モナリザを母にしようプロジェクト

モナリザを聖なる母にしようという
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2011.02.24 「歴史の真実は、何処にあるのだろう?」

2015-09-24 01:05:30 | 日記

私は、本当にダ・ヴィンチのことをあまり知らなかったんです。
ダ・ヴィンチを好きになったのは2009年の7月以降、だから知識も浅いと思います。


偉大なる芸術家の魂と、チャネリングして以降、私なりにダ・ヴィンチのことを勉強したり、歴史を調べさせて頂いていました。

すると、それぞれの時代背景において、権力争いに関わっていたと思われる人物が、誕生日や、誕生日ではなくとも誕生月に亡くなっていることが分かりました。

いずれも、歴史の教科書において、死因は、不明と記述されていたり、性病など後生の人から見たら、不名誉な病名が記されています。

不可解な死を遂げた者達の幾人かの、本当の死因は、毒殺等で、殺されていたかもしれない・・・
私は、そう考えるようになりました。


いわゆる、歴史的に負け組のレッテルを張られた者達は、勝ち組で構成された歴史において、都合の悪い内容は削除されているのは間違いないですよね?

ラファエロが誕生日に亡くなったのに、違和感を覚えた件を先日書きましたが、
似たような不可解な亡くなり方をされた方が他にもいます。


フランソワ1世が即位したのは1515年で
す。


その年、フランソワ1世によるミラノ奪回がありました。


1515年は、ジュリアーノが、サヴォイア公フィリッポ2世の娘でフランス王フランソワ1世の母方の叔母フィリベルタ
とフランス宮廷で結婚した年でもあります。ジュリアーノは、フランソワ1世にヌムール公位を授けられました。



侵略争いに負けたジュリアーノ、
明らかなる政略結婚の後

その翌年死亡、
またまた誕生月に亡くなってます。
原因不明の死を遂げた人は、不思議と誕生月に亡くなっているんです。
結構すごい確率かも?

闇の歴史は
私達に語られることなく埋葬され続けたのでしょうか?

(約745字)


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