KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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ロンドン・コーリング vol.8~「今までやってきたことが間違いでなかったことが証明できた。」

2012年08月20日 | 五輪&世界選手権
ロンドン五輪が閉幕してから、まだ10日も経っていない。なのに、もう随分前のことのような気がしている。「平和の祭典」が終わったばかりなのに、我が国は、近隣の国と領土をめぐって対立を深めているからであろうか。イスラム教徒の「断食月(ラマダン)」の期間を日程に組み入れた大会本部の配慮の無さが批判されたが、「8月15日」の直前に大会が終わる日程も、東アジアの複雑な歴史の背景への配慮が欠けていたと言うべきか。

そんな事は、本当はどうでもいい事だ。オリンピックを締めくくる競技であるマラソンについて語ろう。

第一回の近代オリンピック、アテネ大会以来、マラソンは最終日の最後の競技として実施されていた。優勝したギリシアのスピリドン・ルイスは、同大会で地元ギリシャ唯一の金メダリストとして、大会最大のヒーローとして賞賛された。マラソンはオリンピックの「華」であり、マラソンのヒーローは、オリンピックの顔だった。

'90年代以降、日本のマラソンは「女高男低」、「女子は強いけど男子はダメ」と言われ続けてきた。1998年アトランタ、2000年シドニーと、女子はメダルを獲得しながら、男子は入賞にも届かなかった。2004年アテネで5位、6位と入賞してみせても、金メダルの輝きには叶わなかった。2008年北京で、やっと男子と女子が肩を並べた。「男子も女子もダメ」ということで。

2大会連続して日本女子は入賞を逃した。

「女子がダメだったんだから男子もダメだろう。」

と思いながら、スタートを見た人も少なくなかったかもしれない。日本の女子は、今回も昨年の世界選手権同様に、ケニアとエチオピアの急激なペースアップになすすべもなく敗れ去った。国内の国際女子マラソンでは、見られないレース展開だったからだ。しかし、日本の男子たちは、このような展開には慣らされていた。

この数年、福岡国際やびわ湖毎日では、ケニアやエチオピアのランナーが勝負所で急速にペースを上げて独走して優勝、というレースを何度も見せられた。今回、7マイル地点で、ペースを上げて先頭に立ったウイルソン・キプサングも、昨年のびわ湖毎日で、2位に3分もの差をつける2時間6分13秒で優勝しているランナーである。その7ヶ月後、彼はフランクフルトで世界歴代2位となる2時間3分42秒で優勝している。

「国内レースでも勝てない日本の男子ランナー」

と言われ続けてきたが、現在旬の実力派ランナーを招待し、彼らが最高の実力を発揮できるよう配慮してきたのが、日本の男子マラソンだ。これって凄いこととは思わないか?

マンチェスター・ユナイテッドや、ニューヨーク・ヤンキースや、オールブラックスが、べストメンバーで来日して、100%本気全開のガチンコ・マッチを見せてくれるようなものだぞ。日本の男子も女子も、今の世界のトップとは実力差が離れているのは確かだ。ただ、男子の方がその「実力差」を強く自覚した上で、「それなりの戦い方」を確立していたのだ。女子のように、思い出したように「チーム・ジャパンとして戦う」などと言い出すこともなく、3人の代表選手が、それぞれ、自分にとってベストと思えるトレーニングを積んで、ロンドンのスタートラインに立った。

10kmから15kmの5kmをキプサングは14分11秒にまでペースを上げた。中本健太郎の5000mのベストタイムとは7秒しか違わない。2位集団もケニア、エチオピア、ウガンダ、エリトリア、南アフリカとアフリカ勢で埋め尽くされている。非アフリカ勢のトップはブラジルのマリウソン・ドス。サントス。実はブラジルは、世界記録保持者も五輪メダリストも生み出している「隠れマラソン強国」なのである。彼も、ニューヨークシティで2度優勝している。もう一つのアフリカの強豪、モロッコ勢が冴えない。アフリカ勢の上位独占の一角を崩すかと期待されたアメリカのライアン・ホールも20kmももたずにリタイアした。

