モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

ある日の愚痴のような日記を転写します。

2015-05-28 21:41:39 | 日記
「フェルメール絵画の真実」ブログより

タイトル

「本音」

2013.04.28

小さな子供頃、夢にオランダ人が、いっぱい出てきて、メッセージを託された。見たこともない、変てこな服を着ていた。今、オランダ人って書いているけど、当時はオランダ人なんて考えもしなかった。
社会科で日本の歴史を勉強するようになって、昔夢で見たあの人達は昔のオランダ人だったんじゃないかな?って漠然と感じるようになる、、、

昔のオランダ人の象徴的人物と言えば、ザビエル
社会科の教材で、ザビエルを見た時、昔見た夢でみた人と、よく似た服装をしていたと、ある場所でコメントしてしまった。

私は、夢で、昔のオランダ人が出てきてメッセージを授かった。それが一番言いたい主旨だったのに、何故か?
ザビエルがひだ襟の服を着ていたかどうかの議論に変わるー
更に、宣教師がひだ襟なんてあり得ないという展開に(>_<)

何で、そんな展開になるの?って話。
フゼラフだって、子供の頃、ゆったりとした心地良い時間の時、ふぜらふだなぁ~って、周りの誰も知らない言葉をいつの間にか使ってた。

だけど、何十年も時が経つうちに、フゼラフのラフが、日本語の楽(らく)と混ざりあって、いつのまにか、私のなかで、フゼ楽という造語が出来あがった。グリーをするようになり、オランダを調べるようになり、フゼラフってオランダ語が現実として本当に存在することを認識。

だけど、やっぱり、フゼラフより40年以上生きて自分で作り上げた造語のフゼ楽が、ついつい出ちゃう、、、そんな説明まどろっこしいから、単なるタイプミスにしてしまった。やっぱりちゃんと説明したほうが良かったのかな?
ちゃんと説明したところで、頭ごなしに否定する人はいるだろうし、信じない人は信じないでしょうし、、、
まぁ、結論としては、誰に嫌われようが、私は良いのです。
私の見たザビエルが、仮にひだ襟でなくって、私の記憶違いが判明したとしても別に良いのです。実際は、ザビエルの隣接した場所に宣教師誰達の絵がのっていたのに、フゼ楽と似たようなパターンのように、長い人生で
記憶の認識が間違ったかもしれない、、、
まぁ、どんなパターンで、私の認識した記憶が間違いであっても、揺るがない記憶は、私は子供の頃、夢にて、昔の服装のオランダ人がいっぱい出てきて、ゆったりとした心地良い時間の時、フゼラフ(いつの間にかフゼ楽)と言っていたということ。

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