芸術を語るうえで、物事が断定されるということは、実に空虚で寂しいことである。
人は想像力を掻き立てられれば掻き立てられるほどに、その物に対して、より知りたい、解りたいと願う。
そう、未知なる部分があるからこそ、永遠なる探求心が芽生えるのだ。
未完成の絵画や未完の建築においても、同じ原理で美しい。
完成された物を想像する、その思想のなかにもまた、「美」が生まれるからだ。
ああ、fuzzy(曖昧)であるということは、何と美しいのか。
あらゆる無限の可能性を想像したまえ。
作品を観て感嘆し、
鑑賞者の想像力や思想の中にもまた美が生まれる。
芸術をよく理解し得ない者は、作品に対して決め付けをしたがり、さしで測ったような理論を言いたがる。
そういう者達の特徴としては、芸術を理解したいと願う気持ちよりも、自己の理念が確定されたり、自己の存在が高められることに最大の価値を置く。
わたくしは、過去何人も、そういう人を見てきたのだが、不思議とこのことは共通しているのだ。
芸術作品の前にいて
無垢なる気持ち
謙虚なる気持ち
純粋なる意識を得た者は幸いである。
作品を観て豊かな気持ちになると同時に
神からの祝福を受けるからだ。
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