藤原新は第3集団に位置している。中本健太郎、山本亮が後に続く。

1時間3分15秒でキプサングは中間点を通貨。エリトリアのヤレド・アスメロン、ケニアのエマニュエル・ムタイが脱落していく。第3(10位)集団に中本が追いついてきた。

今回、距離表示がマイル表示だが、英国の植民地だったアフリカのランナーたちには、有利だったかもしれない。15マイル過ぎて、2位集団からウガンダのスティーブン・キプロティチがペースを上げて、キブサングを追い始めた。10位集団の先頭に中本が立つ。25km地点で中本は9位。入賞圏内は近い。

2周目の終わりに、キプロティチと、ケニアのアベル・キルイが追いついてきた。全員2時間4分台のエチオピア勢は先頭争いから消えた。30km過ぎて、第3集団から藤原が落ちていく。

21マイル前で第3集団から中本が抜け出す。堂々とした走りだ。悪い予感のかけらもない。キルイとキブサングの先頭争いをキプロティチが追う。35kmを中本が5位で通貨。アメリカのメブ・ケフレジキが後を追う。アテネ五輪では銀メダルを獲得しているエリトリアからアメリカに移民したランナーだ。中本とケフレジキ。まだ前に4人のランナーがいるという現実を無視すれば、五輪史上に残る名勝負か。少なくと、3~4大会前なら、真夏のマラソンでこれくらいのペースで走れたら、間違いなくメダル争いに加われていたはずだ。

23マイル手前でキプロティチがスパートして先頭に立つ。ケニア勢は不意討ちを食らったような表情を浮かべるが、追いつけない。北京五輪以後の2回の世界選手権のマラソンで連勝しているキルイも引き離されていく。

それにしても、ひどいアナウンサーだ。何度もランナーの名前を言い間違えている。

中本、6位以内はほぼ確保。ドス・サントスとの差はどれくらいだ。キプロティチ、昨年の世界選手権は9位、今年の東京マラソンは藤原新に次いで3位。わずか半年で大きく成長した。発展途上のランナーだったのだ。40km地点で4位ドス・サントスと中本との差は26秒。先頭集団に食らいついていたドス・サントスにどれだけ体力が残っているのか?

キプロティチ、独走。ウガンダ初のマラソン金メダル!ミュンヘン五輪の男子400mハードル以来、ウガンダ2個目の金メダル。ゴールとともに膝をつき、十字を切る。そういえば、かつてウガンダを支配していた独裁者、アミン大統領はイスラム教徒だったという。

2位はキルイ、3位のキブサングはゴール後、キルイに駆け寄ることも無かったし、キルイの表情に笑顔は無かった。ケフレジキがスパートし、中本を引き離し、ドス・サントスも捕らえ、4位でゴール。一発選考に敗れて北京五輪の出場を逃したが8年ぶりの五輪で堂々と入賞。7位にはジムバブエのランナーが入る。8位にはブラジル。9位にイタリアのペルティーレ。スイスのビクトル・レスリン、ボーランドのヘンリク・ゾストらヨーロッパの強豪たちも入賞圏内に入れなかった。

中本はインタビューで語った。

「今までやってきたことが間違いでなかったことが証明できた。」

今日のテレビ中継の解説者席に座っていた、高岡寿成が10年前にシカゴで、今も破られていない日本最高記録、2時間6分16秒をマークした際も同様のコメントをしていた。

藤原は大きくペースを下げた。40位に山本、そして45位で藤原。また、「悪い藤原」に戻ってしまったのか?

マラソン・ニッポンのがけっぷちの危機を救ったレースだった。決して「エース」とは呼べる存在ではなかったと思っていたが、日本代表には必要な存在だった。そして、自らの役割を最大限発揮した。ありがとう。あなたのおかげで、いい締めくくりが出来た。少なくとも僕はそう思った。JOCのお偉方はどう思った知らないが。メダルを取り逃したと文句垂れてたのか?

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