モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
プロジェクトを立ち上げました。

ネットの不幸。こういう真実の情報が奥へ奥へ追いやられる。

2015-04-25 10:43:43 | 日記

日本において、ダ・ヴィンチ研究家の第一人者
池上英洋先生の、情報は、
奥へ奥へ追いやられています。

「真実の情報」

モナリザは、母である。

ダ・ヴィンチの絵は、テクノロジーを使って描かれているのではありません。
ダ・ヴィンチの絵は、彼の魂の結晶であり、一筆一筆に心を込めて描いています。


※以下、転写文です※


世界一、有名な絵「ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)」は、500年の時を経てなお、我々の想像力をかき立てる。謎めいた微笑は、ついに到達した究極のぼかし技法、スフマートによるもの。水に溶いた顔料を指の腹で何度も画面に重ねていくという、気の遠くなるような作業を繰り返す技法だ。レオナルドはスフマートを巧みに用い、かすかな筋肉の動きまでもつぶさに表現した。奇妙な背景には、木も雲も描かれてはいない。つまり、短い時の移り変わりを示す要素を極限まで省き、それを超えた永遠の風景を描いたのだ。モデルについては諸説あり、現在も定まっていない。池上英洋氏は「母親を描いたものだろう」と推論する。理由のひとつは、レオナルドが本作を売ろうとした形跡がなく、10年以上にわたって手を入れていること。飽きっぽい彼にしては珍しいことであり、金銭や名声とは別の動機があったと考えるのが自然だ。
(ダ・ヴィンチ全作品・全解剖。(702.37-L55Yd)より)



※レオナルド・ダ・ヴィンチの格言


 画家は「自然」を師としなければならぬ。

画家が手本として他人の絵を選ぶならば、取り柄の少ない絵をつくるようになるだろう。

然るに自然の対象を学ぶならば、立派な成果をあげるであろう。

われわれのあらゆる認識は
感覚にはじまる。
感覚が知覚できるものに左右されるように、愛するものは愛される対象によって左右され、対象と結合して同じひとつのものとなる。

作品こそ統合から生まれる最初のものである。

愛するものが愛される対象のもとに到着したとき、そこに憩いが生まれる。

重荷がおろされるところには休息がある。



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