晴旅雨旅

爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

名古屋は、沈む?

2011-09-26 00:43:10 | 大ナゴヤ大学
 「〇(マル)長さんとカンパーイ!」 第5回特別授業:名古屋テレビ塔の社長さんとカンパーイ!『Think テレビ塔』では、久しぶりに、大ナゴヤなコアスタッフやボラスタにお会いできて、素直に嬉しかった。


 結論を導くにはあまりにも困難なテーマにも関わらず、敢えて挑戦する大ナゴヤ大学…その存在意義をもう一度再確認できた気がする。加藤学長をはじめとする皆の明るく率直な想いこそが、名古屋の街や社会全体の大きな山をグラリと動かす第一歩に違いない。    
 しかし、大ナゴヤな仲間の活躍とは別に、どうしても言っておきたいことが出てきてしまった。
 普段の日常に於いて私達は、リサイクル(再循環)・リデュース(減量)・リユース(再使用)の3Rを気軽に自分に影響が及ばないところから子どもたちに押し付けている。子どもたちはせっせとゴミの分別などに、自ら進んで取り組む。なんだかんだと言っても、子どもたちは大人を信じている。大人は子どもたちを信じてはいないが…

 テレビ塔は、いわば大きな「お荷物」なのだろう。今後どういった運命が待っていようと、現時点では3Rの対象であり、だからこそ今日のような催しが必要とされた。
 しかし、ここで話し合われたことは、日常的に何気なく子どもたちに要求していることなのだ。大人たちは3Rを実行することで四苦八苦しているというのに、子どもたちにはいとも簡単に命令している。自分達にできないことを無抵抗な子どもたちに要求している。
 私達大人は、この壮大なゴミになるかもしれないテレビ塔の3Rを実行できない限り、子どもたちの教育を語る資格など持ち合わせていないことを、自覚せねばならない。子どもたちに軽々と繰り返される批判の言葉をどうして自らや社会全体に投げかけないのか。

 何を言っても自分が傷つかないところから子どもたちに延々と自分の不平不満をぶつけてスッキリする欺瞞をそろそろ止め、自らの存在を賭して社会を変えないと、名古屋は沈む。日本は沈んでいくことを歴史は明らかにしている。

螺旋的あたらしい自分…大ナゴヤ大学授業レポート 生物部

2011-02-14 21:30:54 | 大ナゴヤ大学
大ナゴヤ大学授業レポート 生物部
文責:河辺正太郎
2011年2月12日(土)13:30~16:30
前川 みどり ミドリサン ●生物部 カメラ
田中 エリミ エリミ ●生物部 リーダー・受付
澤田 佳代 カヨチャン ●生物部 ビデオ
河辺 正太郎 チョウロウ ●生物部 レポート
前田智絵 チエ ●生物部 当日サポート
<地球の生物部>
私とあの人も、地球という生態系でつながっている。 チョコレートもいろんな生物からできている…。 そうだ!生物部的ラブレターを作ろう!

【講師の先生】
・阿部 健一(地球の生物部 部長)
・平井 秀和(地球の生物部 副部長)
・石川進一郎(名古屋市在住 小学生)
教室:名古屋テレビ塔内会議室

[レポート]
13:00 授業開始前 (セントラルパーク久屋大通地下ギャラリー) 
ミニ美術館・博物館を思わせるギャラリー。展示してある生物部の作品に見入っている生徒。道行く一般の方も立ち止まって熱心に見ていく人も多い。
・電気のいらない「つぶや木」…通りすがりの人のつぶやきを掲示
・生物多様性ポスター…一目で訴えかけるもの、立ち止まって見てくれることを意識
・スコップサプライズ…イギリスのゲリラガーディニングを参考にした鉢植え
・ピンブローチ…生物多様性をテーマに
・地球生物部とは…発泡スチロールなどを使わず段ボールなどの廃材を用いた掲示物による案内
・写真…スコップサプライズのときの様子をプロの秦義之氏が写したもの
・求む育ての親…賞味期限切れとなった市販の種を持ち帰ってもらう
・のぞ木見…主体的に「見る」ことを求めた掲示…昆虫など小動物をモデルにした紙工作。
授業の中でその秘密が明かされ,皆びっくり。
・生物部ポスター…生物部の活動のアッピール

