KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
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アーカイブス「マラソン春秋」vol.6

2006年11月12日 | 「マラソン春秋」アーカイブス
東日本実業団対抗女子駅伝は、三井住友海上が7連覇を成し遂げた。3月の名古屋国際女子マラソン以後、目だった活躍のなかった渋井陽子が復調し、東京国際女子マラソンを控えた土佐礼子が、レースに期待を持たせる走りを見せたようである。

翌日の報道では、両エースの活躍で7連覇と伝えられていたが、2区でトップに立ち、区間賞を獲得したランナーが、山下郁代だったことが僕には感慨深かった。

そうか、ようやく駅伝で区間賞を取れるまでになったか。

愛媛県立三瓶高校から三井住友海上入りして3年目のランナーである。
3年前、彼女のインターハイでの走りは、当時、愛媛新聞でも大きく囲み記事で伝えられた。旧サイトのコラム「マラソン春秋」でも、その記事を引用したが、ここで再読してみよう。

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君は長崎インターハイを見たか
at 2003 08/13 22:40

すみません。見てません。

このHPを開設してから3度目の夏だ。当初、高校陸上界については、あまり視野に入れていなかった。去年あたりから、愛媛の高校陸上界に詳しい方が掲示板に情報を寄せてくださるようになり、「灯台下暗し」から少し脱することができた。

去年の夏、
「さんぺいじゃないよ、みかめだよ。」
と、三瓶高校の山下郁代さんのことをこの欄でも紹介した。女子3000mで3位。
インターハイの長距離種目は現在、男女ともにケニア人留学生が上位を独占している。
この現状を好ましく思わぬ人は少なくない。
僕自身、以前、ケニア人留学生と競り合うことで競技力が向上した、という部分を指摘したことがあったが、インターハイというのは、将来の五輪選手を育てるためだけのものではないし、そんな「きれいごと」だけで済むことではない。

海外の選手を勧誘して入部させてまで、勝ちたいのかと、留学生を受け入れている高校に批判の声を向ける人は少なくない。まあ、今、行われている、高校生の野球大会でもあることだ。地元の中学出身の選手がレギュラーに1人もいない学校とか、珍しくはないのと、似たようなものだろう。

今や、高校陸上長距離の有力選手に課せられる「使命」は、「ストップ・ザ・留学生」である。
今回、女子でその役目を託されたのが、三瓶の山下郁代だった。

結果は4位。

1位 J.モンビ(青森山田) 9分7秒5
2位 O.フィレス(山学大附)9分8秒62
3位 W.フリーダ(世羅)  9分9秒67
4位 山下郁代(三瓶)   9分17秒98

「日本人1位」の座は確保することができた。しかし、そのこと自体に「価値」があるのではないことを、8月3日の愛媛新聞の朝刊の記事は伝えていた。ここに引用させていただく。


「日本人1位に意味があるのか(山下) 
ペース度外視 外国人選手を追走」

こんなムチャをすればどうなるか、山下(三瓶)は分かっていたはず。表彰台はおろか上位入賞さえ危うくなることを。女子三千メートル決勝、序盤は下馬評通り外国人3選手が集団をリード。そのグループで唯一、ペースを度外視して果敢に挑む山下がいた。
体力の消耗とともに、中盤で上下動が激しくなった。それでもトップにくらいついたのは、山下がスケールの小さなランナーではなかったから。
3日前のこと。山下は千五百メートル決勝を終えて後悔した。外国人選手の脅威を感じて、ペースを上げず、日本人最高の3位を狙った。気後れしたのが災いして、表彰台からも滑り落ちた。
「日本人1位に意味があるのか」。三千メートル決勝は雪辱戦となった。
前半のオーバーペースのツケは払わされた。最後は目を覆いたくなるほどペースが落ちた。それでも必死に走り、4位でゴール。直後「3年間で見せたことがなかった」(倉田監督)ガッツポーズが飛び出した。
昨今の外国人の活躍で「高校国際記録」と名前をつけて、力で劣りがちな日本人と区別する雰囲気が陸上界にある。そんな中、日本人で、山下だけが先頭集団に追随したレースには迫力があった。順位や記録だけでは推し量れない価値観を、訴えていたようにも思えた。
観戦者の多くが、山下に拍手を送った。チームメイトはもちろん、他チームの選手や監督も、涙した。4位の順位で、これだけ人を泣かせることができる。こんな選手も、そうざらにはいない。

