さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

「天沢履」(爻辞)

2024-09-27 | さわやか易・講座

「初九、素履(そり)す。往きて咎无し。」

初九は身分は低いが、位置正しい陽爻。応じる爻と比する爻ともに陽爻で応じず、比せず、一人我が道を行く。「素履(そり)す。」は若者らしく率直な気持ちで、「往きて咎无し。」進んでいくので、何の咎めもない。

「九二、道を履むこと坦坦(たんたん)たり。幽人(ゆうじん)は貞にして吉。」

九二は陽爻ではあるが、下卦の中にいる。上の六三とは比するが、中徳があるので、惑わされない。「道を履むこと坦坦(たんたん)たり。」例え大事に向かうような時も平常心を忘れず、淡々として進んで行く。「幽人(ゆうじん)は貞にして吉。」幽人とは心静かに生活する者のこと。功名富貴を求めず、正しく、信念を曲げないので、吉である。

「六三、眇(すがめ)にして能く視るとし、跛(あしなえ)にして能く履むとす。虎の尾を履む。人を咥(くら)ふ。凶。武人、大君と為る。」

六三は、これまで何度も軽挙妄動をする爻として登場してきた。 今回は主爻としての登場である。 「眇(すがめ)にして能く視るとし、跛(あしなえ)にして能く履むとす。」眇(すがめ)はよく見えない、跛(あしなえ)はびっこ。 つまり、よく見えないのに見えると言い、よく歩けないのに歩けると言う。常にはったりをかます。 「虎の尾を踏む。人を咥(くら)ふ。」 そんな人が虎の尾を踏んで、食われてしまうものだ。 「凶。」となるに決まっている。 「武人、大君と為る。」この言葉の解釈が悩ましいところ。 武人が大君に為る。 というのだが、「凶。」と宣言されたものが、大君になれる筈はない。 そこで、私の解釈は、得意のはったりが効いて、一時的に大君に成るかも知れない。 しかし、直ぐに馬脚を露すだろう。 という解釈をしている。

「九四、虎の尾を履む。愬愬(さくさく)たり。 終に吉。」

九四は位は正しくないが、陽爻が陰位にいる時は柔和な考えを持つ。 「愬愬(さくさく)たり。」とは戦々恐々である。 つまり、九四は虎の尾を踏むような危険な仕事を、慎重に慎重におこなうので、終いには吉である。

「九五、夬履(かいり)す。貞なるも厲(あやう)し。」

九五は、天子の位に陽爻、位正しく中徳を備える。 「夬履(かいり)す。」は、果断決行。 「貞なるも厲(あやう)し。」虎の尾を踏むような、決断ではあるが、独断による決断は、正しいとしても、危険である。 この九五には正しく応じる爻と、比する爻がないので、独断と見ている。

「上九、履を視て祥(しょう)を考(かんが)ふ。 其れ旋(めぐ)れば元吉。」

上九は「履を視て祥(しょう)を考(かんが)ふ。」これから履み行う事業の吉凶禍福の兆しをいつも考えている。「其れ旋(めぐ)れば元吉。」そして、今までに行った事業の善悪禍福についても、いつも考えを巡らしている。元吉とは元よりさらに、大いに慶賀すべきである。

次ページ:「地天泰」(卦辞)