などそれこそ多様・充実したもので、何よりもその人を惹き付けるデザイン性に驚かされた。知らず知らずのうちに「生物部ワールド」の虜となっていく。

13:30 授業開始
 リーダーから授業予定と注意事項の伝達の後、阿部生物部部長と平井副部長によるギャラリー展示の説明と生物部の紹介が行われた。人を引き付けることを意識してポスター等を制作したことも知らされ、通りすがりの人に目を向けさせ、「伝える」ことを主目的とすることの重要性を知らされた。また、ただ眺めるだけでなく、主体的に見てもらうための工夫も同時に大切なこととして意識して制作していることも伝えられた。
 様々な工夫を凝らして制作され展示された作品の説明を受けているうちに、生徒さんの表情に授業への期待と不安が高まっていく。

14:00 テレビ塔内の会議室へ移動。
 テレビ塔内へ入ることに興奮される生徒さん達も多かった。
 初めに施設の簡単な説明の後、恒例の30秒自己紹介。18名の生徒さん全員が終わるころにはみな緊張も緩み、なごやかな雰囲気が漂う。
 まず、作品制作に先だって、石川進一郎君(9歳)がお手本を示す。
 同伴したお母さんの話によると、進一郎君は紙に描かれた線をたどってハサミで切るのは苦手で嫌いだったとのこと。ところが、彼は図鑑でカブトムシの図にしばらく目を凝らして見入ったかと思うと、二つ折りにした色画用紙にハサミを入れていく。なんの下書きもせず、一心に切り進んでいく。数分が経過、彼は切り取ったものを器用に折り重ね、あっという間にリアルなカブトムシを完成させた。驚くほどに精密だ。触角や足の隅々まで妥協を許さない出来栄え。なにより一枚の紙だ。切り離してもいない。当然、接着剤も使っていない技は、この場面を目撃していなければ到底信じられない。まるで手品を見ているようなひとときであった。
 阿部部長の話によると、進一郎君の制作の根底にあるのは「見る」こと。丁寧に対象を見ることだ。逆に我々は普段、本当に見ているのかどうかが問われた気がした。我々はともすると対象を頭で考えて「見て」いるのではないか。その対象の本質を素直に受け入れるのではなく、巷で伝えられる事前知識に左右されたものの見方・考え方から「見て」判断していないだろうか…そんな怖れを私は持った。 

14:40阿部部長(デザイン)、平井副部長(コピー)からの話
デザインやコピーについて考えるときのポイント(後述)をお話していただいた。また、次の参加者による実技の中でも、ときおり全体に向けての説明を随時していただいた。

15:00 「大切な人へのラブレター」をテーマにしたカード制作の説明、制作開始
テーマは,広い意味での「ラブレター」であり,対象はだれでもいいが,その人のことを思い浮かべたりコミュニケーションをとるつもりで取り掛かったりするとうまくいくことが多いそうである。
また,初めから気負って難しいことを書こうとするよりも,簡単なコピーから始めると素直に自分の気持ちを引き出し,やがて,アイディアも徐々に膨らんでくるとのアドバイスを先生方からいただいた。まずは自分の気持ちの整理ということであろうか。
それでも上手くいかない場合は,ともかく紙を切ったり折ったりして,無計画でよいから始めてしまうことらしい。そんな中で前述したようなことを頭に思い浮かべていると,デザインの神様が舞い降りてくるそうだ。
とはいっても,早々に取り掛かる人もいれば,いつまで経っても考え込んでしまう人も居た。それでも,隣の人を覗き込んだり,会話を楽しんだりしながら徐々に形になっていく。信一郎君も自分でお気に入りのものをつくりながら楽しく賑やかに取り組んでいる。


