トラカリコン!

「虎・借り・コン!」。虎の威を借りた狐。虎の威を借りて吠える狐が私…。虎が何であるかは、本人にもわからない。

八重の桜

2013-12-09 21:34:43 | テレビのドラマやCM
このカテゴリーは怠けているだけで、他のドラマにも書くことはあるけど、時間がなければ省略。「八重の桜」は特別に書いておくんだ。

大河ドラマには、B5(だったかな)版の本みたいな雑誌みたいなものが出版されるのは30年前から知ってた。でも、読んだのも買ったのも初めて。
それくらいに気に入ったし(話だけでなく。綾瀬はるか・西島秀俊・・・。みんなみんな、当時の姿がとても似合っているという見た目だけでも充分楽しい)。それくらいに基本的知識が私にはない(日本史の授業は中学生止まりなもので)から、これなしにはとてもついていけなかった。読みながらだったせいか、会津と京都が描かれる前半がとても面白かった。

八重の家族をはじめ、会津藩がとても好きでねー。 人だけでなく、景色や生活も見ていて飽きない。それが失われるのが私も辛く悲しかった。江戸では、覚馬を中心に、西郷隆盛まで参加する若手達の広い交流が描かれる・・・びっくり! 既に知り合っていたのか! 西郷隆盛がマントで子豚をばっと捕まえた場面がとても好きです。そして、京都での政治的な動き。実際の責任者不在の中で、その部下達(会津藩主含む)が右往左往する様がとてても不安。
そして籠城戦。その前の、剛力彩芽達が城に避難しそびれるところからずっと、籠城戦が内側からこんなに長く描かれるのは初めて見た(大河ドラマを始め、だいたいが野原で人や馬が駈けていく光景だった)。状況の変化に対応すべく、作戦を、人員配置を変えていく。その間の八重と尚之助様(うちではこの人だけはなんとなく様付けしてる)、家族や友人とのやりとり。一気に勝負がつかない籠城戦。

毎週楽しみにしつつも、八重や会津藩の人々に反論が出てきてはいた。道理は会津にある・負けるはずはない・・・という信念。そんな「正義は必ず勝つ」みたいなのは単純過ぎる。ある意味、平和呆け。また、京都守護職であったこと・そして負けるまで戊辰戦争から抜けようとしなかったのは、会津藩が、なまじ、自他ともに認める高い戦争遂行能力を身につけていたせいでもある。そういう藩でなければ、「うちはそういうカラーじゃない」と戦争以外の道(早期の降伏を含めて)を必死に探ったことだろう。第2次大戦の日本もこんな姿勢で、そして同じく負けたの?などと思い始めた。
それから、あれは、会津藩士達の戦争であって、藩内の農民達にはあくまでひとごとだったということ。これは第2次大戦の日本とは致命的に違うんだとあらためて。
中央に対する東北、というのも意識させられた。関東に対する関西、というのは今までしばしば意識してきたが。東北は関東と同じ東日本、と思ってきただけだ。例えば平将門とか久慈氏とか戊辰戦争とかが、30年前に読んだ「私の昭和史」につながったりするのかもしれない(あの時は宿題に間に合わせようとざっと読んだだけなので、あまり覚えていない)。どうしても、東日本大震災とつなげて考えてしまう。郷土とか土着とかとあまり縁のない私のような者(江戸っ子じゃない東京都民)には見えていない、日本の歴史や分断が本当はあるのだろう。浅い生き方をしてきたもんだわ。

京都で山本家がまた揃って暮らす、というのは嬉しい展開。でも、ホームドラマ度が高い流れはあまり好きではなく(だから、本は「完結版」はまだ買っていない)、家族と共にやや惰性気味に見てきた。
そんな中で、昨夜放送分。見続けてきて良かった。

覚馬が戦いを否定したので、山川弟が反論する。それでも覚馬は自説を唱え続ける。
山川兄のことををはじめ、中村獅童など藩士達がおりにふれずっと戦での勝利に至上的な意味合いを求め、人生も決めてきた。そういう11ヶ月を見続け、やっとこの言葉に達した。

気が付くと、NHKのみならず時代劇の主要人物に女性がいるようになって久しい。男性ばかりの頃は、単純に、「領土を広げたい」「上に立ちたい」で済んだ。奥方やお姫様の意向は、「ちゃんとした男が天下を統一すれば戦のない世の中になる。支えねば」のワンパターン。私の知る限り(松嶋菜々子や仲間由紀恵のは見ていない)、ねねの方も江も女信長も言ってた・・・(蛇足ながら、飲食店が、ブログをきっかけに人気店になる・・・というドラマ連発の時期もあった。安易)。
だが、「八重の桜」は、登場人物の生涯だけでなく、登場人物が紆余曲折を経て達した思想をきっちりと描いて残した。

次が最終回。西田敏行演じる西郷頼母が久々に登場するようだ。
会津・京都編のころに「歴史秘話ヒストリア」でこの人のことを早々に取り上げていたのを見た。実は、覚馬の断言のずっと前から、戦を避けるよう進言し続けてきた頼母。私なら、この人のことももっと描いたドラマにしたろうな、などと空想しながら「八重の桜」を見続けてきました。
大事に思う会津藩(西郷頼母は先祖の代から藩主と共に会津に移った重鎮)のために唱えた案は受け入れられず、藩内で疎まれ、家族は戦争を前に自決し、残った後継息子は病死。それでも放浪しながら生き続けたという。先をかなり正確に見通していたのに事態は悪化していく。どのような思いで生きてきたことか。


・・・まあね。「ぎりぎりセーフ」だ。安倍内閣がもう1年早くできていたら、または「八重の桜」製作がもう1年遅かったら。こういうドラマは作れなかったと思うんだ。危なかった~。

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