(愛媛新聞8月3日朝刊 文・河野洋)

冒頭に書いたように、僕はこのレースを見ていない。そのことを将来、悔やむ日が来るのではという想いがして、今回、ここにレースの模様を伝える記事を書き残しておこうと思った。卒業後は、実業団で競技を続けることを山下選手は希望している。

いつの日か、この日のレースのことが、「伝説」として回顧されることがありますように。

最後に、「月刊陸上競技」9月号の「編集長のひとりごと」より。僕が高校時代から、あるいはそれ以前からずっと言われ続けているのに、いまだに何も変わっていないことだ。

「それにしても毎年思うことですが、スポーツに青春を賭ける高校アスリートの最高の舞台、全国インターハイを、テレビも新聞(一般紙、スポーツ紙とも)ほとんど無視していると思いたくなるほどの扱いしかしていません。高校野球の各県予選の熱狂的な報道とは『なんたる違いか』と叫びたくなります。(中略)『しかたない』とあきらめないで、スポーツに打ち込む純真な高校アスリートのために、行動を起こすことが大切ではないでしょうか。」

先に挙げた、愛媛新聞の記事を、廣瀬豊編集長にも、お読みいただきたいと思う。

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後半の、当時の月陸編集長のコメントは蛇足だったかもしれないが、この「アーカイブス」という企画は、当時の記事を未編集で掲載することを原則としているので、そのまま掲載した。
夏になると高校野球の記事で埋め尽される、愛媛新聞の運動面で、このような、書き手の特別な想いが込められた記事が掲載されたことが珍しく思えたのだ。

それはともかく、上位の3人の留学生は卒業後揃って日本の実業団で競技を続けている。優勝のモンビは先月の北京マラソンで初マラソンを走り、フィレスにウインフリーダ(W.フリーダというのは表記ミスです。)は実業団駅伝の地区予選で主要区間をきっちり走っている。

彼女たちに比べると、出遅れた感はあったが、なんと言っても、5000m15分台のランナーだけで駅伝チームが組める強豪チームである。メンバー入りすることは並大抵ではない。

昨年も東日本では走っていたが、全日本のメンバーには残れなかった。しかし、1月の都道府県対抗女子駅伝では、既に出場資格がなくなったチームの先輩、土佐と大平美樹に代わって愛媛の「ふるさと選手」としてアンカーを走った。かつては、真木和さんや土佐も走った区間である。

高校時代、インターハイや駅伝で全国トップレベルで活躍しながら、卒業後実業団に入りながら数年で競技の世界から離れていくランナーは決して少なくない。様々な原因があるのだろう。彼女と同期のライバルも、所属先のホームページのメンバー欄から名前が消えていた。

今は、彼女がしっかりと実力をつけていることが分かってうれしい。来月の全日本では今回故障で欠場したチームメイトも、復調させてくるだろう。彼女たちとメンバー入りを争わなくてはならなくなるが、頑張ってメンバー入りしてもらいたいと思う。

今年、彼女とともに、愛媛代表として都大路を走った母校の後輩、渡邊雪乃も、今年の春に京セラ入りして、淡路島女子駅伝ではアンカーに抜擢されて区間賞を獲得した。タスキは着実に受け継がれている。

まずは駅伝で実績を残し、そして、個人のレースでもまた大きな結果を残せば、また、留学生ランナーたちに臆せず勝負を挑んでいった彼女の走りが語り継がれていくだろう。


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