晴旅雨旅

爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

私が教員を辞めたいと思った大川小学校の悲劇

2016-10-27 18:22:20 | 教育
裁判“大川小学校の悲劇”「全校児童108人中、生存者はわずか34人。死者56人、行方不明者18人。13人の教職員も、生き残れたのは3人だけ」
<この世で生きていくことの耐え難さ>
辛い裁判だ。自然災害によって、子どもたちも先生方も多くが亡くなり、殊に亡くなった先生も含めて、日本の全教員が刺さるような責めの視線を感じざるを得なかった裁判だった。下された判決は妥当なものだったが故に、教職に就いていることのうしろめたさを感じなかった教員は居ないだろう。

<責任の重さにたじろぐ>
確かに、教員たちの判断は間違っていた。しかし、自分に置き換えてみると、それまでに経験したことのない状況下、果たして冷静で正しい判断ができる方かどうか、全く自信が無い。また、例えば裏山に逃げたりしてその時に子どもが怪我をして、津波が来なかったらそれなりに責任は問われるだろう。ましてや、裏山が崩れて子どもが亡くなったりすれば、津波以上に責任を追求される。

<人生の引退時期>
確かに、教育界に関わらず、いつのまにか個々人の責任を厳しく問う時代になっている。命の値段は限り無く高騰している。当然のこととはいえ、私はこういった現代を上手く乗り越えていく自信は無い。そろそろ役目を終えて三途の川へ向かうべきなのかなw

教育界のグローバル化

2016-10-25 10:26:53 | 教育
2020年プログラミング必修化、未就学児の保護者の過半数は知らない
「2020年を境に日本の教育が変わろうとしている…」教育現場のこれからの変化は、今のところ語られることは少ないが、おそらく2020年のオリンピックが終わった時に、世の中は一種の〝浦島太郎〟状態になるだろう。今為されなければならないことは、今後4年弱に渡っての、教育に関わる情報格差に振り回されて子どもを不要に不安がらせるのではなく、地に足の着いた子育てを考えておくことだろう。
〈教育専門家でも見通せない変化〉
2010年頃に教科書のデジタル化、タブレット使用が2020年から始まる、と言われていたのに、大多数の教育現場も家庭も本気にはしていなかった。しかし、教育課程に小学校の英語教育を教科に格上げしたりプログラミング教育が行われたりすることが具体的な日程に登ってきて、慌て始めているのが実態だ。それどころか、2020年を迎える時には、今では想像できないような方向に進むかもしれない。それほどに、今の変化は激しい。
〈「英語」の支配はコンピュータ化社会の到来で完結へ向かう〉
教育現場では、今後、「英語を学ぶのではなく、英語で学ぶ」ことを求められる。それもそのはず、コンピュータープログラミングは、英語そのものと言える。そもそも「日本語」ではコンピューターは動かない。
コンピューター言語は英語でできている。英語は世界共通語を目指すだけでなく、世の中の仕組みそのものに深く浸透し始めているのだ。残念ながら、日本語などは地域言語としての「地域文化」の範疇に収束して行かざるを得ないだろう。コンピューターによる人工知能やIoTとは、他ならぬ「英語」による世界支配が、少なくとも言語上では決着がついた、ということだ。
〈英語、プログラミングを教える人材不足が招くもの〉
今後、子どもたちを取り巻く教育環境は、ハード面の施設が安価に入手できる今日、ソフト面での教員の人材不足になやされることは明らかだ。しかも、わずか数年間の間に、だ。このソフト面での差は、おそらく途轍もなく格差が拡大することになるだろう。それは即ち、子どもの教育格差へと直結する。それはそのまま新しい社会階層の固定化への準備となる。

これができれば、あなたもノーベル賞?!