16:05 制作発表
 さて,ようやく全員がほぼ完成し,作品発表の時間になった。
 家族への感謝を伝えるもの,ペットへの思いを表したもの,また,未来の自分へのメッセージを込めたものなど一人一人が必死に思いを表現しようとした力作がそろった。皆照れながらも,自分の作品の善し悪しよりも思いを周りの人にも知ってもらいたいという意欲で溢れ,何とか分かってもらおうと言葉を必死で選んでいるが,一人当たり発表30秒以内に収めるのは難しそうだ。しかし,作品の出来栄えに自信は無くても,思いの深ささや大きさには誇りを持ちたい,そんな気持ちが伝わってきて会場にお互いの健闘をたたえ合う温かい空気が流れる。
 
16:25 講師からの付け足し
・制作キット方式にするか迷った。キットによる制限を加えることによって表現に集中でき,却って豊かな作品を生むこともある。
・デザインやコピーを体験することにより,この仕事の大変さを分かってほしい。

≪レポーター感想≫
① 子ども,そして大人
二つに折り曲げた色画用紙にまるで手品のようにハサミが入り終わったかと思うと,まさし
く“生き物”が生まれてきた。 そして,彼のお母さんの言葉は私に衝撃だった。
「引いた線を辿るのは下手だし好きではないので,そのまま何も描かずにハサミで切り始めます。ただ,虫などは細かいところまで実に根気よく眺めています。」
 私は学校の教員だ。しかも,小学校。進一郎君と同世代の子を担任持つことも多い。はたして,今まで自分はこうした才能溢れる子に接して,どんな接し方,言葉かけ,環境整備をしてやれたであろう。「普通」に育てることばかりを意識して,数多くの子どもから表現する喜びを奪い,持てる力を「大人の常識」の範囲内に押し込んでいなかっただろうか。冷や汗が流れる。

② 表現に制約を加えると,却って世界が広がり,アイディアも生まれる(アイディアの神様が
降りてくる)とういのは新鮮であった。考えてみれば,例えば俳句・短歌のように字数の制限が一文字一文字に魂を込めるかのような優れた表現を生んでいる。相手を限定し,伝える内容も限られると確かに具体性が伴って取り組みの抵抗感が減る。
 そして,表現本来の目的は,相手に自分の思いを伝えるということであろうから,相手にどう受け取ってもらえるか,相手の視線に立つことによって自ずとデザインのアイディアも湧いてくる…つまりは“つながり”,ネットワークなのだ。ネットワークの間隙に表現が存在し,表現を具現化する手段がデザインなのだ。そして,そのデザインの在り方が,逆にネットワークの在り方を決定し,創造していくものなのだろう。
 私達の暮らしの中にデザインが深く根を下ろし,生き方に強い影響を及ぼしている。とはいえ,人々は多忙だ。デザインにうつつをぬかす暇など…と人は言う。でも,こうした混迷した時代だからこそ,私達は自らの運命を人に委ねるわけにもいかない。自らの人生は自らで描くしかない。今まさに,生き方そのものをデザインすることが現代人に求められているのだろう。

去りゆく映画館と生き続ける映画たちにアイを込めて

2010-03-31 15:45:16 | 大ナゴヤ大学
例年になく春風が冷たい名古屋駅の夕刻。平日にも関わらず、熱気がほとばしるピカデリー1(三井ビル7F)で開催された大ナゴヤ大学後期特別講座(2010年3月29日(月))
以下は私と妻との感想のミックス。

第1部 【日本を舞台(又は制作)にした外国映画たち】
 面白いという一言では上手く表現できない面白さ。おそらく、そのとき直接観ていたら「くだらん、ばかにするな!金返せ!」とか罵って席を蹴り、トイレに荒々しく放尿し、売店のお姉ちゃんを一瞥し、「次は絶対に面白くて楽しくて勉強になって、もしかしたら恋愛やお金儲けの参考になる映画を観るぞぉ!」と高らかに決意表明したであろうB級映画たち。
 しかし、そのカメラのレンズの向こう側に居る制作に携わった人たちが見えるのがB級映画なのかもしれない。どなり声で汗たらたら流しながら必死な姿…でも、全体のシチュエーションを想像すると滑稽極まり、最終的には可愛くさえ思えてくる映画人たち。

