さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

ミケランジェロの宗教画

2014-09-09 | 名画に学ぶ世界史

アダムの創造。1510年作

ミケランジェロ(1475~1564)がシスティーナ礼拝堂天井に描いた創世記を題材とした一連の天井画の一部である。教皇・ユリウス2世からの依頼で制作したものだ。ルネサンス時代の作品は圧倒的に教会によるキリスト教関連のものが多い。確かルネサンスは教会から解放され、神より人間への「人間復活」がその目的だった筈である。なのに何故こうも宗教画が多いのか。今回は教会の存在と権威がどのようなものだったかを考えてみたい。

ローマ帝国がキリスト教を国教と定めて以来、教会は国王や諸侯から土地の寄進を受け、次第に体制が整いローマ教皇を頂点とした身分制度が出来上がった。その権威と求心力は王権を上回り、王といえどもローマ教皇には頭が上がらなかった。10世紀から13世紀頃までは教皇権が絶頂期であり、ある教皇は「教皇権は太陽であり、皇帝権は月である。」と豪語したと伝えられる。

ただ国を治めるために王は聖職者を叙任することにより影響力を示してきた。その叙任権を巡り王と教皇は対立することになる。こんな事件が起きている。1077年、時の神聖ローマ皇帝・ハインリヒ4世がローマ教皇の意思を無視してイタリア司教を任命したため、聖職者の叙任権を侵害したとしてローマ教皇はハインリヒ4世を破門した。破門された皇帝には諸侯たちが従わない。やむ無く皇帝はローマ教皇に謝罪するため、ローマ教皇が滞在していたカノッサ城に赴き、雪の中を3日間も裸足のまま祈りと断食を続け、ようやく破門を取消して貰ったという「カノッサの屈辱」と言われる事件が起こった。

ところで紛らわしいのは神聖ローマ帝国だが、これは10世紀にドイツ地方に現れたオットー1世にかつてのローマ帝国の再現を期待したローマ教皇が称号を授与し、「神聖ローマ帝国」を名乗らせたものだ。その後皇帝には諸侯たちの選挙で選ばれた者がローマ教皇から任命される仕組みになっていた。後半は代々ハプスブルグ家が独占するようになる。

その後に始まり200年もの長期間に8回も遠征を繰り返した「十字軍」が始まる。聖地エルサレム奪還を旗印に教皇と王たちとは一枚岩に見えたが、教皇の目的は東西に別れた教会の統一であり、王たちの目的は領地の拡大だった。結局イスラム勢力には敵わず失敗に終わる。教会内部でも汚職事件などが広がり、絶対の権威を保っていた教皇権は失墜していく。

「カノッサの屈辱」事件から226年後の1303年には逆転した事件が起こっている。フランス王のフィリップ4世が教会領への課税にクレームを付けたことからローマ教皇から破門されたが、諸侯の支持を得たフィリップ4世はアナーニの地で教皇を監禁してしまう。「アナーニ事件」と呼ばれている。その後に教会は一時分裂し、教皇庁は70年間も南フランスのアヴィニョンに遷されていた。


最後の審判。システィーナ礼拝堂。1541年完成

ルネサンスが始まったきっかけは教会の権威喪失からの「人間復活」とも言えるが、一方で教会の「権威回復」運動とも言える。問題を抱えながらもキリスト教に対する民衆の信仰心は強いものがあり、教会に替わる存在は他にはない。まだまだ潤沢な資金もあり、協力を惜しまない芸術家にも恵まれ、教皇たちはイメージ一新を図ろうとヴァチカンの大聖堂を壮大なものに建て替え、壮大な絵画で教会の権威を示そうとしたのである。

~~さわやか易の見方~~

******** 上卦は山
***  *** 動かざるもの、止まる
***  ***
******** 下卦は火
***  *** 文化、文明、才能
********


「山火賁」の卦。賁(ひ)とは飾る、装飾。身嗜みを整え、礼儀作法を正しくすること。躾とは身を美しくすることから始まる。美しく飾ることは人の心を喜ばせるものだ。かと言って、過度に飾ることは逆効果ともなる。文明も過度に進むと頽廃的な美が流行するものである。

キリスト教の信者はイエス・キリストの教えを信じ従うものではないだろうか。イエス・キリストは弟子たちに権力を持てと教えたのだろうか。「教皇権は太陽であり、皇帝権は月である。」などと豪語した教皇がいたことを天国のイエス・キリストは許すのだろうか。やがてルターによる宗教改革の下地にもなったのではないだろうか。

教皇権が絶頂期だったのは日本の鎌倉時代に当たる。鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元を思い出してみたい。道元は渡宋して師・如浄により真の仏教を教え込まれた。そこには「都に住んではならぬ。」「権力に近づいてはならぬ。」とあった。帰国した道元は雪深い北陸に永平寺を開く。時の権力者・鎌倉幕府より寺を寄進すので鎌倉へ来るよう何度も要請されたが、きっぱり断り深山での布教に徹した。道元の教えを守る僧たちにより現在所属する寺は全国に一万五千を数える。本来、宗教とは心の世界にあるものだろう。観光のためにあるものではない。

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