2016-10-06 08:43:11 | 教育
ノーベル賞】大隅さん発見「オートファジー」 少年ジャンプ漫画・トリコの解説が「正確」と学者絶賛
<逆転の発想>
以下は私が算数の授業で行う定番の課題問です
(例問:サッカーの大会で、ABCDの4チームがトーナメント方式で1位を選ぶには、全部で何試合行われますか?)
[例解:A対B…(1)、C対D…(2)、それぞれの勝者同士…(3)、の計3試合]
それでは、問題が「ABCDEFGHの8チーム」となると…A対B,C対D,……と力任せに数えると7試合ですね。しかし、それでは算数や数学らしくありません。数学は「サボる」計算方法を考える手段とも言えます。この場合、1回戦は4試合、2回戦は2試合、そして決勝は1試合なので、4+2+1=7と考えるのが数列計算を生かせそうですね。しかし、9チーム参加となるとどうでしょうか?途端に難しくなりますね。いっそのこと100チームならどうでしょうか?もうここまでくるとコンピューターの手を借りることになりそうですが…しかし、子どもたちはたとえ1年生でも簡単に解いてしまう子が10人に1人くらい居ます。つまり、担任したクラスには必ずと言って良いほどやんちゃな子どもの中で2、3人が即答しました。「簡単じゃん、9チームなら8試合、100チームなら99試合やればいいよ。だって、優勝したチーム以外は1回負けたら終わりじゃん!」
そうです。「勝つ」ことばかりに注目すると複雑になります。「負け」の視点に立つとすっきり分かります。実は今回の大隈博士のノーベル賞獲得のポイントはこの「負け」の視点です。博士は、膨大な研究サンプルを調べるにあたって、オートファジーしている検体よりも、それができない検体を調べることによりその手間を大幅に減らしました。この逆転の発想が無ければ、この研究方法は中途で挫折せざるを得ません。
(さきほどの算数の問題、簡単に解けた貴方、ノーベル賞おめでとうございますw)
 

【オートファジー「ノーベル医学・生理学賞 大隅良典さん」】

2016-10-03 21:50:50 | 教育
【NHKニュース「ノーベル医学・生理学賞 大隅良典さん」】
数年前に私の妻が大学で「オートファジー」に関する講義を行い、その内容について我が家で興奮気味に繰り返し話していた。その時、私も生命体の見事な仕組みにとても驚いたことを思い出した。
今回のノーベル賞受賞、妻と同じ基礎医学研究に与えられたこと、素直に喜んでいる。普段、臨床医学と比較されて、「何の役に立つんだ?」と肩身の狭い思いをしている基礎医学研究者には、極めて朗報であることは間違いない。

古くて新しいAL(アクティブ・ラーニング)

2016-10-03 10:14:23 | 教育
【教育を巡る論争…延々と繰り返されてきた「経験主義」vs「系統主義」】
一般人が<教育>と聞いて、先ず頭に浮かぶのは「教える」ことだが、これは人類の知識を伝える、という意味のことだろう。しかし、教育現場に携わってきた者から見ると、現在の日本の学校で実際に行われている教育は、似て非なるものという気がする。

教員は常に子どもたちの「教育的効果」を評価しながら業務に取り組んでいる。分かりやすいところでは、教室で「この問題分かる人」と尋ねて挙手する子の割合を見たり、与えた課題にどう取り組むかという姿勢や態度、発言、表情など観察したりして、常にその授業全体を柔軟に組み立てようとしている。少しでも気を抜けば、5分も経たないうちに教室はざわめき、程なく「学級崩壊」する。

学校、特に公教育に対して全くと言ってよいほどに権威を失っている教室では、子どもたちは授業の意義・意味に納得しなければ、立ち歩き、教室から飛び出す。保護者も、教育内容・方法に理不尽な「強制」を感ずれば、躊躇なく抗議してくる。そうした現実を踏まえず、空想的理想主義に冒された「せんせい」が教育現場を失意のうちに去っていくのは、見慣れた風景だ。

小学生の通知表を見る機会があれば、覗いてほしい。どの教科も最初に「興味・関心・意欲」項目が評価の一丁目一番地であることはすぐ分かる。これは、教育現場では何が重要視され、子どもたちの何を育てることに力が注がれているかということを如実に物語っている。となると、冒頭に記した教育現場の実態が浮き彫りになってくるはずだ。

戦後間もない時の「経験主義教育」、バブル期の「ゆとり教育」、そして今流行りの「アクティブ・ラーニング」など少しずつ形を変えてはいるが、古くから「教育」は子どもたちの「生きる力」を育むことを目指してきた。しかし、今は人によって「生きる力」をどう解釈するかが異なっているのに、各自が自分の“常識”が絶対だ、と思い込んでいる。ここに教育を巡る争いが生じ、政治が介入する。その結果、子どもたちの「生きる力」の未来が権力闘争によって左右されているとしたら残念な話だ。現場から離れた教育論は、現場に届かない。