KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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ロンドン・コーリング vol.7~男子マラソン、スタートを前に

2012年08月12日 | 五輪&世界選手権
あと数時間でロンドン五輪の男子マラソンがスタートする。マラソンは、陸上競技の、というよりも、五輪の最後を締めくくる特別な競技だ。スタートラインに立つ、その時を待つ3人の日本代表ランナーたちについて、先に女子の代表について書いたのと同じように、知っている2、3の事柄について書いていこう。


◎藤原 新(ミキハウス)

1981年9月12日生 長崎県出身 諫早高校~拓殖大学卒 元JR東日本

マラソン歴11回

ベスト記録
5000m  13分41秒35
10000m  28分41秒05
マラソン 2時間7分48秒(2012年東京)

国際大会実績
2009年世界選手権マラソン61位


今回の代表ランナーは女子よりも男子の方がメディアへの登場機会も多かった。当初、話題の中心は、県立高校の事務職員として勤務しながらのトレーニングで、2時間8分37秒(その年の日本最高記録)で3位でゴールした川内優輝だった。同じレースに「プロランナー」として出場した藤原は57位と惨敗。4ヶ月前にリタイアしたニューヨークシティに次いで2大会連続の失敗レースで、競技生活の危機も感じさせた。その1年後。「公務員ランナー」の五輪出場決定かと注目を集めていた今年の東京マラソンで藤原は甦った。4年前の同じコースで作った自己ベストを52秒も更新し、2位でゴール。当時はスポンサーとの契約も打ち切られていて、無収入状態。

「無職ランナーが公務員ランナーを破る。」

と大いに話題となった。以後、スポンサー獲得などでマスメディアに大いに話題に提供した彼は、そのまま現在の「マラソン・ニッポン」の広告塔としての役割を果たした。

ライバルとなった川内の「トレーニングとしてのレース出場」に影響され、五輪代表内定後もハーフマラソンに積極的に出場、全て日本人トップでゴールしてみせた。僕はこの部分に快哉を叫んだ。これぞプロだ!かつての彼は、「狙ったレース」以外では結果が出せないところもあった。JR時代に丸亀ハーフに出た彼が、先頭からかなり離れた集団で走る姿を間近で見ただけに、まさにJR時代とは別人になったと感じさせた。

今年の東京以前、もしくはその3週間前の丸亀ハーフ以前の彼と、現在の彼は全く別人だと断言する。日本プロレス時代は高千穂明久というリングネームで、地味なテクニシャンというポジションのランナーだったグレート・カブキが、アメリカマットでの成功後の凱旋帰国の記者会見で、

「高千穂明久というレスラーはもう死んだ。」

と答えていたが、4年前の東京で両足を痙攣させながら2位でゴールしたり、翌年の世界選手権では61位に沈んだランナー、藤原新は、もういないのだ。日本初の「リアル・プロフェッショナル・ランナー」(あえてそう呼ばせていただく)の「2度目のマラソン」である今夜のマラソンが本当に楽しみだ。結果次第では、日本のマラソンが変わるかもしれないからだ。


◎山本 亮(佐川急便)

1984年5月18日生 兵庫県出身 長田高校~中央大学卒

マラソン歴4回

ベスト記録
5000m  13分54秒96
10000m  28分22秒84
マラソン 2時間8分44秒(2012年びわ湖)


多くの陸上競技の名選手を生み出している兵庫県だが、意外にも男子マラソン代表は彼が初めてだという。それも駅伝の強豪、西脇工業や報徳学園ではなく、県立の長田高校出身。今年のぴわ湖では、全くのノーマークながら、自己ベストを3分以上更新するタイムで日本人トップの4位でゴールして、代表の座を掴んだ。所属する佐川急便からは、アトランタ五輪代表の大家正喜氏以来16年ぶりの五輪代表である。その大家氏もそれまで目立った実績が無く、その部分で代表入りが見送られるかとの危惧もあったが、当時のコーチがインタビューで語った、

「実績のある選手との勝負に勝ったという実績を評価して欲しい。」

という訴えが認められたのか、代表に決まった。その大家氏からチームを引き継いだ中野剛監督は、神奈川大が箱根の常連校に成長していく時代に活躍、4年時には主将を務めた。彼の2年下の弟の幹生氏が3年生の時に同校は箱根駅伝初優勝を果たした。僕が一番熱心に箱根駅伝を見ていたのはちょうどこの頃だった。

