常識の壁をなくそうと言い、既成概念の枠組みを外そうと、訴える者がいたとする。
その者が、ある新たな説を打ち立てたとしよう。
その者は、軽はずみにその説を論ずることなく、よくよく吟味検証せねばならぬ。
何故なら、世の中を混乱に陥れるくらいなら、概念の枠組みのなかにいるほうが、人はまだ幸せなのだ。
人は、概念の中でも、大いなる想像力を膨らませ、自由な意見を言い合う事が出来るからだ。
人は、それぞれの感性で、芸術と触れ合う事で、魂が清められる。
君が持つ純粋なる感性で、芸術と大いに語らえ!
論拠のなき、出鱈目な説を言っている者、そして、それに傾倒している者は、全てに対し、疑いの目で、芸術を観るようになるであろう。
この疑いの目こそが、自由な思考を妨げることに気付きもせず。
純粋さを失った君に、もはや、芸術は、何も語ってはくれなくなるだろう。
それにしても、
秩序とは何と素晴らしい言葉であろうか。
物事を君の目で見極めるのだ。
さては、第三の目が
まだ開いておらぬな。
この文明社会においては、それも仕方あるまい。
魂を目覚めさす良い方法あるぞ。
素晴らしき芸術を、たくさん観るが良い。
君は知らず知らずのうちに、魂が清められるのだ。
何故なら、芸術は芸術家の魂の結晶だからだ。
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