《作品別》
 「香港発活劇エクスプレス 大福星」
どうして香港のレンズを通すと日本はあれほどスローに見えるのかな?つまりは、香港のスピード感と日本のそれとの隔たりなのか。以前、勤めていた会社にジャッキーチェンそっくりな中国人の上司がいたことを思い出した。彼の仕事ぶりは新幹線そのものだった。
そして、新幹線と言えば…
 
「ハンテッド」
 坪井さん(シネマスコーレスタッフ)のおっしゃる通り、新幹線車中であることを忘れないで、と映画自身が語ろうとしているところが、カワイイ。自動ドアのシステムをぶち壊してしまう日本刀に投影される西洋人の畏怖がこそばゆい。

 「ミスターベースボール」
 3作品のうち唯一実際に観たことがある。確か、帰国途中の機内だったと思う。中日ドラゴンズは「ドベゴンズ」なんて言われていたことを思い出す。別に強くなくてもいいよな、ドラゴンズ。ひたすら皆で巨人と闘う姿を見せてくれ。阪神には負けてやれ。強きを倒し弱きを助ける「ドベゴンズ」に栄光あれ。
 
第2部【愛すべき2本立て上映たち】
 2本立てを観る楽しさ、という論は新鮮だった。冒頭にも書いた通り、かつてはB級映画を見せつけられた、という思いがあった。2本見せなくても1本でいいから入場料を半額にしろ、ということだ。もっとも学生時代を過ごした東京では同じ料金で1本だけのことが多かったので、名古屋の方がお得だなとは思っていたが。
 とにかく、まったく期待していなかった映画を観る(見せつけられる?)ということは、よく考えると豊かな映画の世界を味わえることができた幸せな時代だったのかもしれない。

《作品別》
「トゥルー・ロマンス」
ここでも、第1部と同じようにたくさんの映画の一部やダイジェスト版・予告編などを観させていただいたが、タランティーノの大ファンとしては、独断的に、これを取り上げたい。
タランティーノの「パルプフィクション」を観たとき、ストーリーは全く覚えていないが、無茶苦茶で面白かったということだけが頭に残っていた。それ以来、彼の名が少しでも出ているものは片端から観る、見る、ということになってしまっている。この映画についても、これを書き終わったら直ちにレンタル屋さんに駆け込むつもりだ。
予告編では、彼は脚本を担当していた。一つ忠告したい。この「トゥルー・ロマンス」、「パルプフィクション」、「キルビル」シリーズ、最近の「イングロリアス・バスターズ」を観たら絶対に“怖いもの無し”になってチンピラにも絡んでしまいそうな“勇気”をもってしまう“怖さ”がある(実際に絡んでも私は一切の責任は負わないよ)。この感覚は、鈴木清順監督の「けんかえれじい」と同じものだった。
 高橋英樹主演「けんかえれじい」は、30数年前に東京で学生だった頃、池袋の文芸坐で終電に乗り遅れてオールナイトで観た。満員で立ち見客もいっぱいだったように記憶している。画面に『鈴木清順』の名が出ると一斉に拍手と「異議無し!」の掛け声が溢れた。そのままデモの隊列を組みシュプレヒコールをあげて池袋駅を占拠してもちっとも不思議ではない空間ではあった…

