンジ精神を語る資格があるのか?

2011-01-15 13:15:31 | サッカー
 先日のアジアカップ予選リーグで、日本代表チームはシリア代表チームと戦った。
 戦前は世界ランク29位の日本が110位のシリアに負けるはずはない、負けてはならないと思われていた。というのも数日前に行われた同107位のヨルダン戦で、あろうことか終了間際のロスタイムにやっと追い付いた、という信じ難く恥ずべきプレーをした直後だったからだ。予選リーグの同じグループB組内ではサウジアラビアだけがライバルと思われていた。故に日本陣営にとって、このドローは全くの計算外であり許し難い屈辱だった。はじめ私は相手を舐めてかかった日本の油断が主たる原因と思っていた。
 ところが、キックオフの笛が吹かれて、時間が経つうちにそれが決して油断なんかではない事実を認めざるを得なくなってきた。中東チームはヨルダンもシリアもはるかに上手くなっていた。何よりもハードワークでありチームとしてクレバーであった。個々の力量では日本が僅かに上回る程度か、と思われた。これでは勝っても僅差、負けても決して不思議ではないであろう。
 中東の人びとはいつまでも「アラビアのロレンス」の頃の西洋から見た、愚かで浅墓な地位に甘んじてはいない。今回の必死なプレー、あのPK前の涙を流して祈る姿に私達はスポーツの持つ意味を軽く見ていたとしたら、不幸な日本人に留まっていることを恥じなければならない。
 日本だけがいつまでも過去にとらわれている。それはみみっちくしがみつくような甘えの象徴のように繰り返し放映される「ドーハの悲劇」に端的に表れている。確かに日本は当時やその前と比べて格段にサッカーは進化している。しかし、他国も同様か、あるいはそれ以上のものであることを素直に認めねばならない。それとも、スポーツ界でも「失われた十年」が継続しているのとでも言いたいのだろうか。
 勝てばいい、いつから日本のスポーツはそんな情けなく寂しい勝利感にしがみつくようになってしまったのか。一体、そんな勝利に美学はあるのか。若い人がスポーツから離れていく理由は、こんな狭小な保守主義になんら魅力を感じないからではないのか。チャレンジ精神の不足を嘆く大人の恥ずべき自己矛盾に気が付いていないのは当の大人だけだ。
 加えて、マスコミはそんな情勢を知ってか知らずか私達に知らされるのは、こうしたランキングに代表される日本有利なプロパガンダだ。事実は、ワールドカップで決勝トーナメントに残ったことだけなのに。こうしたマスコミの姿勢は勝つことだけに喜びを誘導し、サッカーをはじめスポーツの有する魅力を半減させてしまっている。
 そろそろ私達はスポーツを権威の世界から引きずりおろし、普通の人が普通に楽しめる文化を取り戻すべき時代が来ていることを自覚し、訴えていきたい。

チュニスから南ヨーロッパへ

2011-01-03 11:27:17 | 旅行
<チュニスから南ヨーロッパへ>
 妻と海外旅行することは度々あるのだが、娘を伴ってというのは彼女達が幼い頃を除いては殆ど無かった。だから、今回、チュニジアの首都チュニスでアラビア語を学ぶ次女を現地に訪ね、そのついでに南ヨーロッパを廻るということは、いつもの自分の旅のペースとは違っていた。
 そんな中で、やはりいくつかハプニングがあって、自分としては十分楽しめたのだが、同行する者にはあまり経験のないことであって、戸惑うことも多かったようだ。どうも私は自分が思う以上にマイペースらしい。つまり利己的・わがままだということ。今まではそのように指摘されても否定する余裕があったが、今回のことでそういった指摘がもしかしたら正しいのかも、と思い始めた。どうやら自分が楽しいことは、必ずしも人にとってはそうでない、というあまりにも当たり前すぎることにようやく気付き始めたらしい。このことこそが、利己的である動かし難い証拠ではあるが…。
 スペイン・グラナダ市内を深夜、レンタカーでホテルを捜しながら道に迷ったこと。バルセロナの地下鉄車中でのスリ団との一悶着。イタリアのGenova(ジェノバ)へ行くつもりが、老眼のためかoとeを読み違えてスイスのGeneva(ジュネーブ)空港に降り立った件。やっとの思いで旅の終わりに再訪したローマで、ネット予約したホテルが詐欺まがいなため不安な夜を余儀なくされたこと…等々。確かに、もしこれが自分にとって他の人の行いならば、許さないであろう。
 そんなドタバタな日々で、2週間近い旅程を費やした割には量・質共にとても豊かとは言えない旅行であった。旅を楽しむ技術は、日常生活を豊かに送る術を有していなければ決して身につくものではない。同じ時間と空間を豊かに過ごすことができるかどうかというのは、その個人史の質に左右される。
 残念ながら、貧しさは引きずり、豊かさは受け継がれる。それは物質的なものだけではないことに、生活を送る中で厳として気付かされる。単にお金に代表される物質的なものなら克服できそうな気もするが、長く何世代にも引き継がれてきたものの大きさにたじろぎ、心のどこかで諦めている。
 今回の旅の中で得たことは次の二つ。一つ目は、そんな貧しさと豊かさの乗り越え難さを改めて確認できたこと。二つ目は、しかし、それをそのまま受け入れてそこから日々を送ることしか許されておらず、そんなどうしようもなく当たり前のことを私は初めて「知った」こと。これに尽きる。