しかしながら、中野監督はマラソンランナーとしては実績を残していない。ベスト記録も2時間19分台である。自身の実績をしのぐランナーを育てた秘訣は、山本自身が語っていた「月1200km」の練習量である。思えば、佐川急便の初代監督はダイエー陸上部出身の金田剛氏だった。中山竹通氏らを育てたダイエーの佐藤進監督(故人)は、徹底的な走りこみで選手を育てたことで知られている。あの、往年の名門チームのDNAを受け継ぐランナーとして、山本の走りに注目したい。


◎中本健太郎(安川電機)

1982年12月7日生 山口県出身 西市高校~拓殖大学卒

マラソン歴8回

ベスト記録
5000m  14分4秒31
10000m 29分4秒24
マラソン 2時間8分53秒

国際大会実績
2011年世界選手権マラソン10位


今回の代表3人も、前回に続いて3人全員が箱根駅伝経験者である。しかし、前回代表の尾方剛氏と大崎悟史は山梨学院大学、佐藤敦之は早稲田大学と、強豪校で主力として活躍したが、今回の山本は伝統校である中央大出身であるが、中本と、その1学年上にあたる藤原は拓殖大学の出身である。拓殖大は箱根駅伝においては、優勝争いに加わる、というよりもシード権を確保する、というのが目標であり、藤原も箱根のロードを走ったのは4年間で2度、中本は1度だけである。ただ、彼らの指導者だったのは、ソウル五輪で10000m代表だった米重修一氏。米重氏が監督をしていた当時の拓殖大からは、1500mの日本新記録保持者である小林史和氏も育っている。九州の老舗実業団から初の五輪代表ランナーである。九州と言えば、10日間走り続ける九州一周駅伝。君原健二氏に佐々木精一郎氏、宗兄弟に谷口浩美氏、森下広一氏ら九州の実業団ランナーなら、誰もが走ったこの大会から、12年ぶりに五輪マラソン代表が生まれた。指導者である山頭直樹監督も、マラソンでは実績が無く、駅伝のエースとして活躍してきたランナーである。トラックのタイムは3人の中では一番劣るものの、ロードレースで鍛え上げた、いかにも日本的、というか「九州的」なランナーである。


これまで8回のマラソン歴の中でワースト順位は昨年の世界選手権での10位。ワーストタイムも4年前の北海道マラソンでの2時間15分21秒だが、気温30℃を越える中、2位でのゴールである。この「安定性」が選考において最も評価されたのであろう。

今回の代表選考で最も物議を醸したのが川内優輝の代表入りが実現するか否かであった。陸連の強化指定選手である川内と陸連との「不仲」がもっともらしく報じられたり、実業団から圧力があったとか無かったとか、彼の給水失敗までもが「陰謀」のごとく伝えられた。その川内とともに当落線上にいたのが中本である。結局決めては、びわ湖でラストに山本にかわされたものの、タイムは川内の福岡でのタイムを上回った事と、世界選手権で川内を上回ったことだろう。

「革命児」藤原がメダルをかけるのを見てみたい、と思う一方で中本がゴール後に、

「僕たち、実業団のランナーたちのトレーニングが間違っていないことを証明できた。」

と笑顔で語るのも聞いてみたい。

スタートまで、もう2時間を切った。どんなドラマが見られるのだろうか?


2 コメント

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中本健太郎6位 (残念な男子マラソン)
2012-08-13 15:34:23
マラソンの結果は…

拓殖大学出身の藤原新に中本健太郎。箱根のランナー時代は

王者駒澤大学4連覇

そんな時代に箱根のランナー

記録的に駒澤大学や早稲田・順天堂には遠く及ばない

しかしオリンピック代表に駒大や順大、亜大すらも皆無(5千 1万 マラソン

特筆は駒澤大学、あれだけ4連覇の偉業を成し遂げたのにランナーは育っていない

オリンピックに無縁な駒澤大学
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今後に期待 (かんちゃん)
2012-08-15 08:40:44
確かに、駒沢大は五輪代表を輩出していません。藤田敦史という、日本最高記録保持者で、世界選手権2度出場、1度入賞というランナーは生み出していますが。

しかし、宇賀地、深津、高林の三人の今後には期待しています。
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