「ニック・オブ・タイム」
 とにかく、ジョニーデップ。今も昔もジョニーだったら許せる。何をやっても許せる…

以上、まだまだ書き足らないが、このような素晴らしい企画にただただ脱帽。あの場に馳せ参じた映画ファンの中で目立った50代以上―垂涎の映画ポスターをカメラに収める人、年間300本観て集めた半券コレクションを見せてくれる人等々―皆とっても幸せな顔だった。
ピカデリーが消えていくのは確かに寂しい。今のシネコンの合理性にはついていけないこともある。しかし、懐かしむことが時代のブレーキになるのも避けたい。消えていくからこそ輝きを放つのかもしれない。
機関銃のように語ってくれた坪井 篤史(シネマスコーレスタッフ)さん、自分が最後の支配人になるとは夢想すらしていなかった森 裕介(ピカデリー 支配人)さん、ありがとう。

…墓場でも楽しく映画のシーンを味わえる予感がする初老夫婦より…
         

大ナゴヤ大学ボラスタ日記・・・京都ツアーをもう一度…

2009-12-30 02:02:50 | 大ナゴヤ大学
< 南禅寺南陽院に居た二十歳の足跡を辿って>

 写真左は現在京都大学の東南アジアセンター所長の教授、写真右は名古屋の老舗中堅メーカーの欧州現地法人代表。共に、長老こと私河辺と共に、二十歳の頃将来を語り合い、大学進学を目指して浪人生活を過ごしていました。
 ここは私が下宿していた南禅寺内の南陽院前で、30数年ぶりの再会を記して撮影しました。

 教授が指差している処に下宿人6人が生活していました。風呂は五右衛門風呂、朝は窓下を行く観光客の声で目を覚ますという日々でした。私は、ここから京都の老舗和菓子屋の配送アルバイトをしながらの浪人生活でした。

 これは、南禅寺から慈照寺銀閣へ向かう哲学の道です。先月の京都ツアーで訪れた紅葉の美しい頃の混雑ぶりとは様変わりで、京都の寒さがしんしんと伝わってくる”道”でした。
 
 この京都ツアーは、当時の自分の年齢とほぼ同じ若い人と一緒に廻ったツアーで、おかげでこうしてもう一度豊かな思いを抱きながら辿ることができました。
 時間を包み込んでしまう京都の懐の深さに感じ入るとともに、次回、どのような形で京都を訪れることができるか、今からとても楽しみです。改めて、京都ツアーを計画・実践してくださった3大学に感謝申し上げます。

大ナゴヤ大学ボラスタ長老こと河辺正太郎

「マジック授業」 in アスナル金山ステージ

2009-12-14 02:15:25 | 大ナゴヤ大学
昨夜激しく降った雨だったが、穏やかに晴れ渡ったアスナル金山のステージ。道行く人々も穏やかな休日のゆったりした表情を浮かべている。準備を進めるボラスタにも興味津津。いろいろ質問も出て、思わぬ大ナゴヤ大学の宣伝活動となった。
 金山の人々の気さくな言葉に、主催者側もリラックス。いいスタートをきることができたようだ。授業中も生徒以外の家族連れなどがボラスタの呼び掛けに応じ、手品を覚えて授業を盛り上げてくれる。授業は直接関わった者たちだけのものではなく、そこに暮らす人々と決して無縁ではないことに改めて気付かされた…
 大ナゴヤ大学の活動は、名古屋の街がキャンパス。そして、それはそこで生活する人と共に学び合い成長し合っていくことにほかならない。学ばせてもらっている・・・私達は謙虚であることを忘れたくないものだ。
:ボランティアスタッフ:河辺正太郎


【コミュニケーション】
モテる!ウケる!宴会芸の王道 ~プロマジシャンに学ぶマジック講座~
・水谷昇(マジシャン 株式会社スタートランプ代表)

先生は学生時代に手品の面白さに魅かれ、プロの手品師へ。


昨夜激しく降った雨もすっかり止み、絶好の手品日和?!
先生の説明も力が入ります。


生徒さんたちはAチームとBチームに分かれ、それぞれ違う手品を伝授されます。通りすがりの一般の方々も、ベンチに座って見守ります。そして・・・


いよいよ自分達がやってみるけれど・・・


マスターした手品をA,B2チームともにそれぞれ披露しあいました。
さて、うまくできたかな・・・